(静岡県周智郡森町天宮・城下)
旧周智郡役所を利用している森町歴史民俗資料館を後にし、北に向かうと天宮(あまのみや)神社が鎮座する。天宮神社は、欽明天皇年間(509-571)に筑紫国宗像(むなかた)神社より勧請したのが始まりとされ、田心姫命(タキリビメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)、市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)の宗像三女神を祀る。この天宮神社の境内で江戸末期に七歳の石松を森の五郎が拾い育て、後に清水次郎長の子分になったと伝えられている。
(昔の家並み)
天宮神社の北側は城下と呼ぶ。秋葉街道及び信州への塩の道沿いであった城下は、天方古城の城下であるために、家並みをギザギザにして防御したというのが一般的な説となっているが、歴史民俗資料館に在籍のボランティアの古老の方の説では、条理制遺構の名残をそのまま区画し、そこに後から川に沿って斜めに道路ができたために、鋸(のこぎり)状の家並みになっただけではないかと語られていた。
(秋葉常夜燈 町指定文化財)
この後は、城下延城橋を渡り、天方新城へと向かった。
旧周智郡役所を利用している森町歴史民俗資料館を後にし、北に向かうと天宮(あまのみや)神社が鎮座する。天宮神社は、欽明天皇年間(509-571)に筑紫国宗像(むなかた)神社より勧請したのが始まりとされ、田心姫命(タキリビメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)、市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)の宗像三女神を祀る。この天宮神社の境内で江戸末期に七歳の石松を森の五郎が拾い育て、後に清水次郎長の子分になったと伝えられている。
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天宮神社の北側は城下と呼ぶ。秋葉街道及び信州への塩の道沿いであった城下は、天方古城の城下であるために、家並みをギザギザにして防御したというのが一般的な説となっているが、歴史民俗資料館に在籍のボランティアの古老の方の説では、条理制遺構の名残をそのまま区画し、そこに後から川に沿って斜めに道路ができたために、鋸(のこぎり)状の家並みになっただけではないかと語られていた。
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この後は、城下延城橋を渡り、天方新城へと向かった。