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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「千変万化」

2021-01-08 02:06:00 | 梢は歌う(日記)

ほんの少しでも迷いを生じたら、それは勘など頼りにして人に教えない。

当然の事だと思う。

バイト先で、中学2年生が漢検を受けると言うので、その勉強の手助けをしようと

「練習したら来てください。チェックテストをしてあげるから。」と言うと、四字熟語が全く読めなくて練習にならないと言う。

それで読むところからサポートすることにしたのだが、

「千変万化」と言う言葉が出て来て、思わずさっらさらと読んで先に進みそうになったけれど、ちょっと待てよと思いとどまり、「ちょっとこれは、確認してから教えるね。」と言った。

スマホでチェックしてみると、「せんぺんばんか」と出て来た。

危なかった。「ぺん」と読むなどと思いもよらなかったからだ。「べん」とも読むとは書いてあったけれど、「・・・とも読む」みたいな方より、ちゃんとした方で覚えておきたい。

 

いまだかって、自分の人生で1度も使った事はもちろんなく、出会っていなかった言葉がテキストには出てくる。時には中二程度の知識だからとは侮れないものもある。

もちろんそれは、世の常識と言うもので図ってない話である。

意味は『局面や状況などがさまざまに変化してきわまることがないこと。▽「千」「万」は数量の多いことを表す。「変化」が千も万も起こるという意味。』

 

思わず「まるで今の世の中、そのものですね。」と言うと、少年はうんうんと深く頷いた。

☆     ☆    ☆

7日。

緊急事態宣言が再発令が決定した。期間は8日から来月2月7日まで。

それに伴って、バイト時間が変更になった。

昨日はいつも通り10時近くに夜道を歩いていたわけだけれど、明日からは午後8時過ぎに、こんな風に誰もいない夜道になってしまうのかと思った。

「学校は、けっして安全な場所には思えない。それなのになぜ一時的にも止めないんだろう。」と夫に言うと、

「働く医療従事者のお母さんたちが困るからだろ。」と、彼は冷めた口調で言った。

それが正解とは言えないけれど、「はぁ、なるほど。」と、すこぶる納得してしまった。

もしそうならば、国という大きなお団子は、この一年、ただころりころりと転がってただけなのかい。

「時間変更大丈夫ですか。」と雇い主様に、帰りがけに言われて

「全然平気ですよ~。」と言ったのに、暗い夜道を歩きながら、なんだか胸の奥が締め付けられるような気持ちになり

「苦しい、寂しい、苦しい、寂しい」と、心が悲鳴をあげだした。

 

☆     ☆     ☆

その日の朝、友人に誘われて公園に散歩に行った。

木蓮や梅の花につぼみが付いていて、気の早いものは一輪二輪の花を、私たちに見せてくれていた。

「ほら、もうすぐ春がやってくるわ。」と私は言い、そして

「何か一つ奪われたら、また何か一つ楽しいことを見つけて生きて行けばいいのよ。」と、笑いあった。

そう。私は強がりを言うのは得意なんだ。

 

               ☆      ☆     ☆

苦しくなった胸を押さえながら、夜道を歩く私。

ふと見上げたら、星が煌めいていた。

そうだ、こんな時は遠くを見るのが良いんだ。

変わらないものを見るんだ。

そうすれば今の時間なんか一瞬だって思えるものね。

やっぱり私は強がって、笑って生きていくんだ、明日からも。

 

ああ、そうだ。

変わらないもの。

それって

「恒久不変」っていうのだよね。

 

 

 

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相棒19 元日スペシャル11話「オマエニツミハ」

2021-01-07 15:57:33 | ドラマ(相棒)

期間限定、ドラマブログやってまーす・・・のような雰囲気。

でも「相棒」の感想は、毎度おなじみと言うところですね。だいぶ遅れましたが。

 

で、新年早々、ちょっとBlack kiriy な事を言ってしまいますと、何で犯人は余計な事をするのかしら。余計な事をするから、当初の目標を果たせなかったじゃないのよねぇ。

右京と対峙したからと言っても、何も彼は救われてないし、何も彼の中で決着したものもないのではないかしら。ただ失敗しただけじゃないのかな~?

