北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

防衛省、伊豆大島災統合任務部隊編成命令!自衛隊、伊豆大島ラハール災害へ全力対応

2013-10-21 23:52:58 | 防災・災害派遣
◆東日本大震災以来の統合任務部隊発足
 防衛省は10月20日2149時、台風26号伊豆大島ラハール災害への対処へ東部方面総監磯部晃一陸将を指揮官とする伊豆大島災統合任務部隊編成を命令しました。統合任務部隊編成は東日本大震災以来のもの。
Himg_0841 中央観閲式予行へ執行責任者として磯部総監は臨席しましたが、この9時間後に統合任務部隊が編成されています。統合任務部隊の設置により、詳しくは後述しますが、陸海空部隊より必要な部隊を抽出し一元化した運用を行う事となるため、部隊の垣根や陸海空自衛隊の横のつながりを用意とする運用体制を高地う下、というわけで、輸送や必要な機材などの展開は、制度面で非常に容易となります、誤解を恐れず記せば、いわば、平時から有事への指揮系統の転換が行われた、と理解すると分かりやすいかもしれません。
Himg_1241 伊豆大島ラハール災害は、火山性土壌へ記録的短時間豪雨が降り注ぎ、広範囲で火山性泥流、いわゆるラハール災害が発生、大島町のラハール災害への準備不足と事前避難勧告の必要性軽視により広範で人的被害が生じました。東京都はラハール災害はが発生した10月16日に災害派遣要請を実施、これにより自衛隊が情報収集を筆頭に伊豆大島への災害派遣を開始しました。情報収集に続き、行方不明者捜索と負傷者緊急搬送などを継続していますが、死者行方不明者が50名を越える離島災害としては非常に大規模な被害が生じていることから、派遣規模は強化されることに。
Himg_2731 大型船の入港が不可能な離島において、救援は難航し、航空自衛隊のC-1輸送機が自衛隊の部隊展開を行うと共に警視庁や国土交通省、消防とDMATなどの展開を支援、輸送機による空輸とともに建設重機などの投入へ、呉基地より輸送艦おおすみ、が派遣、輸送艦からのエアクッション揚陸艇による重車両の揚陸で対応しています。輸送艦からのエアクッション揚陸艇による揚陸は、50両を揚陸するのに13時間を要し、増援へ輸送艦くにさき、が派遣されています。ただ、くにさき、は、おおすみ、へエアクッション揚陸艇一隻を搬入したのち、任務を完了しているため、エアクッション揚陸艇一隻の稼働状態に問題があったのかもしれません。
Himg_4043 輸送艦による輸送は第二便が20日0753時より第1師団等の人員約40名、車両約20両と警視庁特殊救助隊等の人員7名、車両5両搭載が開始され、作業完了後0954時に大島沖に向け出港。1230時、伊豆大島の弘法ヶ浜沖に到着し、エアクッション揚陸艇による揚陸が開始されています。エアクッション揚陸艇は速力が大きく、海浜状況による揚陸の可否を左右されにくい特性がありますが、一隻当たりの寸法に対する輸送力には限界があります。なお、輸送支援は継続して実施されており、今後も派遣部隊の輸送に展開することでしょう。
Himg_9881 重機の搬入と輸送機により輸送支援は継続てきに行われました。しかし、現状では行方不明者捜索が進まない中、我が国南方海域では台風27号が発生、続いて本日台風28号が発生、台風と共に全線も伊豆大島へかかる兆候を示しており、現地では二次災害の恐れが生じていると共に政府は19日、現地非常対策本部を設置、台風接近までに必要な捜索活動を展開するべく、東部方面総監に部隊を一元化し対応するべく伊豆大島災統合任務部隊の編成を命令、災害派遣体制の拡充と効率化を図ることとしました。
Himg_0998 伊豆大島災統合任務部隊は、伊豆大島陸災部隊と伊豆大島海災部隊に伊豆大島空災部隊より編成されています。東部方面総監は伊豆大島災統合任務部隊指揮官と伊豆大島陸災部隊指揮官を兼任し、伊豆大島海災部隊に横須賀地方総監が着任、伊豆大島海災部隊指揮官を兼任することとなっています。そして、東部方面総監は必要に応じ横須賀地方総監の伊豆大島海災部隊へ必要な支援を命じることが出来るようになっています。伊豆大島空災部隊は航空支援集団司令官が着任し、必要な部隊を抽出できるという大きな権限が付与されています。
Himg_6440 東部方面総監は、第1師団長や第12旅団長を筆頭とする東部方面隊全ての部隊を指揮下に置くのに加え、中央即応集団司令官、中央管制気象隊長、通信団長、警務隊長、中央情報隊長、陸上自衛隊中央会計隊、陸上自衛隊中央輸送業務隊長、陸上自衛隊中央業務支援隊長、自衛隊体育学校長、陸上自衛隊幹部学校長、陸上自衛隊高射学校長、陸上自衛隊航空学校長、陸上自衛隊施設学校長、陸上自衛隊通信学校長、陸上自衛隊武器学校長、陸上自衛隊需品学校長、陸上自衛隊輸送学校長、陸上自衛隊小平学校長、陸上自衛隊衛生学校長、陸上自衛隊高等工科学校長、自衛隊中央病院長、陸上自衛隊研究本部長及び陸上自衛隊補給統制本部長へ命令を出し必要な部隊を抽出することが可能となります。
Himg_6809 横須賀地方総監は横須賀地方隊隷下部隊に加え、自衛艦隊司令官、呉地方総監、佐世保地方総監、舞鶴地方総監、大湊地方総監、システム通信隊群司令、自衛隊横須賀病院長及び海上自衛隊補給本部長に対し、必要な部隊の抽出を明示、適宜その指揮下に置くことが可能となりました。また、航空支援集団司令官は隷下に航空総隊司令官、航空教育集団司令官、航空開発実験集団司令官、航空システム通信隊司令、航空機動衛生隊長、航空中央業務隊司令、航空自衛隊幹部学校長及び航空自衛隊補給本部長を置き、必要な部隊の抽出と指揮が可能となっており、権限は非常に大きいことが分かるでしょう。
Himg_5793 現在派遣されている部隊は、陸上自衛隊より第1普通科連隊、第1後方支援連隊(練馬)、第32普通科連隊(大宮)、第34普通科連隊(板妻)、東部方面航空隊、第1飛行隊(立川)、第12ヘリコプター隊(相馬原)、第1施設団(古河)、東部方面通信群、東部方面後方支援隊、第1施設大隊、東部方面総監部付隊(朝霞)、第1高射特科大隊、第1戦車大隊(駒門)、第12施設中隊(新町)、海上自衛隊より第21航空群(館山)、第1輸送隊(呉)、航空自衛隊より第2輸送航空隊(入間)、第3輸送航空隊(美保)、第1輸送航空隊(小牧)が派遣中とのこと。
Himg_1008 本日0830時までの自衛隊災害派遣状況は人員 約440名(延べ約1,630名)、車両 約100両(延べ約280両)、航空機 (延べ40機) 、艦艇 3隻(延べ13隻)、となっています。師団規模の部隊が続々と展開され、こうはんいの被災地へ部隊が大量投入された東日本大震災災害派遣の延べ派遣人員が1000万を超えたことと比較すれば規模は大きく感じられない事とは思いますが、派遣人員は1000名まで拡充する方針が示されており、これにより輸送機と輸送艦による部隊展開がさらに強化されることとなります。
Himg_1041 東日本大震災を教訓に、輸送機の近代化などが行われているところですが、現段階では大きな輸送力を有するC-2は部隊配備に至っておらず、加えて輸送艦の不足についても抜本的な対応を行っていませんでした。特に輸送艦の不足、地方隊の輸送能力の欠如は著しく、自衛艦隊の輸送艦おおすみ型3隻のみ、という状態となっていますが、今さら言うのも何ではありますが、この輸送能力の限界が今回如実に出た、というところでしょうか。離島への部隊展開は島嶼部防衛とも重なりますので、戦力投射能力、このあたり、新防衛大綱には明示しなければならないものなのかもしれません。
Himg_6325 さて。ラハールは火山灰堆積地域で発生し、特に今回のように既に表層部がラハールにより樹木ごと取り払われ露出したところでは発生しやすくなると共に、ラハール災害が発生していない地位いでも雨量によっては既に降り注いだ部分と共に発生しやすくなります。そして台風が27号とともに新しく発生した28号の接近により、今週末、東日本太平洋岸は大荒れが予想されます。時間は不十分で、装備面でも十分とは言い難いものではありますが、自衛隊は警察や消防と共に行方不明者の捜索に今後も全力で対応してゆく、とのこと。
北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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榛名防衛備忘録:UH-XにOH-X兼任案、多用途ヘリコプター搭載光学監視器は40km先を睨む

