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北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈3〉 北黄金貝塚(伊達市)

2022-06-09 14:39:28 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連

 解説してくれた学芸員の方は強調された。「貝塚はけっしてゴミ捨て場ではない!縄文の人たちにとっては生き物に対する祈りの場であった」と…。小高い丘の上に、二つの貝塚や三棟の竪穴住居が復元展示されていた。

   

   ※ 貝塚や竪穴式住居の復元家屋がある「北黄金貝塚公園」の入口です。

 「北黄金貝塚」は、伊達市の中心部から離れた伊達市北黄金地区の小高い丘の上にあった。貝塚は国道37号線沿いにあるので行きやすい遺跡と言えるかもしれない。

   

   ※ 貝塚のある丘陵の麓にある「北黄金貝塚情報センター」の入口です。

 貝塚の近くにはガイダンス施設である「北黄金貝塚情報センター」があるが、センターには入らずいきなり貝塚を巡ることになった。貝塚は竪穴住居が並ぶところから急坂を息を切らせて上がったところに展開していた。貝塚にはA地点貝塚、B地点貝塚と名称が付されていたが、まずは小さなB地点貝塚に案内された。大きさは15m×15mの円形の貝塚である。北黄金貝塚では最も古い貝塚とされており約6,300年前のものとみられる貝塚だった。主として見られた貝殻は「ハマグリ」だという。ハマグリは暖かい海の産物であることから当時の気温は今より2~3度高かったと推定されているそうだ。

   

   ※ この急坂を上がったところに二つの貝塚がありました。

   

   ※ こちらは最も古いとされるB地点貝塚の全貌です。

   

   ※ B地点貝塚を近接して撮ったものです。

 続いて大規模なA地点貝塚に案内されたが、こちらは 80m×20mの長い楕円形の形をしていた。北黄金貝塚では最大の貝塚だという。貝塚からはハマグリが消え、カキ、ホタテ、ウニなどが発掘されたという。このことからこちらの貝塚は約5,800年前のものと考えられ、気温も現在に近い気温だったと推定されるとのことだった。

   

   ※ 貝塚最大のA地点貝塚の全貌です。

   

   ※ 近寄るとシカの角が散乱していました。貝塚では哺乳類の骨もたくさん見つかったということです。

   

   ※ A地点貝塚で学芸員の説明を聞く参加者たちです。

   

   ※ 下方からA地点貝塚を撮った一枚です。

 このA地点貝塚で重要なのは、14体の縄文人骨が発掘されたこと。また、その他にオットセイ、クジラ、シカなど哺乳動物の骨も発掘されたそうだ。そして人骨の周りからはベンガラを使用した形跡も見られ、貝塚が人間だけではなく全ての生き物にたいする祈りの場であったと推定することができるとされた。

   

   ※ 情報センターに展示してあったものですが、貝塚ではこのように人骨が埋葬されていたそうです。

 北黄金貝塚の一つの特徴として「水場遺構」が現存されているのが大きな特徴である。水場遺構とは、生活で使われた石器など使われなくなった道具を供養した場と考えられるとのことだ。水場遺構の一部は発掘された状態のまま展示されており、目立ったのは物をすりつぶすための「すり石」と「石皿」が壊されたり、使用する面を伏せてあったりしたことから供養した場であると推定したということだった。

   

   ※ 使用した石の道具を叩き壊したり、裏返しして生活道具を祀った「水場遺構」です。

   

  ※ こちらも情報センターに展示されていた「すり石」と「石皿」のセットです。たくさん発掘されたようです。

 最後に北黄金貝塚のことを振り返った時に、私の中で大きな疑問が浮かび上がった。それは北黄金貝塚に建てられていた竪穴住居の復元住居についてである。北黄金貝塚のものは全体が「萱ぶき」だった。ところが先に見た入江貝塚のものは「土ぶき」だったのだ。私は後世のアイヌ民族の建物が「萱ぶき」であるところから、「土ぶき」より「茅ぶき」の方が後世の建物だと考えた。(萱ぶきの方が進んだ建て方)ところが、時代的には北黄金貝塚(約5,500年前)の方が入江貝塚(約4,000年前)より古い時代であるという。これはどう解釈したらよいのか?分からなくなった私は「北黄金貝塚情報センター」に問い合わすことにした。センターでは親切に対応してくれた。結論としては両貝塚ともに真相は分からないまま復元したという。というのも、竪穴住居の跡の形状とか、その上に立てた柱の跡は残っているため特定できるが、その上屋は何も証拠となるものが残っていないため、あくまで想像するしか術がないということだ。そのため両貝塚で異なった想像をしてしまった結果の復元であるとのことだった。但し、回答いただいた学芸員の方のお話では、「萱ぶき」より「土ぶき」の方が寒さを防ぐ意味では優位だということだった。果てして真相は??? 

   

   ※ 貝塚(上方の白いところ)の下方に建てられている竪穴式住居を再現した建物が見えます。

   

   ※ 写真のように三棟が並んで建てられていました。

   

   ※ そのうちの一棟です。

   

   ※ 竪穴式住居の内部を再現した様子です。

 今回、三つの貝塚を見学させていただき、貝塚が単なる食べ物の残骸を捨てるだけの場ではなく、縄文人にとって人をはじめとして命あるもの全てを、はては命を繋ぐために使用した道具までもが祭祀の対象だったことを知ることができた。これからも少しだけ縄文遺跡群に関心をもってみようかな?と考えている。

最後にサービスショットを2枚投稿します。

   

   ※ 朝、中山峠から鮮やかに羊蹄山が望めました。(電線が余計ですが…)

   

   ※ 帰路に休憩した洞爺湖畔です。