森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「風林火山」信玄暗殺

2007-11-05 09:02:36 | ドラマ (大河)
 
 「風林火山」の感想は久し振りです。なんだかんだと言って、一度も見逃してはいない大河でした。土曜日に再放送をやってくれるのが、嬉しいですよね。
 
 書かなかったこの一ヶ月にいろいろなことがありましたね。由布姫の最後や勘助の嫁取り物語。・・・・嫁にはならなかったけれど
 それらについては、なにげなく別に書く機会があったらいいなと思っています。

 とは思いながら、実は自分のパソコンは入院中。ルート君の部屋を占拠して書いているので、どうなることか。久し振りと言いながら、今回はメモ程度に書いてみたいと思います。





 寅王丸の再登場。

 せっかく心穏やかに仏門の道にて修行に励んでいたと言うのに、それを諜略の駒に使うなんて、宇佐美も寿桂尼も許せません。これが諜略なんだと言われても、そんなやつらは地獄に落ちろと思うのです。
いや、これが戦国なのだと言われたら、まさしく戦国時代は外道の時代だと思います。

 だからこそ、勘助の怒りが伝わってきます。やったれー、勘助!
えっ、でも桶狭間て・・・・何?

もう、予告編を見て目が点ですよ。驚きました。でも、なんだか笑いがこみ上げてきちゃって、もう何でもやったれー、勘助!ですよ。
よう分かりませんが、見逃せません。


ところで、予告編の頃には声を上げて笑っていた私ですが、その前は涙ぐんでいました。だって萩野は義信を庇って亡くなってしまったのですよ。
「いつも優しかった姫さんにお仕え出来て幸せだった。」と言う萩野。
三条夫人は萩野の誇りだったと思います。その彼女の幸せが萩野の幸せ。三条夫人の幸せは息子を無事に武田の後継者にすることです。萩野の義信を庇う姿に迷いがあるはずがありません。

だけど、なぜ義信は突然、ガーガーとアヒルのように騒がしく無駄なことを言いに来たのでしょう。馬鹿ぷっりのお披露目でしょうか。


 平蔵はこれに懲りてくれれば言いと、思ってしまいますがどうなんでしょうね。



「まだ、いるの。」とルート君。はい、もう帰りますよ。今日は学園祭の振り替えでお休みだって・・・
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見せる力・伝える力<大英博物館>

2007-11-04 01:08:04 | イギリス旅行記

 私はガイドと言うお仕事に対して、こんなに尊敬の思いを込めて凄いと思ったことはありません。<キューガーデン>の記事にも書きましたが、ガイドの彼女がいなかったら、私は見るべきものを見ることが出来なかったのではないかと思うのです。

 

 大英博物館と聞いて、皆さんは何が思いつきますか?

私は敢て何も思いつきませんでした。せいぜいミイラがあるんじゃなかったかなぐらいです。後は見切れないほどの展示物。一日かけても無理なものを、それを1時間強の時間ぐらいで通り過ぎていくわけですから、もう「行った」という記念入場みたいなものと考えていました。

 

 大英博物館の入り口を入ったところに、ロゼッタ・ストーンが飾ってあります。

「ああ、そうだった。そんなものがあったなぁ。」私は人の頭を避けて、シャッターを押しました。

ロゼッタ・ストーン、歴史の教科書のはじめの方に、よく写真で載っていませんでしたか。この石の文字をシャンポリオンが解明したと覚えさせられませんでしたか。それで、その写真の横に落書きなんかしちゃったりして・・

「おお、本物だー♪」

 するとガイドの彼女がロゼッタ・ストーンの説明をしました。もちろん遠い昔に歴史の授業で習ったことです。

忘れてしまった方はこちら→★

 

そして、彼女は続けて、この石が見つかった意義を語ります。もちろんそれも、歴史の授業で学びましたね。この石が見つかったがゆえに、文字が分かり、古代エジプトの歴史の門が開いたという意義。

