田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

平岡公園春の湿生植物観察ツァー

2022-06-20 14:46:40 | 環境 & 自然 & 観察会

 当たり前と言ってしまえば当たり前の話だが…。前田森林公園や野幌森林公園とは植生がまったく違っていた。私にとっては見るもの、聞くもの全てが新鮮だった。右から聞いて左から忘れていく湿生植物の数々だったが、それでも楽しい観察ツァーだった。

 昨日19日午前、平岡公園管理事務所が主催する「矢部先生と歩くひらおか公園春の湿地観察ツァー」に参加した。物好きにどこにでも出没する私である。

 矢部先生とは、元札幌市立大学の教授で現在は同大学の専門研究員をされている方で、湿地植物の分布特性の解明や湿地の復元・再生の研究をされている湿地のスペシャリストであると紹介があった。

   

   ※ 平岡公園の湿地について説明をする講師の矢部和夫氏です。

 観察会の参加者はここでも女性が中心だったが24~5名の参加者があった。

 平岡公園の湿地は大きく上流湿地と人口湿地の二つに分かれている。平岡公園の敷地の大部分は、以前は水田地帯だったという。その跡地に人工湿地と人工池を造成して今の形にしたそうだが、上流湿地の方は地下水が染み出すところがあり、元々湿潤な環境が保たれていたため、湿地再生は比較的容易だったようだ。一方、人工湿地の方は近くを流れる三里川から水を引いて人工湿地、人工池を造成して、今の姿にしたという。(現在22年目を迎えている)

 私たちはまず上流湿地に導かれ、そこで生育する植物の数々を紹介された。矢部氏からは実に多くの湿生植物を名称を教えていただき、その特性についても説明された。私は懸命にメモを取り、写真に収めることに集中した。しかし、矢部氏の説明を全て記録し、記憶に残すことは不可能だった。また、たくさん撮った写真と植物の名称を一致させる作業も困難を極めた。そこで私なりに自信を持てたものだけ、私自身の記録とするために羅列することにしたい。

   

   ※ まず「上流湿地」に導かれました。

《上流湿地の部》

◇カサスゲ ~葉の部分が昔は傘の原料になったそうだ。   

   

◇ドクゼリ ~文字どおり毒になるセリである。

   

   

◇セリ ~こちらは無毒で食用に適している。

   

◇キショウブ ~外来種

   

   

◇エゾノリュウキンカ ~別名「ヤチブキ」とも呼ばれ食用に適している。私は春に黄色の花を咲かせるところは何度も見たが、このように成長した後に見るのは初めてだった。

   

   

   ※ 通称ヤチブキと称するくらいですから、葉がフキの葉に似てますね。

◇ニホンカワトンボ ~目立たなかったが、トリミングしてみた。あっ!これはもちろん植物ではありませんよ。

      

◇チシマアザミ ~アザミ種の花に特徴がある。

        

◇ミズバショウ ~春に咲く白く仏炎苞に包まれた花(ガク)は可愛いが、今ではこのような巨大な葉になっていました。

   

◇オニシモツケ

   

   

◇サワマタギ ~これは希少種だそうです。

   

   

◇ザゼンソウ ~ザゼンソウもこの時期に見るのは始めたった。ザゼンソウもミズバショウ同様仏炎苞が無くなってしまうと別の植物に見えてくる。

   

◇コウテイテンナンショウ ~別名を「マムシグサ」というが、茎のところがマムシ模様になってい る。

   

◇コンフリ   

   

◇オオアワダチソウ ~外来種だそうだ。

   

◇ハクウンボク(花)

   

   

◇三里川 ~平岡公園の傍を流れる小川です。この川から人口湿地を造成するための水を流入しているそうです。これももちろん植物ではありません!!

   

◇三里川からの水の取り入れ口です。

   

《人工湿地の部》

◇ヘビイチゴ(花・実) ~恐ろしい名前ですが、実は可愛いですね。

   

   

◇ゼンテイカ ~通称:エゾカンゾウとも呼ばれ、湿原などに多く棲息するお馴染みの花です。

   

◇カキツバタ ~今やレッドリストに登録されているそうだ。

   

   

※ ここで雨脚が強くなり、大型の東屋に雨宿りをした。

   

◇ムジナシゲ ~いかにも湿原ぽい光景を表現する植物である。

   

◇ヒツジグサ

   

   

◇イヌイ(花) ~極小の花であるが、よく見るととても鮮やかな花だった。

   

   

◇タイツリスゲ ~別名「ゴウソ」とも言うそうだ。

   

   ※ 実がまるで鯛を釣っているように見えるところから名付けられたそうです。

   

◇ヤチヤナギ ~葉をもんで匂いを嗅ぐとアロマ系の匂いがした。

   

   

 以上、実に多くの湿生植物を教わったが、あるいは私が聞き違えた名前もあったかもしれないことをお断りしておきます。そして、実は掲載した以外にも紹介いただいた植物はたくさんあった。また兄弟種とか、亜種との見分け方についても説明があったが、私が理解できるレベルではなかったので、そのことについてレポすることはしていない。  

