Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

西チベットの旅 9

2007-06-16 14:49:54 | チベット文化圏
6月20日 カイラス巡礼2日目

昨晩からちらほらと雪が降っていた。朝、目を覚ますと回りは真っ白。

これは峠越えをせず、来た道を引き返すことになるか、と思ったら「これぐらいなら問題ありません。出発です。」とのご託宣。コルラはしたいが、峠は越えたくないので複雑。

ここで最年長者と60代のご夫婦が脱落、7名+スタッフで目の前の山道を登り始める。急な道ではないのだが、5000メートルではとにかく一歩の登りがつらいのだ。それこそ5歩あるいたら休まなければ息が続かない。山のベテランのお姉さま方のペースに合わせて、とにかく必死で付いていく。なにしろ一度登ってきてしまったからには自力で降りるしか手はないのだ。「ここにヘリが来てくれるならいくら出してもいい」とまで思うが、この高度ではヘリも来られないと言うのだから。同行者の1人が「大金払って、なんでこんな苦労してんだろ」とつぶやく。激しく同意。

へろへろの我々の横をチベット人の子供たちがスイスイ抜かして行く。
 さすが。
そのうちにテントを片付けた我々のキッチン・スタッフが追いついてきた。情けない姿を見かねてリュックを持ってくれると言う。リュックの中身はおにぎり2ヶと水だけ、重さは2キロもないだろう。いつもだったら断るが、この時だけは持ってもらった。わずか2キロがつらいのだから。

こんな調子で4時間、ようやくたどり着いたドルマ・ラ、5668メートル。
 タルチョを結び、ルンタを撒くのがやっと。元気なお姉さま方はここでおにぎりを食べていたが、食欲などまったくない。

峠からカイラス方向。ここからは晴れていても山は見えないようだ。

みんなで記念撮影をしたら早速下山開始。岩の上に雪が積もっているので慎重に降りる。
 
 峠の麓のヨクモ・ツォも真っ白。

峠を降りきってからは小川の流れるわりと平坦な荒地を行く。
 五体投地のお坊さん
 手に靴を履き、大変だろうと思うが表情は晴々とうれしそうだ。
 次第に晴れて雪も溶けてきた。
歩くこと3時間、あとほんの少しでキャンプ・サイトと言われるが、みんな疲れているので茶店のテントに引き寄せられてしまう。中にはストーブがあって、暖かいだけでほっとする。
 先客のチベット人巡礼のおばさん。隣に座ったら何か言いながら腰のあたりをつまんで肉付きを確かめ、飴をくれた。もっと太れってこと?
 無事にたどり着いたキャンプ地、4755メートル。
 とっくに到着していたヤク使いのおじさん達がなごんでいた。

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西チベットの旅 8

2007-06-15 13:31:59 | チベット文化圏
6月19日 カイラス巡礼1日目

いよいよ巡礼開始。朝食をしっかり食べて、車でタルチェンから5キロほどのタルボチェまで行く。今回は平均年齢がいささか高い(!)ということで、ちょっとずるをしたわけ。

タルボチェとはタルチョのつけられたポールのことで、ここはつい数日前に付け替えられたばかりで旗が真新しくきれいだ。この出発点で標高4630メートル。

 川を下に見ながらしばらく行くと
 雲をまとったカイラスの南西面が見えてきた。
 歩き始めてすぐに1つ目のチュク・ゴンパ。高い崖の上にあるこの寺に寄る余裕はない。
 一日目の巡礼路はインド人でいっぱい。厚着をした彼らの多くは歩くのがいかにもしんどそうで、馬に乗った人たちもいる。一日目はそれほど高低差もなく、今からこれで大丈夫かいな、と思ったら二日目以降はまったく見かけなくなった。どうもインド人はコルラ(周回)をすることには興味がないようで、山の北面を見たら来た道を引き返すようだ。川原にはランドクルーザーがずいぶん入っていたし、北面まで自動車道ができるのは時間の問題だろう。

それに比べてチベット人、
 
この巡礼路を五体投地でまわるのだ。
実は自分もカイラスの姿が見えたら一度ぐらいは五体投地礼で拝もうと密かに思っていた。が現実はとてもとても、そんな余裕はまったくなく、手を合わせるのがやっと。こんな所で五体投地をしたら酸素不足で死んでしまう。

