(きんぷせんじ 大峯山七十五靡七十三 奈良県吉野郡吉野町 世界文化遺産 国宝 国指定重要文化財)
吉水神社の西方、金峯山寺に辿り着く。白鳳時代に役小角(えんのおづぬ:役行者)が開基したといい、江戸時代までは「山下の蔵王堂」と呼ばれ、山上の蔵王堂こと大峯山寺と一つの存在であった。長らく神仏習合であったが、明治時代に入り、神仏判然令によって寺院と神社に切り離され、更に修験道廃止令によって大峯山寺と分離し、天台宗修験派金峯山寺となり、戦後になって金峯山修験本宗となって今に至っている。
山上側から境内に入ると、正面に国宝の蔵王堂が建つ。豊臣家の寄進によるもので、扉の金具に天正十九年(1592)の銘がある。内陣の旧安禅寺本尊蔵王権現像(鎌倉時代 重文)等を拝観し、背後の蔵王権現本地堂では「吉野南朝を偲ぶ特別展」が開かれており、村上義光公奮闘之図(文政九年和筆)、吉野曼荼羅(南北朝時代)、吉野全山古図(江戸時代)、木造宗信法印坐像(江戸時代)、木造釈迦如来坐像(平安前期 県文)、仁王像内納入品(南北朝時代 県文)、金峯山秘密伝(室町時代)、太平記(寛永八年)等が展示されていた。
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蔵王堂前には「大塔宮御陣地」があり、元弘三年(1333)大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)が吉野城落城前に最後の酒宴を催した場所という。その右側には天満宮、神楽殿、稲荷社があり、そこから一段低くなった場所は、後醍醐天皇の行宮となった実城寺(金輪王寺)が存在した場所であり、跡地に重文の釈迦如来像が安置されている南朝妙法殿が建っている。そして、その前には「吉野朝宮址」の石碑が建つ。
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北側にまわると、康正二年(1456)銘の風鐸が吊り下がっている国宝仁王門がある。そこから暫く下ると、室町時代の銅鳥居(かねのとりい)が建ち、重文となっている。更に下ると、黒門(総門)があるが、これは昭和60年(1985)に再建されたものである。
(銅門)
(黒門)
吉水神社の西方、金峯山寺に辿り着く。白鳳時代に役小角(えんのおづぬ:役行者)が開基したといい、江戸時代までは「山下の蔵王堂」と呼ばれ、山上の蔵王堂こと大峯山寺と一つの存在であった。長らく神仏習合であったが、明治時代に入り、神仏判然令によって寺院と神社に切り離され、更に修験道廃止令によって大峯山寺と分離し、天台宗修験派金峯山寺となり、戦後になって金峯山修験本宗となって今に至っている。
山上側から境内に入ると、正面に国宝の蔵王堂が建つ。豊臣家の寄進によるもので、扉の金具に天正十九年(1592)の銘がある。内陣の旧安禅寺本尊蔵王権現像(鎌倉時代 重文)等を拝観し、背後の蔵王権現本地堂では「吉野南朝を偲ぶ特別展」が開かれており、村上義光公奮闘之図(文政九年和筆)、吉野曼荼羅(南北朝時代)、吉野全山古図(江戸時代)、木造宗信法印坐像(江戸時代)、木造釈迦如来坐像(平安前期 県文)、仁王像内納入品(南北朝時代 県文)、金峯山秘密伝(室町時代)、太平記(寛永八年)等が展示されていた。
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蔵王堂前には「大塔宮御陣地」があり、元弘三年(1333)大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)が吉野城落城前に最後の酒宴を催した場所という。その右側には天満宮、神楽殿、稲荷社があり、そこから一段低くなった場所は、後醍醐天皇の行宮となった実城寺(金輪王寺)が存在した場所であり、跡地に重文の釈迦如来像が安置されている南朝妙法殿が建っている。そして、その前には「吉野朝宮址」の石碑が建つ。
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北側にまわると、康正二年(1456)銘の風鐸が吊り下がっている国宝仁王門がある。そこから暫く下ると、室町時代の銅鳥居(かねのとりい)が建ち、重文となっている。更に下ると、黒門(総門)があるが、これは昭和60年(1985)に再建されたものである。
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