 ともかく多くの湿生植物を紹介いただいたが、私が今後個人的に平岡公園に赴いても、教えられた植物の名称をどれだけ言い当てられるかは自信がない。いつかこの種の観察会に参加する心得について触れたことがあるが、何度も何度も同じような紹介をいただく中で徐々に自分のものとしてゆければよいのではないか、と思っている。この日の参加者の中にも同様なことを話されている方がいた。ただし、自分のものとするまでの時間がどれだけ私に残っているのかが問題ではあるが…。


ベテランの味 読売サロンコンサート in 札幌

2022-06-19 15:21:40 | ステージ & エンターテイメント

 読売日本交響楽団のOBの方々の深みのある音が会場の「ちえりあホール」内に響き渡った。私にとっては馴染みのある曲の演奏も多く、その意味でも楽しめたコンサートだった。

    

 昨日(6月18日)午後、札幌市生涯学習センターの「ちえりあホール」において読売日本交響楽団エルダーメンバーによるアンサンブル演奏会「読売サロンコンサート in 札幌」があり、知人のS氏が入場券を手配してくれたことで鑑賞することができた。エルダーとは、年長、年上、先輩というような意味で、MC役の方の説明では読響のOBの方で編成されたグループとのことだった。

 メンバーは弦楽四重奏の4人に、トランペット奏者が加わった5人のグループに、ゲスト的にソプラノ歌手の北野里沙さんが加わった編成だった。

    

 その北野里沙さんのことだが、ステージに現れた時、その美貌に思わず目を奪われてしまった。彼女の登場でステージ上の雰囲気が一変してしまったほどに感じられた。それもそのはず、MCの方の紹介で彼女は今年のミスジャパングランプリの東京大会で最高賞を獲得されたという折り紙付きの美女だったのだ。私は別にルッキズムイストではないが、ステージ映えすることは彼女にとっては大きな武器に違いないと思われた。彼女の名誉のために付け加えると、北野里沙さんの歌唱力も中央で十分に通用する力量を備えていたことを付記しておきたい。

          

 プログラムは次のとおりだった。

 ◇モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハトムジークより第一楽章 〈弦楽四重奏〉

 ◇J.S.バッハ/主よ、人の望みの喜びよ 〈弦楽四重奏+トランペット〉

 ◇サンサーンス/白鳥 〈チェロ独奏〉

 ◇作曲者不詳/アメージング・グレース 〈ソプラノ独唱+弦楽四重奏〉

 ◇ヴェルディ/乾杯の歌 〈ソプラノ独唱+弦楽四重奏+トランペット〉

 ◇マスカーニ/歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲 〈 同 上 〉

 ◇メンケン/ホール・ニュー・ワールド 〈トランペット+弦楽四重奏〉

 ◇ハーライン/星に願いを 〈弦楽四重奏+トランペット〉

 ◇モンティ/チャルダッシュ 〈第一ヴァイオリン+第二ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ〉

 ◇J.シュトラウスⅡ/美しき青きドナウ 〈弦楽四重奏〉

《アンコール曲》

 ◇葉加瀬太郎/情熱大陸 〈弦楽四重奏〉

 ◇さだまさし/北の国から 〈ソプラノ独唱+弦楽四重奏+トランペット〉

 ◇J.シュトラウスⅠ/ラデツキー行進曲 〈弦楽四重奏〉

というラインナップは、比較的クラシック初心者を意識した構成だったのかもしれない。奏者たちはおそらく読響の中ではレジェンドと呼ばれている人たちだと思われる。そうした方々の紡ぎ出す音はどこか余裕を感じさせ、音に深みを感じさせてくれる演奏だった。ただそのことが逆に、繊細さに欠けるところも時にはあったかな?と思われる部分も感じられた。そんなことを感じることができたなんて、私も少しはクラシックの音を聴くことができるようになったのかな?と思ったところだった。

 そんな細かなことは別にして、アンコールも含めて全13曲を心から楽しめた「読売サロンコンサート in 札幌」だった。

 最後にステージに登場したレジェンドの皆さんを紹介しておくことにする。

 ◇トランペット 田島 勤

   

 ◇ヴァイオリン 福田 高明

   

 ◇ヴァイオリン 望月 寿正

   

 ◇ヴィオラ   清水 潤一

   

 ◇チェロ    浅川 岳史

   

※ 掲載した写真は最初のステージの写真を除いては全てウェブ上から拝借しました。

                                          


我が国の財政は大丈夫だって!?