2013-10-20 22:24:39 | 先端軍事テクノロジー

◆新型機新規開発の時間的余裕無し
 本格的に老朽化が進むOH-6観測ヘリコプター、その後継機についての話題です。現在展開中の伊豆大島災害派遣でも情報収集はUH-1多用途ヘリコプターが実施しており、この分野を統合することはできないものでしょうか。
Uimg_0592 特科火砲、長大な射程を有する最大の打撃力を行使する陸上自衛隊遠距離火力の中枢ですが、目標を直接見ることなく長距離射撃を行う間接照準装備であるため、例えば前進観測班か、航空観測を行い、射程に対応する着弾修正をおこなう必要があります。対砲兵戦では対砲レーダ装置などの活躍する部分が広くなっていますが、その他の面では今なお、空中観測の重要性はなくなりません。将来的には無人機に置き換えられる分野ではありますが、MQ-8に代表される全天候運用が可能な無人機への導入までまだ時間を要することも否めません。現時点では、いっそのことCH-47JA等に小型無人前進観測車両を大量に搭載し、最前線後方50km圏内で着陸し多数ばら撒き、無人自走して山頂部などの観測地点まで展開する、という用途の方が、まだ航空法の管制と平時は演習場までを有人機で輸送するのですから、平時の道交法の影響を受けません。
Nimg_1361 観測ヘリコプターの運用は、双眼鏡を携行する着弾観測員が同乗し、着弾数秒前まで着弾点を観測できる距離を隔てた稜線付近に飛行し暴露を避け、着弾の寸秒前に稜線よりも上に浮揚し、双眼鏡で着弾点を確認、どの程度の誤差があるのかを瞬時に把握し、音声情報により後方に通知します。浮揚し着弾観測を行う猶予はわずか数秒で、実態を聞きますと成程職人技だと考えさせられるもの。少々古典的な方法ですが、実施されています。しかし、この任務に当たる観測ヘリコプターが老朽化の進捗度合いが大きくなりすぎてしまいました。正直なところ、MD-500のライセンス生産再開なども考えねばならないところです。
Qimg_9990 後継機としてOH-1観測ヘリコプターが開発され、250機が調達される計画でしたが、冷戦終結と共に配備計画も九割近くが削られ、結果近代化改修予算も組みにくくなったため、性能的にデータリンク時代から取り残されつつあります。そこで、観測ヘリコプターと多用途ヘリコプターを統合し、多用途ヘリコプターへ極超望遠カメラを搭載、着弾観測を行うことはできないでしょうか。OH-6のような双眼鏡による目視の着弾観測航空機と比べれば機体が大型化しますので、秘匿性の面で非常に不利ではありますが、近年はカメラの性能が大きく向上しており、30km以上の距離を以ても対応が可能でしょう。
Uimg_8214 30km以上の距離、といいましても余り不可能な数字ではありません、例えば福島第一原発事故に際してNHKは陸上自衛隊のCH-47輸送ヘリコプターによる冷却放水の様子を、原子炉から30km以上の距離を隔てて中継、世界にその重要な瞬間を伝えました。30km以上、というのは30kmなのか35kmなのか、疑問符は残りますが、火砲の最大射程に匹敵する距離で中継に成功しており、これは多用途ヘリコプターへこの種のカメラを搭載した場合の能力に対しても一石を投じたのではないでしょうか。
Uimg_6789 観測ヘリコプターの任務、将来的には無人機により置き換えることが望ましいことは確かですが、観測ヘリコプターには前述の通り情報収集能力も求められるため、必要であれば即座に例えば災害時等、市街地上空を飛行しなければなりません。例えば陸上自衛隊がOH-6の後継機にMQ-8ファイアスカウトのような無人ヘリコプターを導入する可能性がるかと問われれば、可能ではあるのだけれども、例えば伊丹空港近くの千僧駐屯地、第3師団司令部記念行事などへ、無人ヘリコプターが八尾駐屯地を離陸し伊丹管制空域へ飛行する、というのが中々想像できません。もっとも、駐屯地祭に富士総合火力演習のようなオーロラビジョン大画面を持ち込み、駐屯地から離れた高高度より、行事の様子を無人ヘリコプターが空撮し、同時中継する、という参加方式はありそうにも思うのですが、ね。
Nimg_1720 さて。MQ-8は高度6000mで最大三時間の滞空飛行が可能で、戦闘行動半径は200km、一定以下の高度であれば100km先において五時間の監視飛行が可能ですので、八尾駐屯地から千僧駐屯地まで展開し、祝賀飛行に参加したのち周辺空域で待機し、伊丹空港発着旅客機を航空管制に従いやり過ごし、続いて訓練展示へ参加、実弾は撃たないまでもRQ-8の発展型だるMQ-8は攻撃任務の一端も担えますので、その旨を紹介し、帰投する、もしくはその後の装備品展示へ参加することも可能でしょう。
Img_9377 元々MQ-8はシュワイザー330、その原型は陸上自衛隊がかつてTH-55練習ヘリコプターとして運用していた航空機ですし、性能としては充分耐えるとは思うのですが、我が国で無人機の運用を大きく制限している航空法の問題を差し引いても大都市上空を、観測ヘリコプターに求められる能力、災害時の情報収集へ平時から訓練として飛行することが出来るのか、少々疑問符が残ります。海上自衛隊の艦艇から運用するならば、別ですが。この分野、市街地上空でも無人機運用は、警察の交通監視や追跡用途、報道ヘリコプターの空撮などで先鞭をつけてもらわねば、苦しいところ。また、観測ヘリコプターとしてのOH-6は軽輸送任務等への汎用性もあり、もちろん無人ヘリコプターには物資輸送能力を有するものもありますが、日本国内での運用という側面から、有人ヘリコプターの様々な汎用性というものは捨てがたい。
Nimg_8873 こうして考えますと、当面の無人機による着弾観測は、駐屯地から野整備支援を経て第一線へ自力で展開するものではなく、前進観測班が携帯式無人機と共に第一線普通科部隊に随伴し直掩火力を求める際など、いわば第一線まで携行できる部隊が展開している場合に暫く限られるのではないでしょうか。以上を踏まえれば観測ヘリコプターの必要性は当面残りますが、新機種を選定し量産したころにはMQ-8の時代が到来しそうで、すると、多用途ヘリコプターに観測ヘリコプターとしての能力を付与する必要性は出てきます。併せて、現行の双眼鏡による空中着弾観測任務は、観測距離に限界があり、射程の延伸と共に、第一線後方への着弾観測へは、第一線へ接近する必要が出てきます。こうしますと、第一線へ展開している敵防空火器の脅威下に接近する事を意味し、非常な危険に曝されてしまうでしょう。
Img_0437a 個人的には米軍のように無人機の管制と情報伝送をAH-64Dに任せれば解決する部分が大きいと思うのですが、予算面で考えた場合の最良案は多用途ヘリコプターへ30km以上の距離を隔てて、極超望遠カメラを搭載し、着弾観測を行う必要性に繋がります。最大30km以上の距離での着弾観測を行うのであれば、我が方の高射特科部隊により支援下で観測を行えるため、相手が第一線に相当な長距離地対空誘導弾を配備していない限り、対応可能です。もちろん、民生品をそのまま搭載することは対妨害性の観点から不可能ですし、双眼鏡よりは観測器材が高くつきます。しかし、それ以上に意義があることも確かです。
Img_4862 今回、こうした論点を強調したのは、次期多用途ヘリコプターの開発が難航していると共に、観測ヘリコプターがOH-1の生産中止に伴い、現行のOH-6観測ヘリコプター後継機が調達でk無くなっていることに起因し、共に重要な装備品であることから同時に後継機の大量調達が必要となっているものの、二機種を同時に調達することは難しい、その反面、片方を先行し片方を後回しとするほどの時間的余裕の無さから提示しました。もちろん、空中着弾観測を遠距離のものとする前提を提示していますので、純粋な意味での観測ヘリコプターではなく、多用途ヘリコプターの多用途任務に観測を付与できないか、という意味にもつながっているのですが。
Img_9552 ただ、以上の点を踏まえると、例えばBK-117をそのまま転用するべき、とか、BK-117にOH-1のローターシステムを移植して、と書かれる方がいるかもしれませんが、BK-117は胴体延伸型のBK-117C2でも乗員の他輸送できる兵員が9名で、UH-1Jの11名と比較しても少なすぎます。また、UH-1に代えて陸上自衛隊がUH-60を導入したのは機内容積が不足しているためで、どうしてもBK-117では容積が足りません、胴体を1m程度延長できれば、問題は無いのですが、それは新型機に他なりません。実は10年近く前までは当方もここまでUH-Xが難航するとは考えず、暫定的にOH-6の後継にBK-117の派生型は考えられるのではないか、と考えたのですが、現在これを行ってしまうと、OH-Xではなく予算面でUH-Xの予算を齧ってしまう可能性が否定できません。
Img_6605_1 米軍では使用しているではないか、という批判があるかもしれません、確かに米陸軍はBK-117の派生型をUH-1に代わる軽多用途ヘリコプターとして運用していますが、これは約2000機のUH-60が米陸軍に装備されているため、導入できたわけで、仮にBK-117をそのまま多用途ヘリコプターとして導入した場合、中隊規模の空中機動には現行の機体と比較し、非常に難易度が高まってしまうのではないか、と考えます。もちろん、別途陸上自衛隊が多用途ヘリコプターを導入し、観測ヘリコプターと併せ、大量導入する、というのならばはなしは別なのですが。
Img_09_84 必要な観測ヘリコプターは150機、多用途ヘリコプターは150機、300機程度が比較的早い時期に必要となります。しかし、これを10年間で調達するとしても、二機種を各15機調達し、併せて他の何時様なヘリコプター、輸送ヘリコプターや戦闘ヘリコプターの調達を重ねて行うことは余りに現実的ではありません、仮に劇的に景気が回復し再度高度経済成長が低いインフレ率と共に起こらないでもしない限り。せめて、BK-117原型が開発中止となった三菱重工のMH-2000と同程度の機内容積を確保できていれば、BK-117Cにあたる胴体延伸型の機体規模がUH-60程度になれた、とも思うのですが、まあ、これを行うとBK-117の機体規模所以の誌上需要に対応できなかった可能性も高いですね。
Img_6256 さて、話を本題に戻しますと、仮に多用途ヘリコプターに観測器材を搭載した場合、大規模災害時の情報収集任務に無人機とともに活躍しますし、必要であれば多用途ヘリコプターとして人員輸送任務にも対応します。かつて師団飛行隊に観測ヘリコプターは10機配備されていましたが、仮に観測ヘリコプターを兼ねる多用途ヘリコプターを10機、前後配備できれば、師団飛行隊や旅団飛行隊の能力は大きく向上するでしょう。

