■8.15-明日は終戦記念日
あの戦争の記憶、こう書き出しますと日本ではほぼ一致した応えがありますが世界ではどうか、そして日本への移民や帰化された方はどう考えるのだろう。
明日は終戦記念日です。76年前の8月15日、太平洋戦争は日本の敗北で終戦を迎えました。戦死者と戦災死亡者は350万人、東京大阪名古屋神戸福岡はじめ全国90以上の都市が絨毯爆撃にさらされ、沖縄では地上戦、広島と長崎は核攻撃を受けました。海軍艦艇は七割が撃沈され陸軍は大動員を掛けつつ人口の12%が徴兵、まさに戦況は末期状態でした。
終戦記念日、例年とは異なるCOVID-19感染拡大下の終戦記念日が今年も続きます。今年はこの終戦記念日というものと、日本国内でのCOVID-19感染拡大抑制にかなり成功しているという視点というものを比べてみようとおもいます。実のところ、欧州や北米の感染拡大と日本の感染抑止は、実のところ価値観共有という部分で共通点があるよう思います。
日本の場合は同調圧力などもあるのでしょうが、感染拡大を阻止しなければ大変なことになる、という認識の共有が、都市封鎖はもちろん、マスク着用義務化さえ法制化せず達成でき、これが変異株流入前の、外出自粛、そしてマスクと社会的距離確保により、かなり有効に機能できた段階での感染対策に効をそうしたのだろう、こう考えられるのですね。
価値観の共有、これは簡単そうに見えて、なにしろ社会は個の群と考えるか一体性がありうると考えるかで細部の相違が大きく、また平時感覚では弊害も生じません。欧州や北米は、人権を筆頭に価値観の共有が進んでいるところではありますが、公衆衛生と個々の自己実現に関する観念が、日本と欧州で歴史的な人権獲得の流れと必ずしも一致しなかった。
欧州と北米は価値観が一致していますが、その価値観を形成する方々の人の流れは活発です、アフリカ地域からの、アジア地域からの、中東地域からの、もちろん北米南米との行き来のみならず、生活基盤の一体化がすすみ、多様な価値観が生まれ得ます、そして是非は度外視して、価値観の構成基盤も、歴史さえも一致しているようで多様性に富んでいる。
COVID-19、日本の感染抑制は成功している、こう言い得るのですが、疾病対策全般で考えた場合は、欧州や北米の都市封鎖が必要となるまで社会を回し続け、都市封鎖、経済に大打撃を受け大量の死者とともにしかし10%台の経済成長を確保した事例と比較しますと、どちらが成功であったかは一概にいえない、これが今の社会の漠然たる不満なのでしょう。
価値観の共有、さてこの論点の視座を疾病から終戦記念日に戻してみましょう。終戦記念日と聞いて思い浮かべるのは太平洋戦争です。戦後を応仁の乱の後、と理解する方は周りには多いのですが、では応仁の乱の終戦記念日は何月何日、と問うと一概に沈黙する事例が多い、やはり日本社会全般で終戦記念日といえば八月十五日、太平洋戦争終戦なのです。
しかし、今後日本は成長を維持するならば、価値観の多様性にも繋がる世界の人材と共に生きてゆかねばなりません、終戦の価値観はそのとき共有をどのように維持するのでしょうか。終戦の価値観はそのまま日本の憲法秩序の価値観に繋がる論点、即ち平和の価値観を不戦という認識につなげる上で非常に重要な位置づけでもあるのですが。どう捉えるか。
日本人は憲法の権利と人権を軽視しているのではないか、率直な意見をイギリスの方にぶつけられたことがありまして、詳しく聞きますと、私たちが普段感じる、平和主義と自衛隊、という論点ではなく、非常に優れている憲法であっても自国を守る手段のない憲法を維持しては外国軍隊が侵略した際に簡単に占領され書き換えられてしまう、という論法だ。
香港とも共通するものがあります、香港では近年中国政府の人権抑制政策に理解を示す方が増えているという、社会が変容したのかと問われればそうではなく、香港返還後に広州や厦門など大陸中国から香港に移り住んだ人が増えていて、大陸中国出身の方々は中国政府を支持する層が大きい、というだけ。人の移動は価値観をさえも、変容させるのですね。