お昼は川原でおにぎりを食べ、
 山の西面を回って
テントでお茶休憩。
 なかなか男前のおにいさんにお茶を入れてもらい、ここら辺まではまだ大丈夫だった。

出発地から15キロほどで2番目のディラ・プク・ゴンパ。
 
ここへのちょっとした登りがもうつらい。

しかし寺の正面こそ絶景。

カイラスの北面が目の前に。自分の目で見られた幸せを噛み締める。

お寺を降りたらすぐ宿泊地と聞いていたがもう疲労困憊。添乗員が場所を確認する間、また茶店で暖を取る。ひどく寒いのは気温のせいばかりではないようだ。

チベット人の巡礼は渋くてかっこいい。

 ようやくキャンプ地到着。
標高4980メートル。高度にもかかわらず、温かいご飯をもらった後は疲れですぐにぐっすり眠ってしまった。

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西チベットの旅 7

2007-06-14 17:07:04 | チベット文化圏
6月18日 マナサロワール湖畔からタルチェン

この日は久々にゆっくり8時モーニングコール。とは言え、前日早くから寝ているので当然朝も早くに目がさめる。
 昨日よく見えたナムナニ峰が今朝も朝日に輝いている。
そして反対側を見ると
 雲の合間からカイラスが!
はるばる来たぜ、とようやく感動。

朝食の後、出発の準備ができるまでマナサロワール湖に手を漬けに行く。キャンプ・サイトから水辺まで結構あるのだ。
 水は冷たい。

湖畔からカイラス巡礼の拠点タルチェンまでは60キロ。
途中、山がどんどん大きく、きれいに見えてくる。
 
カイラス(カン・リンポチェ)は標高6656メートル。ここいら辺では高い山ではないが、見間違えようのない姿をしている。山の価値は高さではないのだ。

昼ごろタルチェンに到着し、招待所に荷物を降ろす。
 
部屋は満室なので4人一部屋。ベッドの上以外に荷物を広げるスペースもない。
我々以外の宿泊客はインド人と中国人のようだった。

昼食の後、タルチェンの町を散歩してみる。
 メインストリートではビリヤードに興じるチベット人。
 何でも揃う雑貨屋

 郵便局は営業時間になっても開かない。局員がどこかにでかけてしまったらしい。ここからはがきを送りたかったのにかなわず。

10分も歩けば終わってしまう小さな町。だが町外れには学校があり、新しいホテルも建設中。これからさらに観光客が増え、この町もどんどん変わっていくのだろう。

散歩中、ここの学校に通っているというブータン人の子供がいて驚いた。でもどうしてブータン人ってわかったんだっけ。忘れてしまった。

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西チベットの旅 6

2007-06-13 23:39:59 | チベット文化圏
6月17日 トンバからマナサロワール湖畔

この日も5時半起きでうらぶれた町をさっさと後にする。

町を出てしまえばヒマラヤの山々が朝日に輝いてきれいだ。

しばらく行った先のドライブインでお茶休憩。
 
チャムドから来ているというおねえさんはミキサーでバター茶を作ってくれた。

 この日のランチ。
ラーメン・デ・スカイは気圧の低いチベットで大活躍。
 こういう所で食べるとおいし~
 乾燥しきったこの辺りではこんな花が地面にへばりつくように咲いている。
 羊の乳搾り風景
 よくある風景。
こちらのドライバーはなんでもすぐに直してしまう。

やがてこの公路上で一番標高の高いマユム・ラ(5216メートル)に到達。

これを過ぎてしばらく行った先にようやくマナサロワール湖畔のキャンプ・サイトがある。

 湖の向こうにはナムナニ峰がきれいに見える。が、カイラスは残念ながら雲に隠れて姿を見せてくれない。

キャンプ・サイトには既にインド人の巡礼がいっぱい。みんなもこもこにアノラックなど着込んで寒そうにしている。
 今回初めてのテント泊。
 美しい夕日を堪能し、夕食を食べたらさっさと寝袋にもぐりこむ。しかし湖からの冷たい風が吹き付けるマナサロワール湖畔の夜はさすがに寒かった。

