森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ライジング若冲~天才かく覚醒せり~」を見ました。

2021-01-20 15:13:52 | テレビ・ラジオ

1月16日に放送された「完全版」の方を見ました。2日に放送されたものは、放送後にこの番組の事を知ったので、見逃してしまい、16日の放送を凄く楽しみにしていました。お正月に放送されたものを知らないので、「完全版」と言うものが、どこが違うのか分かりませんが、これ、本当に萌えましたよね~♡♡

錦小路の青物問屋の枡屋の4代目源左衛門は、家族の理解を得て隠居し、画業に専念する事にします。そんな彼が、大事な人たちと出会い自分を高めていく物語で、「動植綵絵」誕生の秘密に迫る、まさに良作だったと思います。

萌えの一番のポイントとは言いませんが、大典と若冲の関係は「友」という名の友情以上のものであったと言う事を匂わせて、この二人があまりにも美しいものだから、ちょっと「うふふ」と言うような感情が見ていて湧き上がってきたのは事実。

だけれど、ひとりは禅僧であり、もうひとりも俗世を捨ててまるで出家しているかのような人だった故に、そこに貫かれているのは、心の世界の愛そのものでしたね。

その愛は、時には相手の足元を照らす光になり、また時には、行く道のはるか先で光となり、自分を導くものになっていたのです。

やはり萌のポイントの一番は、そこだったかも知れません。

高めあう二人。理想の関係ですよね。

勝手にライバル視して、勝手に高まった丸山応挙のような人もいたわけで、輝くひとりの人が、周りに与える影響は多大だなと思いました。

 

萌えポイントの二つ目。

お芝居やドラマや映画好きな私。役者さんが良い作品に恵まれたなと思うと、なんだか嬉しくなります。瑛太さんにとってもですが、七之助さんにとっても歌舞伎のホーム以外で、主演、代表作になるのではないでしょうか。動きやまなざし、すべてが本当に美しかったです。

萌えポイントの三つ目。

若冲の絵の美しさに。

この企画が起きた時に、美術部に話が行ったとするじゃん。

お名前がちゃんと出ていたけれど、それに携わった方々は、「よし、やったレ。」とか思ったのかしら。それとも「あー、ハイハイ。」と思ったのかしら。

だけどテレビ前で、画面の向こう側に映し出された美しい絵画を若冲作だと思いながら、この物語を堪能しているわけですから、絵を本物と同じように、みな見るわけです。「よし、やったレ。」って、なんか思ってたのではないかと想像してしまうのですよね。

そしてドラマ内で映し出された若冲の絵は、すこぶる評判が良かったですね。

勿体ないから、「ライジング若冲展」をやって展示したら良いと言うご意見をお見かけしたのですが、私もそう思いました。

セリフも細かい所で、遊び心がいっぱいありましたね。

 

「すべて完成してから、見せたい。」と売茶翁の葬式で、一時的に戻って来た大典に、(動植綵絵を)途中まで見せたらいいのにと言う提案を、そう言って断った若冲。

するとすかさず、玉欄が「分かります。そういう女心。」と言うのですよね。

 

完成したその絵の前で、「ずっと傍にいて欲しい。友として。」と若冲が言うと大典は「死が二人を分かつまで」と言うじゃないですか。思わず、結婚の誓いかって、突っ込みたくなりましたよね。いや、ここはそのように、みんなに思わせようとする作者の罠だと思いますが、しっかりその罠にはまってしまいました(笑)

小舟の上で番付票を見せ、歌舞伎役者もあるなどと言うと、「私には関係のない世界。」などと七之助に言わせるなど、思わずクスリとしてしまいました。

 

なんだかまたも若冲に嵌ってしまって、いろいろと調べたので、もう一回記事を書こうと思います。

でも続けては無理なので、近いうちにと言う事で。

 

 

 

 


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#四字熟語のお勉強 その2

2021-01-19 01:28:14 | 梢は歌う(日記)

・「#四字熟語のお勉強」の続き。

15日

「唯々諾々 意気軒昂 意気消沈 意気衝天 意気沮喪 意気投合 意気揚々

異口同音 以心伝心 一意専心 一衣帯水 一言居士」

前回は書かなかったのですが、答え合わせをする方もいらっしゃるかもしれないので、一番下に読みだけは書いておきますね。

姉の蝶子さんが、この四字熟語を少しだけ勉強するんだと言うと、「偉いね。」と褒めてくれました。実はたいして偉くもありません。仕事の準備みたいなものだからです。それよりも、蝶子さん夫婦の方が偉いなと思いました。近頃のニュースは、やたらカタカナ語が多いじゃないですか。新しい言葉が多いと言うか。私なんか、テレビに向かって「日本語でいえよ。」と言って終わりですが、分からない言葉を後で夫婦で調べているんですって。

だけどやたらカタカナ語で話すコメンテーターがいると、なんか嫌だわとか思ってしまうのは、私がもう古い人って事かしら。

あっ、コメンテーターじゃなくて、番組解説者って言うべきか・・・・流れ的に(笑)

でももしも、やたら四字熟語が会話に混ざっている人がいたら、それはそれでどうかなって思ってしまいますね。

例えば

「あんなに意気軒昂だった人が、さいきん意気消沈なのは、唯々諾々な自分に嫌気がさしたらしいの。いいえ、何も聞いてないけれど、そこは以心伝心よ。えっ、イヤ黙っていてあげて。(まったくこの人、一言居士の人なんだから。)」

って、なんかやっぱり、ヤじゃない ?!