だけれど、何処が違うのか分かりませんが、彼女の口調からとてつもない説得力と言うものを感じます。とうとうと語る淀みない口調が、それを感じさせるのかもしれません。

子供達にとって嫌いな教科、ナンバー1の社会。覚える事が多いからですが、彼女のように説得力ある講義で聴いたら、嫌いになんかなっていられないのではと思いました。そして何より共鳴したのは、その意義を知ることに意味があるという点でした。

私はもう一度、石の前に滑り込んで字が写る様にシャッターを押しなおしました。

   

 

           

エジプトなんかでは、猫も神様です。ミイラのお部屋には猫のミイラなんてものもあります。猫のミイラは怖くはないですよ。どちらかと言うとユーモラスな顔をしています。だから、なぜだか可哀相な気がしてしまいます。

私は、ミイラたちにカメラは向けると言う事は出来ません。なぜなら、彼らはかって人間だったもので、そして今でも人間だからです。なので、足早に立ち去ろうとしました。ですがこの部屋にある、ガイド曰く大英博物館のアイドル、 ジンジャー君の前で、思わず足は止まります。

彼は、ミイラではなく灼熱の砂漠に埋葬されて、あっという間に乾燥されその体が残されたのです。その色がジンジャー色なので「ジンジャー君」。やはり画像はないのですが、検索したらどこかででてくるかも知れませんよ。

この博物館は写真撮影も自由で、知識のお持ち帰りOKなんですから。でも、やっぱり私には写せません。

ただ、彼の体はまるで胎児のように丸まっています。古代のエジプト人が死者をそういう形にして、埋葬したのだそうです。死を悼む遺族達の優しい気持ちが、何千年の時を経てふっと伝わってくるような気がしました。

 

  

       古代ギリシャのモニュメント。

 

  

    パルテノン神殿の彫刻群

  この部分も、美術とか歴史の教科書で見覚えあるかもしれません。

 

  

  新アッシリア時代のもの(人面有翼の巨大なライオンラマッシュ)

アッシリア宮殿にも長い浮き彫り彫刻群があります。ライオン狩りの様子が描かれていますが、その狩られるライオンがあまりにもリアルで震えます。多くのライオンが描かれていますが、一匹とて同じライオンはいません。もだえ苦しむライオン、血を吐くライオン、倒れる雄ライオンににじり寄り添おうとする雌ライオン。それらの狩られるライオンが痛々しくて、やはり私はカメラを向けられません。

強い王を讃えているらしいのですが、ふと首を傾げてしまいました。これは何かの比喩なのではないだろうか。

歴史のロマンに思いは走ります。

それと同時に、これらの素晴らしいモニュメントや壁画を見ていて、美の進化とは何だろうと思ってしまいます。

    

 < これは、ポートランドの壷です。この壷についてはまた別に書くことがあると思います。>

  

 私はこの短い時間の大英博物館見学で、ガイドの人のとうとうとした語りによる、「これを見よ」という見せる力がなかったら、見るべきものを何も見ることは出来なかったのだと思います。

 ですが、ひとたびそこに目を向けてみると、言葉を持たないそれらのものたちは多くの事を物語り、伝える力を持っていました。言葉など要らない本物の力だったのかもしれません。

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ALWAYS 三丁目の夕日

2007-11-03 16:41:04 | 映画
ALWAYS 三丁目の夕日 - goo 映画


 11月3日の今日、続編を公開するので、昨日テレビでやりましたね。前回の復習にちょうどいいですよね。私も公開日の今日、行く予定でしたが、お誘いした義母の都合が悪いので、来週までお預けです。ああ、早く行きたいな。


 この映画を映画館に見に行った時の事ですが、なぜだか遠慮がちに友人を誘ったことを覚えています。その頃はホラー映画以外の邦画に興味があまりなさそうで、漫画なんてと馬鹿にするような言い方をする彼女に、漫画原作のその作品を誘い辛かったのかもしれません。でも、お返事は二つ返事。笑いながら実は私も見に行きたかったのだと言ったのです。

