(奈良県吉野郡吉野町)
水分神社から少し下ると、「世尊寺跡」という碑が立っていた。明治8年(1875)廃仏毀釈によって廃寺となり、重要文化財となっている「三郎鐘」という釣鐘を残すのみである。
更に下ると中院谷に差し掛かり、文治元年(1185)源義経の臣佐藤忠信が僧兵に向かって矢を射ろうとしたという場所「花屋倉」となる。歌舞伎「義経千本桜」の題材となったところである。
花屋倉の下は、佐藤忠信が僧横川覚範を討った場所と伝えられ、その霊を弔うための供養塔が建てられている。
辺りは桜の名所上の千本。少々時期が過ぎてしまったが、心の中に花を咲かせながら、蔵王堂に向けて歩みを進めていった。
(関連記事:吉野山)
水分神社から少し下ると、「世尊寺跡」という碑が立っていた。明治8年(1875)廃仏毀釈によって廃寺となり、重要文化財となっている「三郎鐘」という釣鐘を残すのみである。
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花屋倉の下は、佐藤忠信が僧横川覚範を討った場所と伝えられ、その霊を弔うための供養塔が建てられている。
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