“何を今さら” と揶揄されるかもしれないが、この歳になってようやく歴史物に興味を抱きだしたという極晩熟(ばんじゅく)の私である。山岡荘八全集の中で「徳川家康」編は26巻あるのだが、現在8巻まで読み進めた。面白い!熱中しています。
ある時、某氏と話をしていた際に、私が「山岡荘八の伊達政宗を読んでいる」と話したところ、その某氏が「じゃ、次は徳川家康だね」と言われ、主体性のない私は某氏のお勧め通りに「徳川家康」に手を染めたということなのだ。
いや~、実に面白い!その第一の要因は山岡荘八の筆致の巧みさに私が単純に酔っているということなのだが、人の命を虫けらのごとく扱う戦国時代において、家康の戦略家のとして読みの鋭さ、そして人間としての奥の深さが私にはとても興味深い。
第1巻「出生乱離の巻」
第2巻「獅子の座の巻」
第3巻「朝露の巻」
第4巻「葦かびの巻」
第5巻「うず潮の巻」
第6巻「燃える土の巻」
第7巻「颱風の巻」
第8巻「心花の巻」
と読み進めてきたが、第8巻において風雲児とも称された織田信長が京都「本能寺」において家臣であった明智光秀の謀反によって倒されたところである。
考えてみると、戦国時代において全国制覇を狙っていた今川義元、武田信玄、そして織田信長といった傑物たちが次々と倒れていった時代である。その時代を生きた徳川家康自身がどう考えていたか知る由もないのだが、少なくとも表面上はけっして野心を剥き出しにするようなことがなかったのは事実のようだ。
物語はまだ1/3も読み進んでいない。この後、残った羽柴秀吉とどのような丁々発止を繰り広げてゆくのか、いやいや家康のことだから柳の木が風に逆らうことなく流されるようで、流されることなく、自らの意志を深く潜航させながら貫いていく様がどのように描かれていくのか興味を持ちながら読み進めたい。
とは云っても、私の読書時間はけっして多くはない。だいたいが寝る際に睡眠薬代わりに読むことがほとんどであるうえ、遅読ときているから、遅々として先へ進めないのが現実である。残り18巻の完読が何時になるのか?予測もつかない。おそらくお正月を過ぎてもまだまだその途中であろう。今のペースなら来年一年間はかかるかなぁ…。
私のペースで、焦ることなくじっくり味わいながら読み進めたいと思っている。