北大路機関:はるな

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榛名防衛備忘録:携行監視装置強化データリンク能力付与か陳腐化か、オートバイ斥候の今後

2013-10-19 15:20:27 | 防衛・安全保障

◆技術は世界最高水準
 最初にお知らせ、明日は那覇駐屯地第15旅団祭です、お教えいただきましたが、当方が行こうと航空券を調べたら意外に高く断念して、そのまま失念していました、申し訳ない。さて、陸上自衛隊のオートバイ斥候は、恐らくその技量で最高水準の能力があると思うのですが、一つ。
Sdimg_4291 自衛隊の偵察オートバイ、オートバイを偵察に重宝しているのは、特殊部隊の情報収集を除けばスウェーデン陸軍ぐらいのものだと思います。ただ、1980年代には米軍がM-60A3戦車の小隊長車について、後部にオートバイを搭載し、指揮官の連絡任務等に活用する検討が行われていました。また、夜戦憲兵隊ではオートバイの重要性は大きかったわけで、日本だけ独自の装備、というわけではありません。
Mimg_1631 さて、最新装備、機動戦闘車は、偵察教導隊の隊員が報道公開に際し乗車していたとのことです。87式偵察警戒車の後継として機動戦闘車が偵察隊へ各5両程度配備されることとなるのでしょうか。これまで、87式偵察警戒車は25mm機関砲しか搭載していませんでしたので、軽装甲車部隊との遭遇は兎も角、敵戦車と遭遇した時には過酷な運命が予想されました。しかし、105mm砲を持つ機動戦闘車ならば違う。
Img_9539 こうしますと、今後斥候小隊の任務はどうなるのでしょうか。陸上自衛隊は偵察隊の斥候小隊へオートバイを装備してきました。オートバイは機動力が高く、地皺を利用すれば非常な脅威状況下でも運用が可能ですし、脅威と遭遇した際には小銃で威嚇しつつ、相手の火力が大きなときには俊足で離脱することが可能です。しかし、近年火器管制装置が高性能化しているためオートバイで逃げ切れるのか、という状況もあり得る。
Img_4100 特にオートバイ斥候に際しては、五感に頼り、乗員の五感の他は双眼鏡程度を以て対応することを考えており、このほかは携帯暗視装置と無線装置のみを装備し偵察しています。ただ、機動戦闘車のように、10式戦車と同等とされる高度な艦敷材を有する車両が偵察隊へ配備されたならば、機材の性能として双眼鏡に支援された五感による情報収集能力と比肩できるのか、と。
Kimg_6460 更に、近年の偵察部隊、各国の装備を観ますと電子装備を搭載した戦場監視装置を装甲車に搭載し、威力偵察よりはセンサーを戦域各所に展開させることで戦域情報を把握するという手法へ転換しています。ドイツのフェネク装甲偵察車やスイスのイーグル偵察車等がこの典型です。米軍は、戦車が第一線に展開しますので、M-1A2戦車のC4I能力が第一線の情報収集に当たっています。あまりこの部分を突き付けると、情報科の移動監視隊と重ならないか、とか、航空偵察は機甲科の偵察隊ではなく航空科、などいわれそうですが、ここはひとつ偵察に特化して。
Img_4397 センサー頼りの偵察任務、と言いましてもこれが世界の趨勢らしい、ということは分かりながら、他方で、米軍をはじめ各国軍隊は軍事行動以前に特殊部隊を展開させ、敵情を捜索し情報送信を行った上で任務に展開していますので、特殊部隊はセンサー類を保有していても携行可能なものに限られるわけでもあり、オートバイ斥候そのものの持つ五感による偵察という重要性を損なうわけではないと考えるのですが、しかしセンサー、というものも趨勢らしい。
Fimg_6179 陸上自衛隊も装輪装甲車として、89式装甲戦闘車と87式偵察警戒車を置き換える近接戦闘車が開発中です。近接戦闘車と機動戦闘車の任務区分がどういう形となるのかは未知数ですが、近接戦闘車は89式装甲戦闘車所要は大口径機関砲を備えた砲塔とその後部に人員区画を、87式偵察警戒車後継車については後部人員区画に伸縮式マスト基部と偵察員室を配置し、伸縮マスト上のセンサーにより偵察を行うことを構想しているとのこと。
Img_0056 センサーによる偵察、例えば軽装甲機動車等であれば車上に偵察器材を搭載し、情報収集を行うことが出きるのですがオートバイ斥候では同様のことを行うことが出来るのか、と問われれば、オートバイは搭載能力に大きな制限が課せられているうえ、五感では収集できる能力に限度があり、音声通信では伝えられる情報に限界があります。つまり、偵察とはデータリンクが必要となる中で、オートバイ斥候では対応できるのか、という話になります。
Img_6228 しかし、オートバイ斥候についてですが、その技量には大きなものがありますので、例えば携帯式画像データ収集装置と、情報伝送用の器材を携行することが出来たならば、オートバイ斥候は、何よりも軽装甲機動車よりも小回りが利きますから、隠密偵察が可能となります。つまり、データリンク能力を付与すればオートバイ斥候はその特性を最大限生かすことが出来るでしょう。
Simg_3210 オートバイの利点はこのほかにもあり、確実に徒歩では考えられない遠距離を迅速に展開できる点に加え、小型ボートを利用すれば渡河は小型車両よりもはるかに容易であり、加えてUH-1のような多用途ヘリコプターでも緊急展開が可能です。そして車両よりも少量の燃料でも行動半径が大きい。レンジャーのヘリボーン投入よりも迅速で広範囲を展開可能、最小限の後方支援で、これらは大きい利点、ということ。
Yimg_7529 オートバイへのデータリンク能力、この方式で問題点は、データ伝送について、オートバイに搭載できる装備では、その伝送距離に限界がある、という事、携行監視機材の重量に限界がある、という事、これはオートバイである以上乗り越えられません。しかし、軽装甲機動車等のような装甲車両をデータ通信中継車両として、また、必要な電源などへの支援車両として、運用することが出来れば、つまりオートバイ斥候の支援車両のようなものと組ませることが出来れば、解決できます。
Kimg_8143 言い換えればデータリンク能力へどうにか組み込むことが出来なければ、オートバイ斥候はその高度な技術が最大限活かすことが出来なくなります。ただ、これは余りに勿体無く、そして都市部や山間部などの特殊な戦域では、オートバイの方が機動力として役立つ部分も大きくありますので、多少難しくとも、オートバイ斥候へのデータリンク能力、ネットワークへの加入と、その支援車両というようなものとの連携を考慮するべきだ、と考えます。なによりも、第一級の技量を有するオートバイ偵察隊員の技量を最大限発揮できる体制を構築しないのは、勿体無い。

北大路機関:はるな

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平成二十五年度十月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2013.10.20)

2013-10-18 23:40:19 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 伊豆大島災害派遣は、呉より輸送艦おおすみ、が第1施設団を輸送、重装備により次の豪雨までに捜索を進める、とのこと。

