光秀の奥様の熙子が逝ってしまわれました。
木村文乃さんは大好きな女優さんなのですが、私はどうもこの熙子が、あまりに良妻賢母なので、彼女と光秀のシーンがちょっと退屈と言うか苦手に感じる事が多かったのです。だけど今回、良妻賢母っぷりが嫌なのではなく、「私は信じています、オメメキラキラ」と言う感じが、今までは苦手に感じていたのだなと分かったのです。たぶんこれは作者様の(無意識の)気持ちの表れでもあったかと思うのです(勝手な推理です。)だって、自由に描ける駒ちゃんを動かす方が楽しいに決まってますからね。
光秀が怪我からの熱で館に運び込まれると、熙子は履物も履かずに京の街を東庵先生の元へ走ります。裸足なので足はボロボロになってしまいます。カメラが熙子の足を映します。
「今日は熙子さんの見せ場って言うわけね。木村文乃を起用しているのに、あまり見せ場が無くて、勿体なかったものね。」と私が言うと、夫が
「今日で熙子さんとはお別れらしい。」と言ったので、そう言えば予告編がそんな感じだったなと思い出しました。
そう思って熙子の足を見ると、私は何か可哀想な気持ちになってしまったのでした。
それは世間の方が、このシーンで感動していたとしたら申し訳ないのですが、全く違う意味でです。
熙子の夫への想いをこのような事でしか表現できないなんてと言う意味だったかもしれません。
彼女は生活の苦しかった越前の時代でも、知恵を絞って家計をやりくりし、夫を支えてきた人です。また夫を戦に送り出し、今彼が誰に仕えているか十分に理解できている賢女だと思うのです。
京の明智邸から東庵の家まで、走って何分ぐらいの場所にあるかは不明ですが、とても15分ぐらいの近所には思えません。
戦国を生きる武将の妻ならば、けっして病の夫を残して自ら走るわけもないし、せめて履物は履いて行きましょうよ。
「その時咄嗟に足袋を履く」、それこそが戦国を生きる女だったのではないかと、私は思ってしまったのでした。
同じように土砂降りの雨の中のお百度参りも・・・・・って、文句ばかり言っていてもと思うので、文句は止めておきます。それに私、ああいう、最終手段は祈るだけというシーンは元々嫌いではないのです。実はそれはかなりリアルな感情だと思うからです。
だからせっかくあれだけの雨を降らすなら、(やっぱりちょっとモヤモヤするけれど)、数えた石をあの灯篭から洗い流してしまうぐらいの演出が欲しかったです。それを彼女が泣きながら、そして光秀の名前を呼びながら拾い直し、キッと鬼のような顔をして、またお百度を再開するのでした・・・・というぐらいな見せ場の中の見せ場を作って欲しかったかもしれません。さらに本音を言えば、ここで駒ちゃんに迎えに行かせては欲しくなかったな。
だけど駒と熙子との会話は良かったです。SZSZD←席を外したら謎のメッセージが・・・?
まあ、猫が歩いたのだと思いますが。
と、それはともかく(消さないのか !?)、駒から質屋の存在を教えてもらった熙子は、その後もそこを利用し助かったと礼を述べました。
「いろいろなものを売ったのですよ。ある時は髪を売ったんです。案外高く売れたのですよ。」
なんだかそれを語った熙子の明るい可愛らしい笑顔に、私はジーンとしたのです。それこそが彼女の誇りだったと思います。
私が明智光秀を支えたのだという誇り。
そしたらですね、紀行でそれが取り上げられていましたね。多くの人の感動ポイントは同じなんだなと思って、違った視点でもしみじみとしたのです。
その黒髪を売った逸話・・・・越前にて生活の苦しい中、順番で回ってくる連歌会の担当になった光秀でしたが、その酒宴の費用に苦労している夫の為に熙子は、その黒髪を売って他の回よりも立派な会を開くことが出来、夫の体面を守ったというもの。
後に、芭蕉さんが門弟の山田又玄の貧しいながら心からのもてなしに、この逸話からの句を詠んで、又玄の妻を讃えたのです。
その熙子の黒髪を売ったという話が人々の心を打ち、そして芭蕉さんの心にも残っていたということなのでしょう。
「月さびよ 明智が妻の 咄しせむ」
ここまで書いたら、思わず感情移入してしまい涙が零れてしまいました。
「熙子さま、やりましたよ!!
100年先の俳人があなた様を讃え、そしてその話を知って、また500年後の私が感動しました。あなた様の頑張りが皆を感動させたのですよ。」と私は彼女の耳元でささやきたくなってしまったのでした。
このドラマの作者様は、こういうエピソードを嫌ったのか、セリフの中の一言で終わってしまったものを、紀行が今回は拾いました。私は寧ろ、その当時は妻の葬儀に行かなかった武士が珍しく葬儀に出たという話も含めて、紀行の方が心に残ってしまったのでした。
おわり。
・・・で、ここで本当に終わっても良いのですが、後ほんの少しだけ続きます。
だんだんと、今までさまざまなものに描かれてきた信長のようになってきた信長ちゃん。
だけどここでの話で、兵の中に一向宗の信徒であるがゆえに弾を込めずに撃つ者がいたという話が出て来て、私は「なるほど」と思いました。力士は力士、レスラーはレスラー同士で戦い、また野球とサッカーは一緒には戦わない。信仰がそこに存在している寺との戦いは、力士とレスラーが闘うようなものなのかも知れません。(実際にはそういうイベントもありましたから、説得力はないかも知れませんが、あれもあまり良い印象は残りませんでした。)
だからと言っても、実際に一向宗ではない人たちを殴る蹴るっていうのは、非常に嫌なシーンだったし、鎧も付けずに敵前に立つというのも、やはりジワジワと何かが狂い始めていたのかも知れません。
京では武士としては破格の待遇を受け(最も高い官位を授かる)、昇り詰めている感じなのに、現実には5年にも及んでまったくうまくいかない事もあって、信長の中で夢と現実の間のギャップが、彼の足元をモヤモヤさせていたのかも知れません(勝手な事を言ってます。)
大和の国の人事に関しても、光秀が進言しても聞き入れませんでした。信長は将棋の駒を動かすように物事を決めますが、光秀が考えるのは「人の気持ち」です。将棋の駒は気持ちを持たないゆえに、信長には分からないのかも知れません。
人が喜ぶ顔を見るのが大好きで、褒められると嬉しくなっちゃう信長ちゃんは、今いずこ ?
私も安土城の天守からぐるりと見まわしてみたかったとぼやきつつ、次週も楽しみです。
HP「本能寺の変まで あと6年」
最終回まであと5回です !! ドキドキ