イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

由木東の大銀杏あたり・・縄文人の行動の軌跡(7/10 縄文世界を感じる時)

2023-02-16 | 第四章「愛とゆるし」

 

もう20年前以上になるが、八王子市に引っ越しし由木東市民センターの近くにそびえていた大銀杏(イチョウ)を初めて見た時は驚いた。樹齢500年という大木は、昔神明社という小さな社の境内にあったという。そして、多摩ニュータウンの造成の関係で神社が引っ越しする際、伐採されそうになったが関係者のご努力で現在のように保存されたとも知った。

この大木の北側が高幡不動方面になるが、斜面を見下ろすと多摩川の支流である大栗川が見える。大栗川は以前は良く氾濫したというが、今はきちっと整備され古い地図の蛇行する大栗川とは大違いだ。きっと縄文人は川の蛇行と蛇を重ねていたと思うが、今ではどうだろうか。南は多摩センター方面(数分やや傾斜を上り、数分歩くと松ケ谷駅)でやはり多摩川の支流の乞田川が流れている。そこにも遺跡があるが、流域が短いためか、大きな遺跡は少ないという。

大銀杏はちょうど丘陵の頂上付近(南斜面)にある。今は住居も多く、東京のベットタウンの一翼を担いできた場所であり、この近くにあったはずの遺跡もすでに改変されてしまっている。この大銀杏のある南斜面はもと大塚日影と呼ばれ、多摩ニュータウンNo.64遺跡(八王子市No.453遺跡)があり、さらに西方向には大塚公園があり、多摩ニュータウンNo.66, 67遺跡がある。

多摩ニュータウン67遺跡は、縄文展などに出品され有名な土器もあり、また公園の一角に復元敷石住居があり、縄文中期後半から後期のはじめ(4300年くらい前)の遺跡としても知られ、見晴らしもよい。

 

さて、私はちょうど隣の由木東市民センターも時々利用させていただいたりしたが、窓から見える大栗川方面の景色は何とも素晴らしく。そして、アースフィーリングというのだろうか。ここに来ると何か落ち着きを取り戻すようで、神社の境内にあった大銀杏には祈りが込められているようだった。

大銀杏と言えば私が高校生の時に校庭の一角にも大銀杏があり、秋になると特有のにおいと一緒に銀杏がたくさん落ちた。その記憶も重なって、特別な聖地のように感じてしまうのかもしれないが。

さて、もう7-8年は経つが、東京の多摩境にある田端環状積石遺構(ストーンサークル)に特別な関心を寄せている。その遺跡では冬至に丹沢の最高峰で神奈備型の蛭ケ岳に太陽が沈むのを縄文人と同じように観察できる。そして、冬至に日没が蛭ケ岳にかかるラインを引いて調べたが。その一つが多摩市の稲荷塚古墳(八角墳でとても有名)であり、さらに大国魂神社もある。さらに、先日は桜ヶ丘一丁目付近の関戸城跡も確認したところである。縄文時代の後晩期だけでなくいろいろな時点の祖先たちが、この現象を知ってその場所にこだわった結果かもしれない。

そして、この64遺跡や67遺跡もそのライン上に近い。丘陵の頂上付近あり、少し登れば見晴らしがよく、蛭ケ岳や富士山も見える場所に到達できるだろう。

このあたりでは大塚日向や大塚日影といった名前がついていて気になった。文字通り考えると、大栗川流域の北側にある南斜面は一般に日当たりがよく生活だけでなく、農業などにも向いているように思う。それでつけた名前なのだろうか。地名は当て字が使われることも多い。ヒは日を表すが、火も同音異語にある。日本神話には日の神も出てくるが、火の神もでてくる。そして、今も蛭ケ岳と肩を並べるようにそびえている富士山。縄文時代も噴火を繰り返し、特に後期中葉から晩期は激しく噴火したようである。こうした時代に火山灰などは日影(北斜面)が日向(南斜面)より少なく、火山の被害も少なかったのではと想像できる。地元の遺跡で火山活動と日向、日影の相関をとって研究された方はいらっしゃるのだろうか。

