(岐阜県高山市 2003年9月14日 国指定史跡)
飛彈国分寺は天平十八年(746)、聖武天皇の勅願により各地の国分寺と同様に創建されたものであり、当時の塔跡の礎石が残されている。
現在の本堂は室町時代の建立で、国指定重要文化財となっている。また、三重塔は文政四年(1821)のもので、創建当時からは斉衡年中(854~857)、室町時代、元和元年(1615)に再建されているが、いずれも火災、天災で滅失している。
戦後の発掘調査によって、現本堂付近には国分寺金堂があったと推定されている。

(関連記事:飛騨国分寺平成二十年 飛彈総社 美濃国分寺 水無神社)
飛彈国分寺は天平十八年(746)、聖武天皇の勅願により各地の国分寺と同様に創建されたものであり、当時の塔跡の礎石が残されている。
現在の本堂は室町時代の建立で、国指定重要文化財となっている。また、三重塔は文政四年(1821)のもので、創建当時からは斉衡年中(854~857)、室町時代、元和元年(1615)に再建されているが、いずれも火災、天災で滅失している。
戦後の発掘調査によって、現本堂付近には国分寺金堂があったと推定されている。


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