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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

小学校留年者のつぶやき・・・(暗い解釈は何故よくない 4/10)

2016-05-22 | 第一章「意識と知覚」

 昨晩は満月のおつきさまが綺麗であった。7月31日(日、午後)に新宿で勉強会をするが、テーマを「月」とすることは前回の勉強会で決めたが、満月を見ながら湧きおこることがいろいろあった。

 月に関する記憶の原型は、私の場合は祖母と庭から観た月のようだ。お月見だったかもしれない。そして、小学校低学年のころに亡くなった祖母の記憶と月がどことなく結びついている。祖母は8歳のころに病気で亡くなったが、入院する前に家で祖母を悲しませたことがあった。それが、罪悪感の原型のようになっている。

 中学生になると地学部で天体を観測したりもし、科学的な対象として月を見るようになった。いまよりずっとクールに月を見ていた気がする。青春時代が終わり仕事に追われる日々となると、月について関心を持つことは皆無に近くなる。満月だろうが、三日月だろうが無頓着の日々だったようだ。

 そして、生き甲斐の心理学を学ぶようになると、「月」を意識することの大切さを知るようになる。私たちは地球の他の生命体と同じように自然や月の影響を受けているが、今の社会はそれよりお金の動きとかに関心が集まり月も忘れがちだ。それはそれで仕方がないが、月に象徴される自然のことを忘れると、私はこころの安定性が揺らぐように思う。

 今は太陽暦だが、江戸時代以前は太陰暦(正確には太陰太陽暦)も生活の中で生きていた。15日といえば自ずと満月の日を意味していた生活は、今より豊かだったかもしれない。

 最近は昨晩のように、夜に外出をしているときは必ず月を意識する。そして、月を見るときの感情の動きは刺激的だった。昨晩は十五夜だったので、明るい月を見ることで明るくなったが、疑惑感、罪悪感、停滞感、なども湧いたのだと思う。それが冒頭の勉強会の記述につながるなどしている。

 暗い感情を生き甲斐の心理学の病理論で言うと、心のどこかで描く理想と現実のギャップということになる。しかし、想念はすぐに消えるものもたくさんあるが、一日のうち何回も気になることも時にある。

 気になること・・・この数日は、何か疑惑感・罪悪感に関係することが浮かんでいた。先日、ちょっとした会話で「小学生留年」という言葉が気になったからだ。私は小学校二年生のときにアラスカに一年両親と共に暮らした関係で小学校を一年留年した。

 私が早生まれということもあり、両親も先生も何も無理することもなく一年遅らせたらということになったからだ。今から考えるとその選択は良かったと思うが、小学生のころはともかく、高校、大学くらいになると、黙っていると周りから1952年3月生まれと誤解される。それを否定することもあったが、はっきり言わずそのままになったこともあり、そして時にちょっとした疑惑感や罪悪感を抱くこともあった。

 この、ちょっとした疑惑感・罪悪感ではあるが、これについて考えてみたい。生き甲斐の心理学では「感情の意味をできれば肯定的に考える」ということがよく言われる。エリクソンの理論が頭に入っているので、最近は疑惑感・罪悪感といえば、目的志向性や意志力を意識して事態を解釈しすることを覚えた。また、自己主張や不一致、関係の仕方などのプロセス・スケールも、豊かな解釈をする上で大切だと思う。

 最後に、自分にとって小学校留年はどうだったか。それは、表題にある小学生留年生といったやや暗い解釈もないことはないが、実際はそこには祖父母、両親、先生といった関係者の配慮、、また、アラスカに暮らすという異文化体験もあり実に多様で奥が深い。もちろん、その一年か二年の間に経験した人間関係の豊かさは神秘的ですらある。

 今、生き甲斐の心理学や縄文文化を学んでいるのも、そのときの体験と深く関係しているとも思ってしまう。

 感情の意味を考えるとは、なかなか味のある。

暗い解釈は何故よくない 3/10

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