 

15日の四字熟語で、意味で気を付けるのは

「一衣帯水」、一筋の帯のように狭い川。転じて二つの物の間が非常に近い事。

その用例:一衣帯水をなしているその対岸の島には、岡の麓ふもとに民家が一軒もなかった。<井伏鱒二・さざなみ軍記>

 

しかしさあ、世の中には「一言居士」どころか「千言居士」のような人がいますよね。タメイキタメイキ・・・。

 

上に出した四字熟語の読みは

「いいだくだく  いきけんこう いきしょうちん いきしょうてん いきそそう

いきとうごう  いきようよう  いくどうおん  いしんでんしん

いちいせんしん いちいたいすい いちげんこじ」

 


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麒麟がくる 第四十一回「月にのぼる者」

2021-01-18 12:59:47 | ドラマ (大河)

帝が「月に男が住んでいると言う。」と言うと、

すかさず光秀は「桂男でございますか。」と答えます。

だから私は、やっぱり「桂男」って何ぞやと調べたくなるのです。

「麒麟がくる」では過去にも何度かそういう展開がありましたね。帝や将軍の教養の深さがうかがえるシーンでしたが、それに迷いもなく応え理解する光秀の奥深さも伝わるシーンでもあったと思います。

「桂男」とは何かとは、あまり今回の趣旨には必要はない事かと思ったので、ここでは説明は省きますが、興味のある方はウキペディアのページを貼っておきますね。→ここ「桂男」です。

しかし、私はちょっと驚きました。真夜中に覗いた時には、気が付きませんでしたが(なかったのでは?)、今見たら、

「麒麟がくる第41話「月にのぼる男」(正親町天皇が光秀に対し、信長をはじめとする武家の有力者たちの興亡を桂男になぞらえて語る。)」

の書き込みがありました。お仕事が早い人がいますね。感心します♪

 

「ちんはこれまであまたの武士たちが、あの月にのぼるのを見てまいった。みな帰って来なかった。」

「信長はどうか。この先信長が道を間違えないようにしかと見届けよ。」

 

殿上人ではない光秀は帝とは対面も出来ぬ身分の者。

だけど月を愛でると言う形を取られて、帝と対面をしたわけですが、まさか帝と顔出しでの対面が出来るとは、光秀も思っていなかったのではないかと思いました。

だからこの帝の言葉は、凄く光秀には重く響いたと思うのです。

 

またもインパクトの強かったことを最初に書いてしまいました。

今回は、丹波の国衆の言葉から、光秀は自分たちが何と戦っているのかを悟ると言う所も要だったと思います。

丹波の国衆は言いました。

「足利の長年の恩に報いるために。」

その時、私の頭の中には、学校で習った「封建制度」という文字が浮かびました。

そして戦国時代は下剋上の時代で、その「封建制度」が崩れていったと習ったと思います。

だけど「そりゃ、そうだな。何事も一気に総崩れなんて事は起きないんだな。一部の人間が裏切りを重ね(下剋上)、次の時代を作っていったかもしれないけれど、たいがいの多くの人は、長い間の考え方を守っていたのに違いないな。」と、そう思えたのでした。

「麒麟がくる」は、ボーっと見ていても、いろいろな事を気付かせてくれるので、本当にいい番組だなあとしみじみと思ってしまいます。

しかし、その足利の頭領の戦いは、諸国にずっとお手紙をしたため続けると言うものでした。ペン覇権頼剛・・・・じゃなくて「ペンは剣より強し」を信じての実践編でしょうか。(何なの?マイパソコン。ヘンな誤変換しちゃって。ペン・覇権・頼綱。なんか暗示みたいじゃん。)

 

黒い秀吉・・・・・・。

「足元をすくわれた。」と、自分に密偵をつけ信長にさも裏切ったかのように報告をした事を責めた光秀。

こんなにストレートに責めっちゃって大丈夫かと思ったけれど、秀吉は、自分に害を及ぼすかもしれない弟の方を切り捨ててしまいました。本当の弟だったかは分からない事ですが、危険な芽は摘んでおくと言う感じでした。

貧しい子供たちに恵んであげる秀吉。

ツイッターで拾った、佐々木蔵之介さんのコメント。

>「物乞いする子どもたちを見て“昔のわしじゃ”と言います。一方で、“今のわしはもう違う・・・”と思っています。『血の川へここまで踏み込んだからには、先に行くしかない』マクベスのセリフが思い浮かびました」(佐々木蔵之介)

ここでシェークスピアのセリフを思い出すとは、黒くても格調が高いですね^^

 

その黒い秀吉に目をつけられたと知った光秀は、その危険を菊丸に告げに行きます。

本当はここを去りたくないと言う菊丸。だけど害が駒や東庵に及ばないように去っていく菊丸でしたが、そこに刺客がやってきます。ちょっとだけドキドキしました。彼は私の中ではラストまで生き残る人になっていたけれど、それは私が勝手に思っているだけで、何と言っても後3回なので、この回で菊丸終了になっても、それもありだと思ったからです。

彼って忍びの人だからおめおめとはやられないとは思っていたけれど、逃げおおせてホッとしました。

それから、駒の助言を受けて、たまが嫁いでいきました。可愛らしかったですね。

あの子がもう嫁に行く役をやるようになったのかと、全く違った感慨にふけった私です。

お気に入りの先の関白前久が出てきて嬉しかったです。「ヤレヤレ」の言い方が可愛らしかった・・・・って、こんな感想ですみませんね、本郷奏多さん。

 

