田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

PMF2024オープニング・ナイト

2024-07-11 21:14:49 | ステージ & エンターテイメント
 もはや札幌の夏の風物詩としてすっかり定着した感のあるPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)が昨夜いよいよ開幕した!私にとってワクワクと心躍歩らせる7月がやってきた!

       

 昨夜18時30分、札幌コンサートホールKitaraの大ホールにPMFの創始者バーンスタインの名曲「キャンディ―ド序曲」が華々しく響き渡りPMF2024がスタートした!
 私は毎年この時期は心躍らせてPMFの各種コンサートを追いかけて歩く日々を送ることを楽しみにしている。(といっても年金族だから格安のチケットばかり狙っているのだが…)そんな季節がまたやってきた!
 昨夜は大ホールに入る前に、ホワイエにてPMF生によるブレコンサートが行われた。プレコンサートはヴァイオリン、ヴィオラ、フルート、ファゴット、ホルンの五重奏でハイドンの「ディウェルティメント ト長調 MF406」が演奏された。曲そのものはまるで分からない私だが、彼ら演奏を聴いていて「あゝ、クラシックってやっぱりいいなぁ…」と思わせてくれ、オープニングに対する期待が膨らむばかりだった。

   

 期待は裏切られることはなかった。PMF生85人に加え、教授陣も加わった大編成で奏でられた「キャンディ―ド序曲」は、エリアス・グランディの躍動的な指揮と相俟って素晴らしいスタートとなった。
 その後は、ヴェテラン揃いの教授陣であるPMFウィーンがメンデルスゾーンの「弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 作品13から」、そしてPMFベルリンの5人がドヴォルザークの「スラヴ舞曲集から」を金管五重奏で、それぞれ熟練の演奏を披露してくれた。
 そして最後は再びPMF生+教授陣による大編成でR.シュトラウスの「交響詩『ドン・ファン』作品20」がやや厳かに演奏され、オープニング・ナイトを終えた。
 演奏と共に、この夜私が注目したのは、指揮者のエリアス・グランディ氏の躍動的な指揮ぶりだった。激しく全身を駆使しての指揮ぶりは、見事なまでに大編成の奏者たちを操り、気持ちの良いほど演奏と指揮が一体となっているように映った。そのグランディ氏が来年から札幌交響楽団(札響)の首席指揮者に就任することが決まっていると聴かされた。来年、私は彼の指揮ぶりを観るために札響の演奏会に通おうかな?と思った。
 さあ、PMF2024は開幕した!実は今年はスケジュールの関係で例年のように数多くの演奏会に行けないかもとれないとちょっと悲観的になっている。そこをなんとかやりくりをして駆け付けたいと思っているのだが、どうなることやら…。

※ ホール内の写真撮影はもちろんNGである。しかし、プレコンサートはホワイエだったこともあり、多くの人がカメラを構えていたので、私も一枚写させてもらった。

C.ロジャースって誰だ?

2024-07-10 11:23:05 | 講演・講義・フォーラム等
 まるで知らない他人の庭に足を踏み込んだ思いだった。私にとってはまるで縁遠いカウンセリングについてのお話を聴いた。講師のお話や指示に終始戸惑いながらの90分間だったが、それなりに得るものもあった講演だった。

        

 昨夕(7月9日)、道立道民活動センターのかでるホールにおいて「北海道家庭生活総合カウンセリングセンター」創立60周年記念一般公開講演会に参加した。
 講演は「ロジャースを再考し今に生かす~ほんものの深い傾聴を学び直す~」と題して、明治大学教授の諸富祥彦氏が講師を務めた。
 諸富氏は冒頭にいきなり「はい。皆さんお立ちいただき、周りの方4人で輪を作り、手を繋いでください」と指示した。戸惑いながら指示に従い、周りの3名の女性とサークルを作った。そして次の指示に従いお互いに自己紹介をした。すると、私が門外漢の参加者であることが判明した。3名の女性は全てカウンセリングボランティアをされている方で、私に対して「えっ?カウンセリングをされている方じゃないんですか?」と問われた。どうやら一般公開講演会と謳いながらも受講者の大半はカウンセリングの関係者だったようだ。
 諸富氏は臨床心理学などの研究者であると共に、現役のカウンセラーとしても活動されている全国的にも著名な実践者のようだ。
 諸富氏の主張は、カウンセラーは徹底してクライアント(相談者)に “寄り添う” ことの重要性を説き続けたことだ。クライアントがカウンセラーを信頼することによって、初めてクライアントはカウンセラーに心を開く。そこからカウンセリングは始まるということのようである。
 そうした考えに至った背景は、アメリカの心理学者カール・ロジャースの主張に出会ったことだという。そこでロジャースについてちょっと調べてみた。それによると、ロジャースはカウンセリングを数多く行う中から「人は誰しも、自分がどうありたいかという自己概念と現実世界で経験することの食い違い(「不一致」と呼ばれる)に悩んでいるものである。この食い違いの度合いが大きくなると、不安定な状態や問題行動につながりやすくなると考えられる。そこで、個人の価値観や意義を認め、クライエントの自己成長力を信頼するという、ありのままを受容する考え方により、クライエントも自身を尊重して価値あるものと理解できるようになる」と考えたそうだ。
 諸富氏のお話は、まさに徹底してロジャースの主張を実践してきた方のようである。諸富氏講演は“講演”というよりは、クライアントへの語り方を具体的に壇上から私たちにカウンセリング場面を見せて(聞かせて)いるようなものだった。
 よくカウンセラーに求められるものの第一は “傾聴”だと云われている。その“傾聴”を徹底することこそが何よりのカウンセリングにおいては重要であるということのようである。
 私がこれからカウンセリングを志すとしても、その資質はないし、時間もない。しかし、日常の肉親や友人との会話の場面において、“相手の話に耳を傾ける”ことの大切さを学んだような気がしている。相手の話を“傾聴”することによって、相手からも信頼される存在になるということを改めて教えられた講演会だった…。