 原作も、私は大好きです。私がこの漫画と出会えるところは、近所の歯医者さんに掲載されている雑誌がおいてあるのですが、片っ端から読みまくり、歯の治療の恐怖の心を和ませます。

映画館でも涙ハラハラでしたが、昨日も結構ウルウルしてしまいました。でも、こうしてゆっくり見てみると、茶川という人はかなり性格悪い偏屈者だったんだなあと分かりました。だけれど、淳之介との生活が彼を変えていったのですね。


自分ではしがない少年小説を、飯のために書いていると卑屈になっていても、それを読んでいる少年から言わせたら、作者はまさにヒーローですよね。だけどその卑屈なダークヒーローはアイデアに行き詰って、準之助のノートからそのアイデアを拝借してしまうエピソードは、ひどいと思いながらも、淳之介の「嬉しい」と言う気持ちが痛いほど分かって、涙があふれました。




次から次へとエピソードが、さりげない日常の風景に溶けていってうまく繋いでありましたね。
懐かしいのは風景や人の暮らしぶりだけではなく、さまざまなエピソードが自分の過去の思い出にかぶってくるものがあるからではないでしょうか。

街頭テレビは知りません。でも、「空手チョップ」は知っていますよ。毎日氷の配達があったのを覚えていますよ。サンタクロースも信じてはいませんでした。でも、それでもやさしい思い出を持っています。
母が話してくれた話には
「私のおじいちゃんが若かった頃・・」と言う具体的な出だしで、狸が人を化かした体験談があります。それを畳に寝転がり頬杖付いて聞いている、そんな自分が思い出されてくるのです。


ほろりとしながらも、なんとなく元気が出てくる映画だったと思います。
と言うわけで、復習は終わりです。繰り返しですが、
ああ、早く続編を見に行きたいなぁ。

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見せる力、伝える力<キュー・ガーデン>

2007-11-02 11:55:48 | イギリス旅行記

 私が参加したのは、団体のパックツアーです。なぜ、そのツアーに参加したのかは、また追々話す機会があると思いますが、そのようなツアーでは、ゆっくりと端から端までは見ることは出来ないのはわかっていました。

 

 このツアーは夏までは、個人のおうちのオープンガーデンを見せる企画になっていましたが、9月からはその代わりに「キューガーデン」と言う植物園に行きます。

 

今、まあ、残念ね、と思いませんでしたか。

本場のオープンガーデンを、興味のある方なら見たいと思うでしょう。私も見たかったです。なんだ、植物園か、と思っていましたよ。一ヶ月は先の気候のイギリスなら、もう季節は晩秋です。花もないので、仕方がないことなんだとも思いました。

ここで、もし個人でここに来ていたら、もっとゆっくり回れたかもしれませんが、近くに大きな公園があるところに住んでいるので、そことなんら変わらないと勘違いして帰ってしまったように思いました。

 

 でも、そこにガイド登場です。

 この「キューガーデン」は、植物園でありながら世界遺産なのです。なぜか。それにはそれなりの理由があるのです。このキューガーデンは植物園と言っても、実は植物研究所。世界中のありとあらゆる植物がここに集結しているのです。それは、絶滅寸前のものも、見たこともないようなありとあらゆるもので、見るべき人が見たら、涙を流しながらその地に立つと言うのです。

 この季節、やはり花が咲き乱れているというわけではありません。紅葉の植物園を歩くと言う感じですが、ガイドの方の話を聞いてからこの地に立ってみると、見方が違ってしまいます。

例えばススキ。

      

 

                

 

  

 

            

 

 こんなものではありませんよ。ススキに興味を持ったらそれだけで何時間も費やしてしまいそうです。

これは熱川のバナナワニ園にもありますが、一応。

               

 

 

  

  

 

 

                  

 

  

 

