きのうときょうと気温の変化を比較してみるとちょっとおもしろいですね。3時間ごとの気温の比較ですが、午前中はきょうの方が気温が高く、午後からはきょうの方が低いとなっています。きょうの最高気温は9.0℃(きのうは10.3℃)、最低気温は4.4℃(きのうは1.9℃)です。正午の比較は、きのうが9.9℃、きょうは5.9℃です。
日本被団協代表委員の田中てる(漢字ですが出てきません)巳(み)さんの演説よかったですね、全文を読みました。以下引用です。
『・・・・二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。・・・一つは・・・原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償わられなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺戮兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動です。
・・・しかし、今日、依然として・・・、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りないくやしさと憤りを覚えます。
・・・ふもとに下りていく道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されているたくさんの人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。・・・。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけない、強く感じました。・・・。
・・・生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の10年余を孤独と、病気と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。
・・・1956年8月10日「(日本被団協)」が結成されました。結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのです。
・・・1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。
・・・1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います。
・・・さて、核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。・・・みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。
とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。 人類が核兵器で自滅することのないように!! 核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!! 』(引用終わり)
日本被団協代表委員の田中さんのすばらしい演説から引用させていただきました。引用をご了承ください。ありがとうございました。