更に言うと、あのクズ青年も、何か反省できたというのかしら。逮捕されて罪を問われると思うけれど(オレオレ詐欺の首謀者として)、それだけなんじゃないのかしら。

もちろんドラマの良心と言うものを考えると、復讐を果たさせないという方向で良かったのかも知れないけれど、二人は復讐を果たし、そしてその犯人のうちの一人は既に自殺してしまったわけで、なんか、私はモヤモヤしました。

 

復讐を果たしても、そこには虚しさだけが残るだけ。瀬川は「何もかもが虚しい。」と言って死んでいったし、右京はやはり復讐を果たした女性に、その事を尋ねます。

だけど私は、テレビ前でつい独り言を言ってしまいました。

ー 彼らは満たされたくてやったんじゃないわ。

と。すると、すかさず仁江浜が言いました。(本名は忘れました。)

「そんな事は分かっている。」と。

 

ラストの「こでまり」での年が明けてしまうシーンは、なんか例年の元日スペシャルっぽくて良かったような気がします。だけどその事件の核心のクライマックスシーンだけは、私の中では、いつになく萎んでしまって、90%の満足と言う感じの「相棒」だったかもしれません。

もう一回ぐらい爆発させても良かったんじゃないかしら。あっ、やっぱりブラック ?

 

だけどそうは言っても、岸谷五朗さんの「ここが、ここが、ここが」というシーンは良かったですね。胸が痛くなりました。思わず「分かるよ。」って言いたくなってしまいました。

それにいろいろなシーンが面白かったですね。

仁江浜光男は「オマエニツミハ」のアナグラムだったとは。

小出茉莉とのネクタイの買い物中を青木に目撃され、翌日には署内中で噂になり、あっという間に「2回目の結婚」とまで言われるようになってしまったところなども。

「人の噂も75日」に冠城が「結構長いですね。」と言いましたが、私もちょっとそう思いました。海外では、9日だとか。

「A wonder lasts but nine days.」(驚くべきことも9日しか続かない)となるのらしい。

短い !!

右京の再婚の噂は、たぶん9日辺りで消えていきそうですね。

 

だけどこれ、関係のない人の記憶は、長くても75日で消えていくかも知れないけれど、ずっとずっと消える事の無い憎しみの記憶で苦しんでいる人たちの事を、対比して描いていたのかも知れないと思いました。

それに、人は咄嗟に「右か左か」という選択をしなくてはならない時があるかもしれませんが、私はこれがけっこう怖くて、出来るだけ、そういう選択の無い人生を送りたいと思っているのです。

右京はその日、二回もその選択をしなくてはならなかったのですよね。ひとつは事件現場に即向かうか怪しげな少年たちの行動に介入か。二つ目はどちらの少年を優先して助けるか。

二つ目の選択は、顔に「クズ」「正しい人」と書いてないわけですから、仕方がない事だと思うのです。でもひとつめの選択はどうだったのか ?

 

だけど時計は逆回転せず、前に進んでいくしかないのですよね。復讐の想いに囚われてしまった人たちも、復讐しても満たされず、本当に満たされるのはやはり人生の時計を逆回転させて、クズたちに出会う前に戻るしかないのだと思います。だからやっぱり苦しい苦しいと言いながら、前に進んで欲しいと思うばかりです。

と、見えない誰かに思わず語り掛けてしまう・・・・・。

 

新年早々にはやはり、ビル封鎖とかトレイン爆破とか、何かそういう派手で、人間ドラマも暖かい感じのやつが、私的には好みかも。

またはしみじみと犯人当てとか、トリック当てとかしたいかも。

シリアルキラーの話とかも好きだけれどね・・・・

だんだん言いたい放題になって来たので、終了です(^_^;)

 

 

 

 

 

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「岸辺露伴は動かない」を見ました。

2021-01-06 10:38:45 | テレビ・ラジオ

次の感想は、年末に放送された「岸辺露伴は動けない」です。またもお正月に夫のお昼寝タイムに1話と2話を見ました。どれだけ彼のお昼寝は長いのかってところですが、その時録画リストを見て

「あっ、しまった。『4』がない.録画失敗した?」と思ってしまいました。近頃、「宇宙戦争」でも4つ録画して、まだ見ていない「モース」も前話も含めて4つ録画したのです。4と言う数字に囚われてしまったようです。

3夜連続なんだから、「3」までで良いのに決まりじゃないですかねぇ。

新年早々危ないぞ、私 !!!

