flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

紀伊勝浦

2005-09-16 02:23:47 | 海道・みなと
 かつては陸の孤島といわれた紀勢東紀州。
徐々にではあるが、交通改善が進んでいる。
 紀伊勝浦は、延縄漁法によるマグロ水揚げ日本一の港であり、周辺の海岸は奇礁奇岩が点在することによって、紀の松島ともいわれている。
一時期観光客減少により閑散としたこの辺りも、古道遺産登録によって僅かながら持ち直しているようであった。
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中辺路

2005-09-16 02:00:30 | 街道・宿場町
 紀州田辺から熊野本宮を経て那智、新宮に至る熊野古道を中辺路(なかへじ)という。
平安から鎌倉時代にかけて皇族や貴族が熊野御幸と称し、中辺路を霊場熊野の公式参詣道としたことにより、熊野詣の主要道となった。
苔生した石畳をイメージするが、訪れる人の多さによって単なる石段となっている。
然し、古の昔も人の往来が今以上に多かったのであろうから、これが当初の姿なのかもしれない。
 今でも熊野御幸当時の杉木立を目にすることができる。

(関連記事:紀伊勝浦
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那智山

2005-09-16 01:09:05 | かみのやしろ

(2004年8月10日)
 那智の大瀧(飛瀧神社)、熊野那智大社、那智山青岸渡寺を含む一帯は那智山と呼ばれている。
大瀧の落差は133m、飛瀧神社の神体である。
那智大社は、速玉大社と本宮大社を合わせ、熊野三山と呼ばれる。
熊野古道が世界遺産に登録されたことにより俄かに活気づいていた。
大社の宝物館に立ち寄り、絵伝を見たことにより思い出したことがある。
それは私祖智真が七百三十年前の八月に参詣しているということである。
今まで同様の生い立ちを送る智真と私。ということは、終焉の地は十六年後の播磨の地になろうということか。

(関連記事:紀伊勝浦

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