2022-06-18 15:58:25 | 講演・講義・フォーラム等

 講師は言う。国の借金は1,000兆円というけれど、それはまやかしであると…。国には671兆円の資産があり、差額は568兆円となり、その額は国としては問題のないレベルであるという。はてさて?もう少し詳しく話を聞いてはみたが…。

 昨日(6月17日)午後、西区民センターで開催された「札幌市高齢者市民講座」が開催され受講した。それは講座題が「わが国の財政の現状は」と知って、経済音痴を自認する私だが多少は国の財政のことも聞いてもいいかな?と思いから受講を決めた。

   

 講師は二木康博さんという方だったが、二木さんがどのような経歴をお持ちの方かは分からなかったが、お話しぶりからは公認会計士の方かな?と思いながらお話を聞いた。   

 二木氏は昨年の文藝春秋誌の11月号で財務省の事務次官だった矢野康治氏が「このままでは国家財政は破綻する」と題する論文を投稿した内容を批判した。二木氏は財務省のエリート官僚には「会計」に対する基本的認識が欠如していると強調した。二木氏は同大の法学部や経済学部では会計(学)をレベルが低い学問と軽視する傾向があるという。そのことを氏は公認会計士の合格数で東大は第5位でしかないと数字を明示して指摘した。つまり二木氏が言いたかったこと、財務省のほとんどの幹部は東大の法学部や経済学部卒であるが、彼らは「資産」と「負債」のバランスを見て判断するという会計の本質を理解していない、と言いたかったのではないかと私は受け取った。

 話はここから国の「資産」と「負債」のバランスを見る「貸借対照表」や「損益計算書」の細かな数字が羅列する表を参照しながらの説明に移っていった。さらには国と日本銀行の関りなどについても言及された。しかし、経済音痴の私にはこのあたりからはほとんど頭に入ってこなかった。

 購読している文藝春秋誌の11月号に前述の矢野氏の論文を読んだ時には暗澹とした気持ちになった。それほど経済を知らない者にとってはショッキングな内容だったが、その後の反響は必ずしもはかばかしくなかったように感じていた。それは矢野氏の見方・考え方が二木氏の言うように「資産」と「負債」のバランスを見た判断ではない、とする見方が一方ではあったからのようだ。

 経済音痴の私にはどちらがより正しいのか判断はつきかねるが、少なくとも矢野氏が指摘した「今の日本の(財政)の状況を喩えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです。」という表現は、タイタニック号がやがて氷山と衝突し沈没してしまうことから、我が国もやがて経済が破綻することを暗示する表現と受け止めた。しかし、その後の反響は必ずしも矢野氏が期待していたような動きにはなっていない。ということは二木氏が指摘するような考え方が相当数国内に存在することを暗示しているように受け止められる。

 全くの素人判断ではあるが、ひとまず矢野氏が言うほど日本が危機的状況にはなさそうだと二木氏のお話を伺いながら思っていた。

 なお、二木氏は二本の年金制度についても広範に流布されている「年金破綻論」も誤解であり、年金制度が破綻することはない!と断言され、年金生活者の一人としてひとまず安心した私だった…。

 本日の原稿を投稿してからしばらく経って見返したところ、単純な計算の間違いに気が付いた。冒頭のリード文で、国には資産として671億円があるという。すると借金と言われている1,000兆円から資産額を差し引くと329億円となるはずなのだが、講義の中での説明では講師は確かに差額は568兆円と話され、その資料もいただいた。今も資料を見返してみたが間違いはない。講師の方がその事情をお話されていたのに、私が聞き逃したのかもしれない。というほど、このレポートはあやふやなものであることをお断りしておきます。                           


外来植物除去のボランティアに参加してみました

2022-06-17 13:48:45 | ボランティア

 「イワミツバ」と「ミツバ」の違いが難しいなぁ、と思いながら周りのベテランに尋ねてその根の除去に取り組んだ。う~ん、なんと地味な作業なのだろう。腰の痛みに耐えながら懸命に除去作業に取り組んだ…。

   

   ※ 参加者は皆このようなプレートを胸から下げて活動しました。

 今日はボランティアフライデーの感があった。朝5時30分からは1時間半ほど、私が代表を務める「近美を愛するブリリアの会」の第6回目の活動で近代美術館前の路上の清掃活動に取り組んだ。

 そして9時30分からは「北海道自然保護協会」が主催する「外来植物除去」活動に参加した。各種団体の観察会に参加するだけでなく、一度ボランティア活動にも参加してみたいと考えていたのだが、近くの円山公園で行うと知って参加してみることにした。

 事前に参加申込をしたところ特に用意するものはなく、作業用軍手だけ持参するようにとのことで、自転車で集合場所の「円山パークセンター」に向かった。

   

   ※ 開会式の様子です。(円山パークセンター前)

 参加者は20数名いたが、初参加の方は私を含めて5名だった。その5名にはスタッフから除去する植物は「イワミツバ」であることを伝えられ、他の植物(特に似通っているモツバ、ウマノミツバ、ツタウルシ)との違いを説明する写真添付の文書を受け取った。

        

