田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 №337 Shari(しゃり)

2022-01-21 22:18:23 | 映画観賞・感想

 日本最後の秘境とも称される知床半島。その付け根に位置するShari(斜里)は自然・動物・人間が共存する地域である。そこに突然現れた全身真っ赤に染まった「赤いやつ」。赤いやつはヒトとケモノのすきまに生まれた謎の生命体だったのか?あるいは?

        

 今夜、シアターキノにおいて午後7時から上映された「Shari」を観て、その後帰宅してからこのブログを書いている。なぜいい歳をした爺がわざわざ夜遅くの映画を観に行ったのか?それはこの映画が午後7時開始の部しか上映がなかったこと、さらに上映後にこの映画の監督・主演の吉開菜央氏撮影を担当した石川直樹氏によるトークショーが行われるというプレミアム上映会だったからだ。

   

※ トークショーのお二人です。珍しく「写真や動画をどうぞ」という嬉しい配慮で撮らせてもらいました。

 私がなぜこの映画に興味を抱いたかというと、一つは斜里という地にノスタルジックな思いを抱いたからだ。というのも、現職時代に斜里町の隣町に8年ほど勤めた経験があって懐かしさを覚えたことがある。もう一つは、撮影を担当した石川直樹氏に私は早い時期から関心を抱いていたことが二つ目の理由である。私は石川氏を冒険家として認識していた。彼は23歳の時に当時としては世界最年少で七代大陸最高峰登頂の記録を持ち、さらに2000年には世界の若者たちと北極点から南極点まで人力で踏破した経験があるなど、その世界では注目された一人だった。しかし、その後冒険的なことからは一歩退き、自然を対象とした写真家として活躍されているようだ。

        

※ 映画に出演した子ども達(斜里朝日小の子ども達?)

 映画はオープニングでいきなり斜里岳の馬の背から山頂を仰ぎ見るショットから始まる。斜里岳に何度か登った経験のある私には嬉しいショットからの始まりだった。その他にもウトロのオロンコ岩斜里の海岸線など懐かしい風景が何度も画面に現れた。

 映画の内容の方は、斜里の自然の中で暮らす人々が何人も登場し、それを「赤いやつ」が聴き取り、ナレーションとして説明する流れで進む。特にストーリーのようなもものはなく、私には「いったい主題は何なんだろう?」と思わせられる難解さを伴ったものだった。トークショーで監督の吉開氏から80数枚の絵コンテを見せられた石川氏は「ぜんぜん分かんねぇ」という感想をもったと語っていたが、私も映画を観ながらしきりに考えながら画面を観続けた。

   

※ ウェブ上から拝借したお二人です。

 結局、映画を観ながら、そしてトークショーを聴きながら考えたことは、一つの生命体である「赤いやつ」は、自然豊かな斜里が少しずつ変わりつつあるのでは?という疑問を提示したのではないか、と考えた。その傍証として、撮影をした2010年の冬いつも斜里の海岸に接岸する流氷がなかなか接岸せず、地元の人たちが「今年は変だ」と呟くシーン。あるいは地元漁師が海岸に流れ着く異常なゴミの多さに嘆くシーン。そして、画面とは直接関係ないシーンで、ナレーションが斜里の冬に雪が少ないのに、遠くイラクの国で雪が降ったことをナレーションで入れたこと、等々…。

   

※ 映画館のロビーには「赤いやつ」の衣装が展示されていました。斜里町の人たちのワークショップで制作したとのことでした。

 監督・吉開は直截的に地球温暖化について糾すのではなく、画面を通して婉曲的に観る者が感じてほしいと思いながらの制作だったのではないだろうか?と私は考えたのだが…。                                                                                                                                                         

 


ろばた すし 北のめし あきず de ?ランチ

2022-01-20 18:44:21 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行

 特に何かお祝いごとがあったわけではない。妻が突然「ランチしよう!」と提案してきた。理由は聞かなかったが、あるいは先日の誕生日ランチのお返しかな?と思いながら、喜んで京王プラザホテルの日本食店「あきず」にお供した。

    

※ 和食レストラン「あきず」のエントランスです。下は店名掲示の部分を大写ししたものです。

    

 「あきず」は京王プラザ地下1階に出店している日本食レストランである。過去にも何度か訪れたことがある和食店だが、久しぶりの入店で店内が広くなっていた。スタッフによると昨年4月に改装オープンしたとのことだった。

   

