flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

大峯奥駆道 吉野

2008-06-16 01:00:33 | 街道・宿場町
(奈良県吉野郡吉野町 世界文化遺産)
 眼下に金峯山寺が望められる、上の千本の猿引坂を下っていくと町並みが現れる。そして、突如大勢の人が現れ始めた。辺りの店の人曰わく「店が並んでいるからここだけ人がいるだけです。桜の時期が過ぎればパタリと人がいなくなりますよ」とのこと…。私は買い物三昧よりも、この場の雰囲気を吸収したくあったので、颯爽と通り過ぎながら、付近に漂う精気と業を掻き分けながら進んだ。
 
 櫻本坊は大峯山の護持院であり、金峯山修験本宗の別格本山である。天智天皇が創建したとされ、明治の神仏判然令以前は金峯山寺境内にあって蜜乗院と称していた。
    
 如意輪寺を遠くに望みながら宮坂を下ると、多聞天の垂迹(すいじゃく:神仏の出現)、仏法護持、国家鎮護の首鎮といわれた勝手明神勝手神社が鎮座する。
(如意輪寺)
   
 少し道をそれると吉水神社がある。神仏判然令以前は金峯山寺の僧坊吉水院であった。後醍醐天皇の玉間と源義経が潜居したと伝えられる重要文化財指定の書院がある。
  
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新 新豊橋

2008-06-15 00:00:55 | RODEN-哀愁のRailway-
(豊橋鉄道渥美線 愛知県豊橋市)
 愛知大学で行われる講演会に出かけるため、新豊橋駅を利用した。
6月4日に1面2線となって移転開業した新豊橋駅は、旧豊橋貨物取扱所のあった場所に利便性と区画整理に伴い建設されたものである。
 出かける際にはまだ姿のあった旧新豊橋駅舎も、帰りには跡形も無くなっていた。また路盤が取り外され、牟呂用水に架かる鉄橋も取り外されていた。
  
 既設の駅前ペデストリアンデッキを増築する準備と、隣接する旧豊橋西武跡地に今年8月に開業予定のビル「ココラフロント」に加え、豊橋東口駅南土地区画整理事業が来年度を目処に進められている。

(関連記事:新豊橋2007年4月 2007年9月 2008年2月
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飛騨高山 平成二十年春Ⅱ

2008-06-14 04:00:28 | 街道・宿場町
(岐阜県高山市)
 獅子舞の行列から城山山腹へと上がり、そこに建つ浄土真宗光蓮山照蓮寺を参拝した。かつて御母衣ダム建設まで旧荘川村中野にあった寺院(別名中野御坊)であり、昭和36年(1961)移転法要が行われている。永正元年(1504)建立の本堂、天正二年(1574)の勅使門、享保十年(1725)の太鼓堂、そして建武元年(1334)の銘のある梵鐘がある。
   (林道栄書山号額)   (太鼓堂)
 照蓮寺の下にある、福来博士記念館見学の後、早めの昼食を摂った。そして、春慶会館を見学し、飛騨国分寺、本日の屋台曳き揃え場所を訪れ、御旅所及び御巡幸の通る旧益田街道西町界隈へと向かった。
   
 御巡幸の合間、延喜三年(903)創建の飛騨天満宮や、江戸後期の建築が残る国指定重要文化財の松本家住宅、矢立杉のある天保十年(1839)創建の一本杉白山神社を訪れた。
            

(関連記事:飛騨高山平成二十年春Ⅰ
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天方新城

2008-06-13 18:00:48 | 城郭・城下町

(天方城 静岡県周智郡森町向天方 町指定史跡)
 城下延城橋を渡り、向天方桜堤を経て、天方城のある城ヶ平(じょうがだいら)入口へと差し掛かった。沢伝いに上がる昭和5年築造の碑が立つ「武士新道」が距離的に近いようなので、レンタサイクルを押して上がった。舗装されていない道だが、バラストは敷いてある。然し、突然山道となった。急な坂道に加え、倒木が多く、途中でバリケードも存在した。自転車を担いで上がることになり、距離の遠い方の道よりも労力と時間のロスをしてしまった。ようやく舗装してある道と合流し、標高249mの城郭へと向かった。
     
