カオス(混沌)こそが北海道の文化を語るうえで今こそ必要ではないか!と講師は主張した。かつての北海道にはそうした土壌が確かに存在していたという。さて、講師が言う “豊かなカオス” とは?柄にもなく文化について考えたひと時だった…。
今年の文化の日、私は固いネーミングの集会に参加することになった。その集会とは北海道文化団体協議会が主催する「北海道文化集会 北海道・中国黒龍省国際交流事業」なる集会だった。会場は道立近代美術館だったが、テーマは「展示する音楽と奏でる美術」と固い集会名のわりにはなんとなく言葉遊びにも聞こえる柔らかい印象を与えた。
集会の内容は多岐にわたっていた。まずは関係者の挨拶に続いて、北海道内の文化向上に寄与した個人・団体の表彰式があった。(その表彰内容については省略する)
その後、講演とカルテットのコンサートがあった。集会は別日程でまだ続く。6日(日)
に鼎談アートトークセッション、そして馬頭琴のコンサートが予定されている。
その他にも北海道・中国黒龍省国際交流事業の展示や動画放映、あるいは縄文土器づくり体験のワークショップも開催されるという。
私は3日の講演・コンサートと6日の鼎談・コンサートに参加を希望している。
そこで今回は3日の講演についてのレポをしようとパソコンの前に座っている。(コンサートについては二つのコンサートをまとめてルポすることにしたい)
この日の講演は「北海道の〈豊かなカオス〉再発見~地域の文化を記録する~」と題して編集者ありアートライターの古家昌伸氏が講演された。古家氏は北海道新聞の文化部の記者として北海道の文化の状況について長くウオッチングされてきた方だという。
氏はまず北海道の地形的特徴に触れた。というのは、SIAF(札幌国際芸術祭)2014のテーマは「都市と自然」というテーマで開催されたが、北海道は森林面積が広いとされている。確かに面積は広いが、総面積に占める森林面積は約7割ということで全国的に見るとその割合は意外にも第21位だという。さらにその中にあって札幌市の人口一人当たりの森林面積は0.03haだという。(全道平均では1人あたり約1haだそうだ)
さらに北海道は歴史が浅いと指摘されるが、先住民族を含めると北海道の歴史は長く深いものだという。そして津軽海峡によって生物の境界線(プラキストン線)の存在が文化の在り方にも大きな影響を与えているとした。
こうした本州とは一味違った背景を持つ北海道が本州の文化に接したとき、そこに “豊かなカオス” が発生し、活性化すると古家氏は言う。
事実、1970~80年代にかけて、北海道には混然一体とした文化が萌芽した時代があったそうだ。その代表としてJR札幌駅の北側には「駅裏8号倉庫」というスペースがあり、ジャンルを問わず、プロアマを問わず、人とアートが交差する場が盛り上がったそうだ。また出版界では月刊「ろんだん」が札幌で発行され、旭川では「豊談」という月刊誌が発行されていたが、その編集内容は多岐にわたり混然一体とした内容が人気だったそうだ。
しかし、時代は文化の専門分化・高度化が進み、中央集権化が進んでいったという。古家氏は北海道の文化の華を開かせるには、中央集権文化からの脱却が必要ではないかと強調した。そのためには北海道からの発信が不可欠だという。
そして古家氏は北海道出身(美幌町)で「知の巨人」とも称された文化人類学者の山口昌夫氏の言葉を引用する。その言葉とは「カオスの淵に迷い込む方がいい」と話されたそうだ。
前述したように、北海道には “豊かなカオス” が潜在しているという。だから敢えてそのカオスのただなかへ入り込むことだという。問題はその “豊かなカオス” の中からお宝的なキノコを探す犬がいるか、どうかだという。お宝を “くんくん” と探す犬の出現が期待されると古家氏は指摘した。
その後、そのことに関わって古家氏が熱望する「北海道文化芸術アーカイブセンター(仮称)」の設立構想にも触れたが、長文となりそうなので割愛することにする。
何事に対しても無知な私であるが、文化芸術の分野となるとその傾向は一層に強いと自認している。したがって、北海道には “豊かなカオス” が潜在していると言われてもピンとこないところもあったが、文化芸術の隆盛はあるいはそうした土壌からこそ生まれ得るものなのかなぁ、と話を聴きながら考えさせられた講演だった…。