※ 「あきず」のホール席の一部を写したものです。

 昨日、妻とランチに訪れたのだがけっこうお客さんが目立つ店内だった。けっして満席という状況ではなかったが、広い店内にゆったりとした席が配置され、そこここにお客さんの顔が見え、コロナ禍の中としてはけっこうな食事客の入り具合ではと思われた。

   

※ 私たちが案内された席です。4人用テーブルが2人仕様にセットされていました。

 私たちがスタッフに案内された席は、4人用テーブルを2人用に改装し、ゆったりとした席に案内された。そして私たちは、私が「四季暦御膳」を、妻が「生寿司ランチ」をオーダーした。どちらもにぎり寿司をメインとした弁当的なランチである。

 私が頼んだ「四季暦御膳」を中心に写真で紹介すると…、   

 まず、◇前菜とビール

   

 続いて◇メインの料理

   

 最後に◇デザートとコーヒーという内容だった。

   

※ 「四季暦御膳」のお品書きです。

   

 提供された料理はどれも大変美味しくいただいた。最近感ずることは、やはり私にとって和食が一番という思いを再確認できたランチだった。やはりこれも年齢なのでしょうかねぇ??

   

※ こちらは妻が頼んだ「生寿司ランチ」です。

あきず データー】

札幌市中央区北5条西7-2-1 京王プラザホテル札幌 B1F

電  話  011-217-3203 

営業時間  ランチ  11:30~15:00 

      ディナー 17:00~22:00       

定休日   無休

駐車場   ホテル駐車場(有料・優待)

座 席    ホール 56席、寿司カウンター 10席   焼きカウンター 9席 計75席                      

入店日  ‘22/01/19  


ノスタルジックスキー in 藻岩山スキー場

2022-01-19 16:37:23 | スポーツ & スポーツ観戦

 実に〇十年ぶりに藻岩山スキー場でスキーを楽しんだ。〇の中には三とか、四の数字が入るくらい昔である。雲一つないド快晴の中、当時を懐かしみながら心ゆくまでスキーを楽しむことができた。(とは云っても年相応になのだが…)

    

※ 昼食を摂ったレストランの窓からファミリーゲレンデを写したのですが、閑散とし過ぎていますね。

 以前から近くにあるのに、何故か近づき難かった(?)「藻岩山スキー場」だった。何故だろうか?と考えた時、毎年のように訪れる「盤渓スキー場」に比べると、近くとはいえ街中を通っていくことに抵抗があって、心理的に遠くに感じてしまっていたようだ。

 今日は朝から青空が広がり、絶好のスキー日和と考えて念願だった「藻岩山スキー場」に向かった。我が家からわずか7Km、しかし街中を通ることもあり時間は約30分もかかった。スキー場から遠い方には「なにを30分くらい」と思われるかもしれないが、私にはこの時間が遠く感じられたのだ。(盤渓スキー場は街中を通らないため20分程度で行ける)

 「藻岩スキー場」はシニアに優しい。60歳以上の5時間券が2,500円。これが70歳以上になるとわずか1,500円で5時間も楽しめる。

   

※ 藻岩山スキー場のコースマップです。私には南斜面の「パノラマコース」がお好みでした。

 私はまず1本、足慣らしに初級コースのファミリーゲレンデで滑った後は、全てその奥に設けられている中・上級コースを楽しんだ。とは言っても、上級コースは今の私には難敵だった。初級、中級コースでは余裕をもってそれなりの滑りができるのだが、上級コースに入るとまったく余裕がなくなり、初心者のような滑りしかできなくなる。自分の衰えを自覚せざるを得なかった。したがって、上級コースの「うさぎ平」、「からまつ」、「ダイナミック」の各コースは1本だけ体験として滑り降りてきたが、他は「パノラマ」、「クリスタル」の中級コースを主として滑って楽しんだ。

   

※ 藻岩山スキー場の名物「うさぎ平」コースの入口です。この先は鋭く落ち込んでいます。

   

※ 上級コースの一つ「からまつ」コースを撮ったところです。最大斜度38度とのことです。

 スキーが冬の楽しみの首座から転落して久しい。今日は平日ということもありスキー場は閑散としていた。私が盛んにスキーに取り組んでいた〇十年前の札幌のスキー場はリフト乗り場の前に長蛇の列が出来ていたのが懐かしい。閑散としていたために、私は広々と整備された「パノラマコース」をノンストップで何度も何度も滑り降りることができた。

   

