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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈1・2〉 入江・高砂貝塚(洞爺湖町)

2022-06-08 18:11:39 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連

※ 今回の縄文遺跡巡りを契機にして、できれば世界遺産に認定された北海道・縄文遺跡群の構成遺産となった全17遺跡を全て巡ってみたいという野望を抱いた。実現できるかどうか分からないが、一応シリーズ物としてナンバーを打つことにしたい。なお、私のレポは素人の印象レポであり、専門性はまったく皆無と理解していただきたい。

 入江貝塚と高砂貝塚はとても近距離にあり、歩いて5分ほどの近さだった。両方の貝塚ともに紀元前8,000年から3,300年前のものとみられるが、二つの貝塚の関係性を示す明確な証拠(遺物)は発見されていないということだ。

 昨日、いしかり市民カレッジの講座「世界遺産登録となった北海道北東北の縄文遺跡群」の現地見学は、洞爺湖町と伊達市の三つの遺跡を巡るものだった。私が期待した千歳市の「キウス周堤墓群」を回ることは時間的にも無理だったようだ。そこで昨日の現地見学の様子を二日に分けてレポすることにする。

 私たちはまず洞爺湖町の「入江・高砂貝塚館」を訪れた。そこで学芸員の方からお話を伺ったのだが、縄文時代はいわゆる定住がはじまった時期であったが、定住というと「農耕と牧畜」があって初めて成り立つものと考えられるが、我が国の北方では農耕はまだ伝わっておらず、「漁労、採集、狩猟」をすることによって定住を可能にしていたという。つまり貝塚にはそうしたことを示す貝殻や動物の骨などがたくさん発掘されたそうだ。

   

   ※ 2021年新設の「入江・高砂貝塚館」です。

   

   ※ 説明していただいた学芸員は女性の方でした。

 貝塚館で特徴的だったことは、北海道では棲息していないはずのイノシシの牙で作られたヒトの歯形をした装身具が発掘され、展示されていたことだ。ということは当時から本州との交流はあったというなによりの証拠となる。

   

   ※ イノシシの牙で作った人の歯形の装飾品です。

   

   ※ 入江・高砂貝塚から発掘された他に見られない特色ある発掘物は特別に緋毛せんの上に載せられていました。

 また、レプリカではあったが、入江貝塚から発掘された人骨が展示されていた。その人骨は明らかに異常に細い手足の骨の持ち主だった。それは幼児期に小児麻痺か筋ジストロフィーに罹った人の遺骨だと判明したということだ。

   

   ※ 遺骨のレプリカです。足や腕の骨が明らかに細いのが分かります。(下の遺骨と比べてみてください)

 さらに高砂貝塚では、妊娠し子どもを身ごもった婦人の遺骨が発掘されたが、妊娠40週になる胎児の遺骨も同時展示されていた。なお、遺骨の本物は発掘調査を担当した札幌医科大学に保管されているそうだ。

   

   ※ こちらが母親と胎児の遺骨のレプリカです。

 その後、まず高砂貝塚に案内された。貝塚には当時を連想させるように白い貝殻が地面を埋めていたが、もちろんそれは人為的に現代になって貝殻を撒いたものである。高砂貝塚には円形の小さな貝塚と、長方形の大きな貝塚が再現されていた。その中の円形の貝塚にはところどころに土が盛り上げられていた。説明によると、そこは縄文人の遺体を埋めたお墓だという。そうした箇所が高砂・入江両貝塚で計44ヵ所見つかっているということだった。

   

   ※ 表示が二つの貝塚を表していますが、こちらは高砂貝塚の入口です。

   

   ※ 二つの貝塚が復元されていました。手前の円形と、遠くに白い長く見えるのがもう一つの貝塚です。

   

   ※ 貝塚の中に土が見えるところから人骨が発掘されたそうで、お墓と考えられています。

 続いて高砂貝塚から約500m離れた入江貝塚に向かった。こちらは貝塚跡に貝殻は撒いていなく円形の跡が残っているだけだった。こちらの貝塚には竪穴住居の跡、さらに骨組みだけの竪穴住居、そしてその骨組みに土を被せた「土ぶき」の住居が再現されていた。また、貝塚を立体的に再現した(こちらは本物だという)貝塚トンネルが造られ、貝塚の断面が見られる工夫がされていた。

   

   ※ 入江貝塚の入口です。前方に見えるのは「貝塚トンネル」です。

   

   ※ 貝塚トンネルの内部です。貝塚の断面を見ることができます。(光っているのは照明が反射しています)

   

    ※ 竪穴住居跡の底面を復元したものです。           

   

   ※ 竪穴住居の木組みを再現した様子です。

   

   ※ その木組みの上に土を被せた「土ぶき」の竪穴住居を再現したものです。

 さて、冒頭の疑問であるが学芸員の方にお聞きしても両者の関係性について断定的に語ることはできないという。それは決定的な証拠が発見されていないということであろう。貝塚から人骨が発掘されたことから、貝塚が単なるゴミ捨て場ではなく墓地であり、祭祀の場であったことは確定できても、両貝塚の違いは今のところ断定できないという。8,000年から数千年前のことを僅かな手掛かりを求め、そこから古人の生活を推察する学問が考古学なのだろう。私にとって最も縁遠いと思われていた世界も触れてみると案外ロマンに溢れた面白い世界なのかもしれない。少しだけ関心を持ってみようかな?と思い始めている。(単純!と言うなかれ!)