サーモン養殖の “エサ” を地産地消で!

2024-07-09 16:39:57 | 講演・講義・フォーラム等
 今や水産物の生産量高は、養殖物が天然物を凌ぐ状況だという。その養殖物を育てる外国産の飼料の高騰に生産者が頭を抱えているという。北海道立総合研究機構(略称:道総研)では、サーモン養殖の “エサ” の道産素材の開発に取り組んだお話を聴いた。

   

 本日のお昼、北海道庁の1階交流広場で道総研主催の「ランチタイムセミナー おひるの科学」を受講した。
 今回のテーマは「北海道のサーモン養殖~そのエサに道産素材の副産物!」と題して、道総研の水産研究本部の小山達也氏が講師を務めた。

    
    ※ 講師を務めた小山達也氏です。

 リード文でも触れたように、今や水産物は天然物を凌いで養殖物が主流となっているという。アトランテックサーモンとか、トラウトサーモンなどもノルウェーとかチリにおいて養殖されたものが主だそうだ。道総研が今回取り組んだのは、一般的には「ニジマス」として知られるトラウトサーモンの養殖だそうだ。

    
    ※ 天然物が横ばいなのに対して、養殖の生産量が急増しているのが分かります。
      (明るい中でのパワーポイントの使用のため見づらいことをご容赦ください)

 養殖の場合、最も経費がかかるのが飼料代(エサ代)だという。その割合は養殖にかかる全経費の6割以上だそうだ。その飼料の多くは外国産に頼っているそうだが、外国産飼料が現在はそうとうに高騰している現状だという。

     
     ※ 養殖では飼料代が生産コストの多くを占めるのですね。

 そこで道総研では北海道産の産物の残滓を使っての飼料づくりに挑んだという。
 その残滓とは、植物タンパクとしてジャガイモの澱粉を搾った後の搾りかす(ポテトタンパク)と動物性たんぱくとしてホタテ貝の中腸腺(通称:ホタテのウロ)の利用を考えたという。
 ジャガイモの搾りかすには、ポテトアルコロイドという毒性物質が含まれるために、それを取り除くために苦戦したり、ホタテウロに含まれるカドミウム除去技術の開発に苦労したりしながらも、この度なんとか二つの残滓を活用した資料の開発に成功し、飼育試験においても既存の魚粉を主体とした人工飼料に劣らない結果を得ることができたという。
 今後の課題は、人工飼料の生産工場が我が国の場合西日本に偏っているために、例えそれらの工場で生産できたとしても輸送料などが嵩むという課題があるそうだ。
 現時点での価格についてお伺いしたところ、現時点では既存の人工飼料とあまり変わらない段階までこぎつけたというから北海道、あるいは北日本に生産工場ができると良いのだが…。
 小山氏も話されていたが、「今後は量産化が課題である」と話された。
 道産素材、しかもこれまで捨てられていた素材の有効活用という面から見ても、できうれば道総研が研究開発した人工飼料が量産化に成功して、日本の養殖漁業が一層発展することを願いたいものである。 

あゝ、キャッシュレス時代…

2024-07-08 18:12:53 | 「めだかの学校」関連
 講師は云う。いずれ日本において現金決済はますます減っていきキャッシュレス全盛時代になると…。アナログ人間を脱しきれない私などは “生きた化石” となってしまうのだろうか?…。ため息ばかりつきながら講師の話に耳を傾けた。