富士山はフジという言葉が火の山を表すとも聞いたことがあり、ひょっとすると火向、火影を昔の人はイメージされたのではないだろうか。

さて、前置きが随分ながくなったが、この大銀杏の近くに約3700年前くらいの堀之内期の敷石住居址が発掘され、特別な祭儀に使われるような注口土器(土瓶型の土器)も一緒に発掘されている。こうした時代の人々の足跡が残されているのだが、それは何を意味し、その裏の思考や感情はどうだったのだろうか。

私は縄文時代の小説を書いているが、一般論(例えば縄文後晩期は冷涼化が進み人口が減少するなど)も少しは興味があるが、個性を持つ縄文人(遺伝子的には現代人とほとんど変わらないとも言われる)の、思考・感情・行動に深い関心を寄せている。そして調査報告書をそんな眼で読んで妄想をたくましくするのだ。

なぜ、敷石住居の出口がちょうど真西に向いているのだろうか、春分の日の夕日を意識したのか。廃屋になる前のたぶん火を使って住居を焼いたのは弔いのためか産屋につかったためか。丘陵の頂上付近であるので、冬至の祭儀に関係の深い信仰心の強い人の住居だったか。矢じりなどにつかった黒曜石(諏訪方面からか)や意外に多いチャート。チャートは奥多摩の産地の村から仕入れたのか。打製石器も後期にでてくる分銅型は何につかったのだろうか・・・

個人の行動に焦点をあてていると、個人をとりまく文化も気になってくる。両親・家族や環境をとおして個人にしみこんでくる文化は、個人を保護し、ある種の自由さを与えてくれるが、逆に人を束縛し極端な場合は破綻に追い込むこともある。それは今と同じであろう。

 

今、世界を混乱に陥らせているロシア。これも単なる個人の問題というわけでもないようだ。誰かが言っていたが今のロシアを理解するにはドストエフスキーの小説を深く理解せねばならないとか。また、日本の文化の理解には日本という言葉が世界に認められた7ー8世紀の理解が大切とかで。「生き甲斐の心理学」の関係から持統天皇の研究を10年くらい楽しんできた。その時の研究から持統天皇を理解するには歴史学者の書いた本より、持統天皇が編集されたとされる万葉集巻一であった。そして、U先生から学んだ深層心理までをうまく分析できるというロジャースの人格形成論やエリクソンの人格形成論を使い分析した。そこからは意外にも母系的な社会のいったんが垣間見れたように思う。まあ、私の家も母系社会かもしれないが。

縄文時代の次の小説でも、多分スタンスは変わらない。現代あるいは自分の中に今も残る縄文時代からのこころの原型を確認し、あるいは7-8世紀の持統天皇を通し、縄文時代の祖先の姿を探る。

しかし、足跡・行動は何を語るのだろうか。今日は「生き甲斐の心理学」の仲間との勉強会。個人の人生の根の部分の傾向と渇望からくる生き甲斐。日々の五感を通しての知覚からくる短期的?欲求。行動を支える感情の活用。

ちょっと考えすぎかな。考えすぎはあまりよくない。

縄文世界を感じるとき 7/10

------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------

 


漂泊の縄文人・・・ (4/10 縄文世界を感じるとき)

2023-01-07 | 第四章「愛とゆるし」

怒涛のような年末年始であった。3年間のコロナ禍で「忘年会や新年会はダメ」から解放されたためかもしれないが、身体は老年でもこころは永遠の青年といった方々からの大きな影響だった。魅力的なお話の中で出てきた資料や本はたくさんありどんどん宿題がたまっていくようで、それが有難い怒涛だったかもしれない。

その中で考え続けたのは日本人の心とは何かだ・・・日本人論は高度経済成長時代からバブルがはじけるまでよく話題になったようである。①もののあはれ②穢れと禊③恥の文化④甘えの構造⑤わび・さび⑥幽玄・・・。

