田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北区歴史と文化の八十八選巡り №8

2022-06-07 06:10:48 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

  今回も前回に続いて北区の中でも西側に位置する歴史と文化の史跡等を巡って歩いた。一日で巡る計画が私のミスで二日間にわたってしまった。そのミストとは?恥ずかしいほどの私のうっかりミスなので公表は差し控えることにする。

※ 本日の私は午前7時から行動を開始して、帰宅するのが午後8時近くになる予定である。その理由は、「いしかり市民カレッジ」の講座に受講申請した「世界遺産登録となった北海道北東北の縄文遺跡群」の現地見学で千歳市、伊達市方面にバスで見学する予定なのだ。本来なら、先に座学を実施して見学先の予習をするのだが、講師の都合でいきなり現地見学ということになり、どこの遺跡を見学するのか、現時点では分かっていないのだ。私の期待としては千歳市、伊達市、洞爺湖町の4ヵ所の遺跡を回ってくれるものと期待している。しかし、今のところは分かっていない。まあ、ミステリーツアーに参加する気持ちで楽しんでこようと思っている。そのため、本日の投稿は昨夜作成したものを本日早朝に投稿することにしました。 ご理解ください。

29〉新川「開基百年記念」碑

 新川「開基百年記念」碑は、新川中央公園内に建てられていた。新川中央公園は比較的大きな公園だったが、碑は公園の南側の入口近くに建っていた。碑は高さ 5~6mほどもあったろうか?とても大きな石碑だった。

   

   ※ 立派な百年碑です。

   

   

   ※ 百年碑を背後から撮ってみました。公園が緑豊かです。

 石碑の裏には次のような碑文が刻まれていた。

 苦節百年 不撓不屈の精神をもって、過酷な自然条件を克服し、新川地区の生生発展の貢献した屯田兵および部有地へ入植した開拓者の偉業を偲び、その功績を顕彰する。開拓に心血を注いだ先人の魂は、我ら新川住民のコ頃に永遠に継承されるであろう 今日の新川地域の栄光と住民の幸せは、我らの一層の協力と親和への努力により、未来へ向かってより輝かしいものとしなければならない ここに新川開基百年を記念し、この碑を建立する。       平成元年(一九八九年)十月二十二日 新川開基百年記念協賛会

 また、傍に立てられていた北区制作の説明板には次のように説明されていた。

 新川地区の開拓は、明治22年頃から屯田兵や一般入植者が定住して本格化した。湿地帯であったことから幾度となく水害に襲われたが、先人はこれを乗り越えて豊かな農耕地帯へと導き、そして現在の住宅地へと発展させた。新川という地名は、物資輸送と水害防止に役立った人工河川「新川」から由来している。この記念碑は、開基百年を記念して平成元年に建立された。

〔住 所〕 北区新川4条14丁目 新川中央公園内

〔訪問日〕 6月4日 

30〉近藤牧場

 近藤牧場は新川中央公園に近いところに位置していたが、辺り一帯は市街化が進み、郊外型店舗が集まり新市街を形成しているような一角で、今なお現役として牧場を経営されているようであった。だからちょっと歴史を感じさせる牧舎やサイロもきっと現役で使われているようで、メンテナンスも十分のように見えた。

   

   ※ 道路向かいから近藤牧場の牧舎全体を撮ってみました。

   

   

   

 牧場の傍に立てられていた説明板には次のように記されていた。

 大正4年(1915年)からこの地で酪農を始めた近藤牧場は、札幌の近郊によく見られた牧場の形態を今に残す数少ないものの一つである。場内にある冬期間の乳牛の飼料を蓄えるサイロ(大正14年建築)は、木軸にコンクリートを打ち込み、表面を下見板張りにしたもので、大変珍しい構造である。 

〔住 所〕 北区新川694番地

〔訪問日〕 6月4日

31〉安春川の水辺と散策路

 私が安春川を訪れるのは初めてではない。おそらくこれまで3~4度訪れているはずである。記録を調べてみると最初に訪れたのは14年間前の2008年6月である。その時私は安春川の印象を次のように記している。

