(横浜市金沢区富岡)
ベイサイドマリーナ側から富岡地区に入った。応長元年(1311)に発生した津波の際には、周辺で被害が出る中で富岡八幡の丘に波が遮られ、この地には被害がなかったという。その後は波除八幡として信仰され、徳川幕府による江戸深川干拓の際に高潮で悩まされたため、この地の富岡八幡が深川に勧請されている。明治時代に入ると、この辺りは著名人の別荘地になったが、高度成長時代以降は海岸が埋め立てられ、光景が一変した。因みに「京急富岡」は、昭和5年(1930)湘南電気鉄道湘南富岡駅として開業したのが始まりである。
真言宗花翁山慶珊寺 寛永元年創建
かつての海岸十二天岬に存在した松方正義別荘跡
(海倉橋 愛知県新城市豊島・一鍬田 1995年7月23日)
三年前に訪れた際には、新頭首工が建設され始めたばかりであったが、今回は旧頭首工の一部と、管理棟が残るのみであった。
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(愛知県宝飯郡一宮町東上字北岡 1995年7月8日)
豊川に沿う国道151号線の山側が工事されていた。山地崩壊危険地区治山事業によるもので、付近は小さな崩落が度々起きていた。台地上は北岡地区であり、豊川に注ぐ蟹川と長良女川の谷に挟まれた、本宮山から延びる舌状台地である。崖下に街道(国道)ができるまでは、崖上に信濃(吉田)往還(明治9年-伊那街道)が通り、今はひっそりしながらも往時は人通りが多かったという。この地は元々、東上村であったが、室町時代の文安四年(1447)に起きた豊川洪水による流路変遷によって、南隣の松原村の中に川ができてしまった。幾度となく起きる洪水に、寛永七年(1630)に松原村庄屋が分村を決意し、山林開墾によって新たに誕生したのがこの北岡新田村である。
(東京都武蔵野市)
五年振りに訪れる。住みたいまちナンバーワンとされる吉祥寺であるが、最近は些か違っているようである。
日蓮宗佛種山得乗院蓮乗寺
武蔵野八幡宮
曹洞宗雲洞山月窓寺
サンロード
(関連記事:吉祥寺平成二十三年)
(東京都世田谷区池尻)
旧大山街道と玉川通りの間に鎮座する神社である。明暦年間(1655-57)日蓮宗常光院(廃寺)の境内(現在地)に、池尻村と池沢村(明治12年池尻村に編入)の鎮守及び火避けの神として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀ったのが始まりという。
(愛知県豊川市平尾町天間 1994年12月22日)
平成4年度から続けられている県営圃場整備事業は、ようやく平尾東部、中部、西部へと広がり、河川改修、道路整備、段丘整地等が行われた。それに伴う天間遺跡第1次発掘調査が行われ、旧石器の他、弥生時代、古墳時代後期及び飛鳥時代の住居跡、遺物が検出された。調査後約一ヶ月経ったが、まだそのままの状態であった。遺跡範囲の内、七分の一の発掘調査であったが、一回の発掘調査としては豊川市最大規模のものであった。
(東京都目黒区青葉台)
昭和44年(1969)上目黒の内、目黒川左岸の一部を青葉台として分離し誕生した地域である。その一角を占める西郷山公園は江戸時代、豊後竹田藩中川家抱屋敷跡であり、隣接する菅刈(すげかり)公園は豊後岡藩中川家の下屋敷であった。明治に入ると共に海軍大臣・政治家であった西郷從道(隆盛の弟)の別邸として二万坪が整備され、昭和16年(1941)渋谷に転居した後は、堤康次郎の所有を経て鉄道省の所有となった。空襲により旧西郷邸和館は焼失したが、洋館は被害を免れて、国鉄官舎や国鉄スワローズ合宿所に使用された後、昭和38年(1963)明治村に移築されている。(旧西郷從道邸)西郷山公園は昭和56年(1981)に開園。菅刈公園は平成9年に目黒区所有となり、平成13年に開園した。
上村坂は明治時代に海軍大将、男爵であった上村彦之丞の邸宅が坂の上にあったため名付けられた。
相の坂は大坂(玉川通り)と新道坂(駒沢通り)の間にあるため「あいの坂」と呼ばれるようになったという。
(愛知県南設楽郡鳳来町大野 1994年10月25日)
大野へは十年振りに訪れ、豊川用水の頭首工である宇連川「大野池」を漫ろ歩いた。
阿寺川河口
宇連川
豊川用水
(関連記事:宇連川大野 お井戸の泉 阿寺の七滝)
(暗闇坂 東京都目黒区青葉台・上目黒)
渋谷区猿楽町丸旦山の朝倉家住宅の南から斜めに下っていく坂を目切坂と呼ぶ。明治維新頃、坂の袂に伊藤與右衛門という石臼職人がおり、石臼の溝を彫ることを目切りと言ったため坂をそう呼んだ、あるいは坂の形状がその目切りに似ていたことから目切坂になったと伝わる。また、この坂は鎌倉街道「中の道」の一部ともされ、往時は山の斜面が木々で鬱蒼としていたため、暗闇坂と呼ばれたという。
朝倉家住宅
(愛知県豊橋市嵩山町 1994年10月1日)
豊川水系神田川支流狭石(せばいし)川は、土石流危険渓流に指定されている川である。今回は台風が過ぎ去った後、被覆護岸工事がされたばかりの川に、勢いよく流れる水を見ることができた。
(東京都渋谷区猿楽町 国指定重要文化財)
東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、大正8年(1919)目黒川の河岸段丘端に建てられた邸宅である。昭和22年(1947)相続により社団法人中央馬事会へ売却され、更に農林水産省に譲渡された。昭和39年(1964)からは経済企画庁渋谷会議所として利用されたが、取り壊しの動きがあったため保存運動が起き、平成16年の重文指定を機に復原作業が成され、渋谷区が管理のもと一般開放された。現在の敷地は約1,600坪であるが、かつては隣接する山手通りや代官山ヒルサイドテラスも邸宅の敷地であった。そのヒルサイドテラスは朝倉家が法人所有する不動産である。
木製レール
(地蔵檜 愛知県豊橋市石巻本町東木ノ根 市指定天然記念物 1994年9月30日)
昨夜和歌山県に上陸した台風26号は、今朝方日本海に抜けた。この地方が台風の右側にあたったため風雨が強く、簡易建築物は至るところで被害を受けていた。この樹齢三百年の長楽(ながら)の桧も、枝が曲がったり折れたりしていた。かつて落雷で主幹が失われているだけに、気になるところである。
(東京都港区白金)
白金の高台から白金北里通りに向かって下る坂を三光坂と呼ぶ。徳川家光が鷹狩りの際、坂下の浄土宗松宮山専心寺に立ち寄り、境内にあった松を三葉の松と名付けた。そのため、松の前の坂を三葉(さんよう)坂と呼ぶようになったという。三葉の松は、葉が三つに分かれ、密教法具の三鈷杵(さんこしょ)に似ていることから、三鈷(さんこ)坂とも呼ばれ、後に鈷に光の字が当てられて、三光(さんこう)坂になったとされる。
旧服部金太郎邸