 本日午後、「めだかの学校」「賢いシニア生活を送るために」の第4回講座が開催された。今回のテーマは「キャッシュレス決済との付き合い方」と題して、札幌市消費者センターからの派遣講座で、フィナンシャルプランナーの加藤桂子氏が派遣され講師を務められた。

      
     ※ 講師の加藤桂子氏です。相当に聡明な方とお見受けしました。

 講座の概要は、
 ①キャッシュレス決済の現状と背景
 ②各種キャッシュレス決済のそれぞれの特徴
 ③キャッシュレス決済のメリットとデメリット
 ④キャッシュレス決済の留意点及び詐欺への警戒
といった内容だった。
 まず一口にキャッシュレス決済と云っても、クレジットカード、デビットカード、電子マネー、プリペイカード、スマホ決済、etc…とその種類の多さに驚いた。さらには、それぞれのカードなどには何種類もの会社(機構)が参入していて、私などから見たら目が回るほどその種類が多いことでギブアップの感じだった。
 講師はあくまで「キャッシュレス時代に乗り遅れるな」という論調で私たちに親切・丁寧に説き続けたのだが、聴いている私はため息ばかりをついていた。

    
    ※ 講師の話に真剣に耳を傾ける「めだかの学校」の会員の方々です。

 今回、講座担当が事前に私たちのキャッシュレス決済に対する現状のアンケート調査を実施していた。回答は15名でそのほとんどが70歳代なのだが、その中で「ほとんどキャッシュレス決済を使用している」と答えた者が6名と半数近くいた。私はそこには含まれず、「使用を限定している」と答えたはずだ。私の現状は、クレジットカードは一つだけ所有し、スマホ決済も一つとだけ契約し、コンビニなどで時折り使用する程度で、現金決済が圧倒的に多い。う~ん。私はこの時点で乗り遅れている。(もっとも家庭経済について私はノータッチなのだが…)
 たしかにキャッシュレス決済に利点が多いのは理解できた。しかし、アナログ人間の私にはサイバー空間(メタバース)で行われる経済のやり取りについて、どうしてもいま一つ信用がおけないという思いが抜けきらないのだ。そんなことを言っているから “生きた化石” などと自己否定せざるを得なくなってしまうことは理解できるのだが…。
 あゝ、これではダメだ。すでに周回遅れになっている感はあるが、なんとか今の社会で生きていくためにも、ため息を漏らすのではなく、必死に喰らいつき、楽しく生きていけたら思ってはいるのだが…。

ヘルシーウォーキング㊴ in 新十津川・滝川をめぐる、一町一市ウォーク

2024-07-07 20:38:10 | JRヘルシーウォーキング
 時折り雨が降るコンディションの中、なかなかタフな15キロだった。ただ、湿度は高いものの気温は20℃前後と、汗は一杯かいたものの気持ち良く二つの街を歩くことができたヘルシーウォーキングだった。
 
    
 
 数日前から体調を崩し、「今回はどうしょうかなぁ?」と考えていたのだが、昨日になって体調が回復したこと。そして〈イベントウォーク〉の場合は、今年はこの日しか歩くことができないという制約があるため参加を決めた。
 今回は、この「新十津川・滝川をめぐる、一町一市ウォーク」だけの参加だったので、JRの「一日散歩きっぷ」(2,540円)を利用して滝川へ向かった。
滝川駅に下車後、8時40分、直ぐにスタートした。まず感じさせられたのが滝川駅前の寂しさだった。(このことについては後述したい)
 
※ 掲載写真が雨天だったこともあり、全体に暗い感じになっていることをお断りします。
 
    
    ※ スタート&ゴール地点のJR滝川駅です。
 
 コースは駅前の住宅街(商店街ではなかった)を通過して、石狩川河畔に導かれた。その河畔には滝川市が誇る「たきかわスカイパーク」が広がっていた。滝川市は道内のスカイスポーツ(グライダー)のメッカとして有名であるが、河畔に広がる緑の滑走路が眩しかった。
 
    
    ※ 石狩川河畔に広がる「たきかわスカイパーク」です。
 
 そこから石狩川に架かる長~い「滝新橋」(滝川市と新十津川町を結ぶ橋という意味?)を渡って新十津川町に入った。
 
    
    ※ 橋上だけで直線1キロはあったのではと思われる長~い「滝新橋」です。
    
    ※ 「滝新橋」から撮った石狩川の流れです。
 
 新十津川ではマップで推奨されていた「中央公園」内にある「新十津川開拓記念館」に立ち寄った。展示物は各地にある郷土資料館と大差なく、開拓時の農機具とか、生活用品などが展示されていたが、私の目を惹いたのは開拓当時の開拓農家の住宅を再現した建物だった。ちょうど今、私たちは札幌近辺の屯田兵屋を見て歩いているが、屯田兵屋から見るとかなり粗末な住宅で生活していたことが偲ばれた。
  