で、最後に二番目にインパクトのあった事を書きます。

もちろん、光秀の平蜘蛛の献上シーンです。

(やっぱり安土城のあの部屋は広すぎる・・・)

これを献上して、信長に思っていることを進言するのは決して悪い作戦ではなかったはずです。相手が信長でなければ。

こんな風に描かれた信長は、今までにはなかったと思うのです。だから面白いですよね。

人は子供の頃に得られなかったものが、それがトラウマになり、欲しくて欲しくて、ずっと乾き続ける喉を持ち続けるようになるのかも知れません。

信長のトラウマ。母や父の代わりに誰かに褒められたい、だったのでは。

だから、言って欲しい事を口にして「流石、殿」「殿、凄いです。」みたいなことを言ってくれる秀吉は、出自はともかくも、あのように出世した一因はそこにあったのかも知れません(このドラマの中では。)

信長は、光秀が平蜘蛛を持ってきてくれたことは、本当は凄く嬉しかったと思うのです。

「やはり殿のように、清らかで大いなる人がお持ちになるべき名物かと思います。」

などと言って渡せばいいものを、彼の半端ないあまのじゃくぶりをすっかり忘れて、正攻法で責める光秀。

自分の評判が良いと言う信長に、「どなたが言ったのですか。」と突っ込む光秀。

「皆が言っている。」

もうここで、信長の周りにはおべんちゃら太郎しかいない事が分かってしまいますね。

蘭奢待・平蜘蛛・豪華絢爛の安土城。

なんだか信長は豪華なおもちゃを欲しがっている、素直じゃない子供みたいです。

光秀に説教されたから、最初は嬉しかったくせに、「売ってやる。」となってしまった信長にしか見えませんでした。あれは反論の一つ。だけど、見ている側にも光秀にとっても、ビックラポンの展開ですよね。(古い !!)

私はちょっと、黒い秀吉やあまのじゃく信長が気の毒に感じてしまいました。

二人とも、そこに上り詰めるまでのドラマがあったり、街を反映させる功績があったわけですから。

だけど信長は安土城への道がどうとか言っていましたが、このドラマでは、あと3回で本能寺への道を作り、終焉を迎えなければなりません。

 

光秀の母のエピソードは描かれるのでしょうか。鮒ずしのお話は ? (熙子がいないから、もうないか。)

家康の妻と子供の話はどうでしょうか。

 

ちょっと辛くなってきましたが、次回も楽しみにし見届けていきます !!

 

コメント (2)
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「その街のこども」を見ました。

2021-01-17 16:46:32 | テレビ・ラジオ

1995年1月17日午前5時46分に起きた、阪神淡路大震災。

今年はそれから26年経ちました。

昨晩、日付が変わって17日になって、さあ、寝ようかなと思ったら、ツイッターでこのドラマの情報が流れて来て、ご覧くださいとあったので、寝る前に録画して、先ほど視聴しました。

この作品は、2010年に放送されたもので震災15年の特集ドラマでした。

広島に行くはずだった中田勇治は、新神戸で飛び降りてしまいます。

新感線のドアの所にある電光掲示板が、しきりに神戸の震災から15年経ったことを伝えていました。飛び降りてしまった理由は、勇治自体も、よく分かっていなかったのだと思います。

そこで彼は、大森美香という女性と知り合いになります。

勇治は15年ぶり、美夏は13年ぶりの神戸でした。

あの震災に対しての考え方の違いから、意気投合したとは言い難い二人でした。それでも成り行きで美香の祖母の家まで行き、そして翌朝の1.17の集い会場まで、実かを送っていく羽目になった勇治。

その道すがらで、二人は今まで、心の中から吐き出せなかった想いを、お互いにぶつけあっていくのでした。

蓋をし続けた、自分の中の本音。二人にとっては、神戸はあまり思い出したくない場所だったかもしれません。だけど15年経って、二人は向き合う時が来たのでしょうか。

震災成金だった中田勇治の父親。最初はそれも頭の良いやり方とかばっていました。だけど本当は友だちも、かばってくれるはず周りの大人たちの優しさも得る事も出来ず、そのまま家族は神戸にはいられなくなり、共に神戸から離れる事になった勇治。

「舞い上がってしまったんだろうか。もっとうまいやり方があったんじゃなかったのか。」

勇治の口ぶりからは、やっぱり父親への愛のようなものを感じます。けっして批判や攻めるだけの口調ではないのです。ただあの時、それによって傷ついた自分に正直に向き合ったような気がしました。

親友を失って、何故良い人だった親友は死なねばならなかったのか、また愛する人たちを失ってボロボロになっていく、「良い人」である親友の父親。昔はその父親が怖くてたまらなかったのは美香でした。父親の仕事の都合で神戸を離れる事を知った時にも、挨拶に行ってもやはり怖かったと彼女は語りました。その怖さの理由が大人になってから理解したと言う美香。「不幸には法則がない。」そんな事が怖かったのだと、語るのでした。

良い人だから助かって、悪い人だから助からない・・・・・そんな事はまったくない世界。

あの時の震災で、両親や家族を失ってしまった子供たちはたくさんいました。愛する家族を失わなくても、こんな風に苦しんで、街を出ると分かった時に、思わずホッとした子供たちも多くいたことでしょう。

 

このドラマは、先にも書きましたが、2010年の1月17日23時から放送されました。ラストシーンの「1.17の集い」のシーンは、その日の早朝に撮影され、ドラマ内に織り込まれました。

