昭和56年の夏、私は豊川(とよがわ)で川遊びをしていた。
金沢橋の上流約100m程の川の中に、粘土層が露出していて、その中に貝層を見つけた。
触ると脆く、十分化石化していないようだったが、ある程度化石化したものもあった。
よく見ると牡蠣(カキ)で、海抜約20mのこの地が海であったことがわかる。
大正時代に、ここから北へ2kmの民家の井戸掘りの際に、蝦夷牡蠣の固まりが出土したということがあり、この牡蠣が蝦夷牡蠣であることがわかった。
地層から25000年前の更新世の牡蠣であり、その当時と現在の環境の違いを現す資料となった。
金沢橋の上流約100m程の川の中に、粘土層が露出していて、その中に貝層を見つけた。
触ると脆く、十分化石化していないようだったが、ある程度化石化したものもあった。
よく見ると牡蠣(カキ)で、海抜約20mのこの地が海であったことがわかる。
大正時代に、ここから北へ2kmの民家の井戸掘りの際に、蝦夷牡蠣の固まりが出土したということがあり、この牡蠣が蝦夷牡蠣であることがわかった。
地層から25000年前の更新世の牡蠣であり、その当時と現在の環境の違いを現す資料となった。