■第一次防衛力整備計画
護衛艦はるな建造は第三次防衛力整備計画に基づくものですが昨年末にこの懐かしい防衛力整備計画という単語が復活しました。
ドイツはじめNATO加盟国は冷戦後、一時は身軽な旅団に師団編成を小型化しているのですが、しかし2010年代にその旅団を複数隷下においた師団編成、それも非常に大型の師団に回帰しています。ドイツとフランスの師団は現在約30000名規模、もちろん両国とも現役陸軍兵力は10万名程度と陸上自衛隊よりも小規模ですので多数の師団は編成していない。
フランスは第1機甲師団と第3機甲師団、ドイツは第1装甲師団と第10装甲師団、フランスはいくつかの直轄部隊がありますし、ドイツも特殊作戦師団という、最近クーデター未遂事件を繰り返している不名誉でも有名となっていますが配置されている、しかし師団級部隊は若干数に押さえているのですね、どれも多数の旅団を隷下に有しているのが特色だ。
戦車が225両しかないのにフランスは2個機甲師団、不思議な編成をとっていますが機甲部隊とは装甲機動部隊、VBCI装輪装甲戦闘車はじめ装甲車を多数保有していますし、どちらの師団も機甲旅団を一つ、装輪式のERCやAMX装甲偵察車を多数装備する軽機甲旅団か海兵機甲旅団を一つ有していますので、一応は機甲師団としての体裁を整えてはいます。
管区隊編成、自衛隊も思い切ってその編成を1950年代の重厚な第一次防衛力整備計画時代の編成、重厚な編成に戻してみてはどうか、最近こう考えるのは、航空自衛隊と海上自衛隊が大幅な改編を繰り返す中で陸上防衛についても敢えて多数の師団と旅団をおく、そして旅団と師団の違いが定数われか凄い定数割れの違いしかない現実をみるための施策です。
第一次防衛力整備計画時代は、自衛隊には何もない時代に旧陸軍の解体と、進駐軍の朝鮮戦争出兵などによる戦力空白化を受けて必要に迫られたという構図がありました。故にその編成に当たっては装備も何もかもアメリカ陸軍の支援を受けており、編成もアメリカ軍の当時の歩兵師団に準じています、むろんその編成が最良とはいえない事は理解している。
歩兵師団編成、当時アメリカは4000名規模の歩兵連隊を3個基幹として砲兵連隊に戦車大隊などを置く編成でした、さすがに当時ヘリコプター旅団はありませんが、観測機部隊を有していまして、これが紆余曲折ありながら今のアメリカ陸軍の編成に非常に大きな影響を及ぼしているのです。紆余曲折とは、核戦争の懸念をその編成に反映しているのです。
ペントミック師団、アメリカ陸軍が日本の自衛隊が参考としたという小型の歩兵連隊を基幹とする編成に移行したのが1950年代です。これは大きな歩兵連隊が一カ所に固まっていては戦術核兵器により一気に壊滅してしまう、という懸念から部隊を小型化したものです、陸上自衛隊も部隊を全国へ配置するために普通科連隊を小型化した。ここだけ真似した。
五単位師団、さて忘れてはならないのはペントミックという意味です、辞書を調べてもおそらく出てこないでしょう、ペントミックとはペンタゴンとアトミックをあわせた造語、ペンタゴンとはアメリカ国防総省の事ではなく五角形、アメリカ国防総省が建物の岩盤の地形から五角形の建物となった為にペンタゴンといわれている、つまり5という数字だ。
アトミックな核戦争の時代に小型の歩兵連隊を五個からなる師団、この編成を採用しました。そして自衛隊は歩兵連隊、いや普通科連隊を小型化するという発想だけを導入しまして、五単位という編成を採用していません、アトミック師団といいますか、自衛隊は多くても四単位、半数の部隊が三単位という、師団小型化を進め、一種の無理を通しました。
1962年師団編成という、陸上自衛隊は大型の管区隊を四単位の師団へ、おして小型の編成だけを急いだ混成団、これでも今の方面混成団や旅団より大きく前の中央即応集団以上の5000名以上という定員、これを三単位の師団としています。この際に普通科連隊を増やすという手段に用いたのが、連隊を分割して三個普通科連隊とする手法で水増ししました。
練馬の第1普通科連隊をみますと、もともとの名称は第1連隊、その人員規模は4200名といまの第一師団に迫る人員規模であり、隷下に本部管理中隊と3個大隊が置かれていました。もちろん一カ所の駐屯地には多すぎますので、練馬駐屯地と久里浜駐屯地に豊川駐屯地、三カ所に大隊ごと駐屯していました。この大隊が普通科連隊の雛形へなってゆきます。
アメリカの編成をみますと、ペントミック師団は使い勝手が悪かった、何よりも師団として行動するには当時の通信技術と指揮統制能力の限界を越えていました、故に戦闘基幹部隊を大隊と位置づけ、連隊は一種の伝統称号となった構図です、いまでも第2騎兵連隊第一大隊というような、2/1騎兵大隊とも書かれる初見者には一種の難読名称となっている。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
