flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

隈本城

2009-04-15 00:00:05 | 城郭・城下町
(くまもとじょう 熊本市古城町)
  熊本城が築かれる以前、同じ丘陵上である茶臼山の南西端に隈本城が存在した。菊池氏族出田氏が文明年間(1469-87)に築城したものである。天正十五年(1587)豊臣秀吉の九州征伐後は、越中富山佐々成政が入るが、失政により切腹させられ、代わって加藤清正が入った。清正は、慶長六年(1601)隈本城から千葉城のあった茶臼山北東にわたる範囲の城を築き、熊本城とした。 現在、隈本城の存在した場所は第一高校となり、石垣の下が古城堀端公園となっている。
 
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浄瑠璃ヶ淵

2009-04-14 00:00:30 | 水のほとり
(乙川(菅生川)愛知県岡崎市明大寺本町)
 承安四年(1174)源義経は、京の鞍馬寺から藤原秀衡の住む奥州平泉に向かう途中、三河国碧海郡矢作村に住む兼高長者の家に宿をとった。そこには長者の娘、浄瑠璃姫がおり、姫は琴を弾き義経をもてなした。そして義経も笛を吹き、やがて相思相愛となった。義経は奥州に旅立たなくてはならず、片見に笛を置いていった。然し姫は、義経のことを思い続け、叶わぬ思いに菅生川の淵に身を投げてしまった。その後、その淵は浄瑠璃ヶ淵と呼ばれるようになったのだという。
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渡辺通再開発

2009-04-13 00:00:03 | STRUCTURE-構造物残影-
(福岡市中央区渡辺通)
 宿泊先を出発すると、すぐそこは再開発予定地であった。渡辺通に面して電気ビルがあり、昭和27年(1952)建造の別館が、建て替えのために閉鎖となっていた。また、通りを隔てた反対側付近一帯も更地になっている。この辺りは、平成17年に制定された都市計画によって、区画整理及び九州電力ビル付近の再開発が進められているようである。近年の地下鉄七隈線開業によって、天神に隣接するこの地の変貌が間もなく訪れるようだ。
(建替えられる電気ビル)
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旧陸軍輜重兵第六聯隊施設

2009-04-12 00:00:57 | STRUCTURE-構造物残影-
(熊本市古京町)
 熊本城の北東には、昭和初期に陸軍輜重兵(しちょうへい:後方支援)第六聯隊の施設として建てられたという、RC造、地上三階塔屋付、延床面積約2000㎡の建物がある。戦後は、熊本家庭裁判所、熊本博物館分館として使用され、現在は熊本市役所古京町分館及び熊本城管理事務所として使用されている。
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三州岡崎 夜桜

2009-04-11 00:00:31 | ふるさとの木々
(愛知県岡崎市)
 仕事帰りに同僚と、岡崎公園及び菅生川の夜桜に出かけた。私は酔っ払いが嫌いなため、過去に飲酒を伴った花見をした覚えがない。この日は、夕食を兼ねて、公園や川縁を漫ろ歩いた。
               
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福岡 天神

2009-04-10 00:00:42 | 漂い紀行

(福岡市中央区天神)
 柳川から西鉄に乗り、薬院駅で下車、一旦宿泊先に向かった。そして、日没の後、福岡の商業中心地である、天神地区へ向かった。 慶長十七年(1612)近隣の今泉地区から、福岡城の鬼門にあたるこの地に水鏡天満宮を遷宮したのが地名の由来という。
(県庁跡に建つアクロス福岡)

(関連記事:渡辺通再開発 福岡アジア都市研究所 旧日本生命保険九州支店 福岡城 旧福岡県公会堂貴賓館

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細川刑部邸

2009-04-09 00:00:41 | 城郭・城下町
(熊本市古京町 県指定文化財)
 熊本城二の丸跡から三の丸跡に建つ、細川刑部(ぎょうぶ)邸に向かった。この地は武家屋敷の一角であるが、市内東子飼町に存在した建坪約三百坪の同邸宅を、ふるさとづくり特別対策事業によって平成5年に移築したものである。
     
 細川刑部家は、熊本初代藩主細川忠利の弟である興孝をもって初代とした分家で、子飼細川家とも呼ばれる。
     
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岡崎城 平成二十一年春

2009-04-08 00:00:11 | 城郭・城下町

(愛知県岡崎市康生町)
 桜まつりの候を迎え、東ノ丸の園路も完成し、2007年の調査によって検出された、菅生郭犬走の石垣整備も進んでいた。
(菅生郭堀石垣)(完成した園路)
  
 
(関連記事:東ノ丸菅生郭堀調査 立春の龍城 岡崎城

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吉田兼儔屋敷

2009-04-07 00:00:11 | 城郭・城下町

(旧戸島家住宅 福岡県柳川市鬼童町 住宅:県指定文化財 庭園:国指定名勝)
 江戸時代後期に、柳川藩中老職吉田兼儔(かねとも)が居住した建物で、庭園は座観式のこぢんまりしたものである。後に立花家別邸となり、廃藩後には由布氏、明治15年(1882)からは戸島氏の住宅となった。平成13年に建物が柳川市に寄贈され、現在に至っている。
    

