イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

湧き上がる感情の真実・・子抱き土偶雑感 (2/10 五感と縄文時代 )

2025-03-05 | 第二章「五感と体感」

縄文時代の土偶。日本の考古学は明治時代から始まるが、一般には女神像と言われることが多い。国宝の土偶などほれぼれするものもあるが、例えば巻頭の東京都の子抱き土偶を見ると、まず、この像をご覧になった多くの方は、母の子に対する無条件の愛や子の母に対する無条件の信頼を思い出したりし、深い感動を覚えるのではないだろうか。そして、それが約5000年前、つまり150世代とか200世代くらい引き継がれていることを知ると、さらに感動するかもしれない。

しかし、この像をじっくり見ると、何か変な部分がいくつか見つかる。ある考古学者は、単なる女神像ではなく人間以外の生命体=精霊もかたどっているのではないかと言われていたが、たしかにそういう見方もあるかもしれない。

もともと、神仏の像は人智の及ばぬものとし、偶像崇拝に疑問を投げかける先人も多い。一方、日常の中で信仰を求める場合に像や聖所をまったく否定するのも厳しすぎるという意見もあろう・・。縄文時代の像は土偶の他に岩偶、そして有機物で残らない可能性が高い木偶もあったと思う。そして、昔も像に対する何らかの拒否感も働いた可能性もあり、例えば土偶は長い縄文時代の中で、地域や時代により現れたり、消えたりしている。人間が作る像の難しさを長い歴史の中で感じさせられる。

巻頭の子抱き土偶は、5100年前ごろの像と言われている。同じく5000年前ごろにはユーラシア大陸の西のメソポタミアやエジプトには文字があり、宗教活動が記録され始めている。しかし、日本列島では文字が使われてないため、像に見る角度の図像で物語を伝える方式が当時盛り込まれていたのではないかと私は推定している。そして、それにより何らかのメッセージ(感動)が伝わる。その全体像はまだ研究中であるが、当時のストレートな図像表現と喜怒哀楽の感情の対話にとても興味を覚える。

さて、今日は喜怒哀楽、湧き出す感情について考えてみよう。技術的にはかなり進んでいたのに、何か良く分からない土偶を作る。それは考え方によるが感情表現に重きがあったのかもしれないと思う。日本の文化を振り返ってみると、例えば源氏物語は西暦1000年ごろのものだが、長編小説としては最古に数えられる。万葉集も8世紀くらいに成立したと言われるが、4000以上の和歌が含まれるというのは驚異的である。そして、テレビを見たりすると今でも俳句や和歌は人気がある。

私は心理療法の研究も随分やったが、湧き出す感情というのは、非常に意味がある。巷では政治家同士がつかみ合いの喧嘩になるような動画があったりするが、湧き出す感情をそのまま行動に移せばそうなってしまうのが人間なのだろう。しかし、その感情をじっくりと時間をかけたりし、その時点で最善の解釈をすると思いがけない世界が新たにはじまったりするものだ。自然に触れる中で、ふと湧いた感情をじっくり精査し味わっていくと、とんでもない発見をしたりする。それが俳句であり和歌になることもあれば、ニュートンのリンゴやアルキメデスの風呂だったりすることも。

湧き出す感情は生命体の内部からほとばしるものであり、世にある常識や規範を越えた真実の声かもしれない。耳を澄ませて内部からの声をきく大切さを忘れてはならない。

現在縄文時代のエッセーを連載しています。WebマガジンAMOR「縄文時代のイキイキ生活」。こちら

2/10 五感と縄文時代 

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

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 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

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       森裕行


味覚に潜む愛・・(五感と縄文時代 1/10)

2025-02-20 | 第二章「五感と体感」

何百種類の動植物と日常的に接していた縄文時代。彼らの五感・体感はどうだったのだろうか。素晴らしい蒸し器に使ったと思われる深鉢や、素晴らしいご馳走が並んだと思われる大振りの浅鉢を見ると、どうしても空想の世界に誘われる。