※ 私が好んで滑った「パノラマ」コースです。こちらは最大斜度が24度ですね。

   

※ 広々とした「パノラマ」コースです。コースの向こうに住宅街が広がって、いかにも都会の中のスキー場です。

 リフト券は5時間券だったが、私は10時半から滑りはじめ、昼食を挟んで午後2時前にスキーを外した。実質3時間程度のスキーでまだまだ時間があったが、今の私には目いっぱい楽しんだ思いだった。もう1本行こうかな?と思ったが、昔覚えた全日本スキー連盟が主唱した「スキー安全10則」に「もう一本、そこがスキーの止めどころ」という標語を思い出し、スキーを外すことにした。

 ところで〇十年前ということだが、私がスキーに夢中になっていたのは20代中盤から30代中盤のおよそ10数年である。その頃は道東に住んでいたのだが、冬になると北海道内の主なスキー場をあちこちと巡って歩き、ニセコ、富良野、旭川はもちろん札幌市内のスキー場もほぼ全てのスキー場を巡ったので「藻岩山スキー場」の「うさぎ平」も懐かしかった。であるから、それはもう四十数年前ということになる。

 その頃のことで一つの思い出がある。当時はスキーブームの真っ最中で、熱の入ったスキーヤーは冬だけでなく、夏でさえもスキーができることを望んだ。それに応えるため各地のスキー場では、グラススキーとか、ローラースキーとかいろいろ工夫して夏の間もスキーヤーを満足させようとしていた。そんな中、「藻岩山スキー場」では現在のファミリーゲレンデのところに表面に突起の付いたプラスチック板を並べて、冬用のスキーで滑らせるコースを作って滑らせていた。そのニュースを聞いた私は札幌まで遠征して体験したことがあった。(それは雪上のスキーの感触とは違ったものだったが…)

   

※ 夏のスキー場は写真の左側のところに敷設されていたように記憶しています。

 今日、その当時のことを憶えている人がいないかと、数人のスキー場関係者やシニアのスキーヤーに尋ねてみたのだが、誰もそのことを記憶している人がいなかった。あるいはあのことは幻だったのだろうか?いや私は確かに藻岩山スキー場で夏に滑ったのだ。

 夏のスキーはスキーブームの終焉と共にどこのスキー場でも長くは続かなかった。藻岩山スキー場の夏のゲレンデもあるいは1~2年の短い運命だったのかもしれない。しかし、その夏スキーを体験した人は必ずいるはずである。もし、記憶のある方、あるいは伝え聞いている方がいらっしゃったらぜひ教えていただきたい。「あの夏スキーができたのは何年ごろのことだったのか?」教えていただければと思います。              


SDGs(持続可能な開発目標)を考える

2022-01-18 18:36:07 | 講演・講義・フォーラム等

 「SDGs」という言葉が世の中での認知度を高めている。しかし、その概念や理念を人々はどれだけ理解しているだろうか? 私もいささか心もとない。講義を聴きながらSDGsについて改めて考えてみた。

 昨日の「札幌市高齢者市民講座」の第二講は「持続可能な開発目標?」と題して、やはり第一講と同じ札幌市社会教育協会に所属する高杉正一氏が講師を務めた。

      

 私がこの講座に注目したのは、私が所属するシニアの学習グループ「めだかの学校」において、現在SDGsに関連するDVDを視聴し話し合う講座を開設中である。そこで私が今月末の講座でナビゲーターを務めることになっているため何かのヒントを掴みたいという思いがあった。さらに来年度にはSDGsに関わる札幌市の取組みを学ぶ講座を予定していることもあり、今回の講座を受講したいと思ったのだ。

 講座における高杉氏のスタンスは何かを主張することではなく、氏自身がSDGsについて学んだことを私たちに紹介する、という形の講義だった。その学んだ主なこととは、環境政策学が専門でSDGsについて深く考察されている慶大教授の蟹江憲史氏の解説についての紹介だった。

 ご存じのようにSDGs(持続可能な開発目標)は、2015年の国連総会において採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」であり、そこには17の分野にわたり169のターゲットを掲げ《我々の世界を変革する》《誰一人取り残さない》という理念のもと、国連加盟国すべてが2030年までに達成を目指す国際目標である。

 ここまでは私をはじめ多くの方々がなんとなく承知していることかと思われる。高杉氏が、蟹江教授の解説を7点にわたって紹介してくれた。その7点とは…、

① アジェンダは「前文」「宣言」「持続可能な開発目標(SDGs)とターゲット」「実施手段とグローバルパートナーシップ」「フロアーシップとレビュー」の5つの要素で構成されている。