私は、毎年そのような震災の集いがある事を知らず、このドラマで知りました。

場所は、このドラマにあるように中央区東遊園地。今年はオンラインでの集いもあるようです。「あった」と書かないのは、ラストの午後の部が残っているからです。

HPは→ここです

 

中田勇治は森山未来。

大森美香は佐藤江梨子。二人はともに10歳と中一の時に被災し、実年齢でリアルな感情で臨みました。

派手なシーンはありませんが、心に残る良いドラマでした。

最後の二人の「ありがとう」と言うハグのシーンは、ジーンとしました。

 

26年前の阪神淡路大震災で亡くなられた方々に、心からご冥福を祈ります。

今大変な今日という日々を過ごしている私たちですが、それでも、あの日に起きたことを忘れてはならないと思います。

 


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春待つ森を歩く

2021-01-16 22:22:54 | お散歩&写真日記

昨日、歯医者の帰りにふと思い立って、街の中の森「こんぶくろ池」に行ってみました。

人はいくつになっても体は鍛えられると聞きましたが、その逆もありで、油断したらあっという間に衰えてしまうのだと、その時思い知らされました。

なぜなら、自転車を走らせても走らせても着かないと感じたほど、そこが遠く感じてしまったからでした。ドラマや映画の録画消化の毎日は楽しいけれど、それこそ「油断」の引き金になっているのだと思いました。

ところで、やっと着いて、その池を見た私は吃驚してしまいました。

この渇水の池の有様に。

確かに最近雨はホンのお湿りほどしか降ってなかったです。

だけどここは湧き水じゃなかったのかしら。大堀川や手賀沼の源流ではなかったのかしら。

思わず首をかしげてしまった私です。

冬枯れの風景は、けっして嫌いではありません。

だけどこの森は、やはり春や夏や、そして秋の方が断然美しいのだなと思いました。

すぐ下に、美しい夏の「こんぶくろ池」の画像を載せてみました。

(夏)

下の画像。家に帰って来てから、これは何を撮ったのだろうかと思ってしまいました。

(今)

(今)

そうでした。弁天池からこんぶくろ池までの湿地帯を撮ってみたのです。

やはり夏はこんな感じと、比べる画像を載せてみました。

(夏)

(今)

 

(夏)

ああ、早くキラキラした緑の季節が来ないかなぁ。

(今)

「こんぶくろ池自然の森」と言う場所は、少しずつ姿を変えています。以前は入って来られたところに塀が出来ていました。

いつかこの森も、「完成した姿」を見せる時が来るのかも知れません。

美しいとは言えないかも知れない街の中の、1月の森。

だけど木々の名前プレートを見て歩くだけで、なんだか春への期待が膨らんだ私でした。

上の木は「イヌビワ」。花の開花期は4月から5月ですって。どんな花が咲くのかしら。

下の木は「ヤマザクラ」。普通に桜もあるんだね。

コブシも咲いて、

これは秋楽しめる「ムラサキシキブ」。だけど花は6月ですって。どんな花が咲くのかなと調べてみたら、これは、凄く可愛らしい。絶対に6月には来なくっちゃ♪

ええと、これは ?

あらっ ?

なんであっちの方を向いているのかしら。

誰も見る事が出来ないじゃないの。

覗き込んでみると・・・

ああ、ツゲかと思いました。

だけど、家に帰ってから、ちょっとツゲはどんな花が咲くのかしらと検索したら、これは名前が違うかも知れなくて、誰にも見せたくないからあっちの方を向いていたのかなと思いました。

「イヌツゲ」という植物もいて、葉が互生。ツゲは対生なんですって。花の形も違うから、やはり春になって、この花を確認する楽しみが生まれました。

だけどこの場所に迷わずに行けるかしら。

サクサクサクと枯れ葉フミフミ

冬の森を歩いてきました。

ひとりで歩いてきましたが、とっても楽しかったです。 

 


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#四字熟語のお勉強

2021-01-15 22:23:30 | 梢は歌う(日記)

少しずつ四字熟語を勉強しようと思って始めました。

けっこう得意な方かと自分では思っていたのですが、それは小学生レベルの内容で得意と思っていた思い込みだったと分かったので、ちょっと勉強し直そうと思ったのです。

読める、書ける、意味が言えるを再チェック。

これ、ちょっと面白いです。ずっと知っていたと思っていた事も、思い違いがあるというか、そうだったのかと思ったものもありました。

また知ってることにも、突っ込みながらチェックを入れてみると、それも楽しいです。

14日

「愛別離苦 曖昧模糊 青息吐息 悪事千里 悪戦苦闘 阿鼻叫喚 阿諛追従

安心立命 暗中模索 安寧秩序」

この中の「安心立命」って「天命を悟って、心安らかな事。」

この場合の「天命」って、「 天の命令。天が人間に与えた使命。」かまたは「天の定めた寿命。天寿。」の意味があるのだけれど、そのどちらかで、だいぶイメージが違うと思いませんか。私には後者の意味なんではないかと思えてしまうのですが、本当はどうなのかしら。と、言う事で調べてみたら、外れていたことが分かりました。

「信仰によって身を天命にまかせ、心安らかにして、何事にも動じないこと。

注記
「安心」は、仏教のことばで、仏に帰依して心を乱さないこと。「立命」は、儒教のことばで、天命にまかせること。「あんじんりゅうめい」「あんじんりゅうみょう」とも読む。また、「立命安心りつめいあんしん」ともいう。」https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%AE%89%E5%BF%83%E7%AB%8B%E5%91%BD/ から

深いですね~ !!