特に私は20年以上U先生の比較宗教学や比較文化論の影響をうけた生き甲斐の心理学を学んでいて、五感に関わる世界にとても興味がある。そんなことで自分の生育史上の五感、喜怒哀楽、真善美についてはいろいろ研究し楽しんでいる。こうした自分自身の研究が縄文時代の解釈と繋がって、例えば縄文人の味覚について何か分かればとも思うが、それはまだまだ未知の世界である。

私だけでないかもしれないが、五感に対する感受性は低くなり、例えば食べられるか食べられないかを判断するときに、賞味期限表示で見て決めたりする。昭和30年台などの古き良き?時代などでは、そんな表示もなければプラスチック包装など無いにひとしかった。眼で見て、臭いを嗅いで、味を確かめて判断した。

さて、巻頭の写真だが伊豆半島の奥石廊に行ったときのもの。伊豆半島は幼いころからよく行ったが、高校生の時、西伊豆を友達と春に旅行したことが思い出深い。旅程は地図を見てえいやと決めたいい加減さもあり、ある日は昼から歩き始め、夕方には着くはずが日がくれてもつかず、とぼとぼと途方に暮れながら歩いた。運よく軽トラと出会い、暖かい好意で目的地まで運んでくれて、本当に助かった。民宿で腹をすかせた友人たちと夕食にありついたときの嬉しさは何とも言えなかったが、味覚の記憶という意味では、翌朝民宿を発つときに頂いた、酸っぱい夏みかんの味が今でも忘れられない。民宿を出た時の夏みかんと青空とのコントラストも素敵だった。

柑橘類といえば、高村幸太郎の「レモン哀歌」を思い出す。この詩は千恵子の最後を看取る時の詩であるが、題名が哀歌とあり表面的には哀しい感情かと思わせるが、決してそういうではなく、むしろ深いところの喜び(慈愛)を歌ったものだと思う。感情は喜怒哀楽と言葉で表されるが、湧きおこる感情をうまくとらえてそれを喜怒哀楽に当てはめることは、結構難しい作業だ。

さて、縄文時代に柑橘類はどうだったのだろうか。橘を思いつくが、南の方の木で伊豆半島にはありそうだが、関東はどうだろうか。もう一つユズがある。縄文時代に自生していたかは定かでないが、耐寒性が橘よりあり関東でも自生し、縄文人も楽しんだかもしれない。そして、ユズを噛んで一句のような愛の詩もあったかもしれない・・・

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1/10 五感と縄文時代 

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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手放しながら知恵をはぐくみ(今ここと縄文時代 10/10)

2025-02-07 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

発達心理学で有名なエリクソンは、61歳~死の成年後期の年齢分類を「知恵」(以下、知恵の年代)と呼んでいた*1。肉体的に衰え次世代に様々なことを引き渡す年代であり、やがて死を迎える年代である。私も70台で確かに、体力的にも記憶力なども衰えていくのを感じる。一般的にはネガティブな年代のように受け取られているが、他の年齢分類と同様に人間として成長していく部分があるようだ。記憶力などは衰えていくが、結晶性知能という経験や学習で積み重ねられた能力は健全で、それ故ポジティブな活躍の場が残されているようなのだ。確かに、周りを見渡しても様々な分野で活躍されている70歳台、80歳台、90歳台・・の方々は少なくない。そして、過去を振り返っても確かな足跡をのこされた方も少なくない。

この知恵の年代になってみると、気が重くなることも多い。知人の病気や訃報の話を聞くことも多くなる。また、時代や価値観も変わり若いころに使った言葉を発しても、若者は反応しない。あれだけ使った言葉が死語になっていたり。例えば正月などが端的だが、正月らしい風習もいつのまにか少なくなり、羽子板や凧あげなどする風景はもうほとんどない。葬式も簡素化されたり、墓じまいなどする話も多い。当たり前だったものが変わる。苦労したのは何だったのかと考え込むこともある。一方人間関係など若いころからの悩みは年をとったからと言って悩むこともあるだろう。そして、この年代特有といってもよいネガティブな感情である絶望感を感じはっとする。

