■ポストコロナ時代はじまり
みなさま重ねまして明けましておめでとうございます。Weblog北大路機関では毎年恒例となりました企画の始まりです。
新しい一年の始り、というところではありますが、やはり今年はこれまでの年末年始とは異なる新しい日常を過ごされている事でしょう。こうした中ですが、おめでとう、と実直に認識できるほど世の中は平静に戻っていない訳でして、社会関係はワクチンにより希望の光が見え始めましたが、国際関係となりますと、回復にはまだまだ、時間を要します。
新年防衛論集、としまして本年も安全保障と防衛の問題とを、ポストコロナ時代の国際関係という、わずか一年前には考える必要の無かった新しい深刻な問題領域が生じました。これは結果的に、感染源で有りつつ感染を素早く鎮圧しつつ、感染拡大に関する情報を必ずしもすべて開示したかを検証させない中国が、今後軟着陸できるか、という視点となる。
新年防衛論集。今回はポストコロナ時代とともに、北東アジア地域における緊張増大を展望し、新しい時代の防衛力というものを考えてみましょう。日本は最早経済大国ではない、と指摘される点がありますが、平成初期のバブル崩壊とともに日本は低成長時代のまま平成から令和へ進みました。日本は後退したのではなく、相対的に各国が成長しました。
日本の防衛を考える場合、これは1946年日本国憲法の平和主義、平和主義というものは国際公序であり、どの国も標榜し共有する概念ではありますが、日本の場合は目的としての平和主義ではなく、手段としての平和主義を憲法に明記し、成果としての平和以上に手段としての平和を掲げているのですが、圧倒的な経済力を背景とした平和は望めなくなった。
経済大国であれば、例えば周辺地域への影響力や、云い方は失礼ですが札束で平和を買いたたくというような選択肢が可能でした、平和はカネで買える、という訳ではなく交易を強化すれば戦争は起きないという認識です。そして平和主義、中でも日本型の平和主義というものに余りに独りよがりとなった状況が醸成されていったように、思えてなりません。
結果論ですが、日本は防衛に無関心でいられた、という幻想がそろそろ破綻しつつあるのかもしれません。かつては“軍隊を持つ普通の国に”という理念が保守層を中心に議論されていましたが、それよりも前に経済大国という地位が地域大国の地位に収斂する程に、各国が成長した事で、結果論として日本は“普通の国”“特別ではない国”となります。
地域大国。日本はなにしろ人口が一億二千万規模で推移していますし、国内総生産も世界三位を堅持、第三次産業への転換は比較的成功しつつ国内に工業基盤を保持し、その内需もかなり大きなものへ成長しました。1990年代以降、日本円は戦争に弱いという認識は世界の安定通貨という地位に昇華し、2020年代を迎えていますので、普通の地域大国、と。
しかし、地域大国という地位は責任を伴う事となります、これには地域安定への関与という責務が含まれ、この為には防衛政策というものを転換させなければならないようになります。すると、もう少し防衛というものを国民全体で関心を持たなければならないよう思えまして、そろそろ平和主義は良心から独善に進まない様考えてゆく時代といえましょう。
防衛政策の独善性。こう書きますと何を指摘しているのかが見えない様に思われるかもしれませんが、端的に表現するならば、スタンドオフ兵器の導入です。脅威の圏外から運用する、というものが憲法に抵触する可能性が指摘されているものです、この部分で、そもそも脅威の圏外を明確に示さない政府や防衛省にも問題はあると考えるのですけれども。
国際公序のステイクホルダーである。こうした認識も必要でしょう、わたしたちは日々、蛇口を捻れば飲料水が簡単に入り、COVID-19自粛の息苦しい生活とは言われても、コンセントと家電製品を結べば作動し、ガスコンロは自炊で美味しい食品を得られ、スーパーやインターネット通販は自粛下とはいえ、高度経済成長期よりも快適な生活が当然です。
海洋自由原則に基づく交易が平常時として機能している為に、こうした生活が成り立つのです。そして、これは原材料を供給する地域の政情安定や、海洋自由原則が海上交通路を、当たり前の権利、として誰のものでもなく自由に航行できるという結果を享受しているだけに過ぎません。すると、能力があればこの国際公序を共に維持する側の努力が必要に。
日本の事は日本だけで守れるのが当然だ、この認識が的外れである事から考え直さなければなりません。例えば、本土は難攻不落、と例えば、保守層一部が好きな徴兵制でも良いですよ、機銃陣地と無反動砲に鉄条網と地雷原で日本沿岸を隙間なく固めたとしましょう、一見盤石な防衛とみえますが、日本のはるか遠くでシーレーンが寸断した場合、どうか。
自国の事は自国だけで守れるのが当然だ、これは2020年代には逆に危険な発想となり始めている事を認識すべきかもしれません、これは各国が突き進めば、ブロック方式の第二次世界大戦前夜の様な緊張が醸成されてしまうのですよね、当たり前です、周辺国とは無関係に自国の生命線だと産油国に向かう、こうしてあの太平洋戦争は勃発したのですから。
