鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

2・26事件、風強し

2025-02-26 19:46:03 | 思いつくまま
 (今朝は屋根ではなかったです。)

いやあ、今日もきのうとさほど変わらない気温だったのですが、風の違いかな、きょうはあたたかくは感じませんでしたね。きのうの最高気温は10.9℃に対してきょうは10.1℃でした。最低気温はきのうが0.8℃できょうは1.5℃でした。



そして、これから週末にかけて気温はうなぎのぼり?でも、月指からはまたsても低下傾向へ、そして4日火曜日の最高気温は何となんとナント4.0℃と予想していました。これから14℃くらいまで上がるだろうというのに、またしても一気に下がってしまう。困るのです、これじゃあ困るのことよ!です。



きのうから国公立大学の二次試験が始まっていますね。受験生には何はともあれ万全な体制で試験に臨んでほしいものですが、如何せん、希望者全員は入学できませんので、厳しいですね、少しでも悔いを残さないように!というしかありません。



私は国立大学しか受験したことはなかったのですが、そのためかどうか?一浪しています。昭和41年頃の大学受験は今と比べたら簡素なものというかはっきりとした、簡単なもの(様式や手続きがです)だった(といっていいのかな?)。



何といっても国立大学は年に2回受験できたというのが一番よかったか。旧帝国大学を「一期校」とし、そのほかの地方にある、旧制高校を中心とした1県1国立大学の「二期校」の二つに分かれていました。一期校の受験日は3月上旬で、一期校の試験結果がはっきりしてから二期校を受験することができました。



まあ、そういうことから言えば二期校の受験に集まった生徒たちはほぼ全員一期校の落選組、いわゆる落ちこぼれ組といっても間違いではないですが、でも、純粋に二期校を第一志望として受験した生徒もいたわけで、そういう生徒に対しては何とも失礼な言い方であると思っています。鼻持ちならないですね。



一浪して、何とか他県の二期校に合格しましたので入学しました。親からは国立大学、それも近いところの大学とくぎを刺されていましたね。少しでも教育費を安くするために学生の寮に入りました。大正時代に建てられた旧制高校時代の木造2階建ての六棟が廊下でつながっている寮でした。12畳に5人が寝起きします。今思うとよくぞまあそういうところで生活してきたものだと自分を誉めてやりたいくらいです。




寮費は月額100円、食費は一日3食付きで120円(朝食:30円、昼食:40円、夕食:50円)で月額にすると3,600円でした。だから、奨学金を借りればそれだけで一カ月は生活できたのでした。信じられません。寮は大学構内にありましたので、お昼は寮に戻るわけです。



冬の時期は大変でした。12畳に炭1俵でした。火鉢は二つありました。冬の時期、部屋を暖かくするのは一年生の役目で、薪や新聞紙から炭に火を熾します。冬は寒かった。窓ガラスが壊れていたところもあったし、そういうところは段ボールで防いで何とかしのぎました。机は持って行ってあるのですが、冬は寒いので布団に下半身を入れて勉強しました。机替わりは当時のリンゴ箱の一部の板を外して机として使いました。ちょうどよかったですねえ。



よくぞ粗衣粗食に耐え、零下の気温にも耐耐えたものです。2階を人が歩くと揺れるくらいの古い建物でした。当時は若かったからなあ。早々その木造の寮は一年で取り壊されました。郊外に新しい鉄筋コンクリートの寮ができました。ただ遠いので、自転車通学となり、昼食は学食となりました。寮費の月100円は変わらなかったと思います。食費も。お風呂は毎日入れたかなあ~、それはぜいたくでしたかも。



こういうことを書きだすとキリがなくなります。ついつい思い出すままに書き連ねていってしまいます。ので、この辺で止めておきます。それにしても、55年以上前の大学(生活)と現在の大学(生活)、その違いには茫然自失、大口あんぐり、空いた口がふさがりませ

教育がこんな先見の明がない、近視眼的な、アメリカに振り回される政治に左右されるようなことでいいのでしょうか。学生もですが、大学も声をあげないともうどうしようもなくなるのではと非常に危機感を持っているのですが、もやは手遅れかもしれません、少子化と同じように。

 (凛として、美しい姿ですねえ~)


きょうは2月26日ですね。何年くらい前までのことでしょうか、この日になると陸軍将校のおこした2・26事件について新聞やニュースでも大きく取り上げたものですが、この頃は全く歴史のかなたに追いやられたままのようです。

