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七十七年目の終戦記念日-平和とは不戦とは防衛とは,ウクライナ侵攻と台湾情勢に揺れる戦後日本の価値観

2022-08-15 20:00:22 | 北大路機関特別企画
■七十七年目の終戦記念日
 77年前の今日、日本は太平洋戦争に敗戦を迎え一つの大きな時代が終わる事となり時代は戦後が幕あけました。

 終戦記念日。しかし2022年の終戦記念日は考えさせられる様々な出来事が並んでいますので難しいとしかいえないのです。平和は大切ですが平和を維持する努力が大切なのであって願うだけでは平和は成り立たない、願っても結果が出なければ良いのか、という。その背景とは、いうまでもなく現在のウクライナ戦争のロシア蛮行という現状があるためです。

 戦争を望んでも得られるとは限らない、譲歩を重ねても平和を奪うところまでの譲歩を迫られては結局同じところに至る、不戦の誓い、このことばはよく用いられるのですが、相手がこれは戦争ではなく特別軍事作戦だ、あなたの国の存在を認めない、こう迫ってきた際にはどう不戦の誓いを守るのかは、思考の外に置き一種見ぬようにしていないのか、と。

 平和、手段としての平和ではなく目的としての平和でなければ意味がない、この論点はWeblog北大路機関の骨子として、終戦記念日の都度に示しているものですけれども、手段としての平和のほうが、平和が保たれている時点では安上がりです、軍事費といいますか防衛費を飲み食いや福祉にまわせるのですから、しかし戦争となると負担は逆転します。

 戦争は仕掛けても、それからこれがいちばん重要なのですが、しかけられても高くつく。ウクライナをみますとインフラ被害を引き起こしたロシアは補償しません、住宅地への無差別発砲にしても戦後、ウクライナが勝利するならば募金など世界から多少寄せられるかもしれませんが、勝たなければロシア領内へは送金が経済制裁の対象となる事でしょう。

 ロシアの侵攻、わけのわからない口実で始める戦争というのは、正戦論がまかりとおった、1936年不戦条約の前の19世紀的な概念とおもっていましたが、どうやら世界にはまだ19世紀の思索と施策の国家がいるということを再認識させられました。戦争には反対ですが、戦争だけはいけないとしつつ、ではどのように実現するのかという議論が不在のまま。

 降伏すれば楽になる、とは今見れば信じがたいものですが、ロシア軍侵攻の直後に、日本の、知識人や文化人さえもウクライナのとるべき施策として主張されていました。ただ、占領時の軍政のほうが安泰というほど、ウクライナは不自由な国ではありません。他方で、平和とは戦わないこと、こうした認識が支持される日本という再確認をさせられました。

 戦う事も国民の為だ、これは目から鱗というものでしょうか、ウクライナのゼレンスキー大統領が、ウクライナ東部二州のロシア割譲をぜったい許さないばかりか、占領下にあるクリミア半島ウクライナ領土についても奪還の姿勢を示している際、これは功名心のようなものではなく、ブチャ等で起こった虐殺を例に挙げた事、占領地では虐殺が起るため。

 クリミア半島の占領地奪還を含めるとウクライナ戦争は長期化します、それでも為政者が行わなければならないのは、占領地で圧政、例えば長期的にロシア軍が占領の上で自国領土に併合すればロシアの法律が適用される、ウクライナ協力者というだけでロシア国内法に則り処罰され、またよくわからない理由で虐殺される事がある、そして実際に起こった。

 日本の場合は、東京裁判の正当性は一つ棚上げし、進駐軍の犯罪行為もありましたが、ソ連軍に占領された北方領土では全住民退去と全財産没収が行われたものの、現在の日本国土の領域においては滅茶苦茶な虐殺行為も無ければ現行法に照らしての不当な浄化行為も無かったのです、しかし、これは特殊な事例であった、とはいえるのかもしれません。

 負ける相手が悪ければ、人民解放軍の上海粛清や南京粛清は凄いものでしたし、国民党の台湾粛清も凄かった、いまの視点で見れば、例えば極論と笑われるでしょうが、仮に日本の一部が大陸に占領され、中国と同じゼロコロナ政策を行われたならば、家屋に押し入られ陽性疑いだけで隔離施設に送られ就業規制は勿論支払い猶予も無い、これが適用される。

