田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 大地の侍 №315  

2021-07-15 17:55:15 | 映画観賞・感想

  “侍”とタイトル名はついてもいわゆる時代劇物ではない。北海道には縁のなかった士族たちが北の大地を開拓するという困難な事業に悪戦苦闘するという物語である。北海道を切り開いた先祖の苦労を偲びながら画面を見入った。

          

 7月13日(火)午後、「北海道農業企業化研究所(HAL財団)なるところが主催する「大地の侍」上映セミナーが北洋銀行セミナーホールで開催されたので参加した。

 セミナーと銘打つだけに映画の上映だけではなく、前段に北海道史研究家の関秀志氏の講和が用意されていた。関氏は北海道開拓記念館の元学芸部長を務めた方で、北海道の近現代史に詳しい方である。短い時間(約30分)の講和の中で、印象的な言葉があった。それは士族が北海道開拓に成功した理由についてだった。その理由とは、第一に殿をはじめ家老クラスが一緒に開墾に取り組んだこと。第二に士族が農業に不慣れだった故に、新しい農業に恐れず挑んだこと。第三に優秀な家老クラスがリーダーシップを発揮して家来たちを励まし、督励したことが挙げられるとした。

     

 その後、「大地の侍」の上映に入った。映画は郷土出身の作家・本庄睦夫作の「石狩川」が原作とされるが、史実に基づいた物語である。1956(昭和31)年に制作された映画はモノクロ映画であるが、フィルムの保存状態が良くなかったものをHALが制作会社の東映に依頼して修復し、DVD化をして上映会にこぎつけたということだった。

 映画は、明治元年 仙台藩の一門である「岩手山藩(領主・伊達邦直)」は反官軍側に立ったために朝敵の汚名を受け、帰農しようとしたが土地の払い下げが受け入れられず、北海道移住の道しか残されていなかった。残された狭い土地だけでは藩民を養っていくことは困難で、北海道移住を巡って藩論は混迷を極めるが家老の阿賀妻兼(大友柳太郎)の北海道移住論を若き領主・邦直の英断によって移住希望の者だけでの移住となった。しかし、与えられた土地は、現在の石狩市の海岸沿いの聚富(しっぷ)という砂地の不毛地帯だった。困難を極めた一同だったが、阿賀妻たちは自らの手によって肥沃な地を求めて石狩川を遡り、現在の当別町を探し当て北海道開拓使に移住を願い出るのだった…。

   

 映画の紹介はこのくらいまでとするが、映画において領主・邦直はもちろん移住の先頭に立ち、家老・阿賀妻はどのような困難に遭遇しようとも自らの知恵と才覚で乗り切っていくリーダーシップを発揮していくところが、まさに冒頭の講和で関氏がお話されたとおりだと思えた。

 現在は豊かな大地が広がる当別町の沃野が、邦直や阿賀妻、そして多くの家臣たちの手によって開拓されたことに思いを致すとき、先人たちのご苦労に心から感謝しなければならないと深く思ったものである。

 映画に感動した私は、本日当別町まで車を走らせ、「伊達邸別館、当別伊達記念館」そして「本庄睦夫生誕の地碑」などを見て回ってきた。そのレポは後日したいと思っている。

(余話)

◇久しぶりの大画面での映画観賞となった。といっても、映画館のような大画面ではない。テレビ  のインチでいうと300インチくらいか?それでも私には満足できる画面の大きさだった。

◇全くの余話であるが、東映映画ということで画面の制作者名に「大川博」という名があった。大川博氏というと、長年にわたり東映映画会社々長として名を馳せた人である。特徴のあるメガネとちょび髭で存在感のあった人である。懐かしく思えた一瞬だった。

           

 ※ 掲載写真は本日もウェブ上から拝借したものであることをお断りします。



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