でも、きょうネット記事を見ていたら、おもしろい記事を見かけましたので少し簡単に紹介してみたいと思います。

(引用開始) 帝都を赤い血で染めた「二・二六事件」、青年将校はなぜ「冬の日」に決起したのか? 意外な理由があった
            学術文庫&選書メチエ編集部 によるストーリー
           ・・・中略・・・・
以下、有馬学『日本の歴史23 帝国の昭和』を参考に、当時の状況を再構成してみます。
            ・・・・中略・・・・・
なぜ冬に…?
ところで、二・二六事件と聞いて気になるのが、きわめて卑近なことではあるのですが、「なぜわざわざ冬に決起したのか?」ということです。

もちろん、事件の背景にある青年将校たちの思想や陸軍内部の対立も気にはなるのですが、現代のきわめて快適に整備された環境を生きる人間の目からすると、「なぜわざわざ冬に決起したのか」は素朴に気になるところです。

冬の決起というのは大変そうです。何より寒くて仕方なさそうですし、寒さによって武器の操作ミスなども発生しそうです。数日にわたって帝都の中心を占拠するのであれば、さまざまな物資が必要となりそうなものですが、やはり寒さを考慮すると冬のほうが必要となる物資が多くなりそうです。

言い換えればこれは、決起を春まで待てなかったのか……という疑問になりますが、その疑問に答えを与えてくれたのが、九州大学名誉教授で日本近代史が専門の有馬学氏による『帝国の昭和』でした。

〈二月二十六日という特定の時日はさておいて、青年将校がなぜこの時期に決起したのかといえば、第一師団が満州に派遣されることが内定し、当分の間決起の機会が得られなくなると判断されたからである〉(同書199頁)

なんのことはない、決起に参加すべき人員が満州派遣にとられてしまうことが原因だったというのです。意外な感もありますが、言われてみればたしかに、という理由です。まあ、クーデター未遂というのはそういうものなのか、と。
 (引用終わり)

なぜ冬のさむい時期に決起したのか?そういえば今まで誰も疑問には思ってはいなかったようですね。自分にとっても盲点でした。そういう見方があるのか!? 
 ということは、もしかしたら(もしかはありえないことですが)満州事変が起きなかったのかもしれないのでは?そうであったならば、その後の日本の歴史は大きく変わっていたかもしれません。



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いやあ、あったかい!

2025-02-25 21:18:30 | お知らせ


いやあ、やりました、あったかくなりました。天気予報通りでした。10℃を、何となんとナント最高気温は10℃を超えて、10.9℃となっています、まあ、なんと申しましょうか、嬉しくなります。



今日の最低気温は0.8℃で、最高気温は10.9℃です。午後車で出かけたのですが(運転は奥様です)、車の温度計では外気温は一時13℃を記録したりもしました。最初は暖房していましたが、途中で止めました。



このまま日曜日にかけて気温はがっていくようですが、またまた1週間後にはきのうまでと同じような気温になるとか・・・・。天気は一歩後退二歩前進で春を迎えようというのでしょうか。



そういえば三カ月予報がでました、今年の夏はまたしても暑い夏になりそうです。嬉しいですね。今年こそは何とかして地元の広瀬川で5回くらいは竿を出したいなあと思っています。そのためには元気でないと、足腰が自分で動かせることができないと・・・。どうなるか、全く自信はありません、はい!!!

この前も知らせしましたが、重複になりますがまた推薦ならぬ水仙のその後をお知らせします。


               


今朝方はこういう花も見つけました。春を感じるのではないかと思います。

   ヒヤシンス?


きのうですか、商売か何かで分流沿いのネコヤナギの枝をのこぎりで切ってもっていく不届き者がいると書きました。その手口というか切り口はこのようなものです。



自分の手でちぎってもっていくくらいならまあ致し方ないと言えないこともないですが、このような切り口だと微笑ましいどころか、開いた口が塞がらない、怒りさえ感じます。



怒りに満ちた心をこれで癒しましょう。クールダウンしましょう。


              


              

でも、やっぱりこれが一番かあ~。

         (再掲)



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きょうまでの我慢か?!