しかしポジティブな面もある。年齢を重ねたことで、宗教や哲学の領域では、初めて納得できる言葉に出会ったりする。かつて、同じようなことを聴いてもこちら側の体制が整わないで理解できなかったことがはじめてわかったりする。そして、知恵の時代。大事な言葉に出会う時は、社会的に一歩退いたり失ったりする、傍から見るとネガティブに見えそうなときと重なる。今まで固執していた何かを手放す。その時に得られる解き放たれた感情。なんで、そんなにこだわっていたのだろうかと自分自身をどこかの高みから俯瞰する自由さ。

思えば、赤子として生まれる時にはもちろん裸で何も持たない。しかも単独で生きる力はなく、回りから与えられて育つ。そして少年少女期を過ごし、青年期を過ごし、成人となり家庭や職場でなどで働き、老いた今を迎える。どうも、これからは、与えられたものを手放して行く時期。もともと自分は何も持っていなかった。大いなるものに与えられて、何かを成したかも、成すこともなかったかもしれないが、時がきて与えられたものを手放すことになる。ただ、今までの経験や学習は無駄にはならず、精神的に防衛機制から外されやすい環境の中で、知恵として活躍出来る統合されやすい状態になる。

そして、そんな知恵を誰かに伝えることが大事であり、昔で言えば、男性なら愛されるご隠居さんになり、様々な人と手を組んで活躍できるのではないだろうか。

こだわりを 手放してみて 月冴ゆる


この歌を作るきっかけとなった正月の縄文活動はWebマガジンAMOR「縄文時代のイキイキ生活」に投稿しました。こちら

*1出所:新版 障害発達心理学 バーバラ M・ニューマン/フィリップR・ニューマン著 福富護約 川島書店

10/10 今ここと縄文時代

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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縄文人の時空感覚と子抱土偶 (9/10 今ここと縄文時代)

2025-01-06 | 第八章「魂と聖霊」

縄文人の生活の場である環状集落や貝塚、ストーンサークルをいろいろ調べていると、縄文人の時間や空間認識の特殊性に気付いてくる。現実の普通の時は我々も縄文人にも等しく物理学でいう時間が流れ、空間も東西南北を中心に正確に位置決めができる。ただ、例えば時は決して体験上同じではなく(空間もそうだが)、ある瞬間に何か質的に異なる流れ方をするようだ。ギリシャ人はクロノスとカイロスとわけたが、私もそうかなと思う。

U先生から15年くらい昔に教えてもらって購入し、当時感動した「脳はいかにして<神>を見るか」(アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ウィンズ・ローズ著 茂木健一郎監訳 PHP研究所 2003)を思い出して取り出した。この本は実に不思議な実験をもとに神秘体験を脳科学的に追っている。空間や時間の感覚がなくなるというようなことをどこかに書いてあったが、まだ再読していないので・・まあ、カイロスについていろいろ分析しているとおもうのだが、もう一度吟味せねばと思う。

さて、縄文人の生活の場をいろいろ考えていると、例えばストーンサークルは場所的に冬至や秋分といった二至二分に関わる景観が見事な地であったりする。また、祭儀に使われるような土器は四方に突起があったりするものも多い。カイロスは時空から離脱しているにもかかわらず、現実のクロノスの時空の中で不思議に特異点に執着する。このあたりの心理は現代人もパワースポットにこだわったりする人が多いが、今も昔もおなじかもしれない。特異な場所でカイロスに出会うというのだろうか。

東洋では、日本も江戸時代までそうだったが五行陰陽説というのだろうか。空間や時間にお同ように、例えば巳をあてたりする。現代人の感覚ではないが、意外にカイロスとクロノスの不思議を生活の中に取り込んでいるのかもしれない。五行陰陽説は古墳時代とかに持ち込まれたと一般には言われているが、日本では仏教導入で政治問題があったが、五行陰陽説という生活に非常に影響力のある方式を取り入れても、そんなことはなかったように思う。ということは縄文時代から同じような感覚が少なくともあったのではと推測してしまう。