 国を守るために戦うなど云々、こうした視点は太平洋戦争の、人命を無駄に散らせ過ぎたというような用兵に依拠するならば、確かに首肯せざるを得ません。ただ、不戦を手段としてばかり使っていますと、視野狭窄になりますし、そもそも負けた事により生じる個々人への不利益、人間の安全保障、自己実現への侵害に繋がる事、考えなければなりません。

 戦争をしなければ、というものは不戦の誓いが、こちらから中国大陸や東南アジアに攻め込まない、この理念ならば理解できるのですが、防衛の為という概念にも理解されない。また二国標準主義ではありませんけれども、周辺国に巨大な陸軍国と海軍国が存在しますと、専守防衛だが一対一ならば負けない防衛力を構築する、ということも難しくなります。

 ロシア、中国、北朝鮮、韓国、四か国を例に出しますと驚くなかれ、陸軍兵力が一番少ないのがロシアです。韓国陸軍よりもロシア陸軍の方が少ない。もっともロシア陸軍の他にロシア軍には空挺軍があり、また韓国陸軍の人員規模は朝鮮人民軍100万名の南侵に備えるべく、アメリカ陸軍よりも多い為、情報として留意は必要なのですが、現実はこの通り。

 戦争準備だ、と批判されるのは日本では防衛協力を広い視野で進めようとする施策や、グローバルな時代に同胞の行動が世界規模となるのに対して、邦人保護が及ばない領域が多い事を受けての施策に対して為されます。戦争が起こるまで放置し戦争が起れば巻き込まれる、これぞ平和、とは思えないですし、周辺国の大陸軍に伍しての一国専守防衛も然り。

 特別軍事作戦。さて、忘れてはならないのは、日本も日華事変という、宣戦布告なき戦争というものを1930年代に行っているということです。もちろん、不戦条約や現在の国連憲章二条四項武力行使禁止原則、武力行使には経済制裁も含むと理解されますが、こうしたものが国際慣習法となり強行規範と理解される前の話ではあるのですが。昔はやった。

 正義の定義が国や社会により違うという事はよく言われる問題領域ですが、実際のところ平和の定義も国や社会により異なるらしい、中国がこの二週間で行ったペロシ下院議長や超党派議員団、アメリカの議員親善訪問を“平和を破壊する行為”であるといい、中国が日本の排他的経済水域へ弾道ミサイルを撃ち込む事は“平和と安定のための行為”という。

 中国と日本では、少なくとも国際関係の話し合いを戦争準備として軍事演習で反撃する事は中々考えにくいものですし、こんな平和を守るために賛同すれば、次は戦車の撃ちあいか戦闘機の空中戦が、平和の為の云々となります。いや、日本でさえも原水禁と原水協で対立し多彩にはソ連の核兵器はきれいな核兵器と支持もあった、同じ社会でも割れました。

 戦争というものへの価値観は今まさに割れていると思う、こう思うのは、例えばNHKなどで“ウクライナ情勢に関連”した報道ではウクライナ避難民の御父さんや兄弟を“国を守るために頑張っている”と表現する。日本の場合はマレー作戦やビルマ戦線などは条件が違うのでしょうが、例えば小笠原兵団や沖縄戦での扱いは同じ自国の国土を守るためです。

 価値観は、国土を守るために戦う事は尊い、という価値観をウクライナ報道に際しては明確に示すように報道機関など言論の点で今年二月を契機として、修正しているのですよね。平和を守るということだけを連呼していますと、平和の定義が変る事に気付く事が出来ないかもしれませんし、知っているようで実は解釈の余地が広い事にも察知できないやも。

 事変や平和の定義、しかし日本にっては"前回の戦争"の話ともなります。重要なのは透けて見える、面倒だから今のままで良いではないか、この消極的な現実逃避なのだろうとも思うのです。なにより、日本は平和を考えるよりもヘーワととなえるだけで議論を終えて仕事に日常に追われている、政治に関与し平和を考える時間を捻出することさえできません。

 視座を広く、知る事を恐れず厭わない。こうした必要を感じるのですが、現代は時間が無い、民主主義国なのですからもう少し選挙期間には時間が、とも思うのです一方でそのむずかしさも理解してしまいます。終戦77年、戦争の記憶はというよりも戦争の体験を社会で共有できるほど、当時の空気は残っていません、すると平和も考えなければならない時代です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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