私がうっかりやってしまいそうなものは、「阿諛追従」。「ついじゅう」って読んでしまいそうです。「あゆついしょう」だからね、自分 !!

だけど私は、この「阿諛追従」が苦手なものだから、あちらこちらと尖がって、疲れ果てて生きているのだなと思います。(人におもねりこびて、従う事)

 

それから「へぇ」と思ったのは、「阿鼻叫喚」で地獄で泣き叫ぶ事で良いのですが、「叫喚」自体が、「叫喚地獄」という意味だったのだと、初めて知りました。つまり「阿鼻」は「無間地獄」を表し、「叫喚」は「叫喚(焦熱)地獄」を表していたのです。地獄で焼かれ続け叫び喚き続けるという苦しみ・・・・って穴おそろしや。

地獄×2ですから、これからは
「その事件現場は、阿鼻叫喚の場と化していた。」という文があったら、今までの3倍は恐ろしく感じるに違いありません。

 

とにかくも、早くコロナが収まって「安寧秩序」の日々になる事が出来ますように。


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相棒19 第12話「騙し合い」

2021-01-13 23:34:52 | ドラマ(相棒)

今日の「相棒」、とっても面白かったですね。

仕事の無い日の9時半頃は、いつも眠くなってしまって、けっこうボーっとしちゃうので、今日は予防線を張って録画しておいたのですよ。でも全く眠くもならず、楽しみました。

《ドラマの感想は、最初からネタバレして書いてますので、再放送時になどご訪問された時は、お気をつけて》

最初から、怪しい人は、あの少年かマギーかと思っていました。少年が怪しいと思ったのは、あのようなさもと言う白髪のご老人を目撃したとあっちゃあ、疑うしかないでしょう(笑)

マギーは、なんだかんだと言って、携帯を唯一持っていたからです。

あっ、結論から言うと、あの少年も持っていたと言うわけですね。

でもまさか、彼がXだったとは、そこまで思っていませんでした。というか、Xまで出てくると思っていませんでした。

あの誘拐事件がどんな風に絡んでくるのかとは思っていましたが、なるほど~と言う感じでしたね。

私、こういう風にああなってこうなってが、ぴったっと嵌るようなお話が好きなんです。

それにマギーさんって(いきなり、さん付け)、演技が上手いのねって再確認してしまいました。どこか人の良さそうな感じが漂っていたのに、正体がばれると、ちゃんと詐欺師の顔。

それにこの伝説の詐欺師Xは、最初から警察介入を計画のうちに入れていたと言う凄さ。右京が仕掛けた逆詐欺も見抜いていたし・・・・。

Zの親から身代金詐欺でお金をせしめ、自分のプライドをかけてXの評価を正当なものにしようとしたわけですね。そしてちっぽけな手下として刑に服し、つまり刑務所に逃げ込んで、そちらの犯罪から逃れようとしていたと言うわけなのだと思うのですが、絡んできたのは右京たちだったものだから、墓穴を掘ってしまいましたね。

だけど、その目論見がダメになっても、全くめげていない顔の詐欺師X。

なんかこの男、ちょっと凄いなと思いました。

 

伝説の詐欺師Zは、ゲーム感覚で未成年なのにやくざにまで指示しちゃって、それはそれで凄いのかも知れないけれど、やっぱり目撃できない窓から、絶対にいそうもない漫画チックなキャラを生み出しちゃうところなんかが子供っぽかったような気がします。

と、詐欺師を評価してどーするんだ、私 !!!

(^_^;)

 

しかし捜一も巻き込んでの、劇場型詐欺返しには笑えましたね♪

 

ついでながら、

このような詐欺には、皆さまもお気をつけて。

もちろん、私も気を付けます。

私は大丈夫と思っている人ほど、危ないらしいですよ。

変な手紙をもらっても、「私はちゃんとやっている人です。」と日頃からプライド高く生活しているので、「訴える」とか「最後通告」みたいな言葉に弱くて、「何の間違えか」と、すぐに電話なんかをしちゃうみたいですね。その電話を掛ける人がカモなんだからね !!

(実際に、友だち電話しちゃいました。)

あと、警察と名乗って、カードの暗証番号を聞き出そうとする男が、うちのマンションの90歳のおばあちゃんの家に来ました。だけどその方は元教員で、頭も冴えている人だったので、追っ払えたのですが、それでもお財布を開けてカードを取り出そうとしたときに「待てよ。」と気が付いたと言うので、けっこう危なかったのです。

というわけで、次週も面白そう。

楽しみですね♪

 

 

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笑って過ごそう♪

2021-01-12 23:46:20 | 梢は歌う(日記)

ちょっとお伺いしたいのですが、コロナウイルスは、午後8時過ぎに活性化とかするんでしょうか。

いや、分かってますよ。

こういうことをリアル社会で言うと、全力で説明してくれそうな人っているので、うっかり皮肉も言えやしないですね。

でもチョロッと言いたくなってしまう、今日この頃の「緊急」何とか宣言じゃありませんこと?