    
    ※ 新十津川町の「開拓記念館」の建物です。
    
    ※ 開拓農家の住宅内を再現したものです。
 
 新十津川の街は車でよく通過する街だったが、歩くのは始めてだった。日曜日でしかも雨とあって、街中に人はほとんど見当たらなかった。新十津川の造り酒屋「金滴酒造」の横も通ったが、以前に立ち寄ったこともあり今回はパスして、石狩川に架かるもう一つの橋「石狩川橋」を渡って滝川市へと戻ってきた。
 
    
    ※ 金滴酒造の本社兼売店だと思われます。
    
    ※ 金滴酒造の倉庫群の一部です。
 
 ここからが長かった。石狩川沿いを上流に向かってひたすらサイクリングロードで遡った。このサイクリングロードが堤防上ではなく、堤防と堤防下の土地とのちょうど中間に造成されていた。そのため川面や河原を見ることできなく、堤防下の住宅の背面ばかりを眺めてのウォークだった。雨は降ったり止んだりを繰り返し、その都度傘を開いたり、閉じたりしながらウォークは続いた。
 
    
    ※ サイクリングロードは写真のように堤防の中間の高さに造成されていました。
    
 サイクリングロードは3キロくらい続いたろうか?その最後の部分で堤防上に導かれて河原の方を見ると「滝川市民ゴルフ場」のグリーンが広がっていた。
 
    
    ※ 石狩川河畔に本格的なゴルフ場が広がっていました。
 
 折り返して市街へ向かう途中「池の前水上公園」というところに導かれたが、そこに「滝川市B&G海洋センター」の建物が建っていた。その前には「ラウネ川」という石狩川の直線化工事によって生まれた川があったが、そこが流れが穏やかなこともあってカヌーやヨット・ローボートなどの海洋性レクレーション基地となっていて、それを主導しているのが「B&G海洋センター」ということのようだ。滝川市は空と海洋性スポーツと二つの特徴的スポーツを推進している街のようだ。
 
    
    ※ ラウネ川とその袂に建つ「B&Gセンター」です。
 
 その後もJR函館本線の西側(滝川市の中心市街はJRの東側と理解しているが)の住宅地を黙々と歩いた。
 そしてJR函館本線の跨線橋を潜り、中心街と思われる東側に移り歩いたのだが、東側に移っても、その寂しさは変わりがなかった。
 滝川市は調べてみると1980(昭和60)年代には人口が52,000人を数えたのが、現在は37,000人強となっていて、確かに人口減少が激しいようだ。ただ街の中心が寂しいのは国道のバイパス化によって街の中心がそちらの方へ移動したことも大きいのではないかと思われるのだが…。
 
    
    ※ これが滝川駅前の光景です。
    
    ※ アーケード街も閑散としていました。
    
    ※ 街の主要道路もご覧の通りです。
 
 15キロを歩いて帰ってきた滝川駅前の寂しさは隠しようなないほど顕著だった。そのことを一番嘆いているのは滝川市民なのかもしれないが、人口に見合った街づくりをぜひ進め、駅前にもう一度賑やかさを取り戻してほしいと願った私だった。
 この駅前でハプニングがあった。私がゴールし、昼食のできるような店を探していると、なんと「さっぽろラウンドウォーク」に一緒に取り組んでいるN氏とばったり出会ったのだ。お互いにこのヘルシーウォークに出ることを話し合ってはいなかったので、この出会いにびっくりした。私は列車の発車時間がまだ1時間以上あることを話すと、N氏は車で参加していたので「じぁ、私のクルマで帰りましょう」と誘ってくれたので、厚意に甘えることにした。N氏は苫小牧市から参加だったので、野幌駅まで送っていただき、そこから私は列車で自宅に戻った。Nさんどうもありがとうございます!                                              
◇ウォーク実施日  2024年7月07日(月)
◇歩いた距離    15.0 km
                                             

リビング・ウィル(Living Will)とは?

2024-07-06 20:25:22 | 講演・講義・フォーラム等
 Living Willを直訳すると、「自分の意思どおりに生きる」とでも訳することができる。Living Willを提唱する日本尊厳死協会では「人生の最終段階における医療・ケアを自ら選択する権利が保障されて、最期まで自分らしく尊厳を保って生きることのできる社会の実現」を目指しているという。関係者のお話を聴いた。

   

