(長野県諏訪市 2002年9月22日)
浮城と呼ばれた高島城へ訪れた。
この付近は中世以前は諏訪湖に浮かぶ島であったため、高島という地名が残ったのだという。
元々は天文年間(1532~1555)に諏訪満隆が茶臼山に出城として築いたのが始まりとされる。
慶長三年(1592)現在地に日根野高吉が築城した。慶長六年(1595)日野根氏は下野国壬生に転封となり、旧領主諏訪氏が入城し明治まで続いた。
「諏訪の殿様よい城もっちゃる。うしろ松原まえは湖」と詠われている。
柿葺きの天守等は廃藩後解体され、現在の天守等は昭和45年(1970)に再現されたものである。
上諏訪を散策し、高度成長時代からストップしたような街並みをみていると、所謂情緒ある街並みというより、私世代的に懐かしい感覚を覚えた。
そして諏訪を去る頃には気温も15℃となり、浴後の火照りだけが残っていた。
浮城と呼ばれた高島城へ訪れた。
この付近は中世以前は諏訪湖に浮かぶ島であったため、高島という地名が残ったのだという。
元々は天文年間(1532~1555)に諏訪満隆が茶臼山に出城として築いたのが始まりとされる。
慶長三年(1592)現在地に日根野高吉が築城した。慶長六年(1595)日野根氏は下野国壬生に転封となり、旧領主諏訪氏が入城し明治まで続いた。
「諏訪の殿様よい城もっちゃる。うしろ松原まえは湖」と詠われている。
柿葺きの天守等は廃藩後解体され、現在の天守等は昭和45年(1970)に再現されたものである。
上諏訪を散策し、高度成長時代からストップしたような街並みをみていると、所謂情緒ある街並みというより、私世代的に懐かしい感覚を覚えた。
そして諏訪を去る頃には気温も15℃となり、浴後の火照りだけが残っていた。