1月2日に放送された「100分de萩尾望都」をようやく見る事が出来ました。
sf・ファンタジー評論家の小谷真理さん、漫画家のヤマザキマリさん、作家の夢枕獏さん、フランス文学者の中条省平さんのトーク番組ですが、視点鋭く見ごたえが凄くありました。
そんな風に読み解くのかと、目から鱗の部分がたくさんありました。
詳しいレポが書けるわけもない事で(内容が濃いので)、取り上げられた作品に沿って、自分が感じたことや思った事を好き勝手に書いておこうと思います。
まさか、「トーマの心臓」をSFの視点で見るなどと、思いもよらない事でした。だけど言われてみれば、このように透明な少年たちのギムナジウムなど存在しないかもですね。
しかし、その昔憧れたなぁ、ギムナジウムに。あの憧れは、行ってみたいな見てみたいなではなく、自分自身が、それらの少年たちの群れに加わりたかったのだったのだなと思いました。
実際にはない仮想空間の、望都先生が作り出した世界のギムナジウムの少年たちの群れに・・・・。
確かにこの作品は難解だったかもしれませんが、確かあの頃の私たちは、けっこう近い所まで読み込んでいたように思います。あの頃、文学少女が読む萩尾望都と言われていました。ヘルマン・ヘッセもモームも読んでいたので、同列に読んでいた、あの頃。(ちょっと傲慢に聞こえるかしら。)
花の24年組と言う言葉が出てきましたが、彼らが出てきたのは、本当に少女漫画界の革命で、それに気が付かなかった人たちに、その頃はまだ「漫画をまだ読んでいるのか。」のように言われたり見られたりすることがあった過渡期だったのではないでしょうか。
だからこのレベルのものを理解できると思うのは、私たちの少々のプライドだったかもしれません。
だけどやっぱりユーリが上級生に呼び出されたシーンは、こっそり議論していました。あの頃、それはやっぱりかなりのタブーだったのだと思います。直接な表現はなくて、性的被害はあったのか否か。それとも踏み絵のように神を裏切る言葉を、暴力に負けて口にしたのか・・・。
それをはっきりと、ここでは性的被害に遭ったと明言されていて、そしてそれは分かる人には分かる事で、ユーリの物語の結句に救われた人が多くいたとの言葉に、やっぱりまだまだ読みが浅かったなと思い直しました。
舞台にもなっている「半神」。古代の人が読んでも現代の人が読んでも通じる物語と言われていましたが、まさにそうだと思います。
「イグアナの娘」も菅野美穂さん主演でドラマ化されましたね。
両作品ともボロ泣きで、そして大好きな作品です。
私は、身ごもった時に「女の子だったら、ちょっと嫌だな。」と本当は思っていたのです。
だって、私に似た子供が生まれてきたら、怖いなぁと思っていたのですよ。もちろん、実際に生まれたら、大丈夫だったと思います。でも男の子が生まれてホッとしました。
なぜ ?
その答えが、この「イグアナの娘」には描かれていたように思います。
「バルバラ異界」、なんと未読。だからストーリーを知ってしまって、ちょっとだけ複雑な気持ちになりましたが、またこれも難解なんですよね。
実はこの本、「1」は読んで「2」は買って、それがまだ未開封なんです。この作品の冒頭、心が鷲掴みされました。美味しいケーキは食べてしまいたくない、そんな気持ちで未開封・・・・。
だけどラストシーンまで見てしまっては、読みます !!!
↓ 14日までKindle版で無料で読めます。
ラストはやっぱり「ポーの一族」。
なぜエドガーは生まれて来たのかと言うところで、私は自分の子供のころまで記憶が呼び戻され、だから私は「ポーの一族」に憧れ、そして(エドガーじゃなくて)、エドガーに向かい入れられるアランになりたかったのだと思いました。
萩尾先生が語る、昔の教育の現場の話。
ー個性が強くて人と違う、みんなと同じ事が出来ないような子には、大人は何を言ってもいいのだと思っていた。馬鹿だとか他にも諸々。その子たちにはそれに傷つく心もないと思われていた。だけど本当は心があって、傷ついていて・・・・・・。
だから私はエドガーを描いた・・・。ー
そんな事ないよと思われる方は、実は幸いな人です。
この話で、ちょっと友人と盛り上がりました。
また、たまたま病室から電話をかけてきたスノウさん(闘病中の妹です。)と、子供の頃、先生から受けたいじめの話で盛り上がりました。
だけど、世の中に無駄はないですね。
その苦しみが、あのような大傑作を生みだしたのですから。
しばらく録画した番組は消せません。