       ※ スタッフから渡された見分け方のポイントが架かれた文書

 そして除去する場所は円山公園内ではなく、円山動物園の西側に広がる通称「ユースの森」で行うということだった。「ユースの森」まで徒歩で向かい、早速除去作業が始まった。いきなり森に入ったが、どれがイワミツバなのかまったく見分けがつかない。ベテランの方が「これです」と言われたものを根から掘り起こして全てを除去し、根から土を振り落としてビニール袋に集める、といった作業を繰り返した。そのうちに徐々に「これかな?」という思いが芽生えてきて、半信半疑ながらもそれからは自分の判断で除去作業に取り組んだ。中腰での作業のために腰に負担がかかり、けっこう辛い作業となった。私と同じように自信なさげの方もいて、そうした方と相談しながら作業を続けた。

   

   ※ スタッフの方が「これです」と渡されたイワミツバの実物です。

   

   ※ 白い小さな花を付けたイヘミツバです。これだと見分けやすいのですが…。

 ところで「イワミツバ」のことだが、調べてみるとユーラシア原産で、戦前は食用として栽培されたものが野生化したそうだが、大変に繁殖力が強く、他の植物を駆逐してしまうために、除去する必要が生まれた植物のようである。

   

   ※ 参加者はこのようにしゃがんで黙々と除去作業に取り組みました。

 途中で雨がパラついたこともあり、1時間強の作業時間で打ち上げることにした。最後に除去して集めたイワミツバを測ったところ全部で17.5kgだったとスタッフから報告があった。除去したイワミツバは焼却処分されるとのことだった。

   

   ※ 閉会式です。左前方に集めたイワミツバがビニール袋に詰め込まれて集まりました。

 初めてこの種の活動に参加してみて、今日のところでは継続して参加したいという気持ちは湧いてこない。ただ、一度の参加だけで判断するのは適切とは思えない。最低でも3度くらい参加したうえで判断したいな、と思っている。                     


楽しめた北海道神宮フォークうたごえまつり

2022-06-16 10:02:13 | ステージ & エンターテイメント

 泉谷しげるの「春夏秋冬」、かぐや姫の「あの人の手紙」、吉田拓郎の「イメージの詩」等々…。懐かしい歌がアマチュアミュージシャンによって次々とステージ上(土俵上)で披露された。歌の巧拙はもちろんあったが、私にとっては懐かしさに浸ったひと時だった。

   

 昨夕(6月15日)は、北海道神宮祭の中日だった。北海道神宮祭では、神宮の土俵上をステージとして例年「フォークうたごえまつり」が開催されている。神宮祭とフォークソングがどのように繋がりがあるのかは不明だが、なにせ今回は2年間の休みを挟んで第18回目の開催ということだから、それなりに歴史も重ねたイベントなのだ。

   

   ※ ご覧のように土俵上にステージが特設されました。

 私はフォークソングと聞いて思わず駆け付けたが、神宮境内の人混みの凄さには驚いた。午後6時半すぎだったが、若者を中心に驚くほどの人出で、夜店の前では人の行列が動かないほどの混みようだった。その人混みをなんとかかい潜って会場の土俵傍に辿り着くと、そこには中年というよりは老境に達したような方々ばかりが陣取っていた。

 やがて開会時間の午後7時、コミュニティFM放送「三角山放送」のパーソナリティーの方の司会で「フォークうたごえまつり」は始まった。

 聴衆が老境に差し掛かった人達ならば、ステージ(土俵)に上がる方たちも同じような年代の方が多く登場した。歌い手の名前はおいておくとして、披露された曲目は次のとおりである。( )内は元歌の歌手名です。

◇春夏秋冬(泉谷しげる)

    

   ※ トップバッターは通勤帰りといった雰囲気で「春夏秋冬」を伸びやかな歌声で披露してくれました。

◇風を集めて(ハッピーエンド)

◇乾杯(長渕剛)

◇あの人の手紙(かぐや姫)

◇路地裏の少年(浜田省吾)

◇少年時代(井上陽水)

   

  ※ この日唯一の二人組です。写真では見えませんが、女性はカリンバというアフリカの民族楽器を披露しました。

◇花はどこへ行った(ピート・シガ―)

◇イメージの詩(吉田拓郎)

   

   ※ 吉田拓郎風の雰囲気を醸し出しながらの演奏です。

◇幸せになろうよ(長物剛)

◇世界に一つだけの花(SMAP) 

 いや~、私たち世代にとっては全てが懐かしい歌ばかりです。それぞれが自前のギターを引っ提げて、若い時に戻って熱唱する姿が眩しかった。全部で10組の方が出演したが、男女のディオ、女性の一人を除いて、残り8人は男性の弾き語りだった。その全てが50代以降、中には自ら66歳と公表される方もいた。歌唱力の方は正直言ってそれなりにという感じだったが、その中で「春夏秋冬」を歌った方は本家の泉谷しげるとは全く違ったティーストで伸びやかにバラード風に歌い上げた50代男性の方が印象に残った。また、長渕剛の「幸せになろうよ」を歌った60代の方の高音の素晴らしさを聴かせてくれる歌唱だった。