Bimg_3179 今週末の自衛隊関連行事ですが、最大の行事は浜松基地航空祭です。静岡県浜松市に或る浜松基地は航空自衛隊発足式典が行われた基地で、第1航空団や警戒管制航空隊がおかれ、T-4練習機の大編隊や、E-767空中早期警戒管制機等の飛行展示が行われます。浜松駅からシャトルバスが運行されるほか、市内の路線バスを利用し行くこともできる。

Bimg_4731 航空学校記念行事、今週末に浜松と双璧を為すのは三重県の明野駐屯地航空学校創設記念行事でしょう。陸上自衛隊の航空科隊員専門教育と搭乗員養成を行う航空学校の本校が置かれている駐屯地で、大編隊の飛行で有名です。陸上自衛隊の航空重視を知る最適な行事と言えるやも。

Gimg_8067 湯布院駐屯地祭、西部方面特科隊の駐屯地で、温泉の町湯布院という素晴らしい響きの街は実は90kgの砲弾を撃ち出す陸上自衛隊最大の火砲203mm自走榴弾砲の特科大隊や、面制圧火力の決定版から超長距離精密火力へ転換を果たしたMLRSの特科大隊の一大拠点であったりします。

Rimg_1251 相浦駐屯地祭、陸上自衛隊最精鋭部隊を自負する部隊の筆頭、西部方面普通科連隊が駐屯しています。来年度予算で水陸両用団へ改編される中核部隊で、日本版海兵隊を構成する西部方面隊の緊急展開部隊、ヘリボーンや水路進入で離島防衛を担う、今最も注目の部隊の行事と言えるやも、例年は市街地でのパレードも行われ、軍港都市佐世保ならではの部隊行事としても有名です。

Gimg_1458 小月航空基地スウェルフェスタ2013、海上自衛隊小月教育航空群が置かれている小月航空基地の航空祭で、T-5練習機の飛行展示などが予定されています。T-5練習機は並列複座方式の航空機で、並列複座の航空機を運用する海上自衛隊ならではの航空機です。小月航空基地は、数年前にコスプレイベントを併せて行い、初音ミクさんやほむほむさんコスがT-5練習機と並んだことで有名やもしれません。

Img_1763 多賀城駐屯地祭、多賀城市にあり、東日本大震災では駐屯地内にも津波が押し寄せましたが、予備車両を掻き集め、徒歩を含め即座に災害派遣に向かいました宮城県の郷土連隊です。部隊と地元の関係を考える好例と言える部隊でしょう。今年度も記念式典のほか、訓練展示なども行われる、とのこと。

Img_6006 このほか、富山駐屯地祭が行われます、方面隊直轄施設団隷下の施設群に所属する施設中隊が置かれている駐屯地で、駐屯地は決して大きくありませんが富山県唯一の陸上自衛隊駐屯地です、もともとは金沢駐屯地の分屯地でしたが、現在はこの通り駐屯地です。以上の行事予定ですが、併せて列島南方に出現した台風について、来週中旬にも列島に接近する公算が高く、その動向が気になります。

Img_6045 第15旅団記念行事について。行事予定追記分です。今週末、沖縄県を防衛警備管区とする第15旅団記念行事、陸自祭が行われます。第15旅団は南西諸島防備の重責に当たり、陸王自衛隊としては空中機動旅団として知られる第12旅団と並び、第15旅団はヘリコプター隊を編成に置き、機動力を重視しています。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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伊豆大島台風26号ラハール災害自衛隊災害派遣、C-1輸送機徹夜空輸で第1師団続々展開

2013-10-17 23:34:20 | 防災・災害派遣

◆輸送艦おおすみ伊豆大島向け、呉基地緊急出港

 本日も昨日に続き、伊豆大島における土砂災害への自衛隊の対応を掲載します。現時点で伊豆大島を襲った土砂災害は火山泥流、所謂ラハール災害だったことが報じられています。

Oimg_5083 昨日、1800時に防衛省本省において今後の対応に関わる大臣と副大臣に政務官を加えた協議が行われたと発表されていますが、その後、伊豆大島へ航空自衛隊はC-1輸送機による徹夜の空輸支援を実施しています。1930時、入間基地より警視庁増援部隊47名を乗せた第二輸送航空隊のC-1輸送機が離陸、1952時に大島空港へ到着しました。

Oimg_4434 入間基地からのC-1輸送機による空輸支援は、更に2119時、国土交通省の5名と消防応援部隊19名を乗せ離陸し2147時に大島空港へ到着。消防応援部隊第二波の車両1両と人員1名を2234時に入間基地より離陸し2304時に大島空港へ、第三波の車両1両と人員1名を搭載し2251時に入間基地を離陸、2324時に大島空港へ着陸しています。

Eimg_2455 大島空港は1800m滑走路を有しますが、同時に多数の旅客機発着を想定した空港施設とは言い難く、今回の災害派遣では短距離離着陸能力とともに地上支援を必要としない自己完結型のC-1輸送機が戦術輸送機としての能力を最大限発揮している、と言えるかもしれません。

Limg_7576 被害規模の大きさに鑑み、海上自衛隊は呉基地の第1輸送隊に所属する輸送艦おおすみ、を2130時、緊急出港させています。おおすみ、は明日未明には当面の目的地として横須賀へ展開しますが、要請があれば即座に災害派遣活動へ加わる方針の下、現在も太平洋上を航行中、とのこと。

Gk_img_2664 輸送艦の任務ですが、被災者への食事や入浴支援と道路啓開への必要な重車両の運搬などの輸送艦としての任務に加え、自衛官と警察官に消防官を加え約1000名にのぼる災害派遣要員への給食支援や休息支援などを行うことが予想されるでしょう。

Limg_9306 災害派遣部隊の伊豆大島への展開は夜を徹して続けられました。陸上自衛隊は、練馬駐屯地第1普通科連隊に加え、第二次増援部隊として静岡県板妻駐屯地より第34普通科連隊の投入を決定、2353時に第34普通科連隊の第一波として人員10名と車両1両が、静岡県内の静浜基地より、第二輸送航空隊のC-1輸送機により派遣、日が換わって17日0017時に伊豆大島へ到着、捜索活動へ投入されました。

Limg_0120 第34普通科連隊は、C-1輸送機の第二輸送航空隊が展開する埼玉県入間基地ではなく、航空自衛隊の第11飛行教育団が展開する静岡県内の静浜基地へ前進し、ここで入間基地より展開したC-1輸送機に搭乗し、伊豆大島へ展開しました。0023時、第34普通科連隊増援第二波30名が静浜基地よりC-1輸送機にて0038時に伊豆大島へ。

Oimg_8936 C-1輸送機による静浜基地からの増援輸送は夜を徹して行われ、0056時に第三波増援部隊30名を乗せ0114時に大島空港へ。0326時に第三次第1師団増援部隊として第34普通科連隊第一波40名がC-1輸送機により静浜基地より離陸し0349時に大島空港へ到着。第三次増援部隊第二波へ第34普通科連隊より40名が0342時に静浜基地を離陸し、0415時に大島空港へ到着し、増援にあたりました。

Limg_1191 第1師団第四次増援部隊として更に練馬の第1普通科連隊より40名が入間基地よりC-1輸送機にて0416時に離陸、0442時に大島空港へ到着し、爾後既に展開している派遣部隊と共に行方不明者捜索へ参加、実に夜を徹しての輸送支援となっていることが端的に表れているでしょう。

Nimg_8962_1 C-1輸送機による空輸支援は、陸上自衛隊の派遣部隊輸送続いて0444時に横浜消防基幹の緊急消防援助隊7名を乗せ入間基地より出発し0509時に大島空港へ。0521時に緊急消防援助隊増援の車両2両と人員2名を乗せ入間基地を離陸、0549時に大島空港へ到着しています。

Img_8095 0748時、東部方面隊隷下の東部方面航空隊はUH-1多用途ヘリコプター2機を情報収集のため発進させました、立川駐屯地を離陸した2機のUH-1は、伊豆大島とその周辺海域の情報収集を行ったのち、1000時に立川駐屯地へ帰投しました。

Nimg_9835 夜が明け、C-1輸送機による関係省庁の増援部隊輸送が更に強化されています。1031時に警視庁特科車両部隊人員33名を乗せ入間基地を離陸し1245時現地へ到着。1219時に警視庁特科車両部隊人員増援33名を乗せ入間基地を離陸し1245時現地へ到着。1310時に更なる警視庁特科車両部隊増援人員33名を乗せ入間基地を離陸し1349時現地へ到着とのこと。

Img_0334 警察庁は約240名の警察官を伊豆大島へ派遣しているとのことですので、大半がC-1輸送機により派遣された、といえるかもしれません。更に1410時に川崎市緊急消防援助隊2名と車両1両がC-1輸送機により入間基地を離陸し1442時大島空港へ、1443時に川崎市緊急消防援助隊増援の人員2名と車両1両が入間基地を離陸し1510時に大島空港へ到着しています。