② 「前文」には、SDGsを理解するための「P」からはじまる5つのキーワードとその解釈が書かれているという。その5つとはPeople(人間)、Planet(地球)、Prosperity(繁栄)、Peace(平和)、Partnership(友好的協力関係)である。

③ 「宣言」には歴史的意義として「地球を救う機会をもつ最後の世代になるかもしれない」と現世代へ警告している。

⑤ SDGsでは「バックキャスティング」とよばれるアプローチをとっている。 ※このバックキャスティングについての詳しい説明は省略します。

⑥ 前文においてSDGsは「持続可能な開発の3側面、すなわち経済、社会、および環境の3側面を調和させる」と述べ、この概念を立体的に表現した「三層構造の木の図」がある。

          

⑦ SDGsは達成へ向けたルールがなく、目標とターゲットがあるだけである。それらに拘束力はなく、目標を達成できなくてもペナルティがない。それぞれの創造性が問われているといえる。

 これまで表層的にしかSDGsを理解していなかった自分に、新たな視点を与えてくれたと思いながら高杉氏の講義を聴き入った。そして次のもう一つ興味深い話題を高杉氏は提示してくれた。それはSDGsの動きに強烈な疑問をぶつけることになった大阪市立大学の斎藤幸平助教授の著「人新世の『資本論』」である。

      

 私もこの本を早くに入手し読んでみた。斎藤氏の論は明快である。「人新世」(現代)の時代は際限なく利潤を求める資本主義(これを強欲資本主義と称する向きもある)がコロナ禍と気候危機を引き起こしたと喝破し、この危機を解決するにはSDGsでは間に合わないとして、脱成長コミュニズムへの転換を主張する論である。

 強欲資本主義とする斎藤氏の論は明快で私も大いに納得しながら読み進めたのだが、その代替としての脱成長コミュニズムを主張するあたりから私にはその是非が分からなくなってきた。講師の高杉氏も同様だったようだ。そこで高杉氏は学識者の書評を探ってみたという。すると次のような書評にぶつかったそうだ。その書評とは…、

「SDGs自体に現行経済システムを根底から変革する思想が埋め込まれているのである。なぜならばSDGsに掲げられた目標を徹底的に追求していけば強欲資本主義のあり方そのものを変えざるを得ないからである」と…。

     

※ 講師を務められた高杉正一氏です。

 さて、時代はどう巡っていくのであろうか?時代を読む眼など持ち合わせていない私としては当面SDGsの概念や理念を理解することに努めながら、SDGsのアジェンダ達成に近づくために一市民として取り組んでいくことかなぁ、と考えている。         


名将の陰に名参謀あり

2022-01-17 19:39:47 | 講演・講義・フォーラム等

 よく言われる言葉であるが、話は紀元前にさかのぼる現在の中国の春秋時代、「斉」の国の第16代君主「桓公」の話である。桓公が名将であったか否かは評価の分かれることかもしれないが、桓公を支えた宰相・管仲は間違いなく名参謀だったようだ。中国の昔、むかしの話を聴いた。

           

        ※ ウェブ上で見つけた「桓公」の図像です。

 本日、札幌市社会教育協会が主催する「高齢者市民講座」が東区民センターで開催されたので参加した。参加した主な理由は講座のテーマに興味を持ったからである。講座のテーマは「覇者『斉』の桓公」「持続可能な開発目標?」の二つだったが、最近の私はSDGsに関して少し学ばねばならないこともあって参加を決めた。

 そうしたところ、どちらの講座も興味深かったので2日間にわたり、両方の講座の内容をレポートすることにして、本日は「覇者『斉』の桓公」の講座についてレポすることにする。

 講師は札幌市社会教育協会に所属する井原紀元という方だったが、井原氏がどのような履歴をお持ちの方かは分からないが、非常に博識の方であることは間違いなかった。

 「斉」という国、そして「桓公」について説明することはここでは省きたい。私の下手な説明など不要なほど豊かな知識をお持ちの方が多くいらっしゃるだろう。そうでない方はウェブ上などで検索していただきたい。

 講座において当時の群雄割拠の時代の説明がなされたが、当時の中国においては凄まじい権力闘争が展開されたようだ。油断をすれば側近はおろか、肉親にさえ裏切られるという時代だったようだ。そうした権力闘争を勝ち抜き「桓公」(幼名:小白)が第16代の「斉」の君主となった。この間の詳しい経緯を講師の井原氏は立て板に水のごとく滔々と語られた。

