寡黙、一途、不器用、… まさにはまり役といってよいほど高倉健はぴったりと田舎駅長の役にはまっていた。「ぽっぽや」として一生を生きてきた乙松(高倉健)に定年退職が目前に迫る中、彼はその後をどう生きようと思っているのだろうか?
今さらの感もあるのだが、1999年制作の「鉄道員(ぽっぽや)」を観る機会があった。
12月20日(水)午後、かでる2・7の試写室において道民カレッジ事務局が主催する「懐かしのフィルム上映会」があった。
私は以前に一度観たと記憶していたのだが、映画を観ていてどうやら初見だったようだ。
映画は鉄道員一筋に生きてきた主人公・乙松が定年を間近に控えて、親友が第二の人生となる就職口を示しても興味を示さず、鉄道員として一生を全うしたいとの思いから首を縦に振らなかった。
そうして映画は乙松の鉄道員としての生きざまを現代のシーンと、過去を回想するシーンを織り交ぜながら進行する。
乙松は娘の雪子、妻の静枝を人生の途中で亡くしてしまったが、職務に忠実なあまり、生後2ヵ月で死んでいった娘や思いがけない病で死んだ妻を見取ることさえできなかった。
そのことに乙松は胸に痛みを抱えていたのだが、あるとき乙松の前に何度も不思議な少女が現れるのだった…。その少女はいったい誰??
映画は何度も現代と過去を行ったり来たりするので、自分の中で紡ぎ合わせるのにやや苦労したが、それがある意味とても効果的になっていたようにも思われる。
やがて、定年を春に控えた冬のある日、列車の到着を待つホームの上で…。
高倉健の代表作として「幸せの黄色いハンカチ」を挙げる人が多い。私も確かに同映画は高倉健の良さが出た映画だと思うが、「鉄道員(ぽっぽや)」はそれ以上に高倉健のはまり役ではないか、と思うほどだった。
特に冬用の駅長の外套(オーバー)を着込んだ高倉の姿は一服の絵のようにさえ感じた。
今回上映された映画は、いわゆるデジタル処理されたDVD映像ではなく、オリジナルのフィルムを上映したものだった。それがまた何ともいえない効果を醸し出した。色調がクリアではなく、なんとも温かみを感ずるような色調だったのだ。
映画の最後は乙松の悲劇的な最期を映し出して終わるのだが、寡黙で、一途で、不器用な乙松にふさわしい最期だったのかもしれない…。