古紙の回収システムが整備され、製紙原料として使用されていたことは知識としてあったが、今や製紙の主たる原料が木質パルプではなく、古紙から取るパルプだったとは…。目からウロコだった。(お恥ずかしい…)
※ 工場内は写真撮影がNGだった。そこで一枚だけHPから拝借した。写真は「抄紙機」という巨大で長~い製紙機械です。
10月11日(火)、経済広報センターが主催する「企業と生活者懇談会」に応募したところ、幸いにも当選し参加することができた。
今回の懇談会は、王子製紙苫小牧工場を訪れて、工場見学をするとともに、工場関係者と懇談するという内容だった。
※ 王子製紙苫小牧工場のシンボル、200mの巨大煙突です。
今回は正午に札幌からバスで苫小牧に移動し、まずは王子製紙のレクチャールームで、王子ホールディングスと王子製紙の関係者からそれぞれ概要説明を受け、企業のPR・DVDを視聴することから始まった。
その冒頭の説明で、王子製紙苫小牧工場で生産する紙の8割が新聞用紙であり、新聞用紙の国内シェアは3割とのことだった。
そして、原料としては古紙が7割、木材チップ3割であるとの説明を受けた。(後からの懇談の担当者は古紙6割とも言っていたが…)
ともかく、今や製紙の主原料が古紙となっていることを不覚ながら私は初めて知ることとなった。
この事実に衝撃(?)を受けた私は、後からの懇談の席で関係者に伺った。「製紙の原料が木質パルプから、古紙から取るパルプへと主役が転じた時期は何時だったのか」と…。
すると担当者から、エコ意識の高まりや、木材原料の高騰、あるいは海外の木材の買い漁り批判など複合的な要因から、1990年代に入り急速に古紙への転換が図られたという。そして1990年代末には古紙が上回ることになったと思う、との回答を得た。
そんなに早くから古紙は製紙原料の主役に躍り出ていたとは、私の認識不足であった。
その後、苫小牧工場の二つの製紙関連の機械(工場)を見学した。
一つは、古紙から古紙パルプを製造する「パルパー」と呼ばれる機械に古紙が投入されるところ。
もう一つは、木質パルプも含めて、パルプから紙を一貫生産する「抄紙機」という長さ100mを超える長いラインの機械を見学した。
まあ、最近の工場見学はオートメーション化によって、大型の機械をただ眺めるだけということが多いが、製紙工場の場合も例外ではなかった。
※ 歴史ある苫小牧工場では、産業遺産となるような建物があちこちに散見されました。
写真はレンガ造りの変電所で現役だそうです。ただ、耐震性に問題があるため取り壊しの運命とか…。
工場見学の後、担当者を交えての懇談があり、私たちの質問にいろいろ答えていただいたが、私が最も印象に残ったことは、製紙業界が自然環境の維持のために大変な努力をされているということだった。
製紙業界というと、製紙工場が集中していた静岡県富士市において、田子の浦の海がヘドロにまみれていた映像を思い出す向きが多いかもしれない。私もその一人だ。そのダメージから脱却するために、製紙業界では大変な努力をされ、今やどこからも非難を受けることなどない状態となっている、と担当者が話された。
さらには、製紙業界が時代の変遷の中で構造的不況に苦しんでいるということをお聞きした。情報機器の発達によりペーパーレス化が進んでいること、さらに新聞、書籍などが読まれなくなり、紙の需要が大きく落ち込んでいるということだった。
担当者の話から、そうした状況からの脱却のために培った技術を関連産業、他産業への転用を模索しているということだった。
※ レクチャールームの入り口には、王子製紙アイスホッケーチームのユニフォームなどが展示されていました。
産業界の現状などには全く疎い私である。時代の変遷が産業の在り様を大きく変えていること、さらには大企業であっても時代の需要に合わせて業態を変えていくことが求められていること、などを生の声として伺うことができた貴重な「企業と生活者懇談会」だった。
※ 工場内は写真撮影がNGだった。そこで一枚だけHPから拝借した。写真は「抄紙機」という巨大で長~い製紙機械です。
10月11日(火)、経済広報センターが主催する「企業と生活者懇談会」に応募したところ、幸いにも当選し参加することができた。
今回の懇談会は、王子製紙苫小牧工場を訪れて、工場見学をするとともに、工場関係者と懇談するという内容だった。
※ 王子製紙苫小牧工場のシンボル、200mの巨大煙突です。
今回は正午に札幌からバスで苫小牧に移動し、まずは王子製紙のレクチャールームで、王子ホールディングスと王子製紙の関係者からそれぞれ概要説明を受け、企業のPR・DVDを視聴することから始まった。
その冒頭の説明で、王子製紙苫小牧工場で生産する紙の8割が新聞用紙であり、新聞用紙の国内シェアは3割とのことだった。
そして、原料としては古紙が7割、木材チップ3割であるとの説明を受けた。(後からの懇談の担当者は古紙6割とも言っていたが…)
ともかく、今や製紙の主原料が古紙となっていることを不覚ながら私は初めて知ることとなった。
この事実に衝撃(?)を受けた私は、後からの懇談の席で関係者に伺った。「製紙の原料が木質パルプから、古紙から取るパルプへと主役が転じた時期は何時だったのか」と…。
すると担当者から、エコ意識の高まりや、木材原料の高騰、あるいは海外の木材の買い漁り批判など複合的な要因から、1990年代に入り急速に古紙への転換が図られたという。そして1990年代末には古紙が上回ることになったと思う、との回答を得た。
そんなに早くから古紙は製紙原料の主役に躍り出ていたとは、私の認識不足であった。
その後、苫小牧工場の二つの製紙関連の機械(工場)を見学した。
一つは、古紙から古紙パルプを製造する「パルパー」と呼ばれる機械に古紙が投入されるところ。
もう一つは、木質パルプも含めて、パルプから紙を一貫生産する「抄紙機」という長さ100mを超える長いラインの機械を見学した。
まあ、最近の工場見学はオートメーション化によって、大型の機械をただ眺めるだけということが多いが、製紙工場の場合も例外ではなかった。
※ 歴史ある苫小牧工場では、産業遺産となるような建物があちこちに散見されました。
写真はレンガ造りの変電所で現役だそうです。ただ、耐震性に問題があるため取り壊しの運命とか…。
工場見学の後、担当者を交えての懇談があり、私たちの質問にいろいろ答えていただいたが、私が最も印象に残ったことは、製紙業界が自然環境の維持のために大変な努力をされているということだった。
製紙業界というと、製紙工場が集中していた静岡県富士市において、田子の浦の海がヘドロにまみれていた映像を思い出す向きが多いかもしれない。私もその一人だ。そのダメージから脱却するために、製紙業界では大変な努力をされ、今やどこからも非難を受けることなどない状態となっている、と担当者が話された。
さらには、製紙業界が時代の変遷の中で構造的不況に苦しんでいるということをお聞きした。情報機器の発達によりペーパーレス化が進んでいること、さらに新聞、書籍などが読まれなくなり、紙の需要が大きく落ち込んでいるということだった。
担当者の話から、そうした状況からの脱却のために培った技術を関連産業、他産業への転用を模索しているということだった。
※ レクチャールームの入り口には、王子製紙アイスホッケーチームのユニフォームなどが展示されていました。
産業界の現状などには全く疎い私である。時代の変遷が産業の在り様を大きく変えていること、さらには大企業であっても時代の需要に合わせて業態を変えていくことが求められていること、などを生の声として伺うことができた貴重な「企業と生活者懇談会」だった。