 城跡は現在、城ヶ平公園として整備されており、その一環として主郭部の堀、土塁遺構の補修も行われている。主郭上には城主天方通興の姫、朝姫を祀るという石祠がある。
         
 今川氏に属する天方通興が、それまでの天方古城に変わって、永禄十一年(1568)に新たに対岸の山に築いたのがこの城である。翌年、徳川家康勢が攻め入り通興は降伏したが、元亀元年(1570)通興は篭城したために再び徳川方の大須賀康高、榊原康政らが攻め入っている。元亀三年(1572)には四万の武田勢が押し寄せ、通興は武田方に降伏した。武田勢はその後、三方原で徳川家康勢と戦い勝利している。然し、天正に入ると徳川方の大久保忠隣、渡辺守綱らが攻め入り徳川方の城となったが、通興が没すると共に城も廃城となった。

 この後は、再び森の町並みへと戻った。

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東海道 天竜川

2008-06-12 01:30:35 | 街道・宿場町
(静岡県磐田市/浜松市)
 浜松宿の東方、旧長上郡橋羽村(→浜名郡和田村→浜松市東区天龍川町)に鎮座する六所神社に参拝し、東に向かうと天竜川に差し掛かる。現在は全長約900mの天竜川橋を渡るとすぐ、旧豊田郡池田村(→磐田郡豊田町→磐田市池田)に渡ることができるが、往時は渡し舟であり、明治7年(1874)に長さ1160mの天竜橋、明治16年(1883)に長さ765mの池田橋が架橋されたが、木橋や舟橋であったため、昭和初期に鉄橋が完成するまでは大水の際に流失を余儀なくされていた。
 
  
 池田村は渡し舟で栄えたところであり、鎌倉街道時代には池田宿で栄え、東海道時代には間の宿として栄えた。また、東海道見付宿より分かれ、東海道御油宿に至る脇往還「姫街道」も通過していた地でもある。付近には永享六年(1434)村内妙法寺住職の見た夢の通りに天竜川に浮かんでいたという聖観音像を安置する粒見堂や、孝謙天皇年間(718-770)に創立したという天白神社、熊野(ゆや)の長藤のある時宗行興寺等がある。
(粒見堂)
 

(関連記事:見付宿
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大峯奥駆道 上の千本

2008-06-11 21:00:22 | 街道・宿場町
(奈良県吉野郡吉野町)
 水分神社から少し下ると、「世尊寺跡」という碑が立っていた。明治8年(1875)廃仏毀釈によって廃寺となり、重要文化財となっている「三郎鐘」という釣鐘を残すのみである。
       
 更に下ると中院谷に差し掛かり、文治元年(1185)源義経の臣佐藤忠信が僧兵に向かって矢を射ろうとしたという場所「花屋倉」となる。歌舞伎「義経千本桜」の題材となったところである。
 
 花屋倉の下は、佐藤忠信が僧横川覚範を討った場所と伝えられ、その霊を弔うための供養塔が建てられている。
 
 辺りは桜の名所上の千本。少々時期が過ぎてしまったが、心の中に花を咲かせながら、蔵王堂に向けて歩みを進めていった。
 

(関連記事:吉野山
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山王祭 獅子舞

2008-06-10 00:00:15 | 民俗・伝承
(春の高山祭 岐阜県高山市)
 夜祭の翌朝、宿泊先から町並みに向かうと、神楽台、警固、闘鶏楽及び雅楽、獅子舞の行列があった。
                               
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太田川と城下延城橋

2008-06-09 02:00:41 | 水のほとり

(二級河川太田川潜り橋 静岡県周智郡森町)
 太田川は、標高881mの森町大日山より発し、44kmの延長を経て遠州灘に注ぐ。そこには秋葉街道城下の町と、太田川を隔てて対岸の向川原及び向天方を結ぶ沈下橋がある。
(太田川潜り橋と背後の城ケ平)
    
