(愛知県新城市中宇利字麻布 市指定史跡 1991年4月28日)
昭和53年以来何度か訪れている三遠国境標高220mの山城である。当初は山の下刈りが行われておらず登城が難しかったが、次第に手入れされるようになり見晴らしのよい山となった。富岡の郷土史家本多氏によると、鎌倉時代末期築城とされ、一旦廃城の後、南北朝時代に改めて熊谷氏の宇利城の支城とされて、隣接する滝山とその付近に城を築いた。その後敵が攻め入り多数の戦死者を出した。それが「滝山くずれ」だということである。また、比丘尼の名の由来は、高い身分から出家した尼が城主ではなかったかという説があり、宇利城主熊谷氏は周辺に慈廣寺や城館の機能を合わせ持った慈眼寺等を創建している。
慈眼寺館跡・麻布池を望む
中宇利集落を望む
宇利城を望む
富岡・吉祥山を望む
本宮山を望む
以前からよく見かける枯松