護衛艦はるな建造は第三次防衛力整備計画に基づくものですが昨年末にこの懐かしい防衛力整備計画という単語が復活しました。
ドイツはじめNATO加盟国は冷戦後、一時は身軽な旅団に師団編成を小型化しているのですが、しかし2010年代にその旅団を複数隷下においた師団編成、それも非常に大型の師団に回帰しています。ドイツとフランスの師団は現在約30000名規模、もちろん両国とも現役陸軍兵力は10万名程度と陸上自衛隊よりも小規模ですので多数の師団は編成していない。
フランスは第1機甲師団と第3機甲師団、ドイツは第1装甲師団と第10装甲師団、フランスはいくつかの直轄部隊がありますし、ドイツも特殊作戦師団という、最近クーデター未遂事件を繰り返している不名誉でも有名となっていますが配置されている、しかし師団級部隊は若干数に押さえているのですね、どれも多数の旅団を隷下に有しているのが特色だ。
戦車が225両しかないのにフランスは2個機甲師団、不思議な編成をとっていますが機甲部隊とは装甲機動部隊、VBCI装輪装甲戦闘車はじめ装甲車を多数保有していますし、どちらの師団も機甲旅団を一つ、装輪式のERCやAMX装甲偵察車を多数装備する軽機甲旅団か海兵機甲旅団を一つ有していますので、一応は機甲師団としての体裁を整えてはいます。
管区隊編成、自衛隊も思い切ってその編成を1950年代の重厚な第一次防衛力整備計画時代の編成、重厚な編成に戻してみてはどうか、最近こう考えるのは、航空自衛隊と海上自衛隊が大幅な改編を繰り返す中で陸上防衛についても敢えて多数の師団と旅団をおく、そして旅団と師団の違いが定数われか凄い定数割れの違いしかない現実をみるための施策です。
第一次防衛力整備計画時代は、自衛隊には何もない時代に旧陸軍の解体と、進駐軍の朝鮮戦争出兵などによる戦力空白化を受けて必要に迫られたという構図がありました。故にその編成に当たっては装備も何もかもアメリカ陸軍の支援を受けており、編成もアメリカ軍の当時の歩兵師団に準じています、むろんその編成が最良とはいえない事は理解している。
歩兵師団編成、当時アメリカは4000名規模の歩兵連隊を3個基幹として砲兵連隊に戦車大隊などを置く編成でした、さすがに当時ヘリコプター旅団はありませんが、観測機部隊を有していまして、これが紆余曲折ありながら今のアメリカ陸軍の編成に非常に大きな影響を及ぼしているのです。紆余曲折とは、核戦争の懸念をその編成に反映しているのです。
ペントミック師団、アメリカ陸軍が日本の自衛隊が参考としたという小型の歩兵連隊を基幹とする編成に移行したのが1950年代です。これは大きな歩兵連隊が一カ所に固まっていては戦術核兵器により一気に壊滅してしまう、という懸念から部隊を小型化したものです、陸上自衛隊も部隊を全国へ配置するために普通科連隊を小型化した。ここだけ真似した。
五単位師団、さて忘れてはならないのはペントミックという意味です、辞書を調べてもおそらく出てこないでしょう、ペントミックとはペンタゴンとアトミックをあわせた造語、ペンタゴンとはアメリカ国防総省の事ではなく五角形、アメリカ国防総省が建物の岩盤の地形から五角形の建物となった為にペンタゴンといわれている、つまり5という数字だ。
アトミックな核戦争の時代に小型の歩兵連隊を五個からなる師団、この編成を採用しました。そして自衛隊は歩兵連隊、いや普通科連隊を小型化するという発想だけを導入しまして、五単位という編成を採用していません、アトミック師団といいますか、自衛隊は多くても四単位、半数の部隊が三単位という、師団小型化を進め、一種の無理を通しました。
1962年師団編成という、陸上自衛隊は大型の管区隊を四単位の師団へ、おして小型の編成だけを急いだ混成団、これでも今の方面混成団や旅団より大きく前の中央即応集団以上の5000名以上という定員、これを三単位の師団としています。この際に普通科連隊を増やすという手段に用いたのが、連隊を分割して三個普通科連隊とする手法で水増ししました。
練馬の第1普通科連隊をみますと、もともとの名称は第1連隊、その人員規模は4200名といまの第一師団に迫る人員規模であり、隷下に本部管理中隊と3個大隊が置かれていました。もちろん一カ所の駐屯地には多すぎますので、練馬駐屯地と久里浜駐屯地に豊川駐屯地、三カ所に大隊ごと駐屯していました。この大隊が普通科連隊の雛形へなってゆきます。
アメリカの編成をみますと、ペントミック師団は使い勝手が悪かった、何よりも師団として行動するには当時の通信技術と指揮統制能力の限界を越えていました、故に戦闘基幹部隊を大隊と位置づけ、連隊は一種の伝統称号となった構図です、いまでも第2騎兵連隊第一大隊というような、2/1騎兵大隊とも書かれる初見者には一種の難読名称となっている。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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