イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人身事故で遅れた電車で考える!

2008-09-03 | 第九章「愛」

 昨日は、一か月に一回の腰越での生き甲斐の心理学の勉強会であった。恩師にお会いでき学べるのは、人生の大きな幸せである。

 さて、その腰越へ向かう中で、人身事故による電車の遅れがあった。少し早めに出たこともあり、また、事故からある程度時間が経っていたようで、電車は遅れてはいても、遅刻しないで行けるようであった。

 こんな時に、車内放送がある。「・・・電車到着が遅れたことを、お詫び申し上げます。」。最近は必ず、このようなお詫びが大手の電鉄ではあるようだ。

 腰越に向かう行動をする、私にとって浮かんでくる感情は、こうしたとき、人身事故に遇われた方への悲しみの情が浮かぶわけでもなく、遅れることへの不安、場合により怒りが浮かんでくる。

 これは、心理学者・カールロジャースのパーソナリティ理論の19の命題の中で明らかにされている、人間の情動の発生のメカニズムに則っている。

 従って、電車に乗ってどこかに向かう人たちを沢山載せている電鉄にとっては、あのように謝るのが一般に合理的なのだろう。ただ、マニュアル化され感情も乏しい社内放送には違和感を感じる。しかしこのの文章を、どのような経験を積んだ方が、どのような責任のある方がどのような意思で作られたかは不明である。安易な批判はできない。

 自分もそうだが人は、あることに出会うとき、2-3つの多面的な感情や思考、行動をとることは普通しない(できない)。太古からの生き伸びるための知恵がそうさせているのかもしれない。逃げるときは逃げ、戦うときは戦うように一つに専念するようにできている。

 話は変わるが、先日は、花火が打ち上げられている海岸で、居なくなった我が家の子犬、コナツを探していたが、花火は雑音としてかとらえられなかった。多くの花火を楽しまれている人々と違い、犬を捜索するものにとっては、花火の打ち上げはそんなものになる。

 倫理の問題を考えるとき、人間はどのような存在か、心理学的に考察することも重要な気がする。多数派と少数派の問題でもある。

<倫理2/4>

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