こうしたことは最近は余り聞かなくなった。それは現代においてこうした日本文化を意識化することは当たり前になったことかもしれない。かつては海外旅行をするときだけ、あるいは海外で生活をするときだけ必要だったかもしれないが、情報社会が進展し国内にも外国の方が沢山来られ、あるいはネット社会の拡大でどんどん変わってきている。

今の縄文ブームは、ひょっとしたらそうしたポスト日本人論の世界の動きかもしれない。縄文時代は一説によれば13,000年前から2800年まえごろまで続く文化であり、かつて教科書で学んだ弥生時代からの時代、あるいは1,300年の日本が正式に歴史に認知された時代と比べ、桁違いに長い文化基盤であるようだ。さらに、この縄文文化の解明がこの50年、特にこの10年くらいで大きく進展をとげたことがあるかもしれない。

縄文時代、その長い安定した時代は、決して楽な世界でもユートピアでもなかった。平均寿命が31歳とかであり、生活環境は当然ながら今より悪かった。あるいは母系社会とか双系社会といわれる社会構造は多分今以上に次世代を残すのに不便を生じたかもしれない。そして、日本独特の自然災害の多さも問題になったことは明白である。そんな困難の中で逆に長い安定した文化となったのは、当然ながら強いアイデンティティというか信仰の世界が広がっていたのだと思う。その直感的かつ感情的世界の把握は恐らく現代の困難に対して大切な情報となると思う。

その世界を解くカギは、写真にあるような入江貝塚で発見された、10年以上非常に厳しい環境の中でもポリオで寝たきりになった人を介護をし続けていたという事実かもしれない。あるいは、よく言われて来たが人を殺傷する兵器をつくらなかった文化だったかもしれない。犯しがたい魂を持つ人間に対する温かい見方。

それは、わび・さび、幽玄、もののあはれに通ずる感性とも関係があると思う。

私は日本の詩人のことを最近よく考える。松尾芭蕉の漂泊の旅。西行の旅。そして持統天皇の旅もあるかもしれない。そして、定型詩の5000句近い詩を集めた万葉集を思う。万葉集の歌の中には縄文時代の話ではと思われる歌も残されており、しみじみとする。

定住ではない遊動。野の中で焚火で守られながらの質素な野宿をする。しっかりした住居といえでも母体をイメージしてしまうようなかつての兎小屋と揶揄された日本の住居。古代の一般の家は平安時代でも竪穴式住居が多かったという。

昨日、そんな定住や遊動のことを考えつつ長野県の縄文遺跡関係のパンフレットを見ていたら、多分気候変動で最悪の時期であった可能性が高い称名寺式土器の時代(4300年くらい前)の住居址の激減の理由がちらっと書かれていた。当時は定住が難しかったのだろう。

多分人口は激減することなく分散化し昔のような遊動をしていたのではと思った。漂泊の縄文人。

縄文時代を定住という視点に縛られず、遊動の要素を考えるとどうも違った世界が見えてくるように思う。これは考古学者U先生の説でもある。変な話であるが、私も考えてみれば15回はいままで引っ越ししている(さすがに野宿はしていないが)。定住の時代でもこんなのである。そして縄文に興味をもってからは定住とはいえ益々外出・旅行が多くなった、

人を大切にしながらもある種の軽みをもつこと。そしてそれを許す風土。定住する縄文人のイメージは違うのではないか、漂泊の縄文人は私たちの中にも根付いているのではないだろうか。

縄文世界を感じるとき 4/10

------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------

 

 

 

 

 


冬至は希望なのだろう・・・(縄文世界を感じるとき 2/10)

2022-12-22 | 第四章「愛とゆるし」

冬至を祝う。この伝統は世界各地に伝承されているようだ。日本や中国などは正月として、イスラム圏やキリスト教圏も当然祝う。太陽の光が弱まり夜が長く長くなる。朝眼が覚めてしばらくすると3時すぎになると夕焼けが東京でもまぶしく感じたりする。また、紅葉も東京でも進み景色は冬に。