「午後8時」と言う時間を出してきたがゆえに、そこが大事なポイントになって来てしまったようで、大事な事はそこじゃないと思うのですよ。だから昼間の人数が減らないって言ってますよね。この国は、いつの頃からか(たぶんあの人の頃からよ。)、キャッチフレーズを作る事に全力を傾けちゃって、どうも中身がねと言う事も多く感じるし、読解聴解、そんな力が数学力もそうかもしれないけれど、全体的に落ちている悲しい国になってしまったのですよね。

世界の片隅に暮らしている私だって、思う事はたくさんあるわけですよ。

だけどみんなが思っていることを、敢えて言う必要もないですよね。

しかしみんなが思っている事、どうしたら御上とかに伝わっていくのでしょうか。

とりあえず思う事は、今回の緊急事態宣言の対策に不安を感じたら、少し自分で上乗せして、気を付ける事だと思うのです。

というわけで、またも自粛生活をやってます。

 

今月開催が決まっていたサークルのお茶会を中止しました。気を付けてやれば大丈夫だと思うのですが、今は見えない敵と戦っているわけで、「大丈夫」は止めておこうとそう決めたのです。

仕事の方も、時間が早まって早く帰れるのは良いのですが、出掛ける時間も早くなって、長い間に作り上げてきたリズムも狂うと言うものです。

友だちとはお散歩には行くけれど、しばらくランチは止めておきたいと思います。

1月に美術館に行こうと予定していたけれど、お断りしました。

の、割には、ちょっと迷っているのが一つあるのですが、行くとしても2月に入ってからにしようと思います。

なんかキュウキュウと暮らしているみたいですか ?

 

ところが、そうはならないのが私の毎日なんですよね~。

ひとつには、私ってそそっかしいからねぇ~。最近ずっとポケットの中には

 この消毒液を持ち歩いているんです。

事あるごとに、手にシュッと吹きかけています。

でもある日、シュっとしたら、手がベタッとしたのです。

「えっ、何で ? あっ、もしかしたら。」と思ったら、思った通りでした。

↓ 実はこれ、だったのです。 

 こちらはお口にシュッでしたね(^_^;)

お気軽にポケットに入れておくのは危険かもしれませんね。

 

そして昨日の我が家のトピックス!!

夫殿が「これ、ママじゃない ?」と言ったので、何かな~と思ったら、なんとグーグルアースで我が家近くに、私がばっちり写っていたのです。

凄く驚いたし、珍しい事なのでちょっと嬉しかったのですが、なんか服が・・・・。

私は、服は一通りは着回したいと思っている方なのですが、よりによってこの服の時かと、ほんの少しがっかりしたのです。

面白かったので、姉妹に知らせたのですが、その時「冴えない服で」と書き込んだら、口の悪いスノウさんなんぞは「本当に冴えないね。」と来たもんだ。

ちょっとグーで殴りたくなりましたが(パーンチ !)、否定できないものがあってだな・・・・(/_;)

で、やっぱり面白かったので、横浜で暮らすラッタさんにも言いました。

だけど先回りして「ダサくて悪かったな ! 先に言っておく。」と送ったら

「すげえダサくて」「ほんとに ?」「ってなった」と同時に送って来て・・・・

「ああ」となりました。

この話を聞いて、姉などは家の前がちゃんと掃除されていたかチェックしたんだそうです。(笑)

教訓 !!

「世の中何があるか分からない事なので、自分でダサい冴えないと思うような服は着ない事 !!」ですね。(^_^;)

しかしグーグルアースって、時々、「半年前に死んだ猫が、車の上で幸せそうに眠っていた。」とか「先日死んだ父が家の前で立っていて、さらに先に進むと母が歩いていて、父は家の前まで母を迎えに出ていたんだなと思った。」のようなドラマチックで泣けるようなお話があるんですよね。

じゃあ、私に何かあったら「ダサかったよね。」「うん、冴えなかったよね。」とみんな泣いちゃっているのに笑っちゃってそれを見る・・・

あっ、ちょっとそれは想像するのは止めましょう。

こういうのをドラマの「フラグが立つ」と言う感じじゃないですか。

嫌だわ、それ。

と、思って心の中で、そのフラグをポキリと折っておきました。

 

以下は最近の写真日記です。

 1月7日のおやつ。すあまって結構好きです。私しか食べないけれど、パクパク食べてしまって危険かも。

 七草雑炊。粥を止めて雑炊にしてから評判が結構良い我が家です。

1月しかお餅って食べないような気もするけれど、もっと食べても良いような気がします。美味しいので、11日にはまたお雑煮を作りました。

この日は鏡開きだったので、お汁粉も作りました。(と言っても生協のあんこを使ってですが。)

そして12日の今日は、リンゴのコンポートを作りました。

毎日少しずつ、何かを楽しみながら暮らしていきたいと思っています♪

 ※ 「青のスクールポリス」、面白かったですね。いろいろ意見はあると思いますが、私は見ていてスカッとしました。20年前に、こんな制度があったら、どんなにか良かったのにと、心の底から思いました。

 

 

 

 

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麒麟がくる 第四十回「松永久秀の平蜘蛛」

2021-01-11 09:43:57 | ドラマ (大河)

私は途中で思わず時計を見て

「あらッ、うちの時計、壊れちゃったのかしら。」と思ってしまいました。

進んでいるのかと思ったのです。でも違いました。それは、あっという間に終わってしまっただけだったのです。

 

戦国を舞台にした大河でも、今までも松永久秀または松永弾正は出てきたと思うのに、歴女ではない私にとっては、今まではまったく影の無い人だったのでした。

そういう歴史上の人物はたくさん居て、大河ドラマで多くを知り勉強しています。

「軍師官兵衛」では、ミッキー・カーチスさんがこの役だったのですね。毎週楽しみに見ていた割に、あまり記憶に残っていなかったのです。自分のブログ記事を読んでみたら、毎週感想を書いていなかったがゆえに、記憶から消えてしまったのかも知れません。(皆様にはどうでも良い事ですみません。しばし想い出に浸ってしまいました。村重、懐かしいな・・・とか。)