Pimg_0909 現在までに発表されている災害派遣情報は1443時までのものです。火山泥流、ラハール被害であった今回の伊豆大島土砂災害は、表層部が露出している現状において、少量の雨が更なる土砂災害に繋がる危険があり、慎重を要する必要があります。他方、生存者救出へ投光器を配置し、昨夜に続いて今夜も徹夜の救出作業が行われる、と発表されています。

北大路機関:はるな

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伊豆大島台風26号大規模土砂災害へ東京都知事より派遣要請!、自衛隊災害派遣

2013-10-16 22:36:42 | 防災・災害派遣

◆ヘリコプター部隊を中心とした災害派遣

 本日、日本列島太平洋岸を大きな勢力を以て北上した台風26号は、その大きな豪雨と突風により広く被害を及ぼしました。

Oimg_0401 被害情報の中で、伊豆大島での大規模な土砂災害の情報があり、被害の大きさから本日1020時、東京都の猪瀬知事は陸上自衛隊第1師団に対し、東京都大島町における行方不明者捜索へ、災害派遣要請を行いました。要請は即時受理されましたが、悪天候のため航空機が飛行できず待機態勢にありましたが1128時、東部方面航空隊のUH-1多用途ヘリコプター2機が立川駐屯地を情報取集へ離陸しました。

Img_3683a UH-1はそのまま千葉県南部の海上自衛隊館山航空基地を経由し、伊豆大島へ向かいます。続いて1134時、3機目となるUH-1が情報収集の支援へ更に立川駐屯地を離陸し、先行する2機と合流、航空偵察を行った上、1311時に全機館山航空基地へ到着しました。

Oimg_0155_1 1158時、情報収集を行うと共に練馬駐屯地より第1普通科連隊が相馬原駐屯地第12旅団の第12ヘリコプター隊よりUH-60JA多用途ヘリコプターの支援を受け、初動10名が出発します。部隊は情報収集に基づき1240時に伊豆大島へ到着、行方不明者捜索活動を開始しています。UH-60JAの航続距離の大きさ故の任務と言えるでしょう。

Oimg_6257 1228時、第1普通科連隊はUH-1多用途ヘリコプター4機を以て40名が練馬駐屯地を出発、1304時に現地へ到着し行方不明者捜索を開始しています。続いて更に第1普通科連隊より増援部隊30名と車両1両が第12ヘリコプター隊のCH-47輸送ヘリコプターにより現地へ向かいます。

Oimg_6665 CH-47JA輸送ヘリコプター2機は、1318時に現地へ到着し、行方不明者捜索を開始しています。ここまで、UH-1J多用途ヘリコプターは7機、UH-60JA多用途ヘリコプターは1機、CH-47JA輸送ヘリコプターは2機、それぞれ投入され、情報収集と部隊輸送へ投入されました。

Oimg_5262 海上自衛隊も今回の災害派遣へ出動しました。1350時、負傷者発見の一報に際し、海上自衛隊の館山航空基地よりUH-60J救難ヘリコプターが収容へ離陸し、患者3名を収容します。続いて1510時にも急患輸送の要請があり、1530時に現地へ到着、2名の患者を輸送しました。

Oimg_0263 1512時、隠岐の島へ出張中の大島町町長を伊豆大島へ輸送するため、美保基地の第3輸送航空隊の災害派遣が決定、町長を乗せたC-1輸送機が離陸しました。続いて1704時、入間基地の第2輸送航空隊のC-1輸送機が、伊豆大島へ向かう警視庁機動隊22名と国土交通省の2名を輸送、1727時に現地へ到着しています。

Oimg_0406 1800時、防衛省では防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官が今後の対応要領についての指示を実施、特に防衛副大臣は本日、饗庭野演習場にて日米合同演習を視察したのちでありますが、増援部隊と装備品の早期投入を指示した、とのことです。なお、現在も災害派遣は継続中とのこと。

北大路機関:はるな

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榛名防衛備忘録:提案、装甲化新段階に暫定装備“装甲高機動車”を高機動車の後継へ導入