 そして最後はこの「フォークうたごえまつり」の第1回からメインゲストを務めているという五十嵐浩晃さんのミニライブが行われた。この催しを始めた時、彼は45歳だったそうだが、今や彼も65歳だそうだ。しかし、さすがにプロである。持ち味の高音の素晴らしさは健在だった。彼はオリジナルを3曲、カバー曲を2曲披露した。その5曲は、

   

① 愛は風まかせ

② 街は恋人

③ ディープパープル(と聞こえたのだが、聞き間違いのようだ)

④ 夢で逢えたら(大瀧詠一)

ペガサスの朝

   

 北海道神宮の夜店の喧騒を背景に、アマチュアミュージシャンのフォークソングを、そして五十嵐浩晃さんのミニライブを楽しんだ。そして自分はやっぱりフォーク世代ド真ん中だったんだなぁ、と妙な感慨に浸った札幌まつりの夜だった…。

   

   ※ 聴衆はこんな感じて150~60人いたのではないでしょうか?


2030未来への分岐点 我々に未来はあるか?

2022-06-15 13:16:06 | 「めだかの学校」関連

 温暖化、食糧危機、プラスチック汚染、等々…、地球に、そして私たちに今大きな危機が訪れている。それらの危機に対して私たちに解決する術があるのか?「めだかの学校」の仲間と共に考えた…。 

     

 昨年1~3月にかけてNHKスペシャル2030未来への分岐点」という番組が放映された。大変な反響を呼んだ番組で再放送、再々放送されたので多くの方が目にされたと思う。見逃した方のために少し詳しく説明すると、地球は今さまざまな危機に直面しており、2030年までの10年間(すでに残り8年間だが)のうちにそれらの問題を解決することができれば「持続可能な地球」となり得るが、解決できない暁には滅亡の道を突き進むことになると警告するものであった。私たちは今その分岐点にいるという趣旨の番組だった。

 番組では特に顕著な危機を次の3回に分けて放送した。

 ◆第1回 暴走する温暖化脱炭素” への挑戦

 ◆第2回 飽食の悪夢~水・食料クライシス

 ◆第3回 プラスチック汚染の脅威 大量消費社会の限界

 私はこの放送を視聴して、すぐに私が所属する「めだかの学校」の学習素材として活用しようと提案し、DVDフォーラムの形で実施することにした。ところが周知のようにコロナ禍に見舞われたことで集合学習がままならず、一年遅れで今年度になってようやく集合学習をすることができ、4月から3回に分けて放送を視聴し、先日6月13日に予定の学習を終えることができた。

     

     ※ 異常気象で干上がった大地

 3回の視聴で「めだかの学校」の仲間たちは改めて地球の危機を知り、慄然とした思いを抱いたようであった。地球の温暖化についてはある程度の知識もあったが、食糧危機、プラスチック汚染についてはかなりの衝撃だったようだ。そして話し合いの中で、「個人の努力では限界がある」という趣旨のある種あきらめに似た意見も散見された。確かにそう思わざるを得ない世界の現況ではある。

     

     ※ 海岸に流れ着く大量のプラスチックごみ

 しかし、望みはないだろうか?世界をどう導いていくかは、指導者たちの思惑にかかっている。特別な国を除いて、世界の指導者たちの考えは民意に大きく影響されるはずである。温暖化問題に世界が一歩踏み出したように、食糧問題にしても、プラスチック問題にしても、今よりもっと広く強く広報していくことで民意を形成することが必要ではないだろうか?時間は待ってくれないが、私はそこに期待したいと思う。きれいごとと言われればそれまでだが、手をこまねいている暇はない。

     

     ※ 我々は地球人は明るい未来へ進むのか?それとも暗黒の未来に足を踏み入れるのか?

 そしてもう一つ、広報によって目覚めた一般大衆は小さなことでも実践に移していく覚悟を持つことが必要だと思う。この両輪によって2030年を迎える時にぜひとも暗黒の未来ではなく「希望の未来」への扉を開けてほしい、と切に願った「めだかの学校」の学習会だった…。 

※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借したものです。                                   


近美の前庭は白い綿毛の海のようです!

2022-06-14 12:25:18 | 環境 & 自然 & 観察会

 いよいよこの季節がやってきた。道立近代美術館の前庭に立つポプラの大樹から大量の綿毛が降り注ぐのだ。その半端ない量はたちまち前庭全体を白く覆い尽くすほどである。私にとっては迷惑な綿毛であるが、これはもうこの時期の風物詩と諦めるほかない…。 

 今朝起きてみると、道立近代美術館の前庭に立つポプラの大樹から白い綿毛が大量に雪のように降り注いでいた。数日前からちらほらとその兆しが見えていたが、いよいよ本格的に降り注ぐ時期となったようだ。

   

 たった1本のポプラの樹であるが、その大きさが規格外(?)である。考えられないほどの大量の綿毛を周りに降り注ぐのである。まあ、ポプラにとっては大切な子孫を増やす行為だから致し方のないことなのだが…。

   