 王立植物園キューガーデンにては、なぜそこが世界遺産になったのか、その意味を知るところに見るべきところがあると思いました。

御参考に→☆


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その日はいつかやってくる

2007-11-01 00:12:37 | イギリス旅行記
 また復活いたします。皆様、またよろしくお願い致します。
 私にとっては初めての、9日間と言うバケーションに出かけていました。
 この「森の中の一本の木」は、テーマ絞らず心の中にあるものを書き綴っていますので、何やかやと話したいことが絶えません。もともとおしゃべりですし。でも、どこかでしっかり絞めないと、準備と後片付けが半端になりそうでしたので、しばらくお休みと言う形をとらせていただきました。
 その間の皆様の毎日はいかがでしたか。


 ところで、タイトルの「その日はいつかやってくる」と言う言葉は、採りようによっては少し怖い言葉ですが、その意味合いも全面否定するものではありません。
生きとし生きるものに架せられた逃れることの出来ない約束。生まれてからその約束の日までが、私という人生のページなのです。そのページに何が書き込まれていくのか、本当に千差万別、この世の人の数だけそのストーリーはあるわけです。

 若いときに会社の旅行で香港に行きましたが、それ以来海外旅行には縁のない私でした。その経験も楽しいものでしたが、私的にはオマケ。海外に行くのに、その最初の行き先をイギリスにしようと言うのは、まずは相手を見つけるのにも大変なものがありました。なぜなら、そうしょっちゅう行けるわけではないのに、なぜイギリスなんだと、妹からもブーイングです。親切な姉は、この先もう少し経ったら行ってくれたとは思いますが、でも、彼女の興味もどちらかと言うと、中国の桂林あたりなのを、私は知っています。

 前に少しだけ行った(役にも立たなかった)英会話教室で出来たお友達達と、ある日異常に盛り上がり、翌年あたりに行こうかという話が起きた時があります。ですがまだその時は、三泊四日で行って帰って来れるという訳ではありませんので、仕事の事や子供のことにもかなり不安があり、心の中では私はきっと無理だなあと思いながらも、話の腰も折ることもないので、一緒に盛り上がっていました。
彼女達はイタリアに何年、スペインに何年と言う海外経験の長いベテランばかりです。そのうちの誰かが、ロンドンに着いたら、車をレンタルしてみんなで交代で運転して回ろうと言うことを言い出しました。私が車を運転できないことを伝えると、
「仕方がないから、あなたは乗せてヤルわ。」と言いました。たわいのない言葉です。悪意もきっとないのでしょう。でも、ダメです。私は、仕事の事も子供の事もきちんと対応して行けるかなと思っても、彼女達と行くことはあり得ない事だと思いました。

そして長い旅行に行くのは、いろいろな意味で大変なことなのだと、心の中で思いました。

英会話はその後、時間的に通いきれなくなって止めてしまいましたが、(先生が好きでしたのでちょっと残念)、じゃあ残ったメンバーで行ったかというと、そんな話はついに耳には入ってきませんでした。


 でも、私は幸いな事に共に行く良きお仲間に恵まれて、楽しく9日間を過ごすことが出来ました。 


最終日近く、私は夜のロンドンの地下鉄の通路を歩いていました。その時、ふと不思議な感覚が込み上げてきました。

―私は、今、ロンドンを歩いている・・・―

私が参加したのは33名の団体ツアーです。郊外ではそうでもありませんが、ロンドンの街中をその人数でまとまっていると、なんとなくちょっと恥ずかしいような気もしてしまいます。でも、その時は最初から少人数で出掛け、しかもその時は前後にお仲間も別れて、私は一人。まるで、横浜の街を一人で歩いているような感じです。すれ違う人も日常の生活を送っている人ばかりです。日常の中の非日常の私。徐々にその日常の中に解けていくような錯覚が押し寄せてきます。

その時感じた
―私は、今、ロンドンを歩いている・・・―という奇妙な感覚。


いつか行きたいと思っていたイギリス。でも、私にとってはその「いつか」は永遠に来ない「いつか」だと思っていました。海外をとても身近に暮らしている方もたくさんいることと思いますが、私には海の向こうに出掛けていく事は、今年まではとても難しいことでした。子供が小学生の頃は論外、何が起きるかわからない思春期の子供も置いて出掛けても心配で楽しめません。だけれど、子供達は成長して、もう私を縛っているものは何もないのです。
季節が巡れば暑かった夏が秋に変わっていくように、いつかその日はやってくるのです。
 
