(東京都新宿区内藤町)
三河岡崎出身で高遠藩初代藩主である内藤清成は、慶長七年(1602)当地(後の新宿御苑)を与えられ、江戸屋敷を構えた。その際に屋敷神として先祖とする藤原鎌足を祀ったのが始まりという。明治に入り屋敷地の大半が官有地になったため、神社は現在地に遷された。境内には明治5年(1872)に移された駿馬塚があり、徳川家康が清成に「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と言い、清成が乗った馬は千駄ヶ谷、大久保、代々木、四谷を走り死んでしまった。文化十三年(1816)に至り、馬を埋めた樫の木の跡に「駿馬塚」を造り碑を建てたという。
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