一国平和主義防衛の限界というべき事象、認識の上では日本国憲法に依拠する専守防衛と重なるものです、しかし、これは例えば北米や豪州のような自国内で算出する資源だけで自給自足が行える、行い得る基盤が無ければ、あまり意味がありません。そして、この誤った認識を行っている国は日本だけではない事が問題です、何処の馬鹿な国か、中国です。
自国の事は自国だけで守れるのが当然だ、こうして進める一帯一路構想は、単なる拡張主義と認識され、経済開発の名のもとに第三国のインフラや政治体制へも変革を大量の外貨と共に進める手法は、自国の勢力圏拡大や、衛星国化と定義が同じものとなってしまい、遂には警戒されるものとなりました。しかし一帯一路は供給網を含め自己完結を期すもの。
集団安全保障体制へ収斂してゆく必要がある。日本にも、勿論将来的には中国にも当てはまる事です、ただ、中国の、法律が政治にとり邪魔ならば政治が法律をその都度書き換えれば良い、これは香港返還交渉に伴いイギリスへ中国が発言し当時のサッチャー首相を震撼させた、この認識の中国に対し、法治国家である日本の方が大きな視点といえましょう。
日本国憲法の平和主義の精神と、日本国憲法の条文に欠缺が生じているのではないか。応期視点はこの結論に収斂します、具体的には日本国憲法制定当時は、五大国による平和維持での一致により、今度こそ戦争が起きないよう最後の世界大戦となった、こうした認識が在ったのに対し、実際は1940年代後半に鉄のカーテンによる綻びが生じていたのだから。
ポストコロナ時代。さて、2021年という新年の始まりには、この論点をそろそろ直視せねばなりません。難しいのは、平和、海洋自由主義や民主主義、そして人間の自己実現を支える人間の安全保障、こうした国際公序というものが、実はCOVID-19を契機として分裂しつつある危機が、一例として、香港問題や豪中対立が挙げられるように存在するのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
みなさま重ねまして明けましておめでとうございます。Weblog北大路機関では毎年恒例となりました企画の始まりです。
新しい一年の始り、というところではありますが、やはり今年はこれまでの年末年始とは異なる新しい日常を過ごされている事でしょう。こうした中ですが、おめでとう、と実直に認識できるほど世の中は平静に戻っていない訳でして、社会関係はワクチンにより希望の光が見え始めましたが、国際関係となりますと、回復にはまだまだ、時間を要します。
新年防衛論集、としまして本年も安全保障と防衛の問題とを、ポストコロナ時代の国際関係という、わずか一年前には考える必要の無かった新しい深刻な問題領域が生じました。これは結果的に、感染源で有りつつ感染を素早く鎮圧しつつ、感染拡大に関する情報を必ずしもすべて開示したかを検証させない中国が、今後軟着陸できるか、という視点となる。
新年防衛論集。今回はポストコロナ時代とともに、北東アジア地域における緊張増大を展望し、新しい時代の防衛力というものを考えてみましょう。日本は最早経済大国ではない、と指摘される点がありますが、平成初期のバブル崩壊とともに日本は低成長時代のまま平成から令和へ進みました。日本は後退したのではなく、相対的に各国が成長しました。
日本の防衛を考える場合、これは1946年日本国憲法の平和主義、平和主義というものは国際公序であり、どの国も標榜し共有する概念ではありますが、日本の場合は目的としての平和主義ではなく、手段としての平和主義を憲法に明記し、成果としての平和以上に手段としての平和を掲げているのですが、圧倒的な経済力を背景とした平和は望めなくなった。
経済大国であれば、例えば周辺地域への影響力や、云い方は失礼ですが札束で平和を買いたたくというような選択肢が可能でした、平和はカネで買える、という訳ではなく交易を強化すれば戦争は起きないという認識です。そして平和主義、中でも日本型の平和主義というものに余りに独りよがりとなった状況が醸成されていったように、思えてなりません。
結果論ですが、日本は防衛に無関心でいられた、という幻想がそろそろ破綻しつつあるのかもしれません。かつては“軍隊を持つ普通の国に”という理念が保守層を中心に議論されていましたが、それよりも前に経済大国という地位が地域大国の地位に収斂する程に、各国が成長した事で、結果論として日本は“普通の国”“特別ではない国”となります。
地域大国。日本はなにしろ人口が一億二千万規模で推移していますし、国内総生産も世界三位を堅持、第三次産業への転換は比較的成功しつつ国内に工業基盤を保持し、その内需もかなり大きなものへ成長しました。1990年代以降、日本円は戦争に弱いという認識は世界の安定通貨という地位に昇華し、2020年代を迎えていますので、普通の地域大国、と。
しかし、地域大国という地位は責任を伴う事となります、これには地域安定への関与という責務が含まれ、この為には防衛政策というものを転換させなければならないようになります。すると、もう少し防衛というものを国民全体で関心を持たなければならないよう思えまして、そろそろ平和主義は良心から独善に進まない様考えてゆく時代といえましょう。
