(乙川(菅生川)愛知県岡崎市明大寺本町)
承安四年(1174)源義経は、京の鞍馬寺から藤原秀衡の住む奥州平泉に向かう途中、三河国碧海郡矢作村に住む兼高長者の家に宿をとった。そこには長者の娘、浄瑠璃姫がおり、姫は琴を弾き義経をもてなした。そして義経も笛を吹き、やがて相思相愛となった。義経は奥州に旅立たなくてはならず、片見に笛を置いていった。然し姫は、義経のことを思い続け、叶わぬ思いに菅生川の淵に身を投げてしまった。その後、その淵は浄瑠璃ヶ淵と呼ばれるようになったのだという。
承安四年(1174)源義経は、京の鞍馬寺から藤原秀衡の住む奥州平泉に向かう途中、三河国碧海郡矢作村に住む兼高長者の家に宿をとった。そこには長者の娘、浄瑠璃姫がおり、姫は琴を弾き義経をもてなした。そして義経も笛を吹き、やがて相思相愛となった。義経は奥州に旅立たなくてはならず、片見に笛を置いていった。然し姫は、義経のことを思い続け、叶わぬ思いに菅生川の淵に身を投げてしまった。その後、その淵は浄瑠璃ヶ淵と呼ばれるようになったのだという。