 
 最終日は終日飛行機の中ですので、その前日の朝、私は一緒に行ったお友達三人と、ホテルの周辺を散歩していました。

誰もいない朝の街の中で、写真など撮っていましたらごみ収集車の人たちが手を振ってくれたりしました。彼らにとって、東洋人が自分達の町を写真にとっている姿は、非日常な出来事なのかも知れません。

 

 テムズ川のほとりを歩いていると、一人の老人がイカツイ顔をして、パンやら缶詰やらの買い物の荷物を抱えて猫背気味で歩いて来ました。
川面がきらりとひかり、風がそよりと吹いていました。
私は、彼に
「Good morning !」
と、声をかけました。

その老人は驚いた顔をして、私をじっと見つめ、そして前を向いて行ってしまいました。まあ、調子に乗ってしまったかしらと思っていたら、私の後ろを歩いていた友人が
「じい様、笑っていたね。」と言うのです。
「エッ、笑っていた?」
「うん、クックックってね。」


その時見上げたロンドンの空は、真っ青でした。
そして、また私は感じたのです。

―私は、今、ロンドンを歩いている。―  と。
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相棒「陣川警部補の災難」

2007-11-01 00:11:11 | ドラマ(相棒)

 特命課第三の男、陣川。

 この陣川って最後に美也子が花の里で
「顔はイケメンなのにちょっと残念な人・・」と言ったのが、ぴったりな人です。でも、あまりにも純で一生懸命、それゆえにちょっとずれた感覚と言うのが堪りませんね。

 ああ、この場合は「嫌になる」の「たまらない」ではなく、「たまらない魅力」の「たまらない」です。

だって最初、あんまりおかしくて、家族で「アハハ」と笑ってみていましたよ。なんかそのずれた感覚が可笑しいのですよ。

瀬口と言う男が階段から落ちて死にますが、彼を突き落とした疑いを掛けられて、身柄を拘束されてしまう陣川。

大事なところで黙秘する陣川。いかにも何かありそうですが、右京さんと薫の捜査で、無事解決します。人気女性ファンドマネージャーの咲江にストーカー被害の相談を受けていて、黙っていてと言われていたから黙秘してしまったのです。

 

そのストーカーと思われている瀬口を追いかけて、振り払われ、階段の所に来てみたら落ちて死んでいたのです。

なーんだ、事故じゃない。

変なところで黙秘するから、話がややこしくなってしまったと言う感じです。というわけで、右京たちの捜査のお陰で事件は15分で解決。チャンチャン。

「オワリー!」と子供が言いましたが、そんなわけはありませんね。

 

(得意の)詳しいあらすじはこちら→☆

ところで、HPのストーリーの所、今までは放映されたとたんに詳しくなるじゃないですか。それなのに一話目がいつまで経っても詳しくならないので、今回は方針変えたのかと焦りました。方針変えられたら、感想記事だけって訳には行かなくなってしまいますよね。でも今日見たら、詳しくなっていたので安心しました。

 

今回は動機も殺害方法もそんなにはひねりはありませんでした。ただ、アリバイ崩しの引っ掛けは、なるほどナァと思いましたが、右京さんが言うとおり「気が付かなかった」と言われたら、お終いなわけで、かなり危険な賭けに出たと言えるかもしれませんが、ただ右京さんは咲江の性格を読んだと言えるのかも知れませんね。咲江は最後の意地と言いましたが、プロとしてのプライドを右京さんは信じたのかも知れません。

 

角田課長も、トリオ・ザ・捜一も、陣川には振り回されていると言った感じですが、私的には、彼が自分の名札を特命課にそっとかけているところが胸キュンでしたよ。

 

最後に酔っ払った陣川が右京さんに

「良くやっている。」と褒めていたのには笑えましたね。

 

今回のショートドラマは、携帯はOFF がテーマ。なんだかオマケが楽しいと言う感じです。

 

 


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