 かつては城下から佐野郡居尻村(掛川市居尻)の大尾山顕光寺へ至る蔓畝(つるね)街道(大尾山参道山道)が分かれ、この橋が利用された。然し、次第に周辺道路の整備が進み、この橋の価値が薄れ、一時は消滅した。その後、対岸の農地へ向かう利便を図るため、地区管理の下、季節や流量によって橋桁が取り外される臨時橋が再建された。
     (向天方桜堤)

 この後は、城ヶ平へと向かった。

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竹鼻 平成二十年

2008-06-08 00:00:41 | 街道・宿場町
(岐阜県羽島市竹鼻町)
 竹鼻別院から暫く振りの町並みを歩いてみる。
美濃路の起宿から大垣宿に至る脇往還であった竹鼻街道の、そのオアシスとして栄えた宿の風情を感じながら、一回りをしてみた。
     
 (聞得寺)

 先回訪れたときと表情が違う気がした佐吉仏を参拝し、県指定重要文化財ともなっている、江戸時代末期の大和絵作家浮田一恵の天井絵「雲龍」のある曹洞宗真如山本覚寺を訪れた。
     
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大峯奥駆道 水分神社

2008-06-07 01:00:55 | 街道・宿場町
(大峯山七十五靡七十二 奈良県吉野郡吉野町 世界文化遺産 国指定重要文化財)
 閼伽井から更に下っていくと、吉野八社明神の牛頭天王社跡、吉野城の堀に架かった橋であった丈之橋跡があり、その近くには吉野水分(みくまり)神社が鎮座する。
   
 水分神社は平安時代の延喜式神名帳に名が見える、いわゆる式内大社であり、水を司る「天之水分大神」(あめのみくまりのおおかみ)を祀る。当初は吉野山奥の標高858mの青根ヶ峯に鎮座していたが、大同元年(806)に現在地に遷座したという。
       
 その後、「みくまり」が「みこもり」と訛って子守明神と呼ばれるようになり、豊臣秀吉が同社に祈願したところ秀頼が誕生したという。秀頼は、慶長十年(1605)に、現在残っている楼門、拝殿、本殿、幣殿、回廊を寄進している。
 水分神社は一時、天之水分大神が地蔵菩薩の垂迹(すいじゃく:神仏の出現)と解釈され、金峯山の蔵王権現(金峯山寺)に属する神社として修験道の靡(なび:行所)の一つとなった。然し、明治の神仏判然令によって金峯山寺から独立して現在に至っている。
   

 上の千本に向かって下って行く。
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山王祭 夜祭

2008-06-06 00:00:34 | 民俗・伝承
(春の高山祭 岐阜県高山市 国指定重要無形民俗文化財)
 日が沈み、夜祭が始まった。それぞれ100個の提灯が灯された屋台が、高山市政記念館前から中橋、御旅所前、本町、筏橋、さんまち通り、上一之町、安川通り、上二之町の順に巡って行く。
   
 屋台囃子を演奏する雅楽と獅子舞の行列の後ろには、屋台の先導をする神楽台が続き、その上に乗る楽人が118cmの太鼓を叩き、笛を吹く。
           からくり屋台から紙吹雪が舞う)