だけどそう感じるほど面白かったのですよ。

あと1話しかないと思ったら、惜しいような気がして、お昼寝タイムのスキを狙わず、彼がお仕事に行った5日の朝に見ました。

最近は、大好きだったジョジョシリーズも読んでいないし、なんかこれを見て、また彼の作品に戻ってみようかなと思いました。とりあえずは、これの原作は読む予定 !

ひとつの楽しい事に出会うと、次の楽しい事への予定に繋がっていくのが、また楽しいと言えますね♡

 

『1話ー富豪村』

杜王町のジョジョワールド・・・・・とは言えないかも知れませんが、岸辺露伴の奇妙な世界の雰囲気が伝わって来て、凄く良かったと思います。

スケールが大きいのか小さいのか分からなくなるという、そこから混乱している世界観が杜王町で、露伴はそこの住人だから、いっけん規格外のようなクールな人に見えるけれど、意外と常識のある人なんですよね。←既にこの文も混乱しているな。(心の声)

ちゃんと読者の事を考えていて、読者に危険を及ぼすような話はネタにしないというのも良かったし、最後に留置所にいる空き巣に、漫画の差し入れをするのも露伴の優しさを感じられる一面でした。

紅茶のマナーのシーン、なんだか漫画で見たくなった理由はそこにあったかも。凄く小さい迷うシーンを、荒木先生は凄く丁寧に描くじゃないですか。見開かれた目とか震える指とか、汗とか、どのように描かれているのかと確かめたくなりました。

案内人の段階で、あのように濃密。

富豪村の住人たちは、いったいどのように勝ち残ったのか、どんな人なのか、本当は気になるし、ラスボスも気になるし・・・・・。

だけどそこを求めてはいけないのが、杜王町のルールなのね。

 

と言うわけで、

『2話ーくしゃがら』

あー、やばい !!

「くしゃがら、くしゃがら」って私がなってしまいそう。なんたって暗示に弱いものだから。

そう思ったら、最後に「視聴者の安全の為に言葉は変えてあります。」という但し書きが出て、私は思わず、乾いた笑いを・・・ははははは

メチャクチャ面白かったですね、これ。

志士十五先生の森山 未來も凄く良かったです。

岸辺露伴(高橋一生)泉京香(飯富まりえ)、そして志士十五先生(森山 未來)のメンバーで、また違うお話を是非みたいなと思ってしまいました。

この「くしゃがら」は「岸辺露伴は叫ばない」という短編小説集に収録されている作品らしいですね。

 

「3話ーD・N・A」

1話目からちょっとずつ出ていた、京香が押しかけ恋人をやっている平井太郎(中村倫也)の物語。瞳はオッドアイで、言葉を逆さにしかしゃべる事が出来なくて、やたらどこでも潜ってしまう娘を持っていたら、そりゃ母親はメチャクチャ心配だと思います。

だけど彼女の「本」を読んだ、露伴は普通の子供だとつまらなそうに言うのでした。

ここ、さりげない所だけれど、意外と心に残りました。母親が心配になるほどの個性の持ち主でも、その心配は、子供の成長と共に無くなっていくのかも知れない、ささいなことなんですよね、きっと。

三冊の「本」が皆手を差し伸べ合って、そして繋がっていく飛び出す絵本になっていたのは、ファンタジーだなとホンワカとしました。子役の少女も可愛らしかったですね。

しかし、京香の「本」はファッショう雑誌風でしかも薄っぺらくて・・・・思わず、そっちに目が行ってしまいました(笑)

 

凄く楽しかった「岸辺露伴は動かない」。

「シーズン2」を是非やって貰いたいと、切に望みます !!!