ただ驚いたことに、過去記事を読むと「功名が辻」には、なんと一豊さんがこの久秀を説得しに行くシーンがあって撃沈したと言う話が有ったのですね。その時の久秀は品川徹さん。その時秀吉が信長に「弾正も殿と同じく極悪人ですので・・」

と言うセリフがあったり、記事内にも久秀をミニ信長と称していたりしていました。だけどいずれもドラマの真ん中には存在せず、このようにずっと出続けたのは、今まではあまりない事だったのではないでしょうか。

ところでなぜ、「」の部分が青字なのかと言うと、昔の記事をコピーしたからです。そして恥ずかしくて、その記事のリンクも出来ません。14年前、ブログを始めたばかりの私は、こんなに軽い文章を書いていたのかと、驚くと同時に、「もうこんな風には書けないや」と寂しい様な不思議な気持ちにもなるのでした。

 

いつも過去を思う時、煌めくような想いを感じるのはなぜなのでしょう。

三淵藤英の時も同じように感じました。

そして・・・・・。

伊呂波太夫の家での、久秀と光秀の会話を聞いているだけで、私の中にも彼らの煌めいた過去からの繋がりが見えて来て、「戦いたくない。平蜘蛛なんかいらない。」と席を立つ光秀に胸が熱くなりました。

鉄砲を買い求めに京へやって来た時に出会った二人。三好長慶襲撃計画を知った時には、共に戦った二人。

だけど本願寺側に着くと言うのなら、これから先は敵同士。

やっぱり戦国時代は辛いです。

人物本位であると思っていた信長も実は家柄重視かと、久秀は信長に失望して離れていったのです。その失望は、彼にとっては裏切りのようなものだったと思います。裏切ったのは久秀ばかりではなかったのです。

「今日は松永の見せ場なんだね。」と夫。

「そうね、このドラマは、短いけれど皆それぞれに見せ場があって良いよね。」と言う我が家の会話がありまして、

鋼太郎氏の独擅場、久秀の最後でしたね。

「一炊の夢よ。」と言って腹を切りますが、その時、思わず

「着物の上からなんて、痛いって!!」と下らない事を思ってしまいました。

ドラマですので、痛いか痛くないかの問題ではなくて、美しい構図になっているかの問題にすぎないわけですが、どうもこうのように変な所に目が行ってしまうのは、私の悪い癖のようです(^_^;)

城が炎上しているのを見ながら、男たちが勝鬨をあげていました。光秀も小さな声であげていましたが、それはただ形だけ。どんなにか虚しかったことでしょうね。

 

そして、信長。

泣いていました。

帰蝶にも、そんな殿の気持ちが分からないと言います。

信長だって、松永久秀の死や多くの茶道具の消失は本意ではなかったはず。自分の願望と現実とのギャップを涙で埋めているのでしょうか。

ところで帰蝶と光秀の対面の間の襖のあまりの美しさに、「ここ、どこ?」と我が家で話題になってしまいました。

セットなのか ?

それにしては広すぎないか ?

だいたい少人数で会うのに、この部屋は広すぎるし、ディスタンスか?

それはともかく、帰蝶は、この信長自慢の城は石段が多いと去っていこうとしていました。もちろんそんな事は口実です。

中級程度の、いや上級のそこそこの山の頂には共に登ってみたいと、アドバイスしたり励ましたり、裏でも動いたりとしていた帰蝶でしたが、まさかその夫が富士のように一番高い山を登り詰めるとは、思っていなかった帰蝶だったのですね。彼女が語った富士の例えは分かりやすかったですね。

「疲れた。」と彼女は言いました。

きっとそれが本音だと思います。

だけど共に戦ってきたと思った帰蝶が離れていく事を知って、ますます信長の孤独は深まるばかりですね。

そしてそこで、輪を掛けるように光秀が嘘をつくのです。

秀吉が放っている間者の報告により、ぐるっとまるっとオミトオシ。

光秀が伊呂波大夫を訪ねて、松永久秀と会った事がばれていた段階で、なぜ内容までバレていると思わないのかと、思ってしまいましたが、たとえバレているかも知れないと思っていても、やはり光秀は嘘をつき平蜘蛛のありかを言わず、信長にそれを差し出す事は出来なかったのだと思います。

なぜなら、松永久秀は「これは私だ。」と言ったじゃないですか。「差し出したら、私は楽になれたのに、どうしても出来なかった。」と光秀も言いました。平蜘蛛を信長に渡したら、それは光秀の松永に対しての裏切りでしか無いように感じたたのかもしれません。

伊呂波大夫が光秀の館に平蜘蛛を持ってきて、それをじっと見た光秀が、「これは松永殿の罠だ !!」と言いました。

 

死してもなお、久秀の罠にはまって動かされてしまった光秀。

そして伊呂波は久秀の言葉を光秀に伝えるのです。

「『それを持つ者は誇りを失わぬ者、志高き者、心美しき者』で、それを持つ覚悟が必要だった」と。「私には(久秀)にはその覚悟が足りなかった。」とも。

松永久秀は、光秀にその覚悟を持てと伝えたのだと思いました。

その覚悟とは何か。

光秀は伊呂波に帝に会おうと思うと伝えるのでした。

 

密かな亀裂がピシピシと入っていく、信長と光秀 !!