2013-10-15 12:20:52 | 防衛・安全保障

◆安普請でいい、高機動車後継に毎年100両を
 陸上自衛隊は装甲化が遅れている、これは一時期よく批判の種として使われていました。しかし、昨今はようやく自動車化と装甲化の折衷が完成しまして、そろそろ自動車化の次へと進むべきではないか、という話題です。
Hbimg_8337 軽装甲機動車と高機動車、ここ20年の装備ですが、昨今、この二つを考えず普通科部隊というものは中々想像できないもの。高機動車が装備され、普通科部隊が完全自動車化を果たし、普通科連隊の二個中隊から四個中隊が自動車化されました。それでは、そろそろ、高機動車に代わる、装甲高機動車、というような小銃班を輸送可能な四輪駆動式の軽装甲車を大量配備し、陸上自衛隊普通科部隊の全般装甲化へ備えるべきではないのか、と考えます。そこまで贅沢な装甲車は求めず、兎に角装甲車を多くの中隊に回そう、というもの。
Hbimg_0250 自衛隊の自動車化と装甲化はここ20年間で大幅に進みました。1992年より装備開始された高機動車と2000年より装備開始された軽装甲機動車により、自動車化と装甲化が大きく進みました。軽装甲機動車は乗車戦闘により迅速に展開しつつ小銃班を組ごとに分散させ火力拠点の機動運用を目指したもの。以前は、師団輸送隊が装備する73式大型トラックで一個連隊を辛うじて自動車化、と言われていた時代も長かったのですが、2008年には最後の師団への高機動車装備化が完了し、2012年には全ての師団と旅団の普通科連隊へ、若干数を含め軽装甲機動車が配備され、基本的に一個中隊が軽装甲機動車により充足されました。
Hbimg_0836 その前は批判が的外れを含め酷かった。幾つかを挙げますと、曰く、陸上自衛隊には戦車と同数程度しか装甲車が無い。曰く、丸裸の歩兵は砲兵火力の前で生き残れないまま全滅しかねない。第三世界でも陸上自衛隊よりも装甲車を多数装備する軍隊は多数存在する。曰く、89式装甲戦闘車のように高価な装甲車にこだわった結果装甲化が遅れており現実逃避だ。陸上自衛隊はバスで移動している隊員もいるほど。そこから税金の無駄遣いだ、とか、果ては陸上自衛隊の存在価値まで掘り下げるものまでも。
Hbimg_1256 だが、ちょっと待て欲しい、と。陸上自衛隊の装甲化が遅れている最大の要因は、地対空ミサイルの充実とヘリコプターの充実に起因するものです。多用途ヘリコプターはともかく、155mm榴弾砲や装甲車などを輸送可能なCH-47輸送ヘリコプターを55機も保有していますので、装甲化を行うよりも空中機動を重視した所以、装甲車の整備が後回しとなたわけでした。実は火砲や車両を輸送可能な輸送ヘリコプターを20機以上保有する軍隊は非常に稀有で、陸上自衛隊は戦略機動を求められた冷戦時代、道路網の未整備もあり、下手に装甲車を大量導入しても山間部道路で通行が制限されるところも当時は多く、特に田中角栄ない悪時代に日本列島改造論以前は幹線国道でも一部が未舗装道路があった訳なのですから、この選択肢は、当時の視点としては間違ってはいません。
Hbimg_1350 ヘリコプターは高価である、という部分は上記を踏まえても変わりありません、陸上自衛隊が60年代より導入したV-107輸送ヘリコプターは当時配備が開始されたF-104戦闘機とほぼ同額で、今日調達されるCH-47JA輸送ヘリコプターの調達費用は50億円、これは96式装備車輪装甲車に換算し50両分、軽装甲機動車に換算し150両分にあたります。一個普通科中隊を装甲化するのに必要な装甲車は14両ですので、三個中隊所要で42両、これに連隊本部管理中隊所要で8両とすれば、現在普通科連隊は概ね一個中隊程度が軽装甲機動車により装甲化されていますので、三個中隊と併せ完全装甲化できる、ということになります。更に、CH-47とあまり取得費用の変わらないAH-1S対戦車ヘリコプターを90機導入した自衛隊は、装甲車の代わりにヘリの数を揃えた、といえるもの。
Hbimg_1738 さて、今回提示したのは自動車化が高機動車により完成した点と共に、そろそろ高機動車に続く機動車両を考えるべきなのではないか、という視点から四輪駆動の軽装甲車を多数配備し、高機動車により充足されている中隊を装甲化できないか、というものとなります。軽装甲機動車は乗車戦闘を想定する機動力重視の装備ですから、高射戦闘を前提とした一個班を輸送する装甲車、というもの。もちろん、一個中隊は高機動車による中隊を残すべきです、何故ならば装甲車は輸送ヘリコプターによる空中機動に制約がおおきいからです。しかし、その他は装甲化を放置してよい理由にはならないわけで、安普請であっても装甲車の数を揃える必要がある。
Hbimg_3596 便宜上、装甲高機動車、と呼称しましょう。もちろん、高機動車の装甲型、といういみではありません、高機動車は優れた車両ですが基本は機動用の車両であり装甲防御力を想定していませんし、装甲強化キットも開発されていますが、防御力は大きくなく、加えて余り強力な装甲を付与すると懸架装置への負担が大きくなり、米軍のハンヴィーのように平時の運用に大きな支障をきたすようになります。ですから、箱型車体をもち、軽装甲機動車並みの防御力を有する高機動車並みの輸送力を持つ車両として、装甲高機動車という単語を造語しました。高機動装甲車ですと、軽装甲機動車と似た印象を与えますし、軽装甲高機動車もしっくりこない。ので。
Hbimg_4047 安普請という前提の装甲高機動車は、フランスのVAB軽装甲車のような、四輪駆動でそこまで大きな不整地突破能力を持たず、夜戦では高機動車と同じように戦闘加入前に後方からの降車戦闘に写り、専ら重視するものは路上機動力と市街地戦闘で、高機動車並みの戦略機動能力を持ちつつ、軽装甲車と同程度に砲迫火力から乗員と兵員を防護する装甲車を想定します。武装はMINIMI分隊機銃、ただ、可能ならば小隊長車だけでもいいので、遠隔操作式銃塔のような独自の車載機銃が、というところ。
Hbimg_4330 その昔、自衛隊初の国産装輪装甲車が開発された際82式指揮通信車に繋がる車両研究に四輪駆動装甲車がありました、警視庁にこれとよく似たF7警備車という装甲車も納入されています。さて、軽装甲機動車をキャブオーバー型に再設計し、車体を若干延長する方式も考えられるかもしれませんが、軽装甲機動車の車体は若干小さい気がしないでもありません。もちろん、キャブオーバー型とすれば、更に乗員区画に一列人員を載せることが出きるため、軽装甲機動車の乗員4名から7名に増加させることができます。一見すればこれで充分と思えるかもしれませんが、運用特性を考えるとそうではありません。
Hbimg_4588 運用を比較しますと、軽装甲機動車は最前線第一線で降車戦闘に展開する為操縦手を含め降車戦闘に参加しますが、装甲高機動車はその運用特性上相当後方で降車しなければ大柄な車体が標的となってしまうため、乗員は装甲車付となる必要があり、このため、乗員を含め小銃班7名を搭載、という容量では降車戦闘には5名か最大で6名、個人装備が増えていますので小銃班7名用としてみれば、この人数では十分ではありませんので、それならば車体をもう少し大型の車体として新規設計するべきでしょう。
Hbimg_5271 さて、今日的には小銃分隊が乗車出来る程度の四輪駆動装甲車は山間部での機動力が限られますし、泥濘等に接した際には96式装輪装甲車のように踏破することはできません、道路網が今ほど整備されない70年代ならば、非常に用途が限られたでしょう。もちろん、今日でも路外で戦車に随伴することは、不整地ではほぼ不可能でしょう。森林地帯も無理矢理木々を倒し前進することはできません。足りないものだらけですが、軽装甲機動車のように大量生産すれば、生産費用を4000万円程度におさえられるかもしれません。それは大量生産の可能性を示すもの。
Hbimg_7298 時代遅れのように見えますし、批判があるかもしれませんが、例えばフランスはVAB装甲車を最新型のVBCI装輪装甲戦闘車にすべて置き換える計画であったものの、高度な火器管制装置と駆動系により取得費用がVABの十五倍にまで高騰したため、まだまだ装甲防御力を強化して現役に留まります。そして、このほか、アフガニスタンやイラクでの任務へ対応するべく、歩兵部隊の全般装甲化は欧米では一つの潮流となっています。もちろん、我が国での着上陸対処は大火力同士の衝突となり、軽装甲車での展開はリスクを伴いますが、高機動車だけよりは安全なはず。
Hbimg_7945 一個中隊の装甲化へ、装甲高機動車、フランスのVABのような車両であれば、5億円程度で実現が可能です。空中機動を想定した高機動車の一個中隊、全般的な近接戦闘を担う装甲高機動車の二個中隊、軽装甲機動車による乗車戦闘と迅速な戦闘展開を行う一個中隊、それに重迫撃砲中隊、許されるならば対戦車中隊、こうした編成を採った場合でも、まあ、10億円から11億円、装甲戦闘車2両未満の費用で装甲化ができます。それにしても予算不足の自衛隊でこれは現実的か、と問われれば、戦車と火砲を削る分普通科を重視する、という想定のもと現在の態勢が考えられたのですから、全て装甲戦闘車で充足するために89式装甲戦闘車を毎年100両分700億円追加予算で欲しい、とまではいいません、しかし、普通科隊員の機動力を考えれば最低これだけは必要、ということ。
Hbimg_9353 もちろん、予算が許すならば、96式装輪装甲車を毎年100両程度調達し、二個連隊とその他所要を装甲化し、全般的な陸上自衛隊の装甲化を目指すことが筋だとは考えるのですが、現実的に予算がありません。しかし、現行の毎年30両程度を越えて多数を装備することは、説得力として難しい、それならば重ねてハイローミックス、というように安普請と、多少まともなものを一旦揃え、本命の装甲車は後日装備できるという希望を含めて、暫定装備としてでも装甲高機動車というような、高機動車の輸送力を持つ装甲車を装備するべきでしょう。とにかく、全般支援火力の近代化により全般的な装甲化を行わなければ生き残るのが年々難しくなってきています。
Hbimg_9466 暫定装甲車として、従来の装甲車の後継装備ではなく、高機動車の普通科部隊配備用を置き換える、装甲を張った高機動車の運用を為す車両として、のちに高度な装甲車を全普通科連隊に装備できるのならば、暫定装甲車は重迫撃砲の牽引車にも用いることが出来ますし、施設大隊の第一線部隊への装甲車として、特科連隊の装甲弾薬車としての転用や、場合によっては近距離地対空誘導弾に中距離多目的誘導弾などの装甲車隊として転用も可能です。しかし、高機動車が充足した今日、そろそろ全部隊の装甲化という、今日までは不可能と思われた問題でも臨まなければ、生存性を維持できないようになってしまいます。

北大路機関:はるな

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歴史地震再来と日本安全保障戦略⑦ 天正地震、太平洋・日本海沿岸の同時津波

2013-10-14 22:25:55 | 防災・災害派遣

◆列島分断!、本州最狭部を襲う被害の本質

 本日は鉄道の日ですが、天正地震関連の話題を。日本列島本州中央部を襲った天正地震、その概要は前回お伝えしました。

Img_130_1 天正地震の被害は内陸部の直下型地震が本来浅い震源から局地的であるはずの被害分布について、広範囲に及び歴史に奥の傷跡を残すと共に、一部地域では数百年を経て地域自体の復興が断念されているところにある、とその概要を簡単に示してみました。列島を分断するかのように広がる被害、おどろくべきものでしょう。

Img_8121 しかし、天正地震が今日に示す被害の恐るべき部分は、前述の部分の中で、列島を縦断する被害、というところにあるのかもしれません。列島を分断する、つまり本州最狭部に被害が集中し、そして伊勢湾と若狭湾沿岸において津波被害らしき記録が残っていますので、これは恐るべきものと言わざるを得ません。

Eimg_4659 伊勢湾と若狭湾での津波被害、といいますと、これは即ち、太平洋岸と日本海沿岸で津波被害が発生した、という事になりますので、必然的に海上からの救援が警備管区だけでも海上自衛隊では太平洋側の横須賀警備管区と日本海側の舞鶴警備管区に分かれてしまっている、ということ。

Img_3550 単に警備管区が違えば、統合運用すればいいだけではないか、と思われるかもしれませんが、艦艇は若狭湾から伊勢湾へ移動するだけで容易なことではありません、津軽海峡か対馬海峡を航行しなければならず、警備管区を一本化したとしても海だけはどうにもならないのですから。

Aimg_9773 陸上からの救援についても、太平洋沿岸と日本海沿岸には多くの高速道路網が展開し、鉄道線路網についても同様のことが挙げられますので、太平洋岸の津波被害に日本海沿岸の津波被害、更には天正地震でも奥の被害が生じた琵琶湖沿岸の液状化被害を考えますと、車両部隊の展開にも制約が大きくなります。

Bimg_0186 この問題は陸上面でも意外に重大です。何故ならば、東日本大震災では全滅した東北地方太平洋岸の道路網に対し、国土交通省は櫛の歯作戦として、日本海側の無事な道路網を基幹路線として確保した上で櫛の歯のように太平洋岸へ道路復旧を進めてゆくという手法をとったわけですが、天正地震の場合はどうでしょうか。

G12img_7385 天正地震と同等の地震が発生した場合には、本州が挟み撃ちにされます、これは、日本海側へ太平洋岸を迂回して、太平洋岸へ日本海側を迂回して、それぞれ救出に向かう、という手法が取れなくなるわけで、そうすればヘリコプターや輸送機、空からの救援、という位置づけばかりになってくるわけです。