特に今年はコロナも3年目となり、政治も信じられないようなロシアの侵攻。さらに、国内の政治も安倍元首相の死と混乱。秋にかけては皆既月食やサッカーなど明るい話題もあったものの、何かと不安感の強い一年であったようだ。

そんな12月。縄文を感じる日々が増えたようだ。知識面では生き甲斐の心理学で長年おつきあいしてきた白鳳時代の持統天皇の研究家でもあった吉野裕子さんの著書を通じて、縄文時代だけでなく日本の文化を五行陰陽説をとおして再認識できたこと。不思議なご縁から縄文土器を実際に制作するチャンスをいただくなど縄文人の五感体感に触れることができた(妄想か?)こと。そんなことで5-6年書かずの縄文小説作成に火がついたことがあげられる。

世の中は現在決して楽観できない状況である。しかし、古代の東洋であったら五行陰陽説。西洋でも占星術をはじめ希望の明かりをともす知恵があるように、希望はパンドラの箱に引っ付いていたようにしっかり残っているようだ。今日はこれから田端遺跡で冬至の最後の太陽を見に出かける。来年が良き年でありますように。

縄文世界を感じるとき 2/10

------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------

 


縄文時代の専門家集団の人間関係と宗教 (10/10 生き甲斐の心理学と縄文)

2022-12-03 | 第四章「愛とゆるし」

日本の浮世絵・工芸や能などの芸術、かつての製造等の技術、漆の技術は世界に認められる分野だが、こうした専門家集団の原型はひょっとしたら縄文時代まで遡るのではと思う。縄文中期の造形美豊かな土器は有名だが縄文後期・晩期のより蓄積された専門家集団の技と思える土器や土偶なども思わず凄いと言ってしまう時も。

こうした専門家集団はどのように育まれてきたのだろうか。そんなことを最近よく考える。これは今の世の中の様々な現象を見ていて気になるところでもある。良きにせよ悪きにせよかつては終身雇用とかで、人間関係は今より濃密で長期にわたっていたように思う。労働者の流動性はいい部分もないことはないが、専門技術という意味でどうなのだろうか。

師が弟子に教える。姑が嫁に教える。まあいろいろあるが、その関係は決して今はやりのサービス思想では成り立たない。マニュアルなしの伝授の世界。人を信頼する知恵と勇気・・それは基本だと思うが、信じてばかりいると突然の失敗など思わぬことも発生する。そこで、疑う知恵と勇気も必要になる。嫌らしいと若い頃は思ったこともあったが、濃密で長期にわたる専門家集団の世界では両方とも必要なのだろう。信頼と疑惑のハーモニー。

そして、その裏にはどのような思想があったのだろうか。多分それは深い精神世界に繋がる。その起源は縄文時代の宗教かもしれない。縄文時代の文化を調べると蛇に関わることが沢山でてくる。これは中国の文化にもあるが、オリエントやエジプトの文化にも共通するもの。異形の生物であるが定期的に脱皮を繰り返し、猛毒を持つこともあり、何かと人を畏れさせる。それは単なる生物の蛇を越え龍といった想像上の何かに姿を変えていく。縄やひもといった祭儀に関係するものも起源は実に古い。

蛇の外に私が注目するのは暦である。正確な暦はどうしても有史時代になるのだろうが、先史時代でも大切にされたことは確実である。古代の科学である五行陰陽説は日本では6世紀、7世紀ごろに整備されたが、それを受け入れるにも素地が必要であり。その素地を考えると、縄文時代に遡る(ひょっとすると旧石器)。

今年の冬至は12月22日。都内唯一ともいわれる田端遺跡は私の家から簡単に行ける。そこでは冬至の夕日が縄文文化人が好んだ三角の神奈備形(鏡餅型?)の蛭ケ岳山頂に落ちる。3500年くらい前から700年くらい続いた祭儀場の跡とも言われる。小さなストーンサークルのようでもあるが、何故か5000年くらい前の大型の石棒なども含まれたりしその目的への想像力を掻き立てられる。