 

《オマケ》

私って影響されやすい人(暗示にもかかりやすいけれど)。

昨日は仕事始めで、子供がうっかりミスの言い訳をなんじゃらかんじゃら・・・

「そうだろうなぁ !!」と私。←露伴風

「ああ、私、朝見たドラマの影響で、今日は言葉が荒いです。」

と言って、子供と二人で笑い合いました。

 

 

 

 

 

・・・・

 

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英国ドラマ「宇宙戦争」

2021-01-05 22:29:00 | 海外ドラマ

ちょっと更新多めに書いて行こうと思っています。じゃないと、年末も年始も終わらない感じがして(^_^;)

ひとつ前の「韓国ドラマ「復讐の女神」」もよろしくお願いいたします。

 

次の感想は、英国ドラマの「宇宙戦争」です。

年末にやっていたもので、その録画をお正月に夫のお昼寝タイムのスキを狙って見ました(笑)

12億投入したとwowowの番組紹介に書いてありましたが、全体的に地味で暗いお話でした。

この作品の映画は1953年、2005年に作成されたものがありますが、その1953年に作成されたものを、子供の時にテレビで家族と一緒に見た記憶があまりに楽しくて、「宇宙戦争」はすべて大好きになるという呪縛があるのです。

二つの映画も共にwowowで放送されたので、録画しました。まだ先の楽しみになっています。

ドラマ版のこの「宇宙戦争」の舞台は20世紀初頭のイギリスで、敵は火星人です。人間関係などの物語とその後の物語の展開はオリジナルと言えますが、ポッドの落下やそれに近づく人々など、原作の流れを感じさせるものがあったと思います。

このお話は「宇宙戦争」とタイトルは大きくとも、逃げ惑う普通の人々がメインなので、様々な描き方があると思えるのです。全四話。このドラマはSF的にはちょっと地味で好きか否かが分かれるかもしれないと思いました。

ただ主人公の男性が、世界中を植民地化しようとしたイギリスを宇宙人を置き換えて、自らの罪を思うところなど、ドラマゆえの深さがありました。

 

H・Gウエルズ原作「宇宙戦争」自体が古典なので、最大のネタバレの部分を気にせずに書かせていただくと、・・・・(あっ、でも、今まで興味が無くて知らなかったけれど、見てみようかなと思われる方は、以下は重要なネタバレしていますのでお気を付けください。)

 

この原作の物語の最大のどんでん返しは火星人たちの自滅なんですよね。地球の在来菌の免疫がなかったのです。ある物語ではそれが「はしか」になっていましたよね。このドラマでは「チフス」。

どんなに持っている武器の最大のものを投入しても、全く歯が立たなくて、死を覚悟した人類の前で、彼らは勝手に死んでいくのです。

子供の時、その結末は凄く衝撃的に感じました。そして凄く嬉しかったのです。やはり人類は地球自信に愛されているのではないかと思われたからかも知れません。

だけど未知なるものの前に、人類は右往左往。ただ時が過ぎたら、それらは消え去って、後は人々が犯した愚かな傷跡が残る・・・・・。

なんだかそれって、今の世界なんじゃないのかしら。

 

コロナと言う未知のウイルスとの戦いは、ある意味、宇宙戦争なのかも知れません。

私たちと見えない世界の未知なる生物との戦い・・・・。

為すすべもない人類は逃げ惑うだけです。

ただいつか、地球の淘汰によって消えていくのを待つばかり。

ー だけどその時、淘汰されるのはどっち ?

人類は今でも地球に愛され続けられているのかしら・・・。―

 

最後にこのドラマのオリジナルティがあって良かった点は、彼らが去った後の世界の再生を描いた点だと思います。

そしてSFでありながら、いつも最後は神に繋がっていくのも、キリスト教圏のドラマだなと強く感じてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

・・・

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韓国ドラマ「復讐の女神」

2021-01-05 13:20:23 | 海外ドラマ

今週は、ドラマ・家で見た映画・漫画の感想を続けて書こうと思っています。

あっ、それからテレビで見た舞台の感想も。今日5日はwowowで午後7時から「てにあまる」の生放送があるので、楽しみにしています。と言いましても、今日から仕事なので録画して、それも後からのんびり見る事にします。

最初の感想は昨年のクリスマスの頃に放送され、年末昼食タイムやコーヒーブレイクの時に、ちょっと頑張って見続けた韓国ドラマ「復讐の女神」です。

これはアガサ・クリスティの作品「ミス・マープル」のストーリーを原案にしたもので、全16話。その中に「鏡は横にひび割れて」のようなお話も盛り込まれていて、こんなに改変しちゃっていいのかとも思えたのですが、なかなか面白かったです。私は、ミス・マープルの「復讐の女神」の元のストーリーを知らないので、実はヒクソン版の方も録画したのだけれど、まだ未見です。