   

※ 春秋時代の中国国内のの勢力図です。講師の井原氏が書いたものです。

 君主となった桓公は、政敵の家臣だった管仲(カンチュウ)を宰相として取り立てることにした。管仲は経済を重視する政治を行い、有名な「衣食足りて礼節を知る」という言葉を残したとされるが、正式には「倉廩(そうりん)実ちて則ち礼節を知り、衣食足って即ち栄辱を知る」と述べたそうである。ちなみに「倉廩」とは「米倉」、「栄辱」とは「栄誉」と「恥辱」のことだそうだ。

 管仲はまた経済を重視しながら富国強兵策を取り、周囲の国々との交流を進めながら和を乱す国へは出兵を桓公に勧め、桓公の信望を厚いものとすることに尽力したそうだ。そうした管仲の陰の功労もあって桓公は名君の誉れ高かった。

 しかし、管仲が病に就いたため桓公は管仲の後継者を模索した際、管仲の意見を受け入れず後継者を決めたのだが、桓公は彼らに裏切られ悲惨な最期を遂げたという。後の韓非子は桓公について「人を見る目もなければ君主として臣下を統御する方法を知らなかった」と酷評している。桓公を名将とするにはいささか無理があるようだ。そうすると本日のタイトルは誤りとなってしまうのだが…。


今年の初登山はモエレ山!?

2022-01-16 18:05:41 | スノーシュートレック & スノーハイク

 標高62mの小山に登って初登山だって!?いやいや何を隠そう、モエレ山は札幌市東区のれっきとした最高峰なのだ。眺望は抜群なのである!冗談はさておき、モエレ沼公園の雪の中に遊んだ。

 本日特に予定のなかった私は久しく訪れていなかったモエレ沼公園の冬を感じたくて公園に向かった。雪道で走りづらかったこともあり、自宅から約45分かかって公園の駐車場に着いた。私は冬の事情をよく分かっていなかったために夏の駐車場(第一駐車場?)に車を停めたが、多くの人は公園内部に設けられたガラスのピラミッドに続く第二駐車場に停めていた方が多かったようだ。

 私はモエレ沼公園で遊ぶためには、スノーシューが良いか、スパイク付き長靴が良いか迷ったが、おそらく多くの市民が雪を踏みつけているであろうと考えスパイク付き長靴を選択し、「モエレ山」に向かった。

 第二駐車場のすぐ前がモエレ山である。日曜日とあって多くの親子連れがそり遊びやスキー遊びに興じていた。私は親子が興じている横を黙々とモエレ山々頂を目ざした。雪面は私の目論見通り親子たちによって踏み固められており、長靴で十分だった。ひと汗かく間もなく山頂に立った。山頂からの眺めは素晴らしかったが、やや霞んでいたため抜群の眺望とはならなかったのが残念だった。下山は北面の夏には階段が付いているところを下った。

   

※ モエレ山の登り口です。多くの親子がそりやスキーに興じていました。

   

※ モエレ山の中腹から山裾の方を見たところです。

   

※ 山頂から様子です。遠くにガラスのピラミッドが望まれます。

   

※ 山頂からJRタワーなど札幌中心部を見たところです。

   

※ モエレ山の北面です。山頂近くに階段横の手すりが真っすぐ伸びています。

 続いて直径2mのステンレス柱を組み合わせた三角錐の形をした「テトラマウンド」に向かった。こちらも公園の散歩コースとなっていて、硬く踏み固められていた。ステンレスの柱はやはり冬に見ると、冷たさが際立っているようにも見えた。

   

※ 寒さの中に佇むステンレス製の「テトラマウンド」です。

 苦労したのは、モエレ沼公園のもう一つの山(?)「プレイマウンテン」の登行だった。こちらまで足を延ばす人は少ないようだった。足跡はいくつか残っていたが、こちらはツボ足同然で、一歩一歩深く雪に足を取られながらの登行となった。このプレイマウンテンの西面は石が階段状に積み上げられており、野外フェスなどには絶好のロケーションに思われるのだが、大規模な野外フェスなどが行われたことはあるのだろうか?