 私は早速、真っ白に染まった近美の庭を撮影しようと向かったのだが、近くを通った保育園児の集団が降り注ぐ綿毛や、地面の落ちた綿毛が風によって舞い上がる様子を見て歓声を上げていた。

 ところが、そのポプラの直下で私たちのボランティアグループ「ブリリアの会」はクサツゲという樹種で「ART」という文字を描いて、維持・管理している。例年そのクサツゲの小さな葉の間にたくさんの綿毛が絡まり苦慮していた。そこで数年前から「ART」文字全体を不織布で覆って綿毛から守るようにしている。(自称:防綿毛ネット)今年もつい10日ほど前に不織布で覆ったところだったので、まさにジャストタイミングだった。これから綿毛が降り注ぐのが終わる7月中旬くらいまで不織布で覆った状態しておく予定である。

      

      ※ 綿毛が降らないときは、子のような状態なのですが…。

    

    ※ 現在はこうして防綿毛ネットで覆い、綿毛が絡みつくのを防いでいます。

 そういう意味では私たちにとって迷惑なポプラの綿毛であるが、前述したようにポプラにとっては大切な子孫を増やそうとする行為である。ポプラが近代美術館の前庭に存在するかぎり、季節の風物詩として付き合っていきたいと思っている。


前田森林公園「初夏の自然観察会」

2022-06-13 17:10:31 | 環境 & 自然 & 観察会

 今回で3回目となる前田森林公園での観察会である。今回もまたガイドの方の豊富な知識とユーモアあふれる案内で楽しく初夏の前田森林公園を巡って歩いた。

                      

 昨日、6月12日(日)「初夏の自然観察会」と銘打って前田森林公園で活動する凹凸クラブ主催の観察会が開催され、参加した。今回のテーマは「花見は続くよ、もう少し」というもので、初夏に花を付ける木々をあれこれと紹介いただいた。

 ガイドしてくれる方は、おそらく凹凸クラブを主宰されている方だと思われるが、いつもの石田さんという方だった。石田さんはとても博識の方で、非常に植物に詳しい方であるうえ、ユーモア精神も十分で、さらに声の大きいのも野外のガイドに適された方である。

 以下、紹介いただいたこの時期に花を付けた木々をレポートしていくことにする。

◆ハマナス

   

    ※ 白いハマナスの奥に、野生種の赤いハマナスの花も見えます。

   

 ハマナスの自然種は花の色が赤色であるが、公園内のハマナスの花は白色だった。これは園芸用に品種改良された種だということだ。

◆ギンフミズキ

   

   

   ※ 散り遅れたギンフミズキの花が残っていました。

 ガイドが呼び方は「ギンフ‐ミズキ」と呼ぶと教えてくれた。花の時期は過ぎていて、ようやく散り残った一輪を写すことができた。

◆ハリエンジュ(ニセアカシア)

   

   ※ ハリエンジュ(ニセアカシア)の花は今が盛りと咲いていました。

   

   

 いわゆる札幌に多いニセアカシアのことである。白い花は甘い香りがして、天ぷらにも向いているとのことである。ところでニセアカシアのことであるが、明治時代に輸入されたときに、葉の様子がアカシアの葉に似ていたために当初はアカシアと呼ばれていたようである。しかし、本当のアカシアは黄色い花を付け、北海道のような寒い地域には適さない種であるそうだ。ちなみにアカシアはミモザとも称され、百合が原公園の温室などで見ることができる。

◆コナラ

   

   ※ コナラの葉はスッと細く見えたのですが…。

   

◆ミズナラ

   

   

 この二つの種は近種であり二本の木が隣り合って立っていた。ガイドは「どこに違いがあるか?」と問いかけた。二つの違いは葉の形状がコナラの方が全体に小さいように思えた。ガイドは「それも正解の一つだが、他にコナラは葉の付け根の葉柄が長い、という説明だったが良くは分からなかった。

◆オニヅタ(ナツヅタ)

   

   

   ※ オニヅタの茎の一部が吸盤のようにヤマモミジの幹に吸い付いています。

   

 寄生する木に吸盤のようなもので巻き付き成長するという。非常に大きな葉で、やがては寄生する木を覆い枯らせてしまうという。オニヅタに取りつかれたヤマモミジがかわいそうである。

◆シラカバ&毒蛾

  

  ※ まるでソーセージのようなシラカバの種子です。 

  

 シラカバの種を観察している時、ガイドがシラカバの葉に停まっていた毒蛾を見つけた。人間の刺されると肌が荒れるという。

◆イボタノキ

   

   

 ライラックを挿し木で増やす場合の親木(親株?)になるのがイボタノキだそうだが、そのライラックが上手く育たなかった場合には、イボタノキが成長するそうだ。このイボタノキはそうして成長した木だという。

◆ムクゲ

   

   

 白い花が終わりの時期を迎えていた。

◆タニウツギ

   

   

 登山の時によく山間部で見かけるピンク色が鮮やかな花木である。

◆バイカウツギ

   

   

   