   

   ※ 安春川の水源地(?)です。近くにある下水処理場で高度処理した水を流しているそうです。

   

   ※ その水源地から安春川を眺めたところです。

   

   ※ こちらは水源地とは反対の西端の散策路が始まるところです。

「少し資金を費やし過ぎているのでは」と思われるくらい、見事に整備された散策路です。
 小さな流れの両岸は大小の石で固められ、その脇には鉄平石が敷き詰められた素晴らしい遊歩道が続いています。さらに、ところどころにベンチを配したり、東屋があったりといたれりつくせりの感がします。」

   

   ※ 水辺すべてではありませんが、散策路にはこうした鉄平石が敷かれています。

   

   ※ 途中にはこのような板敷の散策路もありました。

   

    ※ 川幅はけっして広くなく、せせらぎといった感じです。

   

   ※ よく見ると川底も石が敷き詰められていました。

   

   ※ 川辺のいたるところにこうしたベンチが配されています。

   

   ※ また東屋も適度に設置されています。

 今回訪れてみて、その印象は大きくは変わらないが、以前に比べると川の周囲の整備の状況が以前より後退したのではないか?との印象を抱いた。安春川が現在のように整備されたのが1987年(昭和62年)だという。以前に訪れた時は、周辺住民が積極的に川辺の整備をされていたように思えた。しかし今回は…。時代を経て、住民にとっては当たり前の光景となってしまい、住民自らによる整備を忌避する傾向が出て来たとしたら残念なことである。

   

   ※ ちょっと残念な光景でした。実はもっと酷いところもあったのですが…。

  今回、私は1987年に整備されたという約1.4キロの水辺を往復した。水源地(これが特殊な水源池なのだが…。後述)に向かって行きは左岸を、帰りは右岸を歩いたが、途中から右岸の方は遊歩道が無くなってしまい、左岸に移らざるを得なかったのは、取得用地の関係だと思われるが、ちょっと残念なところである。

   

   ※ 川には相当の数のマガモが生息していました。また、川で棲息する鯉もかなりたくさん目撃しました。

   

   ※ 若い女性が二人、川の中に入りザリガニ採りに夢中になっていました。

 安春川は自然にあった川ではなく、農業用水を得るために当時の周辺農民が掘削した川である。そのあたりの経緯について説明板で下記のように説明していた。
 明治23年(1890年)、湿原の地下水位を下げ農業の発展を期すために、屯田兵により開削された「安春川」。その川も、都市化の波により流水が枯渇し、降雨時のみの廃水路と化していたことから、快適な生活環境を創造するため、創成川高度処理水によるせせらぎの復活と、河川敷のオープンスペースを利用した遊歩道の整備、さらには、快適な冬期生活に向けての融雪施設を設置することとし、昭和62年度から事業に着手した。長さ約1.4キロメートルにわたり、遊歩道や親水広場などが整備されており、地域の人たちや子供たちの憩いの場として親しまれている。 

〔住 所〕 北区新琴似5条1丁~10丁目付近

〔訪問日〕  6月6日


 〈32〉新琴似屯田兵屋  ※ 跡地になってしまったために削除された。

   

   ※ 「新琴似ポッポ公園」の表示板には「札幌市北区新琴似1条6丁目」と表示されていましたが…。

 新琴似屯田兵屋については建物が撤去され、跡地となったために削除された、となっていたが、一応跡地を見てみようと現地に赴いた。現地に赴き、辺りを探したのだが新興住宅地となっていて、跡地そのもの見つけることはできなかった。ただ「新琴似1条6丁目」の一角に「新琴似ポッポ公園」があった。もしここが跡地だとしたら何らかの掲示がされているはずであるから、ここではないとしても近くであることは間違いないとして、それ以上の探索は諦めた。

 〔住 所〕 北区新琴似1条6丁目1

 〔探索日〕  6月6日