flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

伊奈城

2006-09-18 00:00:35 | 城郭・城下町
(上嶋城 愛知県宝飯郡小坂井町伊奈)
 永享の頃(1429~1440)尾張横根城主本多定忠、定助が築城した宝飯郡伊奈村の平城である。
築城の際、氾濫著しかった城の西側を流れる佐奈川を改修し、柳堤を築き、水運と防御効果をもたらした。
 享禄二年(1529)岡崎城主松平清康が吉田城を攻めた時、五代目伊奈城主本多正忠は清康軍に参加し、先陣をきって東門を破り牧野氏の吉田城を攻め落とした。正忠は清康を伊奈城に招いて凱旋の祝宴を開き、城内の花ヶ池にあった水葵の葉を敷いて酒肴を出したところ、清康は大そう喜び、新井白石の藩翰譜には「立葵は正忠の家の紋なり、此度の戦に、正忠最初に御方参て、勝軍しつ、吉例也、賜らんと仰ありて、これより御家紋とはなされたり」と記されている。
 永禄年間(1558~1569)には宝飯郡大塚城主岩瀬氏に攻められたが、六代忠俊がこれを退けている。そして、天正十八年(1590)八代康俊の代に下総小篠へ移封し廃城となった。

 現在は農地の真中に本丸部分の曲輪と石塁、土塁の一部が残されている。
愛知ふるさとづくり事業によって整備され、物見櫓が建てられ伊奈城跡公園となった。物見櫓が再現されてから約10年の年月が経ち、城跡に合致した光景となりつつある。また、城の南には、七代忠次が隠居した場所及び六代忠俊夫妻、光忠夫妻、忠次の墓碑がある「お松見」がある。
   
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