冒頭で「ああ、これはまるで映画の『ダブル・ジョパディー』みたいな話だな。」とふと思ってしまいました。もちろん夫殺しの罪ではなく、娘殺しの罪で服役しなければならず、刑期を終えてということもなく途中で脱走。違うお話ですが、イメージと雰囲気が一緒で、そう思うと、犯人が1話目の冒頭15分で分かってしまいました。加えて言うとそのからくりも。また共犯者も、不自然に理不尽な事を繰り返し言うあの女に違いないと思っていました。もちろん、その段階では予想ですが、だいたい予想通りに進んでいきました。

でも映像で見るサスペンスの醍醐味は、犯人当てではないのですよね。如何に描かれるかであって、時には涙し、時にはドキドキとしました。それに物語は決してハッピーエンドとは言い難いものがあり、かなり残酷に思われるところもありました。

主演はキム・ユンジン。アメリカの大ヒットドラマ「LOST」に出演していた人だったのですね。どうりで親しみを感じたわけです。

その他の脇を固める人々も、みな魅力ありでした。16話もあると感情移入もして、出演者たちが好きになり、見る楽しみも増したように思います。

以下は数行はネタバレしています。

どう考えても、殺される必要はなかったのではと思える少女の死は、ただ夫を信用させ意のままに動かすためにだったように思われて、残酷極まりない話だと思いました。夫は馬鹿な男だなと思いましたが、悪魔と言うものは、人間の弱き心に忍び寄ってくるのだと思いました。会社を妻から奪ったとしても、得体の分からない組織につけ込まれて、ただの操り人形になってしまった夫。こういうのを自業自得と言うのでしょうね。
例えほかの子供の愛を手に入れても、わが子は帰って来ないという悲しさが残りました。

コミカルなキャストに薄められていますが、意外と辛口だったかもしれませんね。

 

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麒麟がくる 第三十九回「本願寺を叩け」

2021-01-04 14:55:33 | ドラマ (大河)

光秀の奥様の熙子が逝ってしまわれました。

木村文乃さんは大好きな女優さんなのですが、私はどうもこの熙子が、あまりに良妻賢母なので、彼女と光秀のシーンがちょっと退屈と言うか苦手に感じる事が多かったのです。だけど今回、良妻賢母っぷりが嫌なのではなく、「私は信じています、オメメキラキラ」と言う感じが、今までは苦手に感じていたのだなと分かったのです。たぶんこれは作者様の(無意識の)気持ちの表れでもあったかと思うのです(勝手な推理です。)だって、自由に描ける駒ちゃんを動かす方が楽しいに決まってますからね。

光秀が怪我からの熱で館に運び込まれると、熙子は履物も履かずに京の街を東庵先生の元へ走ります。裸足なので足はボロボロになってしまいます。カメラが熙子の足を映します。

「今日は熙子さんの見せ場って言うわけね。木村文乃を起用しているのに、あまり見せ場が無くて、勿体なかったものね。」と私が言うと、夫が

「今日で熙子さんとはお別れらしい。」と言ったので、そう言えば予告編がそんな感じだったなと思い出しました。

そう思って熙子の足を見ると、私は何か可哀想な気持ちになってしまったのでした。

それは世間の方が、このシーンで感動していたとしたら申し訳ないのですが、全く違う意味でです。

熙子の夫への想いをこのような事でしか表現できないなんてと言う意味だったかもしれません。

彼女は生活の苦しかった越前の時代でも、知恵を絞って家計をやりくりし、夫を支えてきた人です。また夫を戦に送り出し、今彼が誰に仕えているか十分に理解できている賢女だと思うのです。

京の明智邸から東庵の家まで、走って何分ぐらいの場所にあるかは不明ですが、とても15分ぐらいの近所には思えません。

戦国を生きる武将の妻ならば、けっして病の夫を残して自ら走るわけもないし、せめて履物は履いて行きましょうよ。

「その時咄嗟に足袋を履く」、それこそが戦国を生きる女だったのではないかと、私は思ってしまったのでした。

同じように土砂降りの雨の中のお百度参りも・・・・・って、文句ばかり言っていてもと思うので、文句は止めておきます。それに私、ああいう、最終手段は祈るだけというシーンは元々嫌いではないのです。実はそれはかなりリアルな感情だと思うからです。

だからせっかくあれだけの雨を降らすなら、(やっぱりちょっとモヤモヤするけれど)、数えた石をあの灯篭から洗い流してしまうぐらいの演出が欲しかったです。それを彼女が泣きながら、そして光秀の名前を呼びながら拾い直し、キッと鬼のような顔をして、またお百度を再開するのでした・・・・というぐらいな見せ場の中の見せ場を作って欲しかったかもしれません。さらに本音を言えば、ここで駒ちゃんに迎えに行かせては欲しくなかったな。

 

だけど駒と熙子との会話は良かったです。SZSZD←席を外したら謎のメッセージが・・・?