Img_8109 こうした実情が現出するわけなのですけれども、我が国は専守防衛に徹する防衛政策を採ってきたため、結果論ですが外征に繋がる航空輸送能力が特に輸送機の面で限られており、民間インフラを復旧させるに十分な部隊や、救急救命に直結する部隊を輸送できるかが限られているわけです。

Himg_5004 また、洋上からの救援も、ヘリコプターの運用能力を有する艦艇は、対潜戦闘能力の強化という観点からもとより重視されているのですが、輸送艦、という災害派遣に必要な装備面では、やはり輸送艦は同時に外征にももちうる、という、災害時に聞けば言掛りのような視点から蔑ろにされ、今に至る。

Eimg_7436 特に艦艇については、輸送艦が大型化し多分、その数が非常に少なくなってしまいました、おおすみ型輸送艦は三隻のみ、地方隊の輸送艦もすべて除籍されています。おおすみ型はエアクッション揚陸艇の運用能力や全通飛行甲板により航空機運用能力がありますが、数が少ない。

Img_3619 いかに高性能な艦艇であるとしても、同時に二方面へ展開することはできません。東日本大震災では、三隻の輸送艦のうち、一隻は定期整備、一隻が海外派遣中、一隻のみ即応態勢にありました。第七艦隊のドック型揚陸艦の支援により、陸上自衛隊の展開は支援を受けましたが、やはりもう少し必要と考えるところ。

Img_0849_2 ただ、救いとなる面は幾つかあります。一つは本州最狭部とはいえ、天正地震は直下型地震が、連動したことで被害が広域化した、というものですので、交通が分断されたとしても、東側に名古屋市、西側に京都市や大阪市といった大都市があり、備蓄と民間能力の一大集積地となっており、備蓄が枯渇するまで時間はある、というもの。

Img_0885 もう一つは、天正地震の津波被害について、そこまで波高が大きく無かったのではないか、という研究がある事です。天正地震は、どの程度の津波が発生するのか、天正地震の津波被害は東日本大震災後、特に若狭湾沿岸部の原子力施設に対する津波被害の脅威評価から進められました。

Gimg_3747 それによれば、2m程度の被害が想定されているのみで、若狭湾の津波被害は琵琶湖での山岳崩壊に伴う大波被害と液状化被害を混同した可能性がある、という事、伊勢湾沿岸の津波被害については津波そのものの被害よりも地盤沈下による浸水被害の方が大きかったのではないか、というもの。

Img_0383 前者についてはともかく、後者については恐るべきものではないか、という方もいるでしょうが、もともと伊勢湾と大阪湾沿岸部は多島海域であったものが沖積平野として平野部となったわけですので、再度地震に伴う地盤沈下があったとしても、同様の被害は起こりえないかもしれません。

Img_4357 その理由には、沖積平野はその形成に際し、山間部の鉱山開発や耕作地開拓が泥流をおこし、平野部の沖積平野形成に大きな影響をおよぼした、人間の開発という側面があるためで、沿岸部の海抜は干拓事業と、上記理由から相当嵩があがっているためなのですから。

Img_6248 ただし、これは被害をそこまで大きくするものではない、という部分があると同時に、やはり日本海沿岸部と太平洋岸を同時に被害を及ぼす地震が過去に起きており、本州中央部で東西を分断してしまう可能性も同時に内包している、という事実にも、やはり変わりはありません。

Img_6805_1 この点から、我が国は大陸国家ではなく大陸外縁部の島嶼部国家であり、加えて火山性地形により、これは同時に地震が多発することを意味するのですが、地形が峻険、一旦道路網が麻痺すれば復旧に相当の労力を要する地形でもあり、空輸力と海上輸送力の重要性を端的に示すもの、ともいえるかもしれません。

北大路機関:はるな

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中部方面隊創設53周年記念行事・伊丹駐屯地祭2013 PowerShotG-12撮影速報

2013-10-13 23:10:53 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆本日撮影、伊丹駐屯地祭2013

 本日、伊丹駐屯地祭へ行ってまいりました。EOS-7DとEOS-50Dとともに撮影に展開しましたが、取り急ぎG-12での写真を。

Chimg_7876 伊丹駐屯地祭は、本日、0800時の伊丹駅前にはシャトルバス乗り場前にかなり長い列が伸び、諦めて市営バスで伊丹駐屯地へ向かいますと、0900時の開門前にかなり長い列が伸び、ううむ、何処まで行っても行列か、とおもいつ並びますと意外に早く手荷物検査へ到達できました。

Chimg_7911 伊丹駐屯地には中部方面総監部が置かれており、同じく伊丹市に或る千僧駐屯地には第3師団司令部が駐屯、元来は朝鮮戦争における米空軍伊丹基地の拡大と共に駐屯地も集まり、今日では中部日本陸上防衛における一大拠点として育まれています。

Chimg_7921 もともと中部方面総監部は暫定的に宇治市の、現在の大久保駐屯地に置かれていましたが、京阪神地区の防衛には大阪中心部に近い地域への駐屯が必要、という観点から移転し今に至ります。そして伊丹が選ばれましたが、ここは空港の近く、朝一番からどんどんひこうしていました。

Chimg_7940 本日の伊丹市は晴天に恵まれ、絶好の駐屯地祭日和、というところでした。しかし、乾燥しきっていますと逆に車両が巻き起こす砂塵がきになり、カメラが損傷しないよう風向きに注意しつつ撮影地を選ばなければならないなあ、と思いつつ手荷物検査を経て駐屯地へ。

Chimg_7959 撮影位置は、どこにするべきでしょうか。式典会場周辺を歩きます、観閲行進を中心に撮影するならば経路沿いに、訓練展示を中心に撮影するのならば一般に開放されているスタンド席へ、どちらにするか考えた結果、やはり方面隊行事でなければ見れない装備もあるという事で観閲行進重視の撮影位置へ。

Chimg_7965 今年度の伊丹駐屯地祭は訓練展示が行われる、とのこと。一時期、周辺住民への配慮、と言いますか実際には苦情から訓練展示を全く行えなかった時期が続きましたが、近年は、もちろん火砲の空包使用には制限が無いともいえないのですが、訓練展示をおこなえるようになりました。

Chimg_7977 方面隊行事は、隷下の第3師団、第10師団、第13旅団、第14旅団と方面隊直轄部隊から代表の部隊が参加し、観閲行進の規模は師団行事相当、というところでしょうか。もう少し規模を期待したいのですが、伊丹駐屯地の広さに限界があるので仕方ありません。

Chimg_8068 仮に近傍の第3師団司令部が置かれる千僧駐屯地と、ここ伊丹駐屯地との間で、交通規制を引くことが出来、例えば西部方面隊のように市街パレードを行うことが出来たならば、これはこれで大変な注目と観客が集まる、と思うのですが、どうなのでしょうかね。

Chimg_8003 観閲行進は例年通りの装備でした。撮影は、EOS-7DとEOS-50Dに広角ズームと超望遠ズームを装着しつつ、予備としてG-12を三脚上に固定しレリーズにより一眼レフと同時撮影する、という方式で撮影です、2011年の東千歳駐屯地祭で初めて試しましたが、定番の撮影方法として定着しました。

Chimg_8036 G-12に広角部分を担当させますと、ズームレンズで様々な方向を撮影している際にとり逃す事がありませんし、広角ズームのEOS-7Dから超望遠ズームのEOS-50Dへ持ち帰る瞬間に、撮影を継続させておけば、やはりその刹那の撮影機会を逃すこともありません。

Chimg_8051 観閲行進の撮影を完了しますと、そのまま、撮影位置を転換するか少々考えました、前回の撮影の際には直ぐに訓練展示へ展開してしまい、移動の時間が無いように感じたのですが、訓練展示開始といわれつつも開始まで若干の時間がありました、今年もそう信じて、移動をすることに。

Chimg_8093 訓練展示は野戦方式で実施し、装甲化された仮設敵に対し、我が方も軽装甲機動車や戦車と火砲に誘導弾を中心とした部隊を投入、レンジャーや航空部隊支援と共に目標を制圧する、という内容でした。戦車と火砲も発砲、榴弾砲の射程が伊丹駐屯地から大阪城まで達すると放送され、驚きの声が上がる一幕も。

Chimg_8115 訓練展示の陣地転換は見事正解ですが、人が非常に多く、多少撮影の自由度は失われますが、ライブヴューア撮影により片手で上げて勘に頼る撮影法を取らざるを得ませんでした。しかし、角度の面から最初の位置から撮影するよりは良好な位置からの撮影となったように思います。

Chimg_8132 装備品展示は無人機などが今年も展示されましたが、最も注目は広帯域多目的無線機で、背負い式ですが、HF波とVHF波にUHF波のマルチバンド方式も新装備が展示されていました、聞けば先月入ったばかりという事で、操作端末がタッチパネル式であるところが注目でしたが、更に3kgと軽量なのも印象でした。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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榛名防衛備忘録:装甲救急車への遠い道のり 必要性に対し予算と法律の壁

