縄文時代の小説とはいうものの、私たちの祖先であるので、今の私たちにも届く感性というものをもっているのだと想像している。日本人のこころの原型的なものというか。残念ながら縄文の文字は残されていないようなので、7-8世紀に編纂され現存している記紀、そして萬葉集がとても大事だ。
私もそうであったが、7-8世紀のことを考えると、登場する歌人や物語が、当時の人の昔、古い物語の影響を受けていることを意外に忘れてしまう。そして、7-8世紀の人にとっての昔話などを研究する人は残念ながら少ない。
しかし、人は一般に未来を見ているというより、過去を見ていることが多い。未来は背中のほうにあると・・・誰かが言っていたようだが、そういう気がする。これは現代の人でも7-8世紀の古代人でも余り変わりがないのではと思う。
さて、そんな中、萬葉集や記紀でも良く出てくる櫛のことについて、今日は朝から思索している。高橋虫麻呂の歌で特に有名だ。
勝鹿の真間娘子詠む歌一首 (今の市川市の話だ)
鶏が鳴く 東の国に いにしへに ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け 直さ麻を 裳もには織り着て 髪だにも 掻きは梳づらず 履をだに 穿かず行けども 錦綾の 中に包つつめる 斎子も 妹にしかめや 望月の 足れる面に 花の如 咲ゑみて立てれば 夏虫の 火に入るが如 水門入りに 船榜ぐ如く 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音おとの 騒く湊の 奥つ城に 妹が臥せる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむが如も 思ほゆるかも(9-1807)
反歌
勝鹿の真間の井見れば立ちならし水汲ましけむ手児名し思ほゆ(9-1808)
以下、日本古典文学全集 萬葉集(2) 小学館の訳(ルビ省略)
(鶏が鳴く)東の国に 古に あった事実と今までも 絶えず言い伝えてきた 葛飾の 真間の手児奈が 麻の服に 青い襟をつけ 純麻を 裳に織って着て
髪さえも 櫛けずらず 沓さえ はかずに歩くが 錦の綾の 中にくるんだ 箱入娘も この娘に及ぼうか 満月のように 豊かな顔で 花のように ほほえんで 立っていると 夏虫が 火に飛び込むように 湊にはいろうと 舟を漕ぐように 寄り集まり 男たちが言い騒ぐ時 何ほども 生きまいものを 何のために わが身を思いつめて 波の音の 騒がしい港の 墓所に あの娘は横たわっているのか 遠い昔に あったでき事だが、ほんの昨日 見たかのように 思えることだ
葛飾の 真間の井を見ると 立ちならして 水を汲んだという 手児奈が偲ばれる
(*立ちならしてとはやすみなく行き来するために道が平らになること。*水を汲む女のイメージには埴輪で水瓶を頭に載せて運ぶ女子像がある)
以上、古典文学全集を参考にして。
手児奈の話は、当時は有名で誰もが知っている話のようであった。外にも赤人などの歌がある。しかし有名な話は時代を経ると、反対に綺麗に歴史から拭われてしまいがちだ。誰でも知っていることは、皆記録しない傾向があるからだ。
さて、手元に土橋悦子氏の縄文の残照(2) 「縄文 Vol.25 99P」があり見ているが、夫が狩り等で外出している間、妻はタブーにより髪をとかないなど特別な呪術をしたらしい。それにより、夫を呪力で助けるというようなものだ。
そして、手児奈は絶世の美女だったようだが、どうやら漁等で夫が亡くなり、そして、手児奈もそれを悔いて入水自殺をしてしまうようなのだ。そうした、当時の有名な伝説に虫麻呂は感動している。
この、髪や櫛に関する当時のこだわりは他にもいろいろあり、日本書紀の中の大津皇子の刑死に殉死したと思われる山辺皇女の髪をなびかせてはだしで大津皇子のところに行ったとする記述(被髪徒跣、奔赴殉焉、見者皆歔欷(髪を振り乱して裸足で走り、殉死した。それを見た者は皆嘆き悲しんだ))も、夫婦の絆を象徴する髪や櫛に関する何かであるようだ。
その外、記紀で有名なクシナダヒメの話や、10000年に近い時間を経て北陸で発見された赤い漆ぬりの櫛。櫛や髪に関わる伝説等は、日本人の確実なこころの原型を表していると思ったりする。恥の文化、汚れと禊、幽玄の美、もののあはれ、・・・その文化の流れは、一万年とか非常に長いのだ。
今回小説を書いているが、最近の欧米の文化に埋もれがちな奥の深い日本の文化をもっと大事にしてもらいたいと思う。自分の心の根を掴むことは健康に生きる上でも大事ではないか。
小説家になってみる 3/10