先日AMORに「子抱き土偶を俯瞰して観る」という説文を寄稿した。こちら。縄文人の生活の場や、さらに出産などの特別な場で、子抱き土偶の時間はどのように流れたのだろうか。

9/10 今ここと縄文時代

WebマガジンAMOR「縄文時代のイキイキ生活」にも縄文や子抱土偶に関する関連記事があります是非ご覧ください。こちら

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縄文人の個性の美 (8/10 今ここと縄文時代)

2024-12-30 | 第十章「今ここでの恩寵」

この頃「生き甲斐の心理学」の師匠であるU先生の影響か、個性の美についてよく考える。

人生を左右するようなその人の傾向と渇望、人生の方向性は意外に人生のスタート地点の0歳から2歳ごろ(少年少女時代もあるだろうが)に決まってくるのではという学説がある。記憶も定かでないころ。私は一年羽田飛行場の近くに住んでいた。まあ多摩川の河口の近くといえば言える。ただ、物心ついてからは四ツ谷坂町で就職してすぐのころまでそこに住んでいたので、四ツ谷生まれという自己イメージを持っていたが、その後の人生を振り返ってみると、多摩川の支流の大栗川下流域に20年近く、さらに中流域に20年近くとサケのように?しかもゆっくり遡っている。これは、私の源流を求めるような無意識の仕業ではあるまいか。笑ってしまうが、歴史の興味も飛鳥時代から始まり、今は縄文時代・旧石器。将来は20-30万年前のアフリカ(ホモサピエンスの原点)なのだろうか。そんな風に、自分の不思議な傾向と渇望を妄想してしまう。

ところで、個性とは何だろうか。こうした生育史的な要素もあるだろうが、身体的な要素、あるいは時代や空間を越えた生命体のもつ普遍的要素も想定したほうが良いかもしれない(魂?)。そして、統合されたほとばしるようものが個性なのだと思う。さらに思索すると、その個性は本来的には真善美にかなうのではあるまいか。

さて、人の原型の不思議さもあるが、文化にも原型があるように思う。このところ気になっているのは縄文文化の原型。

船橋の飛ノ台史跡公園博物館に12月28日に行ってきた。多摩から都心を通って車で行ったが年末であったが交通渋滞もなく快適だった。そしてそこでの縄文の原型探しの体験はとても刺激的だった。今話題の国史跡・取掛西遺跡や土偶については1月初旬のAMOR誌で触れるので、今回は同じ早期だが時代的には何千年か下がった8000年前頃の飛ノ台史跡公園博物館の庭園に保存されている貝塚から出土した男女の人骨。縄文早期の男女の合葬と考えられている。成年男子とまだ成年に達していないと思われる女性の合葬である。貝塚に埋葬されるということは、我々の感覚からすると、何かゴミ捨て場のようなイメージを持つかもしれないが、私は魂の送り場だと考えている。つまり神聖な場所であり、葬られた二人は村の長老とか祈祷師といった人の祈りとともに手厚く葬られたのだろう。

その男女の名前も関係も当然伝わっていない。そして生前の二人の間にあっただろう物語。そしてそれを送る人々(長老や祈祷師)の物語も当然ながら伝わっていない。しかし、私たちが生をいただいた祖先につながる人々であり、分からないながら手を合わせたくなる。この二人は当然ながら二人が意識しなくても、あるいは周りの人が意識しなくても各々生まれながらの傾向と渇望を持ち、個性を持って生き、きっとその個性の美ゆえに手厚く葬られたのだろう。今回は残念ながら詳細な推定年齢や遺伝子情報からくる関係性、さらにどのような食生活を送ったかなどがわからない。また、村の長老や祈祷師が60歳台だったのかなども。それがより分かれば、縄文時代の個性の美といったものがより浮かび小説も紡げる。

飛ノ台史跡公園博物館は、これだけでなくもっと多様な命の記録を残し(素晴らしい土器をはじめとする遺物など)、それに触れることで縄文時代の個性の美を垣間見せてくれるように思う。

8/10 今ここと縄文時代

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