   

※ 曇り空の下のプレイマウンテンです。

   

※ プレスマウンテンの山頂近くで階段状になった石段が露出していました。

   

※ プレイマウンテン山頂からモエレ山を見たところです。右側に階段の手すりが延びています。

   

※ プレイマウンテン山頂から見た「テトラマウンド」などです。

 当初はできれば公園内のその他の施設(例:サクラの森、海の噴水など)も訪れてみたいと思っていたが、ツボ足では到底不可能と判断し、最後に「ガラスのピラミッド」を訪れて最後とした。ガラスのピラミッドはモエレ沼公園を象徴する施設でオールガラス張りのユニークに建物である。私はピラミッド内で疲れた体を一休みさせて退去したが、施設内にはこの公園全体をプロデュースしたイサム・ノグチの彫刻作品が展示されていた。

   

※ 「ガラスのピラミッド」の正面です。

   

※ 「ガラスのピラミッド」を至近距離から見た図です。ピラミッドと称していますが、純粋の正四角錐ではなく、裏側は複雑な形をしています。

   

※ 「ガラスのピラミッド」の内側から撮った一枚です。

   

※ イサム・ノグチの「オンファロス」と題する花崗岩製の彫刻です。

 モエレ山では毎年早春に斜面を利用した「爆走そり大会」が開かれていて一度見てみたいと思っている。昨年はコロナ禍で中止になったようだが、今年はどうなのだろうか?今の状況では厳しいようだが、開催されるようであればぜひ見てみたいと思っている。


初スノーシュー in 旭山記念公園

2022-01-15 16:33:39 | 環境 & 自然 & 観察会

 遅まきながらの今シーズン初めてのスノーシューを楽しんだ。ここ数日の降雪で膝まで埋まる公園の林間に遊んだ。とは言っても本来の目的は自然観察会に参加し、主として葉を落とした冬の木々をあれこれと教えてもらうことだった。

   

※ 旭山記念公園の一隅に建っていて市民の活動拠点となっている「森の家」です。

 本日午前、旭山自然公園の「森の家」が主催する「スノーシュー自然観察会」に参加した。参加者は比較的若い方が多いようだったが約20名の方が参加した観察会だった。

   

※ 旭山記念公園の全体図です。「森の家」は左隅の方に小さくあります。

   

※ 開会式でスタッフの方からの説明を聞いています。

 「森の家」のスタッフが、「周辺は旭山記念公園と旭山都市環境林から成っていて、本日は主として都市環境林の地域を巡ります」とレクチャーされた。

     

※ 旭山記念公園と旭山都市環境林との関係図です。私たちは環境林の赤い線の一部を巡りました。

   

※ 都市環境林についても山中に案内図がありました。

 本日も午前中は激しい雪が降り続く天気だった。これがもし雨だったら中止となるのでは?という状況だったが、雪の場合はそれほど気にならず観察会は実施された。

 スタッフを先頭にして林の中に入っていったが、スノーシューを付けていても新雪のために膝付近まで埋まる中を、斜度を増しながらちょっとした山を行くように上った。多様な参加者に配慮して、スタッフは時々立ち止まり周囲の木についての説明をしてくれた。紹介された木を順に紹介すると…、

   

※ ツルアジサイです。

   

※ アカエゾマツです。

   

※ イタヤカエデです。春には樹液を採取することもあるそうです。

   

※ かすかにキタキツネの足跡を見ることができました。

   

※ ハリギリです。樹肌にトゲがあります。

   

※ ハリギリの幼木でははっきりとトゲを見ることができます。

   

※ 林の中で存在感を放っていたミズナラの木です。

 旭山記念公園は1970年に札幌市創建100周年を記念して整備された公園であるが、整備後50年を超えて林はその姿を徐々に変えてきているとのことだった。具体的には整備前には山裾に焼窯(札幌焼窯)があり周囲の木々が燃料として伐採されていたが、それらの木々が伐採された後に明るい場所を好む白樺(シラカンバ)が先駆種として林を形成したが、今はそれが他の広葉樹に交代しつつある時期であるとのことだった。

 観察会の最後には林の中にある小さな池に案内された。地元の小学生たちが継続観察している池だということだが、小学生たちは「ふしぎ池」と命名しているらしいが、確かに山の中腹に水が湧きだす池は小学生には不思議に思われるのだろう。その池では春にサンショウウオが卵を産み、それを孵化させているとのことだった。私もできれば春になったら再訪してサンショウウオの卵たちに会ってみたいものだ。

   

※ 継続観察をする小学生たちが手作りの看板を作っていました。スタッフの先に池があります。

 今回、旭山記念公園、そして旭山都市環境林を訪れてみて、私が意外にこの辺りのことに疎いことを知らされた思いである。近間のフィールドでまだまだ未踏に近いところがあったと…。今冬は少し旭山記念公園に通ってみようと考え始めている。 


ラジオ体操のCDを購入した!