 本日午後、札幌共済ホールにおいて、日本尊厳死協会北海道支部札幌市在宅医療協議会が共催する講演会に参加した。
 講演会のテーマは「高齢者がやすらかな最期を迎えるために~看取り現場の医師からの発信~」と題して、三人の医師の方からお話を伺い、その後に講師と関係者による総合討論会が行われた。
 最初に登壇したのは日本尊厳死協会北海道支部長を務める医師の宮本礼子氏「望む最期を迎えるために、今、自分にできること」と題してお話された。宮本氏のお話は以前にもお聴きしたことがあったが、その際とほぼ同内容のお話と受け止めた。
その内容は、日本の終末期における医療の現状は患者の意志が反映されたものとはなっていないと宮本氏は主張された。それは患者自身が自分の終末期医療について、意思表示をしていないことがその要因の一つにあると話された。その結果、日本の医療現場では「人工栄養」、「人工呼吸器」、「人工透析」などが本人の意志とは関わりなく施されている現状があると指摘した。
 こうした現状を変えていくために宮本氏は、自らの意志がはっきり表明できる段階に「リビング・ウィル(終末期医療の希望表明書)」の作成することだと強く主張された。大切なことは、作成した「リビング・ウィル」の内容について家族の了解を得ておくことだと付け加えた。

   
※ 宮本氏が提示されたリビング・ウィルの一例です。

 ただし、「リビング・ウィル」には現状のところ法的な拘束力はなく、あくまで患者の意志を担当医に伝えるという効力しかなく、日本尊厳死協会では法的規制を求めての運動も展開しているとのことだった。
 続いて登壇したのは「いまいホームケアクリニック」理事長の今井浩平氏だった。氏は「エンディングまでを見据えたかかりつけ医の選び方」と題してお話された。今井氏は数々の医療機関でさまざまな医療体験をした後、現在は「かかりつけ医」を主な業務として医院を経営されている方である。
 その今井氏が言うには、一般的な医師は「病状に対処し、その快癒を目ざす」のに対して、かかりつけ医は、「医療はもちろんのこと、何でも相談できる身近な医師」だという。であるから、医療だけではなく、患者や家族に寄り添い、あらゆる相談に乗り、グリーフケア(死別の哀しみを抱える遺族をサポートする)まで担当する医師のことをいうと云う。 
 そのためかかりつけ医を選ぶ条件としては、
①在宅医療をやっているか確かめること。
②自宅から距離が近いか。
③医師の人柄が信頼できるか。
④診察内容としては、内科の医師が相応しい。
と話され、特に医療によって回復が困難な状況に陥った場合などは「かかりつけ医」を頼ることを勧められた。その「かかりつけ医」を探すには「札幌医師会」に問い合わせると良いとアドバイスされた。(札幌医師会のHPでも紹介されている)
 最期の三番目に登壇したのは札幌市在宅医療協議会会長で「静明館診療所」所長の矢崎一雄氏「ACP時代の神経難病患者の在宅看取り状況」と題して話された。こちらはやや希少な患者に対する在宅医療のお話だったので、レポは割愛することにしたい。

    
    ※ 講演された3名の意志の皆さんです。

 三つの講演を拝聴し、改めて自らの最期について考える機会を得たと思った。講演や討論会の中でも話題となったが、「リビング・ウィル」とともに、最近は 厚労省が提唱する「人生会議(ACP)」も話題となった。
 どのような形で自らの最期の治療を望むのか?そしてその思いをどのような形で伝え、遺すのか?私ものんびりと構えていられる年代ではない。
真剣に考え、妻や息子と話す際にも、時にはこうした話題も俎上に乗せたいと思っている。

古典芸能 能楽の勧めを聴いたのだが…

2024-07-05 16:13:40 | 講演・講義・フォーラム等
 能楽の良さ(魅力)をなんとか感得しようと思ったのだが、やっぱり私にはその良さを感得する感性はなかったようだ…。観世流能楽師の方からその魅力を伺ったのだが…。う~ん、私の中では興味より、難しさだけが残ってしまった…。

     
 7月3日(水)午後、北海道立道民活動センター(かでる2・7)において道民カレッジ「まなびの広場」が開催され聴講した。テーマは「古典芸能 能楽の世界へようこそ!」と題して札幌在住の能楽師:坂井隆夫氏が講義してくれた。