2013-10-12 22:44:40 | 防衛・安全保障

◆第一線救命治療の拠点車両として
 陸上自衛隊へ装甲救急車は必要ではないのか、これに対する回答は、もちろん試験も含めてですが必要だ、欲しい。
Img_3558 その昔、米軍の装甲救急車について調べた際、ストライカー装甲救急車の場合は、装備で医療用コンセントが14カ所あり、心電図や心肺蘇生装置、人工呼吸器に骨折や裂傷等に対する応急処置装備、大量出血時の増血措置が可能な設備が用意されており、車上には大量の医療コンテナに恐らく天幕の資材と思われるものも搭載、応急処置と負傷者を後方の安全な野戦病院まで搬送するための万全の装備が並んでいて、そこまで進んでいるのか、と感心すると共に、陸上自衛隊も82式指揮通信車のように装甲車の後部を嵩上げし、装甲救急車のような装備が必要だろう、と考えたことがあります。
Fimg_5892 対して、陸上自衛隊の1t半救急車は車内を見学してみますと担架だけ、一昔の救急車といったところでしょうか、あとは救急箱を配置しているのみで、迅速に野外手術システムへ搬送することに特化した構造となっていました。装甲車の車体を利用したほうが、1t半では搬送までではなく負傷者を収容に行くのに時間を要するだろうし、何よりも車体が車体ですのでどうしても不整地突破能力が低いのが問題ではないのか、そう考えた次第です、しかし自衛隊の装甲車不足を考えれば致し方ないのでしょうか。
Img_453_1 こうした疑問符ですが、まず日本の場合は医師法の大きな問題があり、法律上救急車両にはそこまで十分な設備を持つことが出来ず、この点を無視しては暗い物の救急車を持て囃すのでは単なるない物ねだりだ、と指摘されました。確かに、これは医官を装甲救急車で分散運用するのか、野外手術システムで集中運用するのか、といういわば、分散か集中か、という命題でもあり、加えて戦闘負傷者は救急車の待機位置まで軽装甲機動車などで搬送する為、切迫的に重要ではない、というように考える事も出来るかもしれません。もっとも、この論点ですと同様に不足する戦闘工兵用装備等の説明が付きませんが。
Ryimg_4691 さて。確かに、自衛隊は必要であれば装甲車両を準備しています、例えば普通科部隊へ装甲車の不足が伝えられ、特に軽装甲機動車のみの装甲化された普通科部隊が多い一方、後方支援連隊には装甲車が配備されているのがその証拠で、後方支援連隊の隷下に或る戦車直接支援中隊には戦車の整備支援を行うために装甲車で随伴する必要性から96式装輪装甲車が配備されています、必要ならば必要なものを必要な部隊へ配備する、つまり選択として必要ならば装甲車が衛生隊に配備されるのでしょう。
Mimg_1594 他方で、実は米軍も自衛隊の野外手術システムへ関心を寄せている、という話を聞きました。米軍は、日本では相模原総合補給処等に軍団規模で用いる野戦病院設備を有しており、その能力では自衛隊の師団衛生隊が装備する野外手術システムなど足元にも及ばない、千床単位の患者を収容することが出来ます、かなり大型の総合病院並みの機能を移動させ展開させるわけですね。それなのに陸上自衛隊の野外手術システム、手術はできるものの規模は地方都市の病院程度であるこの装備に米軍が関心を寄せているのは何故でしょうか。
Gimg_1175 この点について、米軍は野戦病院が軍団規模で準備されているため、逆に言えば兵員あたりの医療拠点が少ない、というものがあり、師団規模、特に陸上自衛隊のように前線から100km以内に手術設備を用意し、しかも必要であれば適宜移動するという装備体系を構築しているという、必要ならば一時間以内に移動を開始できる野戦病院の設備が珍しい、ということでした。確かに、千床以上の病院機能は師団を想定しているものではありません、一個師団で野戦病院に1000名も搬送される重傷者が出る戦場というものは戦線を維持できません。
Nimg_1361 すると、米軍ではどうするのかというと、負傷者は空中搬送で軍団規模の病院に輸送するため、空中搬送への待機時間で負傷者が重篤化しないように装甲救急車の設備が重要になるのだ、とのこと。なるほど、調べてみますと、米軍のイラクでの派遣に際して、負傷者は軍団管区の拠点医療施設へヘリコプターにより空中搬送していました。野外手術システムは延命を目的とした医療を行うためどうしても感染症リスクや治療の限界があるため、設備が整っていた方が術後の感染症リスクが少なく、選択肢としてはこちらの方がいいに決まっている。
Img_0092 しかし、驚いたのは野戦病院の支援に空中搬送中隊が配備され、UH-60多用途ヘリコプター30機が搬送専用に配備されていることでした。UH-60であれば、航続距離も大きく、離陸し現場付近へ展開し、負傷者に対して収容し無給油のまま医療拠点へ展開できます。ただ、この数を考えますと、陸上自衛隊にはとても真似できません。UH-60はもちろん、UH-1でも防衛出動に際し30機の余裕は確保できないためです。もちろん民間のドクターヘリなどは論外で小銃の攪乱射撃に対しても危険が伴うためです。こうした規模の搬送は、方面衛生隊でも難しいでしょう。
Nimg_8475 なるほど米軍方式は難しいことが分かりました、それならばそのまま放置するのではなく、次善策を考えねばなりません。例えば軽装甲機動車でももう少し患者搬送のやりようがあるものを整備し、衛生隊へ配備することは出来ないものでしょうか。助手席部分を倒し、後部扉から単価を搬入できるようにすれば常用一名、緊急時二名、もしくは着席軽傷者四名と衛生隊員一名を輸送可能です。少なくとも、負傷者を第一線で収容し軽装甲機動車により搬送し救急車へ載せ替える現状の手法では、乗り換えの手間があります。
Gimg_2622 この場合の論理の難点は、救急車の配置です。最後まで軽装甲機動車で搬送するには限界がありますからね。現代の陸上戦闘は、広範に展開します。特に普通科連隊を中心とした連隊戦闘団を編成する際には、連隊本部管理中隊の衛生班に加え、連隊へ後方支援連隊衛生隊より救急車小隊が配属されます。しかし、救急拠点まで軽装甲機動車により搬送する現行の方式ではなく、最前線に装甲救急車を随伴させ展開する際には、広い連隊の作戦正面へ僅か数両の装甲救急車が分散してしまう事にもなりかねません。
Nimg_2546 すると、選択肢ですが、やはり既存の米軍のような高規格の装甲救急車を装備し、救急車小隊へ1~2両でも装備することでしょうか。この目的は、後方支援連隊が師団の策源地へ展開する野外手術システムへの搬送前に、トリアージを行う拠点となり得ることを示します。野外手術システムが野戦病院とすれば、装甲救急車は搬送拠点ともなり得る野戦診療所、というところでしょうか。即ち、衛生隊員と医官が、連隊戦闘団で処置できる部分を装甲救急車での第一線医療により対応し、これで不可能な場合には師団策源地へ、後方へ搬送する、というもの。
Gimg_8138 医師法での装甲救急車の問題ですが、実は野外手術システムについても、病院法の問題で野戦病院の設置はこれまで厚生労働省の許可が必要であり、即座に展開し即座に撤収するというものはできませんでしたが、この問題は東日本大震災により特例が認められ、例外の前例が出来ました。実はそれまで、野外手術システムは治療行為を行う教材という法律上の枠組みにあった、と聞きまして、この論法が許されるのであれば、有事の際にも装甲救急車を準備していた場合、特例として用いることが出来るのではないでしょうか。
Nimg_5199 装甲救急車として、一定以上の医療補助能力を付与した装備があれば、例えば巡回診療にも用いることが出来ます。もちろん、装甲車ですので維持費は大きくなることは間違いないのですが、前述の米軍車両は医療コンテナなどを車上に搭載しており、テントの支柱も装備していました。巡回診療は昭和40年代まで山間部の無医村等を中心に衛生隊が実施していたもので、自衛隊史には、この巡回診療は医官を始め能力強化に大きな影響を挙げたと共に、当時一部で行われていた援農とともに、自衛隊に対する理解向上にも大きな効果があったとされています。
Fsimg_7787 自衛隊の巡回診療、既に山村の無医村は多くが過去のものとなり、昭和の時代の民生支援として自衛隊史に残るのみ、と思われていたところ、東日本大震災を契機に日本赤十字社や東海大学の医療チームと共に自衛隊が巡回診療を実施しています。山村の無医村が無くなりつつも、理由が町村合併で山村が市に合併され、依然として自動車で一時間以内に診療所無し、というところはあります。装甲救急車は少なくともエンジン出力が大きいのですから発電能力には十分な余裕があり、不整地突破能力についてはそこら辺の巡回診療車両よりも一枚上手であることは間違いありません。

北大路機関:はるな

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