2022-01-14 16:28:43 | その他

 運動を兼ねて吹雪をおして市の中心部まで出かけ、念願のラジオ体操のCDを購入してきた。「何をいまさらラジオ体操なの?」と訝る向きもあるかもしれないが、私としてはラジオ体操に対してある思いがあるのだ。

     

 私は典型的な夜型人間で、朝6時30分から始まるNHKのラジオ体操の時間はまだまだ夢の中である。しかし、ずーっと以前から運動不足解消を図る第一手段としてラジオ体操は最適だと思っていた。

 それならラジオ体操の放送を録音すればよいのだが、アナログな私にとってはそれが面倒だった。そこでCDを購入すれば、と以前から考えていたのだが、それがなかなか実行できないでいた。ところが今日、何の予定もなかったことから窓外は吹雪だったが思い切って市中に出かけ購入してきた、というわけである。

 私がなぜラジオ体操にこだわるかというと、ラジオ体操を「軽い運動」と思う向きもあるかもしれないが、それはとんだ思い違いである。ラジオ体操を真剣に、まじめにやると第一、第二体操を終えた後は息が弾み、身体も火照るくらいになる。実は私は現職時代に「ラジオ体操講習会」というものに出たことがある。そこで教わったことは、ともかく身体全体を、さらには手足をできるだけ大きく動かすこと大切だと教わった。そうすることで身体にけっこうな負荷がかかることを実感したのだった。「侮るな!ラジオ体操!」という思いである。

 そして私の期待はラジオ体操をすることで身体の動かす心地良さを感得し、さらなる補強運動やストレッチなどに取り組もうとするモチベーションとなるのではないか、という自分への期待があるのだ。

          

 購入後、帰宅して早速ラジオ体操の第一、第二体操をやってみた。二つの体操を終えた後にはやはり息が弾んでいた。しかし、体を前屈したり、後傾したりする動作は若いころの半分も曲がっていない老人そのものの身体だった。

 当面の課題は、はたして継続できるかどうかだろう。継続できたとしたら身体も柔らかくなり、他の補強運動などにも波及するのではと自分自身に期待しているのだが…。

 まずはラジオ体操そのものの継続である。  


転ばぬ先の転倒予防!のお話

2022-01-13 18:57:51 | 講演・講義・フォーラム等

 私たち北国の高齢者にとって雪道は大敵である。雪道を歩いていると、ほんの些細なことでも転倒に繋がる場合がある。そんな私たちが雪道で転倒しないためのあれこれを聞いた!

   

 本日、札幌市社会福祉総合センターにおいて開講された「やさしさっぽろ健康講座」を受講した。「やさしさっぽろ健康講座」は定期的に開催されているようだが、私はこれまで参加したことしなかった。12月に同センターで開催された「クリスマススペシャル マジックショー」に参加した際にリーフレットをいただき、本講座の開講を知り参加したというわけである。

 本日のテーマはタイトル通り「転ばぬ先の転倒予防!のお話」と題して、理学療法士の福嶋篤氏が講師を務められた。

 福嶋氏の話は明快だった。高齢者が転ばないためには、①フレイル予防と②転びやすい環境をチェックすることだと断言された。   

 「フレイル」については、世の中に流布されてからかなり時間が経ったので認知度も上がっていると思われるが、「健康と要介護の中間の時期」のような状態を指す言葉で、フレイルの特徴としては可逆性があることと、多面的であること、と説明された。多面的という言葉に象徴されるようにフレイルは、その老化が身体的な老いだけに止まらず、精神的な老いなど心身のあらゆる老化する状態を指す言葉である。

 その予防であるが、①足腰を強化する。②体幹を強化する。③筋肉量を維持、増加する。④薬の多剤服用を避ける。などを挙げられた。

 具体的な対策としては、運動すること、タンパク質を摂ること、人と交流すること、つまり、よく食べ、よく動き、よく笑うこと!だと強調された。そして転倒防止のためには、多くの人が通るところは雪氷が固まって滑りやすくなっているので要注意であるとされた。さらにマイナス2℃の時は最も雪面が滑りやすい状態なので、天気予報を確認してから外出すべきと強調された。

   

 福嶋氏は参加者に対してフレイルチェックと称して5つの質問をされた。その5つの質問とは? ①ペットボトルの蓋をあけられるか? ②青信号のうちに横断歩道を渡り切れるか? ③ここ半年で2~3Kg以上体重が減ったか? ④ここ2週間でわけもなく疲れたような感じがしたか? ⑤軽い運動・体操、定期的な運動・スポーツなどをして体を動かしたか?

