京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「ひとり」は「ふたり」に…

2009年09月28日 | 日々の暮らしの中で

     いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり

すべてがひらがな書きにされている。漢字が多いと、それが持つ「表意」の働きで目で読んでしまう。それに比べれば、ゆっくりと、ことばやこころと向き合いながら読める違いがあるというもの。

不可解な自分という「ひとり」を見つめ、その先に他者の存在を見出して「ふたり」の関係でつながっていく。ふたりで生きる日々は続くけれど、またやがていつか「ひとり」になるための「ふたり」であって、「ひとり」になったらまた「ふたり」になるための自分がいて……、この終わりのなさよ。

やけに理屈っぽい私。なんでこんなことを考えているのだろうか。なぜだかよくはわからない。
「ひとり」は「ふたり」になれる。「ひとり」はニ分の一。残りの半分は背負ってもらって、同じ空気を吸って、そんなこんなで「ふたり」の日常を肯定していく。生きるってことだろうかなあ。肯定することでしか始まらない、受け入れることでやっと始まる日常もありだなあ…。

喜びの裏には哀しみが。表と裏・相反するものが…。
永遠ー一瞬 記憶―忘却 虚像―実像 空虚―充実 上品―下品
達筆―悪筆 敏感―鈍感 単純―複雑 多弁―寡黙 老練-幼稚(未熟)…… 

日常は「ロマン」!なのね、きっと。

ま~、突然ですが、なぜかこういうことになりました。ちょっとどうかしてるかな?

コメント (9)
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