 春の高山祭の夜が幻想的に更けて行った。

(関連記事:獅子舞
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秋葉街道 城下

2008-06-05 03:00:37 | 街道・宿場町
(静岡県周智郡森町天宮・城下)
 旧周智郡役所を利用している森町歴史民俗資料館を後にし、北に向かうと天宮(あまのみや)神社が鎮座する。天宮神社は、欽明天皇年間(509-571)に筑紫国宗像(むなかた)神社より勧請したのが始まりとされ、田心姫命(タキリビメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)、市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)の宗像三女神を祀る。この天宮神社の境内で江戸末期に七歳の石松を森の五郎が拾い育て、後に清水次郎長の子分になったと伝えられている。
 (昔の家並み)
 天宮神社の北側は城下と呼ぶ。秋葉街道及び信州への塩の道沿いであった城下は、天方古城の城下であるために、家並みをギザギザにして防御したというのが一般的な説となっているが、歴史民俗資料館に在籍のボランティアの古老の方の説では、条理制遺構の名残をそのまま区画し、そこに後から川に沿って斜めに道路ができたために、鋸(のこぎり)状の家並みになっただけではないかと語られていた。
    (秋葉常夜燈 町指定文化財)

 この後は、城下延城橋を渡り、天方新城へと向かった。
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竹鼻別院の藤

2008-06-04 00:00:40 | ふるさとの木々
(岐阜県羽島市竹鼻町 県指定天然記念物)
 竹ヶ鼻城跡に隣接して、浄土真宗の竹鼻別院が存在する。
 竹鼻別院は、明治19年から呼ばれるようになった院名である。嘉禎元年(1235)親鸞が関東からの帰途、三河の柳堂で教化したとき、葉栗郡門間庄、河野通勝等九人の者が教えを受け、木瀬(岐南町三宅)に草庵を結び親鸞を迎えた。これを「河野九門徒」と言い、濃尾真宗門徒の始まりであり、この草庵が竹鼻別院の前身とされる。
  
 文明二年(1470)蓮如巡化の際、洪水で流れた草庵を再興し「河野御坊」と名付けた。その後河野御坊は専福寺と改称されたが天災、兵火等で落ち着くことはなかった。慶長九年(1604)教如はその功に報い、寺を「御坊」とし新加納村からこの竹ヶ鼻村に移し、五十四ヶ寺を配下にした。竹鼻の下町にあった「御坊専福寺」は、再度の火災に遭い現在の地に落ち着いたのは、宝暦十年(1760)のことであった。
     
 竹鼻別院の境内には、樹齢250年から300年とみられるノダフジがある。このフジは複数の株から広がる藤棚ではなく、一株から広がる凡そ140坪のフジである。
 毎年、シーズンには「美濃竹鼻まつり・ふじまつり」が開催される。このときも、様々なイベントもあわせて催されていた。
 

 この後は、竹鼻の町並みを漫ろ歩いた。

(関連記事:竹鼻街道 竹鼻大仏
(河野門徒関連記事:
下印食 三宅 黒田 円城寺
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吉野 閼伽井

2008-06-03 18:00:21 | 水のほとり
(奈良県吉野郡吉野町)
 高城山から更に下ると、閼伽井(あかい)の清水がある。
閼伽(あか)は、霊地の水、仏前に供える水のことであり、密教修験道の六種供養(供物)の一つである。また、閼伽はサンスクリット語のargha(アルギャ:価値ある物)の音写で、功徳水を意味し、閼伽に井で、仏心の水を汲む井戸となる。

※六種供養:閼伽、塗香(ずこう)、華鬘(けまん)、焼香、飯食(ぼんじき)、灯明


 大峯奥駆道を下り、水分神社へ向かった。

(関連記事:奥千本 金峯神社
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山王祭 からくり屋台

2008-06-02 22:30:47 | 民俗・伝承

(春の高山祭 岐阜県高山市 国指定重要無形民俗文化財)
 町並みを歩いた後、高山市政記念館前付近にやってくると、夜祭の準備のために龍神台三番叟石橋台が並んでいた。
(三番叟)
  (龍神台)
 
 その内、石橋台の綱方から、「光の当たり具合がいいから、からくりをしよう」ということになり、この場所で急遽演じられた。
 (石橋台)         
 扇笠姿の美女が踊りながら、長唄「英執着獅子」に合わせ、機関樋の先端に進むと打掛がめくれ、獅子に変身して舞い始める。そして、最後に元の美女に戻り、牡丹の花を持って踊る。

 次第に日は沈み、屋台に提灯が取り付けられ始めた。
   

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