 私は幸いにいずれもYesだったので安心したが、油断はできない。この一年くらいはアウトドアに向かおうとする意欲が減退してきていることを感じている。アウトドアに向かう回数が減るということは身体を動かす機会が減少することに繋がる。意識してアウトドアに出かけることを心掛けねばならない、と改めて考えさせられた講座だった。 


映画 №336  トラ・トラ・トラ

2022-01-12 16:14:39 | 映画観賞・感想

 映画はアメリカ主体で制作したにもかかわらず日本海軍側からの描写が多いようにも思われた。(日本公開用という裏事情があったのかもしれないが)また対アメリカとの開戦に消極的だったという山本五十六連合艦隊司令長官の言葉が意味深い。

   

 映画「トラ・トラ・トラ」は多くの方々がご存じのように、日本海軍が1941年12月8日ハワイ島真珠湾を奇襲し、太平洋戦争の口火を切った戦闘である。この奇襲の前後、そして奇襲の状況を克明に描いたもので、アメリカが主体となって日米合作で1970年に制作・公開された映画である。

 その映画は昨年12月9日にBSプレミアムで放送されてからずいぶん時間が経ってしまったのだが、録画しておいたものをお正月に視聴したので思い返しながらレポしてみたい。

 前述したように映画は日米合作とは言いながら、制作主体はあくまで米国が制作した映画にもかかわらず日本海軍の様子が非常に詳しく描かれていることが私には素直な驚きだった。対するアメリカ側は日本側の暗号も読み解き、日本の奇襲も予想していながら、それに対する動きは鈍く日本を戦争に引き込もうとする上部の思惑がすけて見えるような気がしてならなかった。

 日本側首脳が開戦に前のめりになったころ、血気盛んな下士官たちが一日も早く決戦の火ぶたをと待ち望んでいた時、連合艦隊司令官・山本五十六中将(山村聡)が放った言葉が印象的だった。私は録画したことの利点を生かし、ストップモーション機能を使って彼の言葉を書き写した。その言葉とは…。

 「多くの日本人は、アメリカ人の民主的政治を統一を欠く政治。明朗な生活を楽しむ態度を贅沢。自由な精神を退廃とこじつけ、国力は見掛け倒しと教え込まれている。もし戦わば、アメリカはこれまで戦った敵の中で最強の敵と肝に命ぜよ」

   

※ 山本五十六連合艦隊司令長官役を演じた山村聡さんです。

と下士官たちを諫めた。この言葉は山本五十六が2度にわたる米国留学から知り得たアメリカの真の国力を熟知していたことを裏返す言葉だと思える。

 開戦に消極的だったとはいえ、山本は国の軍隊の一員でしかない。国の決定したことには従わねばならない立場である。山本はハワイ沖に待機中だった南雲第一航空艦隊司令長官(東野英治郎)に「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ(一二〇八)」と指令した。

 それから日本軍のハワイ奇襲のシーンは圧巻だった。制作会社の二十世紀フォックス社が社運を賭けて巨額を投じたというだけあって、凄まじい戦闘シーン(いや奇襲シーン)は圧巻である。この奇襲でハワイ基地は壊滅状態に陥り、奇襲は成功したかに見える。

   

※ ハワイ基地奇襲に一シーンです。

 そして南雲中将は大本営に対して「ワレキシュウニセイコウセリ トラ・トラ・トラ」と電文を送付した。それを受け取り山本五十六が「眠れる巨人を起こした」と呟くシーンで映画は終了するが、その後の日本軍の戦いを暗示する言葉も印象深い。

 この映画を史実として観るか、単なる娯楽として観るか、人それぞれだと思うが、私には歴史を評価するほどの知識も力量もない。今回もあくまで娯楽の一つとして観たのだが、そうではあっても、今回の映画から感ずることは山本五十六のような(伝えられる限り)聡明な方がいたとしても愚かな戦争に突き進んでいかねばならなかったところ日本の(日本軍の)悲劇があったような気がしてならない…。

 ※ 掲載写真は全てウェブ上から借用しました。