「本能寺の変まであと5年 !!」と、その数字を確認しようと、HPに行ったら、なんと脚本家の池端さんのインタビューが載っていてですね、いろいろと深く、というかそこまで全部言っていいのかというくらい全部書いてありました。

なんだかこんなに、長々と書くこともなく、そこのページをリンクしておけばよかったとか、そんな気持ちにもなってしまいましたが (^_^;)

まっ、良いか。書いていて楽しかったから。

 

だから最後に、小さなことを書きます。

熙子の爪を切って、それを美しい小箱に入れて、それを振ると可愛らしい音がするのだとたまに語る光秀。それはたまの口から語られて、綺麗な箱に納まる爪を見せても、実際に光秀が語っているシーンはありません。

だけど爪がカサカサと鳴る音を聞いて「可愛らしい音」と言う光秀から、妻を想い続ける気持ちが伝わって来て、胸がキューンといたしました。

 

コメント (8)
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「100分de萩尾望都」を見ました♡♡

2021-01-09 23:35:08 | テレビ・ラジオ

1月2日に放送された「100分de萩尾望都」をようやく見る事が出来ました。

sf・ファンタジー評論家の小谷真理さん、漫画家のヤマザキマリさん、作家の夢枕獏さん、フランス文学者の中条省平さんのトーク番組ですが、視点鋭く見ごたえが凄くありました。

そんな風に読み解くのかと、目から鱗の部分がたくさんありました。

 

詳しいレポが書けるわけもない事で(内容が濃いので)、取り上げられた作品に沿って、自分が感じたことや思った事を好き勝手に書いておこうと思います。

 

 

まさか、「トーマの心臓」をSFの視点で見るなどと、思いもよらない事でした。だけど言われてみれば、このように透明な少年たちのギムナジウムなど存在しないかもですね。

しかし、その昔憧れたなぁ、ギムナジウムに。あの憧れは、行ってみたいな見てみたいなではなく、自分自身が、それらの少年たちの群れに加わりたかったのだったのだなと思いました。

実際にはない仮想空間の、望都先生が作り出した世界のギムナジウムの少年たちの群れに・・・・。

確かにこの作品は難解だったかもしれませんが、確かあの頃の私たちは、けっこう近い所まで読み込んでいたように思います。あの頃、文学少女が読む萩尾望都と言われていました。ヘルマン・ヘッセもモームも読んでいたので、同列に読んでいた、あの頃。(ちょっと傲慢に聞こえるかしら。)

花の24年組と言う言葉が出てきましたが、彼らが出てきたのは、本当に少女漫画界の革命で、それに気が付かなかった人たちに、その頃はまだ「漫画をまだ読んでいるのか。」のように言われたり見られたりすることがあった過渡期だったのではないでしょうか。

だからこのレベルのものを理解できると思うのは、私たちの少々のプライドだったかもしれません。

だけどやっぱりユーリが上級生に呼び出されたシーンは、こっそり議論していました。あの頃、それはやっぱりかなりのタブーだったのだと思います。直接な表現はなくて、性的被害はあったのか否か。それとも踏み絵のように神を裏切る言葉を、暴力に負けて口にしたのか・・・。

それをはっきりと、ここでは性的被害に遭ったと明言されていて、そしてそれは分かる人には分かる事で、ユーリの物語の結句に救われた人が多くいたとの言葉に、やっぱりまだまだ読みが浅かったなと思い直しました。

 

舞台にもなっている「半神」。古代の人が読んでも現代の人が読んでも通じる物語と言われていましたが、まさにそうだと思います。

「イグアナの娘」も菅野美穂さん主演でドラマ化されましたね。

両作品ともボロ泣きで、そして大好きな作品です。

私は、身ごもった時に「女の子だったら、ちょっと嫌だな。」と本当は思っていたのです。

だって、私に似た子供が生まれてきたら、怖いなぁと思っていたのですよ。もちろん、実際に生まれたら、大丈夫だったと思います。でも男の子が生まれてホッとしました。

なぜ ?

その答えが、この「イグアナの娘」には描かれていたように思います。

 

「バルバラ異界」、なんと未読。だからストーリーを知ってしまって、ちょっとだけ複雑な気持ちになりましたが、またこれも難解なんですよね。

実はこの本、「1」は読んで「2」は買って、それがまだ未開封なんです。この作品の冒頭、心が鷲掴みされました。美味しいケーキは食べてしまいたくない、そんな気持ちで未開封・・・・。

だけどラストシーンまで見てしまっては、読みます !!!

↓ 14日までKindle版で無料で読めます。

 

ラストはやっぱり「ポーの一族」。

なぜエドガーは生まれて来たのかと言うところで、私は自分の子供のころまで記憶が呼び戻され、だから私は「ポーの一族」に憧れ、そして(エドガーじゃなくて)、エドガーに向かい入れられるアランになりたかったのだと思いました。

萩尾先生が語る、昔の教育の現場の話。

ー個性が強くて人と違う、みんなと同じ事が出来ないような子には、大人は何を言ってもいいのだと思っていた。馬鹿だとか他にも諸々。その子たちにはそれに傷つく心もないと思われていた。だけど本当は心があって、傷ついていて・・・・・・。

だから私はエドガーを描いた・・・。ー

 

そんな事ないよと思われる方は、実は幸いな人です。

この話で、ちょっと友人と盛り上がりました。

また、たまたま病室から電話をかけてきたスノウさん(闘病中の妹です。)と、子供の頃、先生から受けたいじめの話で盛り上がりました。

だけど、世の中に無駄はないですね。

その苦しみが、あのような大傑作を生みだしたのですから。

 

しばらく録画した番組は消せません。

 

コメント (2)
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