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西チベットの旅 5

2007-06-12 23:20:33 | チベット文化圏
6月16日

深夜、不審な物音に目を覚ました。自分の部屋の鍵が外から開けられる音。
何の音かは認識したが寝起きでボーっとしていると、男が二人、懐中電灯を手に入ってきて、脱ぎ散らして隣のベッドの上に置いた服を見ている。

「えっ」と思ったが相変わらず寝とぼけているので恐怖心も湧かず、「何してんのよ」と思い切り不機嫌な低音で言うと、片方の男が「オー、ソーリー」とつぶやいて二人で鍵をかけて出て行った。

出て行かれてから次第に目が覚め、今のは考えようによっては恐ろしい事態だったのではないかと思えてきた。あわててドアの前に重い椅子など置いてみたが、何事か起こるのであればとっくに起こっている状態。これは絹を裂くような悲鳴を上げるべきだったのでは、と妙な後悔をする。

朝食の時に添乗員に言いつけると、やはり1人部屋のおじさんの部屋も侵入されたとのこと。どうも夜中に到着した旅行者のために、ホテルの人間が空きベッドを探していたらしい。まったく、ドーミトリーじゃないんだから。チベット人スタッフがものすごく怒って、ホテルのマネージャーを謝りによこしてくれたから、まあいいや。それにしても驚いた。

この日はひたすら移動のため、5時半に起床、7時に出発。
サンサンの町を出て峠に上るとヒマラヤの雪山が見えてきた。


22道班は道路の分岐点。西のアリまで北周りルートと南回りルートがある。

道は北の方が良いが、カイラスへは南ルートを行く。

サガの町で昼食。
 この辺りでは大きな町だが、昼間は店のシャッターも日よけのためにおろされていて、ゴーストタウンのよう。

サンサンから330キロ走って、この日の宿泊はトンバという町。
 中国軍の駐留のために作られた、なんだかうらぶれた町だ。
 泊まった宿の正面は食堂。軍の人間が大勢、食事に来て夜中まで酒を飲んでいた。これで町一番の店なのだろう。
 この店の麺と野菜炒めで夕食
 裏の部屋は思いのほかきれい。
ただしこの宿にトイレはなく、町の公衆便所は足を踏み入れられなかった。
この町の人間は一体どうやって生活しているのだろう。

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西チベットの旅 4

2007-06-10 12:15:42 | チベット文化圏
6月14日続き

午後早く、シガツェ到着。
お泊りはシガツェ飯店のチベット部屋。
 
仏壇まであるインテリアは面白いが、ベッドはあまり寝心地よくない。

以前に一度行ったタシルンポ僧院の観光はパスしてシガツェの街歩きに出てみる。
 
広い通りに低層のビルが並ぶいっぱしの「都会」。デパートもあるし、歩行者信号まである!

 
公営市場。野菜類も豊富で、流通も良くなっている様子。

強い日差しの中を歩き回って疲れたのでおしゃれな喫茶店でコーヒー。


6月15日 シガツェからサンサン。

ヤルツァンポ川に沿っていよいよ西チベットへ。

この先は緑がほとんど見えない。

 ラツェの町で昼食。
 「豪華」なお弁当は最初で最後。

この町でネパールへ向かう中尼公路と別れ、新彊へ続く国道219号へ。道路もアスファルト舗装ではなくなるが、それほど悪い道ではない。

ラツェのちょっと先にあるラン・ツォ。

チベットにはこのようなブルーの湖があちらこちらにある。

 
峠ではドライバー達がタルチョを結ぶ。
 荒野に咲く花
小さな葉から不釣合いに大きな花が茎もなくいきなり咲く。チベット人はこの花を花笛にして遊ぶそうだ。

シガツェから320キロのサンサンで今夜は宿泊。
 
 ごく最近作られた町らしい。
 ホテルもまだできたばかり、というか内装工事中。
 バスルームが付いているが鍵がかかって使えないお部屋。きれいで快適だったが・・・
 食事は今日からキッチン・スタッフのお世話になる。ホテルの前に停まっている大きな青いトラックがわれわれのキッチン・カー。中は食糧で満杯。野菜中心の食事で味もいい。旅行社にはビタミン剤を持ってくるよう言われたが、そんな必要はまったくなかった。