まあ、猫が歩いたのだと思いますが。

と、それはともかく(消さないのか !?)、駒から質屋の存在を教えてもらった熙子は、その後もそこを利用し助かったと礼を述べました。

「いろいろなものを売ったのですよ。ある時は髪を売ったんです。案外高く売れたのですよ。」

なんだかそれを語った熙子の明るい可愛らしい笑顔に、私はジーンとしたのです。それこそが彼女の誇りだったと思います。

私が明智光秀を支えたのだという誇り。

そしたらですね、紀行でそれが取り上げられていましたね。多くの人の感動ポイントは同じなんだなと思って、違った視点でもしみじみとしたのです。

その黒髪を売った逸話・・・・越前にて生活の苦しい中、順番で回ってくる連歌会の担当になった光秀でしたが、その酒宴の費用に苦労している夫の為に熙子は、その黒髪を売って他の回よりも立派な会を開くことが出来、夫の体面を守ったというもの。

後に、芭蕉さんが門弟の山田又玄の貧しいながら心からのもてなしに、この逸話からの句を詠んで、又玄の妻を讃えたのです。

その熙子の黒髪を売ったという話が人々の心を打ち、そして芭蕉さんの心にも残っていたということなのでしょう。

「月さびよ 明智が妻の 咄しせむ」

 

ここまで書いたら、思わず感情移入してしまい涙が零れてしまいました。

「熙子さま、やりましたよ!!
100年先の俳人があなた様を讃え、そしてその話を知って、また500年後の私が感動しました。あなた様の頑張りが皆を感動させたのですよ。」と私は彼女の耳元でささやきたくなってしまったのでした。

このドラマの作者様は、こういうエピソードを嫌ったのか、セリフの中の一言で終わってしまったものを、紀行が今回は拾いました。私は寧ろ、その当時は妻の葬儀に行かなかった武士が珍しく葬儀に出たという話も含めて、紀行の方が心に残ってしまったのでした。

おわり。

 

・・・で、ここで本当に終わっても良いのですが、後ほんの少しだけ続きます。

だんだんと、今までさまざまなものに描かれてきた信長のようになってきた信長ちゃん。

だけどここでの話で、兵の中に一向宗の信徒であるがゆえに弾を込めずに撃つ者がいたという話が出て来て、私は「なるほど」と思いました。力士は力士、レスラーはレスラー同士で戦い、また野球とサッカーは一緒には戦わない。信仰がそこに存在している寺との戦いは、力士とレスラーが闘うようなものなのかも知れません。(実際にはそういうイベントもありましたから、説得力はないかも知れませんが、あれもあまり良い印象は残りませんでした。)

だからと言っても、実際に一向宗ではない人たちを殴る蹴るっていうのは、非常に嫌なシーンだったし、鎧も付けずに敵前に立つというのも、やはりジワジワと何かが狂い始めていたのかも知れません。

京では武士としては破格の待遇を受け(最も高い官位を授かる)、昇り詰めている感じなのに、現実には5年にも及んでまったくうまくいかない事もあって、信長の中で夢と現実の間のギャップが、彼の足元をモヤモヤさせていたのかも知れません(勝手な事を言ってます。)

大和の国の人事に関しても、光秀が進言しても聞き入れませんでした。信長は将棋の駒を動かすように物事を決めますが、光秀が考えるのは「人の気持ち」です。将棋の駒は気持ちを持たないゆえに、信長には分からないのかも知れません。

人が喜ぶ顔を見るのが大好きで、褒められると嬉しくなっちゃう信長ちゃんは、今いずこ ?