   ※ 非常にたくさんの方々の参加があった観察会でした。

 白い花がちょうど最盛期を迎えていて、きれいだった。

 このほかにも紹介いただいた花があったが、盛りを過ぎていたり、まだ蕾だったりしたこともあり省略した。

 観察会はいつも盛況で、この日も50人近くの参加者がいたのではないだろうか?ガイドの石田さんの名ガイド故であろうと思われる。私も石田さんの素晴らしいガイドに感服している。季節の移り変わり毎に開催される観察会にこれからも出かけてみたいと考えている。


吉村昭著「漂流」

2022-06-12 19:08:49 | 本・感想

 絶海の孤島に12年余も閉じ込められた男の壮絶なノンフィクションである。以前に読んだ「大黒屋光太夫」の物語よりももっともっと過酷な話である。よくぞ生き抜いた。よくぞ帰還した。水主(船乗り)長平のタフネスさには驚くばかりだった…。

          

 時は江戸時代、天明5年(1785年)長平が舵取りをする御蔵米を積んだ三百石船が、長平が住む土佐の赤岡村を出航した。しかし、船はシケに遭い舵も帆柱も無くなり漂流を始めた。大黒屋光太夫の場合もそうだったが、当時は船がシケに遭い漂流することが多かったようだ。まさに「板子一枚下は地獄」の世界で、船乗りは相当に危険な職業だったようだ。                        

 船には水主頭の源右衛門、水主の音吉、炊ぎ(炊事係)の甚兵衛、そして舵取りの長平の4人が乗っていた。水も食料も途絶えそうな中、漂流を始めてから13日目に長平たちは瀕死の状態である島に流れ着いた。

 ようやく助かったぁ!と思った長平たちだったが、島には人影がなく、草木もまばらな火山島だった…。食べるものといえば、岩に張り付いた貝や海藻くらいしかなかった。しかも火山島のために水も湧いていなかった。ただ、長平たちにとって幸いだったのは、流れ着いたその島がアホウドリの生息地だったことだ。そうその島はアホウドリが繁殖するために渡ってくる小笠原諸島の一つ「鳥島」だったのだ。アホウドリは大きな鳥のうえ、動きが鈍いため彼らはそれを食料とし、水は雨水を貯めて凌ぐことにした。しかし、火を起こす手段も持ちえない中で、生の鶏肉だけを食べ続けるということはどれほど辛いことだったろうか?アホウドリが繁殖を終え、島を離れてしまうとたちまち食料が無くなってしまうことに備え、彼らは鶏肉を干して保存をして命を繋いだ。しかし、島に辿り着いて2年。助かる見込みが皆無の状況の中、彼らは絶望と栄養失調で次々と倒れていき、長平一人が生き残った。その時、島に流れ着いてから1年半が経過していた。この時長平は25歳だった。

 それから長平の一人暮らしが始まった。彼は身体的にも精神的にも強い人間だったようだ。そんな彼の前に漂流が3年を過ぎたある日、やはりシケで遭難した船頭の儀三郎をはじめとした船乗りたち11人が島に漂着した。この時儀三郎たちは火打石を持っていたために火を使うことが可能になったことは生肉だけを食べていた長平にとっては朗報だった。長平を含めて12名となった漂流者は、若いが島での生活が長い長平と船頭の儀三郎が自然リーダーとなって暮らしていくことになった。12人での生活の中から、やはり二人が病に倒れ亡くなり生存者は10人となった。

 こうして希望のない島での生活が長平で5年、儀三郎たちで2年が経過した。そうした1月のある日、またまた船が難破し、伝馬船(船と陸とを結ぶ手漕ぎの小さな舟)に乗って船頭の栄右衛門以下6人の船乗りたちが漂着した。栄右衛門たちの伝馬船には船用の大工道具一式(カンナ、鋸、鑿、ヨキ、山刀包丁、曲尺など)と他にも鍋、釜などが積み込まれていて、長平たちを喜ばせた。これで島で生活する者は16人となった。

 道具を得たこと、仲間が増えたことで島での生活に活気が出てきて、彼らは雨水を効率的に集めるために池を造った。その際、なんと限られた材料で重次郎という器用な男が漆喰を造って池の底に敷き詰め、漏水を防いだ。栄右衛門たちが流れ着いてからもすでに3年が経過し、長平は32歳になっていた。島での漂流生活実に8年である。その夏、大工道具を眺めていた長平は無理を承知で「船を造ろう!」と提案した。材料もない中での提案は他の者たちから当初問題にされなかったが、「ともかく無理は承知でも、希望の日を絶やさぬために取り組もう!」という長平の強い意志を感じ、皆は立ち上がった。船造りなど経験のないものばかりだったが、中に器用な船乗りもいた。彼らを中心に取り掛かったが、材料がないことで頓挫しかかった。しかし、辛抱強く島に流れ着く材料を集めながら遅々とはしながらも船造りは進められた。その間にも月日は流れ、長平の漂流生活は12年にもなっていた。そんなある日、大シケの後に大量の木材が島に流れ着いた。そのことで船造りが一挙に進み、ついに長平が島に流れ着いて12年半が経過した5月、ついに15人が乗ることのできる船が完成した。