そして事件は夜中に起きた・・・

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西チベットの旅 3

2007-06-09 11:37:48 | チベット文化圏
6月14日 ギャンツェからシガツェ。

朝は一番に町を見下ろす山の上の要塞、ギャンツェ・ゾンへ。
 
20世紀の始めにはイギリス軍も迎え撃った(そしてあっさり敗れた)という由緒ある要塞だが、最近修復されて、中にちっぽけな民俗博物館のようなものと保存状態の悪いマンダラ壁画がある他は何もない。

要塞だけあって城壁の上からの眺めは素晴らしい。
 町並みの向こうに
 パンコル・チューデ

どうもお祭りらしく、寺の奥の壁にタンカが広げられているのが見える。ということであわててゾンを降りてパンコル・チューデへ。
 
タンカは夜明け前に広げるものなので、着いたころには半分以上降ろされてしまっていた。

タンカには間に合いそうにないのでクンブムの壁画を撮ることに専念する。
 8階建ての仏塔の中が小さな部屋に細分されていて、そのすべてが壁画や仏像で覆われている夢のような場所。下の階から右回りにぐるぐると上に登っていくとより上位の教えにたどり着くようになっているそうだ。
 
 
15世紀の壁画は保存状態の良いものも多くてほれぼれする。
が部屋の中は暗いし、小さな部屋が多いので、三脚を使ってもへぼいコンパクトカメラでは苦労する。チベット人のおじさんがおもしろがってしばらく一緒に回ってくれた。
 
仏画は屋根の裏にもある。人懐っこい女の子たちが勝手にポーズを取ってくれた。
 門前で見かけた親子。はじめて見るおくるみ。

もっと見たいと思いながらも、ツアーの悲しさ、ギャンツェを離れて畑の中のお寺、シャール寺へ。

小さな寺だがこの中にも保存のいい壁画が。

ネパールの影響が強い仏画はギャンツェとは雰囲気が違う。

このバター・ランプの香りを嗅ぐと興奮する(病気)。

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西チベットの旅 2

2007-06-08 14:01:45 | チベット文化圏
6月12日 高度順応のためラサ滞在。

朝起きると食欲は戻ったが頭痛は消えない。1週間は鎮痛剤必携。もともと頭痛持ちなので高所ではいつもこうなる。

まずは足慣らしにポタラ宮へ。

6年前に行った時とは順路が変わっている。

中にはないのがわかっているのでまずは入り口脇のトイレへ。
広いお部屋に穴が二つ。仕切りも何もない。
そしてなぜかチベット人の若いおねえちゃんが二人、何をするでもなく壁に寄りかかっていつまでもいる。しかもこちらを向いて。
あっち向いてよ視線を向けてもお構いなしなので、見つめられながら用足し。
何が面白くてこんな臭い所にいるやら。

ポタラのトイレはもう1ヶ所の方がおもしろい。穴がものすごーく深くてスリルがあるのだ。深いおかげで匂いもひどくないし、今は出口側になっているトイレの方がおすすめ。

 ポタラの一室に猫の親子がいた。お坊さんが飼っているのだろうか。
 火の用心ポスター。
ポタラらしくていい。

ポタラの内部はだだっ広くて、歴代ダライ・ラマのお墓や大広間の壁画など見所がないわけではないが総じて陰気な感じだ。現ダライ・ラマが嫌ったのも良く分かる。

午後はセラ寺の中庭でお坊さんの問答を見学。
 
観光客に写真を撮られながらでは修行もしにくかろう。半分は木陰でだべっているだけだったけど。

夕食はこの旅最初で最後の豪華な羊肉しゃぶしゃぶ。
 
スープにいろいろな漢方の具材が入るのがおもしろかったが、これは北京風とのこと。
おいしかったから、まあいいや。

6月13日 ラサからカンパ・ラを越えてギャンツェへ。


これから17日間お世話になる車とドライバー達にご対面。
車は一応トヨタのランドクルーザー、席は毎日くじ引きで決める。

 6年前には天気が悪くてほとんど何も見えなかったカンパ・ラ。日本のガイドブックでは4750メートル、看板では4990メートル。
今回は快晴でヤムドゥク湖もちゃんと青く見えた。