私も安土城の天守からぐるりと見まわしてみたかったとぼやきつつ、次週も楽しみです。

HP「本能寺の変まで あと6年」

最終回まであと5回です !!  ドキドキ

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お正月の飾りと静かなお正月

2021-01-03 14:24:22 | 梢は歌う(日記)

3日の今は、朝から「MIU404」の一挙放送をずっと見ていて泣いたり笑ったりしています。昨晩は、「逃げ恥」も見て、なんだかテレビの部屋からなかなか抜け出せず、このままじゃいけないとか思いながら、たまには良いんじゃないとか思ってます。

だけど実は5日から3日間ほど、テレビ三昧をやろうと今から楽しみにしているのです。私と夫殿は、少々ドラマや映画の好みが違います。だから自分が見たいものをガンガン録画しているのですが、その録画したものを5日から家族が仕事に行くので、録画消化の日々にしようと計画していると言うわけなのです。

もちろん私も5日から仕事始めです。(ついでに歯医者。憂鬱だなぁ。)

だから計画では、家事はテキパキ。仕事と仕事の間に録画視聴タイムです。

そのような事を楽しみにしている人って、他にもいるのかしら(笑)

 

それで来週から1週間はドラマやその他の番組の感想を書いていこうかなと思っていると言うわけなのですが、疲れて、「見ました。」だけで終わるかもしれませんね。

 

2日の日は、お昼過ぎに姑の家に行き新年の挨拶をしてきました。お茶を一杯飲んで帰ってきましたが、姑は悪いと思ったのか、蛸とか京都から送られてきた漬物とか持たせてくれました。例年ならば2日の夜は、姑の家で少々のご馳走を食べるというのが常だったので、それで姑は気を使ったのですね。

冷蔵庫の前で「何かあげる物はないかしら。」と声に出して悩んでいましたから。

実は同じ光景を横浜の母の家でも見ました。

いつもと違うお正月だからそれで良いと言っていても、迎える側は申し訳ないような気になってしまうのかも知れません。

ちょっと変な感覚ですが、又姪ちゃんのお年玉を、ラッタさんの分もルート君の分も、「私が出すから君たちは出さなくていいよ。」と、私は思わず言ってしまいました。なぜなら、何も楽しい事もないのに、お金だけ使わせたら気の毒なような気がしたのです。「えっ、出すよ。」と二人は言いましたし、短い滞在時間でもそれなりに楽しかったのです。それでもそう言ってしまったのは、二人の母と同じような気持ちだったからかも知れません。

 

姑の家から帰る時、それでも何か今一つのように感じてしまったので、

「ケーキでも買って行こうか。」と言うと、夫も二つ返事。ここにも同じ気持ちの人がいたと言うわけなのですね。

夜は久しぶりに角煮を作りました。いつもと違うレシピで作ったら、トロトロなのは良かったのですが薄味になってしまいました。トロトロの部分は上手くいったので、また冬の間にまた作ろうと思いました。

今日は、夫のリクエストですき焼きなんですって。実家で貰って来た鮭で良いじゃないのと、私は思っていたのですが。

「404」が終わったら、買い物に行きます。

 

またも、以下は写真日記です。

お正月の飾りです。でもお正月を過ぎてもしばらく飾っていると思います。

もっと細かい砂でなければ、枯山水の砂紋は描けない事が分かりました。思った通りにはなかなか行かないものですね。

今年も頂いた竹の花器。だんだんその花器も上達しているような気がしました。

毎年ありがとうございます。

  

お雑煮とおやつのケーキと角煮。

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闇はいつしか光りへと

2021-01-02 18:06:56 | 梢は歌う(日記)

 

明けましておめでとうございます。

     2021年もよろしくお願いいたします。

 

ご挨拶が遅れてしまいました。年末には、いつもの我が家の年末風景などを書こうか、または一年のまとめは無理でも、それなりの事などを書こうかと思っていました。

だけど今年はせっせと大掃除とまでは行かなかったかもしれませんが、それなりの掃除をし、またもう母が作ってくれなくなった大好きな豆きんとんを作ったり、御節などの真似事などをしていたので、珍しくPC前に戻ってくる事が出来ませんでした。

今の私は、この数か月ずっと膝の痛みとお付き合いしています。それが年が明けて眠りにつくと、膝の痛みで深い眠りにはつけなかったのです。それを夫に言うと、

「昨日、あれだけ頑張っていればそうなるよ。やり過ぎたんだな。」と言いました。

「がんばった事を認めて下さるのね。」と私はちょっと嬉しくなって、そう言いましたが、本当はそんなには頑張っていたとは思えず、やはりこれも少しずつ忍び寄って来ていた「老い」というものなのかとしみじみとしたのでした。