 その船で6日間をかけて長平たちは人が住む八丈島に辿り着き、祖国へ帰り着くことができた。

 またまた粗筋を長々と書き綴ってしまったが、私にとっては長平の感動的な漂流体験を2度にわたって味わうことができた思いである。吉村作品を紹介するとき、いつも述べることだが、彼は常に綿密な取材を欠かさないという。今回も関係文書、また伝聞等、できうる限りの取材を行った末での作品化である。事実を柱にして、そこに吉村流の肉付けがされていく吉村作品はいつも読み手の私をワクワクさせてくれる。本作の場合、満足な食事を口にすることなく実に12年余という気の遠くなるような漂流生活を耐え、無事に生還するという壮絶な物語である。このような物語を作品化した吉村昭の凄さを改めて実感した一作だった…。 

※ なお、この「漂流」は1981(昭和56)年、東宝映画が北大路欣也主演で映画化しているそうだ。  

                                       


恐るべし! フェルメール人気

2022-06-11 14:43:55 | 作品展・展覧会等

 開幕して1ヵ月半が経過したというのに、フェルメールに関する映画会は満員御礼。展覧会は牛歩の歩みどころか、カメさんの歩みである。フェルメールがこれほどの人気とは!美術の世界に疎い私には驚くばかりだった。恐るべし!フェルメール!

   

 過日、道立美術館で開催中の「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」の招待券をある方からいただいたと拙ブログに書いた。その際に札幌市民ギャラリーで上映される「謎の画家・フェルメール追跡」という映画を観賞後に実際の画と対面しよう、と書いた。

          

 その映画を観るため6月8日(水)に市民ギャラリーに赴いた。ところが!フェルメール人気は凄まじいものだった。私は上映開始の午後2時より30分前に到着したのだが、すでに定員の100名を超えていて、さらに長蛇の列が続いていた。市民ギャラリー側の臨機応変の措置で1時間後(午後3時)にもう一度上映してくれることになった。

 映画は私のように美術に疎いものにとっては大変にありがたいものだった。フェルメールは画家であると同時に、宿業の主人であり、画商も兼ねていて、かなり裕福な暮らしをしていたようで画業に熱心だったとは言い難く、遺された作品も32~37点(諸説ある)と数少ない。また彼は自宅があったオランダの小都市・デルフトから一生出ることはなかったという解説もなされた。

 映画はそんな数少ないフェルメールの作品を写し出しながら、フェルメールの画の特徴を解説してくれた。その特徴を映画の中では次のように項立てして説明した。〈光のマジック〉、〈引き算の美学〉、〈計算された構図〉、〈ラピスラズリ〉という特徴があるという。〈ラピスラズリ〉とは、大変高価な宝石らしいが、それを絵具として使用していたという。映画を観たことで、フェルメールに対する期待が私の中で高まった。

 そして昨日(6月10日)、開幕して時間も経ったし、午後2時頃だといくら人気だといえ少しは空いているのではないか?との期待で近代美術館に向かった。ところが!案に相違して想像以上の観客で埋まっていた。フェルメール恐るべし!牛歩どころではない。遅々として進まぬ行列に内心イライラしながら、作品を観て回ったのだが…。

 なにー!?フェルメールの画がいっこうに現れないではないか!現れるのはドレスデン 国立古典絵画館(ドイツ)に所蔵されている17世紀に活躍したオランダの画家の画ばかりではないか!結局、今回展示されていた73点の絵画のうち、なんとフェルメールが描いた画は「窓辺で手紙を読む女」1点だけだった…。

          

  ※ 案内パンフの写真ですが、フェルメールが亡くなった時に残された作品にはキューピッドが見えません。  

 これはいったいどうなのだろうか?私などは「う~ん」と唸るばかりだった。なるほどフェルメールは謎の画家として、いろいろと謎の多い画家のようだ。この「窓辺で手紙を読む女」でも、女の背後に実はフェルメールは弓矢を持つキューピッドを描いたのだが、何者かによってそれを塗りつぶされ、長い間そのままになっていたという。それが後年X線調査でキューピッドが隠されていることが判明し、ドレスデン絵画館の慎重な修復作業によってキューピッドが姿を現したという劇的な展開が世の人々の関心を高めたようなのだ。その修復作業後の画がドレスデン絵画館以外では、国外では初めて東京都美術館に続いて道立近代美術館で公開されるという話題性もあり、「フェルメール」をバーンと前面に押し立てた絵画展名「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」としたのだと思われる。でも私に言わせてもらうと「17世紀オランダ絵画展とフェルメール」で良かったのでは?と思うのだが、それでは訴求力がないということなのだろう。

          

        ※ ドレスデン絵画館の修復作業によって姿を現したキューピッドが描かれた真図です。

 それにしてもフェルメール恐るべし!である。僅か1点の作品で、どれだけ多くの人たちを動員するのだろうか?