    
    ※ 講義をする札幌在住の能楽師:坂井隆夫氏です。

 私は今年4月に「能楽鑑賞のひととき」を鑑賞したり、北海道唯一の小樽市の能楽堂を見学したり(この時、能は演じられなかったが)、と何とか能楽の魅力を感じたいと思ってみたのだが、それが叶わずに今日に至っていた。そんな時に道民カレッジで能楽のことを知ることができると聞いて参加してみたのだが…。 
 講師を務めた坂井氏は30歳ころに一念発起して「能楽」を学び出したそうで、「観世流九皐会(キュウコウカイ)」に所属して研鑽の結果、師範からアマチュアとしては最高位の師範に任ぜられたそうであり、かつ札幌能楽会の会長を務められている方だという。
 坂井氏は、能の歴史、能舞台のこと、あるいは能の出演者の構成など、分かりやすく詳しく説明してくれた。
 能を演じる世界は独特の専門化、分業化が確立されていることである。つまり能に出演する役には、主人公のシテ方、相手役のワキ方、説明役の狂言方、楽器を演奏する囃子方、と分かれてそれぞれが専門の流派に所属していることだ。例えば、ワキ方の流派に所属すると、けっして能の舞台において主人公を演ずることはなく、いつも相手役を演ずることになるという。
 日本全国に能楽協会に所属する能楽師は約1,000人だそうだが、そのうち約700人はシテ方の流派に所属し、ワキ方は50人、狂言方や囃子方が約130人ほどだそうだ。
 この構成をみるかぎり、やはり主人公役(シテ方)に人は集中しているようだ。能は「シテ中心主義の古典芸能」とも称されているようだ。
 坂井氏からはその他にも能楽の演目、能の構成、などいろいろ教わったが、そこについてのレポは割愛する。

     

     ※ 坂井氏から提供された「野宮」の一節を表した謳本です。

 講義の最後に坂井氏は自ら能楽の演目の一つ「野宮(ノノミヤ)」の一節を披露された。それを聴いた私は「あゝ、やっぱりダメだ…」と心で呟いていた。あの独特の謡い方こそ、能楽の最たる特徴なのに、それがどうも私の中に素直に入ってこないのだ。坂井氏は「野宮」の謡本もコピーされたものを渡していただいたのに、私にはまったくその意味が読み取れなかったのだ…。情けない。
 う~ん。これで能楽を追うのを止めるのは口惜しいばかりである。今は「もう少し追っかけてみようかなぁ~」という心境である。

本番!さっぽろラウンドウォーク セクション6(モエレ沼公園 ⇒ 新札幌)

2024-07-04 20:08:10 | さっぽろラウンドウォーク
 モエレ沼、雁来新川、雁来川、豊平川、月寒川、望月寒川、北白石川、厚別川、と絶えず川面を眺めながらのウォーキングとなったセクション6だった。改めて札幌市内には川がたくさん流れていることを感じながら歩いた。

   

 本日、「めだかの学校」札幌ラウンドウォーク踏破クラブとして5度目となるラウンドウォーク セクション6を実施した。
 メンバーは脚を痛めて前回休まれたS氏が復活して5人でのウォーキングとなった。(男性4人、女性1人)
 今回のスタート地点である「モエレ沼公園」に向かう途中、恐れていた雨が降り、心配されたがスタート時には晴れ上がり、午前9時10分にモエレ沼公園のガラスのピラミッド前をスタートした。

    
    ※ スタート直後のメンバーたちです。

 最初は「モエレ沼」を左に見ながら進み、直ぐにモエレ沼と繋がっている人工河川の「雁来新川」沿いの堤防上を進んだ。「モエレ沼」、「雁来新川」沿いは砂利道の上、除草が十分でなかったことから、雨上がり後の露が雑草に残っていて、シューズが濡れたが大きな影響がなくホッとした。
 続いて、「雁来新川」の本流(的)河川である「雁来川」沿いを往く。この「雁来川」は2017年に河川改修がなされ直線的な河川となり川沿いも整備されて気持ちの良い散策路となっていた。川沿いには、大和ハウスの物流センター、札幌サッカーアミューズメントパークなどが並んでいた。

   
   ※ S氏の歩測によると、幅250mという長大な大和ハウスの物流センターです。

 スタートして1時間、事前踏査で適当な休憩箇所がなかったことからホームセンターDCMの店舗で、給水・トイレ休憩をとった。

   
   ※ この日であった川で、最も水量豊かだった豊平川の流れです。

 ウォーク再開後、「豊平川」に架かる「雁来大橋」を渡り、「豊平川」沿いを歩く。豊平川沿いには「雁来運動公園」、「白石清掃工場」、「東部スラッジセンター」などを横目に歩を進めた。気温は高かったが、雲に陽光が遮られていたこともあり、それほど暑さを感ずることなく歩を進めることができたのは幸運だった。

   
   ※ 豊平川沿いに建てられた「東部スラッジセンター」の建物です。

 途中から「月寒川」が「豊平川」に流入する合流点から「月寒川」沿いを進むルートに変わり進んだ。その途中では「望月寒川」が流入する地点も確認することができた。

   
   ※ 月寒川が豊平川に流入する合流点です。

 「月寒川」沿いはやや単調なところもあったが、私の提案でコースを少し外れて「大昌寺の大仏」を見学した。「大昌寺の大仏」は、高さ13.7mもあり周りを睥睨しているようにも見えるが、設置の趣意は人種や宗派を超えて、全ての人々の心身の病を冀う(こいねがう)象徴として設置したとのことである。