防衛政策の独善性。こう書きますと何を指摘しているのかが見えない様に思われるかもしれませんが、端的に表現するならば、スタンドオフ兵器の導入です。脅威の圏外から運用する、というものが憲法に抵触する可能性が指摘されているものです、この部分で、そもそも脅威の圏外を明確に示さない政府や防衛省にも問題はあると考えるのですけれども。
国際公序のステイクホルダーである。こうした認識も必要でしょう、わたしたちは日々、蛇口を捻れば飲料水が簡単に入り、COVID-19自粛の息苦しい生活とは言われても、コンセントと家電製品を結べば作動し、ガスコンロは自炊で美味しい食品を得られ、スーパーやインターネット通販は自粛下とはいえ、高度経済成長期よりも快適な生活が当然です。
海洋自由原則に基づく交易が平常時として機能している為に、こうした生活が成り立つのです。そして、これは原材料を供給する地域の政情安定や、海洋自由原則が海上交通路を、当たり前の権利、として誰のものでもなく自由に航行できるという結果を享受しているだけに過ぎません。すると、能力があればこの国際公序を共に維持する側の努力が必要に。
日本の事は日本だけで守れるのが当然だ、この認識が的外れである事から考え直さなければなりません。例えば、本土は難攻不落、と例えば、保守層一部が好きな徴兵制でも良いですよ、機銃陣地と無反動砲に鉄条網と地雷原で日本沿岸を隙間なく固めたとしましょう、一見盤石な防衛とみえますが、日本のはるか遠くでシーレーンが寸断した場合、どうか。
自国の事は自国だけで守れるのが当然だ、これは2020年代には逆に危険な発想となり始めている事を認識すべきかもしれません、これは各国が突き進めば、ブロック方式の第二次世界大戦前夜の様な緊張が醸成されてしまうのですよね、当たり前です、周辺国とは無関係に自国の生命線だと産油国に向かう、こうしてあの太平洋戦争は勃発したのですから。
一国平和主義防衛の限界というべき事象、認識の上では日本国憲法に依拠する専守防衛と重なるものです、しかし、これは例えば北米や豪州のような自国内で算出する資源だけで自給自足が行える、行い得る基盤が無ければ、あまり意味がありません。そして、この誤った認識を行っている国は日本だけではない事が問題です、何処の馬鹿な国か、中国です。
自国の事は自国だけで守れるのが当然だ、こうして進める一帯一路構想は、単なる拡張主義と認識され、経済開発の名のもとに第三国のインフラや政治体制へも変革を大量の外貨と共に進める手法は、自国の勢力圏拡大や、衛星国化と定義が同じものとなってしまい、遂には警戒されるものとなりました。しかし一帯一路は供給網を含め自己完結を期すもの。
集団安全保障体制へ収斂してゆく必要がある。日本にも、勿論将来的には中国にも当てはまる事です、ただ、中国の、法律が政治にとり邪魔ならば政治が法律をその都度書き換えれば良い、これは香港返還交渉に伴いイギリスへ中国が発言し当時のサッチャー首相を震撼させた、この認識の中国に対し、法治国家である日本の方が大きな視点といえましょう。
日本国憲法の平和主義の精神と、日本国憲法の条文に欠缺が生じているのではないか。応期視点はこの結論に収斂します、具体的には日本国憲法制定当時は、五大国による平和維持での一致により、今度こそ戦争が起きないよう最後の世界大戦となった、こうした認識が在ったのに対し、実際は1940年代後半に鉄のカーテンによる綻びが生じていたのだから。
ポストコロナ時代。さて、2021年という新年の始まりには、この論点をそろそろ直視せねばなりません。難しいのは、平和、海洋自由主義や民主主義、そして人間の自己実現を支える人間の安全保障、こうした国際公序というものが、実はCOVID-19を契機として分裂しつつある危機が、一例として、香港問題や豪中対立が挙げられるように存在するのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
「9条カルト」とも言える様な、教条的な「自称・平和主義者」の、
最大のボリュームゾーンは、共産・立憲支持の「団塊左翼」です
彼らは人数が多く、投票率も高い
国政選挙の世代別投票率は、ほぼ年長になる程高く、75歳を越えるとぐっと減少します
そして、彼らはまさに今70代前半で、これから彼らの影響力は下り坂です
現在、彼らは政治にもメディアにも多大な影響力を及ぼしていますが、
5年先、10年先の、国民の平均的意識は、かなり変わったものとなると思います
(余談ですが、大阪都構想住民投票の僅差の勝敗を分けたのは、圧倒的反対派の共産党支持の団塊左翼である事は間違いありません)
国民の意識が変わると言っても、ウルトラナショナリズムの勃興など起こらず、、
リアリズム許容、正常化、「普通の国」への変容という様なものだと思います
ミサイル射程延伸化もその一環、さきがけと言えると思います
私は日本は穏健で国際協調的なリアリズム保守政治を、
追求し続けるべきと思っています
そういう立場から見ると、日本の未来は決して暗いものでなく、
ある意味わくわくしながら注視しております