 

1月1日、私たちは横浜で暮らすラッタさんを拾って、例年通り父の墓参りには行きました。

朝7時には家を出たものの、たぶん例年だったら、こんなにはスムーズには彼の家にはたどり着けなかったのではと思いました。道は空いていました。

私は結構横浜に行ってラッタさんに会いますが、夫は下手をしたら1年に1回か2回ぐらいしかもう会いません。会えば仲良くおしゃべりをし、けっして仲が悪いわけではありませんが、そんな「やつら」なのです。

だから私は夫が、墓参りだけは行こうと言ってくれたのが嬉しかったのでした。

 

墓参りの後は、いつもならファミレスによって、新年らしからぬモーニングを頂くところですが、今年は止めました。コンビニによって珈琲を4つ買い求め、それを母の家で飲みました。母は珈琲を飲まないので、母の家にはないのです。

母に挨拶をし二階に暮らす姉の家族に挨拶し、お寿司を取って頂き、4人家族で写真を撮って、そして母も入れて5人で写真を撮って、今年のイベントは終了です。

もう帰ろうかと思ったら、又姪ちゃんたちが歌と踊りを披露してくれました。新年のために練習していたらしいです。タンバリンとカスタネットの演奏には感心しました。その式次第を除くと、やったものには線で消込がしてあったのですが、そこには「お年玉タイム」と言うのもあって消されていて、思わずニヤニヤと笑ってしまいました。

楽しみにしているだろうと、会った時に一番にみんなで渡したから消込がされていたのですね。

今年は一族で集まる事もなく、子供たちも減収だろうなと思うとちょっぴり可哀想に感じましたが、明るい彼女たちに癒されました。

お客様(私たち)が来て、子供たちは大はしゃぎでしたが、それでもずっとマスクは外しませんでした。ふと周りを見ると、部屋の中でマスクを外していたのは、母と私と、珈琲を飲んでいたラッタさんだけでした。年寄りの家に行くということはそういうことだなと思って、私もポケットからマスクを出して付けました。

そしてまたラッタさんを送ってから帰宅しました。

そして2時には家に居ました。

 

いつもとは違うお正月。

それでも私は今年は、絶対に良い年にしようと心からそう思いました。

 

以下は写真で綴る日記です。

 

↑ 富士山から昇る初日の出。テレビを映しました。

「もう少し待て。時刻が消えるから。去年がそうだった。」と夫が教えてくれました。二人でテレビの写真を撮るのに盛り上がりました。もうそこから、いつもと違うお正月だなと、私は思いました。

 

↑ 右手上空には月が残っていました。

青く澄んだ月の湖は、空の色と同化しそうでした。指に唾をつけてピッと触ったら、空から剥がれそうな月でした。夜の闇から取り残された月は、儚げでそして美しかったです。

 

↑ 1日は終日良いお天気でしたね。真正面の富士も美しく立派で。私たちを見守ってくれていました。

↑ 左手側からは朝日の輝きが眩しかったです。

「明けない夜はない。」

皆、そのような言葉を信じて、今を踏ん張っているのです。

↑ ラッタさんが引っ越したので、今までとは違う道を通って横浜に向かいました。大きく見えるスカイツリー。

闇から取り残された月。昇る朝日の眩しさ。光り輝く人びとの作り上げた街並み。

私はそんな風景に、むしろ希望を感じ励まされるのでした。

↑ ラッタさんの家の猫ちゃんのルウ君。名前も覚えられないおバカちゃんだとラッタさんは言いますが、「それは猫ちゃんの育て方を知らないな。猫ちゃんは『可愛いね。お利口さんだね。』と言って育てるのよ。」と私は言いました。だけどルウ君はラッタさんが大好きで、ラッタさんもルウ君がいるから、ひとりぼっちのお正月も寂しくはないのだと思いました。

 

夕食に頂いた、御節。↓

流石に昨日は夜寝落ち。「相棒」もちゃんと見ていないし、拓郎さんのラジオも聞いてない。

ドラマブログは来週から始めます。

コメント (2)
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