価値観の多様性というものはこうした素朴な疑問へも回答を模索し続けなければなりません。一方で、終戦記念日のあとは平和になった、こうした認識も、世界中で紛争地から難民として日本を目指す方々には価値観は空気でしょうし、ヴェトナム戦争や国共内戦と朝鮮戦争、日本周辺でも戦後という言葉への認識はだいぶん違うようにおもえる。それは。
日本に受け入れられ日本国民となったのだから、このすばらしい国を命がけで守ろうと思うし必要ならば軍人として戦う、これは日本で就労し結婚され日本に帰化された方のお話でして驚かされました。確かに、国が戦争で消えてしまえば国民というものも変容してしまいますし、愛国心、日本の風土と文化に惹かれたのであれば守りたくなるのは当然だ。
ただ、戦うという概念、自衛権という概念、自衛権は一国で確立できるものではなく、しかし集団安全保障の枠組みを考えますと、平和を世界で共有すると考えるのか、世界の戦争に日本が関与せざるを得ないのか、という視点で考えるのかで、また変わってくるものがあります、特に戦後、日本は平和を目的ではなく手段としてきましたから、この点違う。
しかし、昭和20年8月15日の終戦、あの決定的な日本現代史の転換点から導き出される終戦の価値観というものと、平和も守るために戦う、その価値観は違うかもしれません、戦うにしても街頭でプラカードを掲げるというよりも自衛隊に志願して第一線で武器を掲げるという価値観なのですから、ね。防衛力は最後の手段と考えるがその最後の定義、温度差は大きいよう思う。
もちろん、この視点を移民はじめ世界の方々を日本へ招く際に差別や区別というものと一体化してはなりません、なぜなら、こうしたものが生む不理解こそが、第二次世界大戦の発端として世界の理性を蝕んでいったのですから。ただ、変化というものが生じている、このことからの終戦、そして平和の認識は、将来にも考えてゆかねばならないでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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あの戦争の記憶、こう書き出しますと日本ではほぼ一致した応えがありますが世界ではどうか、そして日本への移民や帰化された方はどう考えるのだろう。
明日は終戦記念日です。76年前の8月15日、太平洋戦争は日本の敗北で終戦を迎えました。戦死者と戦災死亡者は350万人、東京大阪名古屋神戸福岡はじめ全国90以上の都市が絨毯爆撃にさらされ、沖縄では地上戦、広島と長崎は核攻撃を受けました。海軍艦艇は七割が撃沈され陸軍は大動員を掛けつつ人口の12%が徴兵、まさに戦況は末期状態でした。
終戦記念日、例年とは異なるCOVID-19感染拡大下の終戦記念日が今年も続きます。今年はこの終戦記念日というものと、日本国内でのCOVID-19感染拡大抑制にかなり成功しているという視点というものを比べてみようとおもいます。実のところ、欧州や北米の感染拡大と日本の感染抑止は、実のところ価値観共有という部分で共通点があるよう思います。
日本の場合は同調圧力などもあるのでしょうが、感染拡大を阻止しなければ大変なことになる、という認識の共有が、都市封鎖はもちろん、マスク着用義務化さえ法制化せず達成でき、これが変異株流入前の、外出自粛、そしてマスクと社会的距離確保により、かなり有効に機能できた段階での感染対策に効をそうしたのだろう、こう考えられるのですね。
価値観の共有、これは簡単そうに見えて、なにしろ社会は個の群と考えるか一体性がありうると考えるかで細部の相違が大きく、また平時感覚では弊害も生じません。欧州や北米は、人権を筆頭に価値観の共有が進んでいるところではありますが、公衆衛生と個々の自己実現に関する観念が、日本と欧州で歴史的な人権獲得の流れと必ずしも一致しなかった。
欧州と北米は価値観が一致していますが、その価値観を形成する方々の人の流れは活発です、アフリカ地域からの、アジア地域からの、中東地域からの、もちろん北米南米との行き来のみならず、生活基盤の一体化がすすみ、多様な価値観が生まれ得ます、そして是非は度外視して、価値観の構成基盤も、歴史さえも一致しているようで多様性に富んでいる。