   
   ※ 大昌寺の大仏を見入る会員の方々です。

 その後、「北白石川」沿いを通り、昼食ポイントとして予定していた「川下公園」に着いた。「川下公園」内に造られていたカナールには事前踏査時には流れていなかった水が流され、夏を感じさせてくれる光景だった。

   
   ※ 「川下公園」のカナールを横目に昼食ポイントに向かうメンバーです。

 「川下公園」には「リラックスプラザ」という施設があり、そこには休憩所のようなところがあったので、そこで昼食を摂ることにした。さっぽろラウンドウォークでは初めて靴を脱いで昼食を摂ることができた。

   
   ※ 川下公園内の「リラックスプラザ」内で昼食を摂りました。

 午後、「川下公園」から「厚別川」沿いにコースが変わった。午前中は雲に遮られていた陽光が顔を出し、しかも午後になって気温も上がってきたためにメンバーたちも暑さが相当気になったようだ。予定になかった給水タイムを多めに取って対処した。

   
   ※ 午後、気温が高くなった中、厚別川沿いを歩くメンバーの方々です。

 「厚別川」沿いのウォークは3キロ弱くらいあったと思われるが、特徴的な光景には特に出会わなかった。「厚別川」沿いを離れる前にJRの「函館本線」、「千歳線」の二つの鉄橋の下を潜り、コースはJR「新札幌駅」を目指して「千歳線」沿いにルートを取った。この「千歳線」沿いの高架下沿いを歩く最後のルートがメンバーにとってもコースの最終盤でもあり、最も苦しかったところではなかったかと思われる。

   
   ※ JRの鉄橋下を潜って進みます。
   
   ※ JR新札幌駅に近い高架下をゴールに向かって急ぎました。

 やがて「新札幌駅」近くの繁華街に至り、ゴールの「新札幌駅」に13時55分に到着した。
 レポの中でもしばしば紹介したが、この日のコースは川との付き合いが多いコースだった。某講座において、札幌の一帯は古代は海であり、陸化した後も低湿地帯だったという。その名残りが今の札幌に遺っているということなのだろう。札幌の周縁を巡るという今回の「さっぽろラウンドウォーク」は、これまで知り得なかったことをいろいろと教えてくれる貴重な機会となっている。
 なお、このラウンドウォークはちょうど全体の1/2を終えたことになる。メンバーと話し合い、当初予定どおり酷暑の夏を回避して夏休みを取り、8月下旬からラウンドウォークの再開し、完成を目指したいと思っている。                     

映画  ディア・ファミリー  №376

2024-07-03 20:07:34 | 映画観賞・感想
 余命10年と宣告された娘の命を救うため、医学には全く無知だった町工場を営む父親が人工心臓を、そしてバルーンカテーテルの開発に人生を捧げたという実話を映画化ものだが、父親とその家族の物語はまさに “敬愛” に値する尊い姿だった…。

     

 7月2日(月)午前、札幌シネマフロンティアで「ディア・ファミリー」を観た。英語表記すると「Dear Family」となるが、「Dear」とは、「親愛な」とか「敬愛な」と訳されるようだが、この映画を観終わってみると私は「敬愛できるような素晴らしい家族」と解したいと思った。
 映画は、ノンフィクション作家の清武英利の『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』が原作である。

     
   ※ 清武武利著「アトムの心臓『ディア・ファミリー』23年間の記録」の表紙です。

 町工場を営む筒井宣政(大泉洋)は、次女の佳美(福本莉子)が心臓病のため余命10年と宣告された。筒井は家族と共に「人工心臓をつくり、娘の命を救うという不可能」に挑むことを決意する。筒井夫婦は人工心臓開発のために知見を集めるべく、日本のトップクラスの研究者が集う研究会や大学病院を訪ね歩き、東海メディカルプロダクツを設立し、徐々に希望の光が見えてきたのだが、今現在も世界の医学が実現できていない人工心臓開発の壁はあまりにも厚かった。結局、人工心臓の開発は諦めざるを得なく、娘を救うことはできなかった。しかし筒井は人工心臓の開発を進める中で、バルーンカテーテルを医学界が望んでいることを知り、世の中の子どもの命を救うためにその開発に乗り出した。   
    