破綻することなく、愛とゆるしの中で脱皮しつつ繰り返させられる何か神聖な存在。それは、日常の専門家集団のこころの裡とも繋がったのだろう。

今年の皆既月食の時も蛇を妄想したが、美しい紅葉のカエデも、ある学者は蛙手が語源ではないかと言われていたような。蛙も縄文土器に沢山現れるが、それも生物を越えた何かに繋がるのだろう。

10/10 生き甲斐の心理学と縄文

------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------

 


白か黒か玉虫色か・・縄文時代の論争から学ぶ (7/10 生き甲斐の心理学と縄文)

2022-11-14 | 第四章「愛とゆるし」

写真は一昨年に行った北海道洞爺湖に近い入江貝塚。縄文時代の実態はまだ謎に包まれているが、縄文後期初頭にポリオに罹ってから10年以上殆ど寝たきり状態だったと思われる女性の人骨が見つかった。通常は西向きに埋葬されているのに、この女性は東向きに埋葬されていたという。それは何を意味していたのだろうか。人の行動にはかならず何等かの意図があると思われるので、通常の大人が行くあの世とは違う世界。一番考えられるのは東なので生まれなおしなのだろうか。

こうした発見や話題は縄文時代にも福祉思想があったのではとか、戦争のない社会だったとか、階層のない社会だったなどの諸説をムードとして押して縄文ブームの一翼を担っているように思う。その真偽は学者の方にお任せするとしても、縄文時代の宗教のあり方を考慮した縄文小説を書く立場からも眼を離せない問題のようだ。

こうした意見の違いはいろいろなところであるようだ。例えば縄文中期からの石棒の問題がある。縄文時代の土偶のように研究が進んでいないこともあり、石棒は何かということでいくつか意見があるようだ。一番人気があり支持されているのは、男性性器を表しているというものだ。これは宗教の本質を考える上でもとても魅力的だ(仏教でもキリスト教でも男女の性は隠喩で深く語られている)。調べるとその論の根拠もいくつかありとても魅力的だ。

しかし、いろいろ調べてみると石棒=蛇も浮かんでくる。民俗学の故吉野裕子さんの「蛇」、「山の神」などを読むと蛇、カグツチ(火の神)という類推が自然に湧いてくる。石棒が焼かれる祭儀もあるようで、それを考えるとカグツチ(蛇)の可能性も浮かびわくわくする。カグツチは丁寧に神話をたどると母を殺し父に殺される悲劇の神であることが分かる。カグツチを信仰する縄文人の真情は如何なるものだったのだろうか。また縄文後期に登場する石剣も八岐大蛇の尻尾が刀という神話のイメージから容易に蛇との近縁性が導き出せる。

そのほか立石に対して、ネリーナウマン氏は「生の緒」で「さえの神」、「天の御柱」について触れられている。魔除け的なものとも解釈できるし、世界軸の象徴とも。世界を見渡した宗教学の世界につながるのだろう。おそらく、石棒の解釈はこうした大きなテーマとも関わり、何かとても楽しい話題になるのではないかと期待している。

さて、今の世の中。縄文時代の平和論争、石棒論争と同じようにいろいろな問題で白黒をはっきりさせようとする人、玉虫色にする人いろいろだ。また、自分自身のことを考えても白黒・玉虫問題は意外に大事なもので、その判断を間違えると人間関係にも大きな影響を与えるとあらためて感じている。

白黒を明確にするのは、生き方そのものに影響を与える場合は絶対に決めなければならないと思う。職業の選択、配偶者の選択、宗教や哲学の選択・・・人生の旅路では時々そういうことがある。しかし、白黒問題は個性とも深く関わり、強烈な周りとの軋轢を生じさせることも多い。我慢して玉虫色も良い結果を生むことも確実にある。このバランスは厳しい社会を生き抜いていく中で自然に身につけてくるものだが、自分の能力を越えた決断の時もあり、祈りの中で決めていくことになるかもしれない。そういうときも邪眼のなかではなく慈眼の中で決めていきたい。

7/10 生き甲斐の心理学と縄文

------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------