もう一つの峠、カロ・ラ(5045メートル)を越えると氷河が見える。
この氷河が7000メートル以上。空の青さがたまらない。

この先、ギャンツェまでは楽勝、と思いきや道路工事が続いて大変な悪路。6年前に来た時の比ではない。農業用水路を造っているようで、あちこち溝だらけ。ギャンツェまでの道は遠かった。

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西チベットの旅 1

2007-06-07 17:21:43 | チベット文化圏
いいかげん博物館シリーズも飽きたので、今度はカイラス巡礼1周年を記念して西チベットの旅にお付き合いいただこう。

2006年6月10日から7月2日まで ラサからカシュガルまで西チベット横断の旅。

6月10日 朝7時半に成田集合、ツアー・メンバーと初顔合わせ。

一行中最年少はいつものごとく添乗員、40代は自分ひとり、50代2名、60代4名、70代3名で最年長は75歳!予想はしていたが、すご。

成都でのお泊りは西蔵飯店。これからの旅に相応しい。

6月11日 朝4時半起き、7時40分の中国国際航空でラサへ。

 成都の空港も立派になった。 
 こちらはラサ空港。
せっかくボーティング・ブリッジがあるのに使わない。なかなか降ろしてもらえず、赤じゅうたんなど敷いているので何事かと思ったら、乗ってきたエアバスが初就航だったらしく、式典があったらしい。

最近の中国国内線は思いのほか機材が新しく、きれいだったりする。

空港からラサへの道は新しいトンネルができて30~40分短縮された。
 途中の磨崖仏の回りも公園のようになっている。6年前はこんな風に整地されていなかったと思うが。

西蔵賓館にチェックインして町中で昼食。まだ高山病症状は出ず、チベット式のすいとんが食べられる。

午後はジョカン寺へ。
 相変わらず五体投地のチベット人がいっぱいいてほっとする。
この日は大きな法要があったようで、境内は大変な人ごみ。人に押されながら中のご本尊を拝んできたが、チベット人が入り口に無造作に帽子を置いていくのがおもしろい。

ここで盗みを働くような不信心者はいないということか。

パルコルもずいぶんきれいに整備された。
  

ダライ・ラマの御座所に今はパンチェン・ラマのブロマイド。

夕方になりそろそろ頭痛が出て食欲がなくなる。前回ラサに来たときも同じだった。夕食を抜いて大事をとる。

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ソウル 国立中央博物館

2007-06-05 13:38:28 | 東アジア
昨年の11月に行ったソウルの国立中央博物館。
 
2005年の10月にできたばかりで、世界で6番目の大きさとか。
細長い建物の中央が吹き抜けのガラス天井になった、ショッピングモールのような構造。明るくて清潔感がある。

当初は予定に入れていなかったこの博物館、行きの機内の案内ビデオを見て興味を持ち、チャングム・ツアーのガイドやホテルのフロントで行き方を聞いてみたがどちらも「さあ、よく知りません。タクシーで行けば」。仕方ないのでロビーのPCで検索、なんのことはない、地下鉄の二村駅から歩いてすぐだった。

入ってすぐの1階には考古学室。百済、新羅、高句麗など、学生時代を思い出す。
 これは新羅の宝冠。ヒスイが埋め込まれている。

その他、武器、仏具など素晴らしい工芸品がたくさんあるのだが、あちこちに「この技術は日本に教えてやった」と書かれているのがご愛嬌。まあ、本当のことですからね。

 中央廊下の最奥には十層の石塔。
 9メートルの仏画も建物の構造を生かしたうまい展示だ。

韓国の自慢の一つは陶磁器。ここには国宝がゴロゴロしていて眼福。
 李朝白磁に
 高麗青磁
 
酒瓶の姿が美しくてうっとり。さすが酒飲みの国。

不思議な動物型容器。何に使ったものやら。

韓国家具も渋くていい。


そして仏像。
 国宝、弥勒半跏思惟像。
これだけは個室で特別展示で、写真撮影も禁止なのでこの写真は博物館のHPのもの。
日本の広隆寺の弥勒菩薩のご先祖様というのがよーく分かります。

 
その他の仏像もりりしくてなかなか素敵。とても切れ長の目がやはり日本のものとは一味ちがう。

とても見所の多い博物館で予想よりもずいぶん時間をかけてしまった。が、日本人の観光ルートにはまだ入っていないらしく、ツアーは1組しか見かけなかった。もったいない。

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