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熊本城

2009-04-06 00:00:24 | 城郭・城下町

(銀杏城 熊本市 国指定特別史跡 重要文化財)
  花見の時期だけあって、大勢の観光客の姿があった。曇天の空も次第に晴天を取り戻し、満開の桜が空に映え始めた。
 行幸坂から登城し、先ず二の丸付近から足を踏み入れた。城内は広く、それが現在も残されているのは他にはなかなかないだろう。続いて三の丸、竹の丸、飯田丸と歩を進め、翌日に本丸入りをした。
   
(宇土城主小西行長由縁の宇土櫓:重要文化財)
     
(西出丸戌亥櫓:平成十五年復元)
 
  天正十九年(1591)加藤清正は、千葉城から隈本城付近に新たに熊本城を築いた。然し、清正の子忠広が改易となり、代わって豊前小倉細川忠利が五十四万石で入城した。以後、細川氏が廃藩まで続いた。
    
  明治初期、熊本鎮台設置により一部の遺構が改変され、西南戦争によって天守、御殿、櫓の一部を焼失している。
      
(飯田丸五階櫓:平成十七年復元)
      
                        (花吹雪の二の丸)

(熊本市中央区記事:細川刑部邸 旧陸軍輜重兵第六聯隊施設 隈本城 早野ビル 水前寺成趣園 上通並木坂 千葉城 路電熊本 小泉八雲 Second Kumamoto 春宵の熊本城 練兵町 白川 熊本交通センター百貨店 熊本下通 平成二十七年 藤崎八旛宮 熊本電気鉄道 路電熊本平成二十七年 熊本城平成二十七年 旧熊本地方合同庁舎 熊本城稲荷神社

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菅生川の春 平成二十一年

2009-04-05 00:00:11 | ふるさとの木々

(乙川 愛知県岡崎市)
 また、春が訪れた。昨年から毎日訪れるようになった乙川のほとりは、束の間の薄紅の季節を迎えた。

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北原白秋生家

2009-04-04 00:00:13 | 木のたてもの
(福岡県柳川市沖端町 県指定文化財)
 「御花」から西に向かうと、古い商家があった。明治18年(1885)に生まれた北原白秋の実家である。この地が生家といわれるが、他に熊本県南関町出生説もある。明治34年(1901)に大火に遭い母屋以外は焼失、そして北原家の家業も衰退していった。
 昭和44年(1969)母屋の修復と共に一部を復元し、一般公開された。そして、昭和60年(1985)白秋生誕百年記念事業として、白秋記念館及び柳川市立歴史民俗資料館を開設している。
      
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ひのくにへ

2009-04-03 00:00:53 | 漂い紀行

 最近は時間がないなどと言いながら、ここのところ西国の地に惹かれ、今回は熊本を訪れた。今度は飛行機で向かい、初めてのJAL機だったが、先日の貨物機着陸失敗もあってかキャンセルが多いようで、当初ほぼ満席だった予約も空席が目立っていた。
 天候は晴れから西に向かうにつれ曇りとなった。上空滞在時間は一時間余りで、飛行機はどんよりとした雲を突き抜け、海側から滑走路に侵入した。着陸後すぐに曲がり角となり、地方空港であることを感じさせた。家を出たときの外気温は3℃と寒く、待ち合わせの時間は体が震えるほどであったが、熊本は8℃。陽は照っていなかったもののさほど寒くはなく、桜もそろそろ葉桜に近づくほどの四季の流れの地であった。
 
  この後は、阿蘇くまもと空港からリムジンバスで市街地へと向かった。

(関連記事:益城

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高隆寺峠

2009-04-02 00:00:41 | 漂い紀行
(愛知県岡崎市高隆寺町)
 凡そ三年半振りに訪れる。入手した招待券「あら、尖端的ね。-大正末・昭和初期の都市文化と商業美術-」を観覧するためにマインドスケープミュージアムを訪れた。
 東公園の東に、中央総合公園とは?と毎度思いながらも、季節の花の咲き始めた丘に気持ちが向いた。然し、辺りは冬の北風が吹き荒び、三寒四温を思わせる日であった。
 
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御花 松濤園

2009-04-01 00:00:43 | 城郭・城下町

(福岡県柳川市上外町 国指定名勝)
 元禄十年(1697)に築造された、柳川藩別邸「集景亭」が存在したこの場所が、花畠と呼ばれる地であったことから、「御花」と呼ばれるようになったのだという。園内は、松島を模した庭園と、明治43年(1910)立花家の迎賓館として建てられた、木造二階建ての洋館等がある。
        

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