COVID-19、日本の感染抑制は成功している、こう言い得るのですが、疾病対策全般で考えた場合は、欧州や北米の都市封鎖が必要となるまで社会を回し続け、都市封鎖、経済に大打撃を受け大量の死者とともにしかし10%台の経済成長を確保した事例と比較しますと、どちらが成功であったかは一概にいえない、これが今の社会の漠然たる不満なのでしょう。
価値観の共有、さてこの論点の視座を疾病から終戦記念日に戻してみましょう。終戦記念日と聞いて思い浮かべるのは太平洋戦争です。戦後を応仁の乱の後、と理解する方は周りには多いのですが、では応仁の乱の終戦記念日は何月何日、と問うと一概に沈黙する事例が多い、やはり日本社会全般で終戦記念日といえば八月十五日、太平洋戦争終戦なのです。
しかし、今後日本は成長を維持するならば、価値観の多様性にも繋がる世界の人材と共に生きてゆかねばなりません、終戦の価値観はそのとき共有をどのように維持するのでしょうか。終戦の価値観はそのまま日本の憲法秩序の価値観に繋がる論点、即ち平和の価値観を不戦という認識につなげる上で非常に重要な位置づけでもあるのですが。どう捉えるか。
日本人は憲法の権利と人権を軽視しているのではないか、率直な意見をイギリスの方にぶつけられたことがありまして、詳しく聞きますと、私たちが普段感じる、平和主義と自衛隊、という論点ではなく、非常に優れている憲法であっても自国を守る手段のない憲法を維持しては外国軍隊が侵略した際に簡単に占領され書き換えられてしまう、という論法だ。
香港とも共通するものがあります、香港では近年中国政府の人権抑制政策に理解を示す方が増えているという、社会が変容したのかと問われればそうではなく、香港返還後に広州や厦門など大陸中国から香港に移り住んだ人が増えていて、大陸中国出身の方々は中国政府を支持する層が大きい、というだけ。人の移動は価値観をさえも、変容させるのですね。
価値観の多様性というものはこうした素朴な疑問へも回答を模索し続けなければなりません。一方で、終戦記念日のあとは平和になった、こうした認識も、世界中で紛争地から難民として日本を目指す方々には価値観は空気でしょうし、ヴェトナム戦争や国共内戦と朝鮮戦争、日本周辺でも戦後という言葉への認識はだいぶん違うようにおもえる。それは。
日本に受け入れられ日本国民となったのだから、このすばらしい国を命がけで守ろうと思うし必要ならば軍人として戦う、これは日本で就労し結婚され日本に帰化された方のお話でして驚かされました。確かに、国が戦争で消えてしまえば国民というものも変容してしまいますし、愛国心、日本の風土と文化に惹かれたのであれば守りたくなるのは当然だ。
ただ、戦うという概念、自衛権という概念、自衛権は一国で確立できるものではなく、しかし集団安全保障の枠組みを考えますと、平和を世界で共有すると考えるのか、世界の戦争に日本が関与せざるを得ないのか、という視点で考えるのかで、また変わってくるものがあります、特に戦後、日本は平和を目的ではなく手段としてきましたから、この点違う。
しかし、昭和20年8月15日の終戦、あの決定的な日本現代史の転換点から導き出される終戦の価値観というものと、平和も守るために戦う、その価値観は違うかもしれません、戦うにしても街頭でプラカードを掲げるというよりも自衛隊に志願して第一線で武器を掲げるという価値観なのですから、ね。防衛力は最後の手段と考えるがその最後の定義、温度差は大きいよう思う。
もちろん、この視点を移民はじめ世界の方々を日本へ招く際に差別や区別というものと一体化してはなりません、なぜなら、こうしたものが生む不理解こそが、第二次世界大戦の発端として世界の理性を蝕んでいったのですから。ただ、変化というものが生じている、このことからの終戦、そして平和の認識は、将来にも考えてゆかねばならないでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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