flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

山内容堂誕生地

2010-05-27 00:00:17 | いにしえの人びと
(土佐藩十五代藩主山内豊信(とよしげ) 高知市追手筋)
 幕末の四賢侯(薩摩藩島津久光・越前藩松平慶永・宇和島藩伊達宗城)と呼ばれた容堂は、文政十二年(1827)山内南家豊著(とよあきら)の側室の子としてこの地で生まれた。山内本家十四代藩主豊惇に嗣子が無かったため、豊信(後の容堂)が後を継いだ。容堂は公武合体論を持論としていたため、吉田東洋暗殺事件等もあり、尊王論を掲げた土佐勤王党の武市瑞山を切腹させる結果となった。幕府が衰退する中、坂本龍馬の大政奉還の建言を後藤象二郎から進言された容堂は、徳川慶喜に建白し、大政奉還は実現となった。
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