※ 映画の主たる出演陣です。

 その筒井の奮闘を、妻の陽子(菅野美穂子)はもちろん、3人の娘たちも筒井を懸命に支えた。そしてついに世界初のバルーンカテーテルを筒井は完成させたが、その間に次女の佳美は父を応援しながらこの世を去ったという。筒井が開発したバルーンカテーテルは、その後13万人の命を救ったという。
 ところで清武氏の著書の「23年間の記録」という意味だが、実は清武氏がこの筒井氏の偉業を知ったのは後輩記者が新聞記事にした2001年のことだったという。それから23年後にようやくノンフィクションとして上梓したことを意味しているそうだ。その間、清武氏は本務(新聞記者・編集人)の傍ら取材に取材を重ねたことで23年もの月日を要したという意味のようである。
 さて、映画の方であるが、主演の大泉洋の芸達者ぶりは映画全体をグッと引き締めていて、感動作として仕上がった立役者である。ただ、私の涙腺を緩めたのは、映画では父の筒井を陰に陽に応援し続けた奈美(川栄季奈)、佳美、寿美(新井美羽)の三姉妹だった。三人はけっして芸達者というわけではなかったが、滲み出るような優しさが画面を通して伝わってきた。

       
        ※ モデルとなった実在の筒井宣政氏です。

 映画の最後に筒井にインタビューするために登場したテレビリポーター役の山本結子(有村架純)は、実は「自分自身がバルーンカテーテルで命を救われたのだ」と告白する場面は観客を泣かせ続けた制作者がさらに一押しさせる効果的な構成だったように思われた。お勧めの映画である。

「認知症」を理解するための9大法則・1原則

2024-07-02 18:17:21 | 講演・講義・フォーラム等
 私たちシニアにとっては、加齢と共に認知機能が低下して日常生活や社会生活に支障をきたす「認知症」になることを誰もが恐れている。もし肉親や身近な人が「認知症」に陥ったらどのように理解したらよいのか?「認知症」の権威者からお話を聴いた。

  
 6月30日(日)午後、北海道立道民活動センター(かでる2・7)において「北海道認知症の人と家族の会」主催の講演会が開催され参加した。
 講師は「公益社団法人 認知症と家族の会」副代表理事で、川崎幸クリニック院長の杉山孝博氏が務められ、「『認知症』と『認知症の人』をよく知ろう ~認知症の9大法則と1原則~」と題してお話された。
 杉山氏はこの分野では全国的に有名な方で、全国各地を巡って講演されている方のようで、分かりやすく、ユーモアを交えながらやさしく教えていただいた。

     
     ※ 講演される杉山孝博氏です。

 杉山氏はまず、「認知症」とは、記憶力・認識力・判断力・推理力などの知的機能が低下して、社会生活や日常生活になんらかの支障をきたす状態になったことを言う、と規定された。しかし、「認知症」とはいっても人それぞれで様々な能力を持ち、喜怒哀楽の感情を持ち、周囲の人との交流を求めている人であって、認知症と判断されたら「全て終わりではない」ことを周囲は理解すべきだという。したがって、家族や周囲の人たちは認知症の世界を正しく理解することによって、適切な対応をすることが望まれるとした。
 そう話されたうえで「認知症をよく理解するための9大法則と1原則」を紹介していただいた。その9+1とは…、

    
 第1法則 記憶障害に関する法則 
       記憶はごく最近の記憶から失われていくという。そして記憶障                       害には、三つの特徴があるという。①記銘力低下の特徴、②全
                      体記憶の障害の特徴、③記憶の逆行性喪失の特徴、の三つであ                          る。
 第2法則 症状の出現強度に関する法則
      より身近な人に対して認知症の症状がより強く出る。一番近くで
     お世話している(心から頼りにしている人)に対して、よりわがま
     まになる。
 第3法則 自己有利の法則
       自分にとって不利なことは認めない。
 第4法則 まだら症状の法則
       正常な部分と認知症として理解すべき部分とが混在している。
 第5法則 感情残像の法則
       言ったり、聞いたり、行ったことはすぐ忘れるが、感情は残像
      のように残る。
 第6法則 こだわりの法則
      こだわりが強くなり、他人の意見を受け入れなくなる。説得しよ
     うとしたり、否定することは逆効果。
 第7法則 作用・反作用の法則 
       強く対応すると、強い反応が返ってくることが多い。上手に対
      応することが大切。  
 第8法則 認知症状の了解可能性に関する法則
       認知症の症状は、ほとんどすべて、認知症の人の立場に立って
      考えれば、説明がつく。
 第9法則 衰弱の進行に関する法則
       認知症の方は、認知症になっていない人より約3倍のスピード
      で老化する。
 以上のような「認知症」の症状の特徴を理解した上で、介護する側としての原則として杉山氏が挙げたのは「認知症の人の形成している世界を理解し、大切にしながら、その世界と現実のギャップを感じさせないように接する」ことが大切と話され、講演を終えた。  
 前述したように、もし自分の家族に認知症的症状が現れたら戸惑い、落ち着いて対処できる自信はない。こうしたお話を繰り返し聞いたり、体験者のお話を伺ったりして、「もしも」に備えることの大切さを学んだ。また、私自身がそうした症状に罹る可能性も否定できない。私の妻ともこの問題を話し合い共有したいと思っている。