努力してよかったと思う学びはいくつかあるが、恩師のU先生から勧められた太極拳もその一つである。心の勉強をしていくと自然体の問題がでてくる。恩師が盛んに勧める宮本武蔵の五輪の書や太極拳が何故大切かは始めはよく分からなかったが、私の昔の経験の中に一つ自然体のイメージに重なるものがあり。ああこれかとだんだん分かるようになってきている。
20歳台の頃知人から夏山登山によく誘われた、やがて八ヶ岳や槍ヶ岳に登るようになり、登山で危険な箇所の身のこなしかたを教えてもらったことがある。危険な箇所ではどうしても緊張し、やたらとしがみついてしまう。当然の本能のようなものだが経験者には実に危険に見えたのだろう、実地に肩の力を抜いてしっかり掴みながら身体を自由にすることを学ばせてもらった。そのことが、10年位前だっただろうか生き甲斐の心理学の勉強会合宿の合間に、恩師から自然体の強さを身体で教えて頂き結びついた。
自然体は日常の危機管理にも通じる。この一ヶ月のことを思い出しても、自然体で切り抜けたことというのがいくつかあった。講演中にパソコンの電源が落ちたが臨機応変に対応してなんとかなったり・・。問題が生じた時点で五感で問題を感情を含め把握してから防衛機制で心をガードしつつ対応する。
こころの自然体は、自己否定や他者否定の世界では成り立たないように思う。大いなるものに支えられているという感覚が自他肯定の自然体の基盤を生む。他者否定・自己肯定の傲慢。他者肯定・自己否定の卑屈はこころの緊張を加速し五感での現状把握を間違えとんちんかんな行動に結びついてしまう。
今の時代は、科学技術の発達で都会に住んでいると、食事を始め様々なことが努力しないでもできてしまうが、逆にそれが喜びを奪うところがある。朝ご飯を食べるということ一つにも、私が好きな縄文時代のような苦労もなく記号的にできてしまうので腹は満たされるが心はどうだろうか。
火を付け煮るということも、今ではマッチひとつなくできるが、縄文時代は火を絶やしてしまえば慣れていても数分はかかる労力をもって初めて着火できる時代だ。昔より今は便利で良いという見方は大方のひとの意見かもしれないが、朝食をいただく時の喜びという意味ではひょっとしたら、今より昔のほうが上だったかもしれない。喜びは光と影の関係のように苦労を前提とするところがある。さらに、心のあり方も傲慢や卑屈に傾いたりしていると今ここの本当の感情に触れにくくなっているようにも思える。
今はコロナ禍とかいろいろ過去の経験も未来予測も役にたたない事が多くなっているように感じる。今ここのアンテナを鋭くし、自然体で感じて判断して行動する。今ここを大切にしなければならない時代がいつの間にかやってきているのだろうか。
写真は10年くらい前に奈良の畝傍山の麓で立禅のスタイルをしているところ。今よりスリムだった!
8/10 明るく生きるには
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