2025-02-24 15:54:23 | お知らせ


今日で三連休もお終いですね。寒い寒いよく冷えた三連休?現役のみなさまにとってはもう少し動きやすい暖かい日が続いてくれたらなあと少し恨めしいかも。きょうの最低気温はマイナス(△)2.9℃で、きのうの3.0℃とあまり変わりません。きょうの最高気温は分かりません。



午前3時では△2.4℃、6時では△2.7℃、9時では△1.0℃とずーとマイナスでしたが、正午は3.3℃となっています。薄日が差してきた言えるかのようですが、はたして午後3時の気温は何度となることやら・・・。



きのうのネコヤナギの写真はどうでしたか?実はここにあるネコヤナギの木がこんなにも開花しているなんて思いませんでした。毎日の河原の散歩のときはこのネコヤナギがあるところまで歩いてはいませんでした。ほんの20から30メートルも離れていないのですが。


                

分流沿いにも結構大きなネコヤナギの木があるのですが、この木は時期になるとばっさりとのこぎりで切られて持っていかれてしまうのです。何と可哀そうな残酷なことをすることか!ワイフが言うには華道の人か花屋の人がまとめて持って行っているとか。



確かにここにあるネコヤナギの木は切りやすいのです。足元にはコンクリートブロックがあり、安定しているので安心して切ることが出きるのです。そうだとしても、一網打尽とはひどい自然に対する仕打ちであります。どうして自然の中でいろんな鳥たちと共にネコヤナギを愛でることができないのでしょうか。悲しいことです。



悲しいことと言えば、悲しいというべきか、やっぱりな、維新ではな!!と妙に納得するかもなあ~。兵庫県議会の維新の議員3人の破廉恥極まりない行動のことです。恥ずかしくないのかなあ。



維新を創設した橋下徹が言っていました、増山誠・岸口実・白井孝明らが音声データを外部に流したり、怪文書を立花に渡したり件について、ルール違反したこと、秘密のものを出したということに限らず、自分たちの利益のためにやったというのが一番問題だ、と。



どれだけ反省しているのか、してないのか、維新として即刻除名処分にするくらいなことができないのでしょうか。呆れてしまうのですが。でも、考えるまでもなく3人も県民に支持されて議員となったのでしょうからねえ、支持者がいるわけです・・・・。



一方こちらはよかったです、大変よくできました。巨人軍の田中将大投手すぁう。きょうのロッテ戦で先発投手として1回を投げて無失点に切り抜けたということです。まずはよかった、上々の滑り出しです。きょうが移籍後初の対外試合でした。



これを契機に益々着実に実力を取り戻し、登板回数を増やしていき、巨人軍のなくてはならないベテラン投手としてさらなる活躍を期待するものであります、はい。

              

そして、あしたからは予報通り暖かくなっていってほしいものです。是非ともそうあってほしいと切に切に願うものであります。






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天皇陛下お誕生日

2025-02-23 15:09:43 | お知らせ


3連休の中日(なかび)ですか、いやあ、今日は冷えました。最低気温はマイナス(△)3.0℃でした。正午の気温は3.4℃で、きのうの2.5℃よりは高くなっています。きのうの最高気温は5.5℃でしたのでそのくらいにはなるのかな。20日からきのうまでの三日間は最高気温は5.5℃を超えています。



But、でも、しかし、それなのに、日中の空気は冷たすぎます。そしてさらに水のこれまた冷たいこと!、冷たいこと! これで本当にあさってから少しは暖かく、春めいてくるのでしょうか?



きょう2月23日は令和天皇陛下の65歳の誕生日です。誕生日を迎えての記者会見での発言内容をネットで読みました。素晴らしい、さすがに我が国の象徴に相応しい天皇陛下と実感しました。雅子さまと愛子さまと3人でいろんなことを考え、それをもとに生き生きと活躍されていること、一国民として非常に嬉しく思っています。そこで、改めてみなさまと共に天皇陛下のお言葉を噛みしめてみたいと思っています。



ーー記者のQ:今年は戦後80年です。戦後生まれの人が大半を占める今の時代、天皇陛下は戦争の歴史とどう向き合い、象徴としてどのように役割を果たしていきたいとお考えでしょうか。

(天の陛下のお言葉 引用開始)今回の誕生日で私は65歳になりますが、戦後80年という年月を考えると、私が生まれる15年前までは戦争の時代であったということになります。



両親である上皇上皇后両陛下は、幼少時を戦争と共に過ごされたわけで、日本において80年間、平和の時代が続いていることを有り難いことと思います。

先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思います。



我が国の人々についても、広島や長崎での原爆投下、東京を始めとする各都市での空襲、沖縄における地上戦、硫黄島や海外での激しい戦いなどで多くの尊い命が失われました。



終戦以来、人々のたゆみない努力により、今日(こんにち)の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、亡くなられた方々や、苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。



昨年、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞されました。長年にわたって活動を続けてこられた方々の御苦労に思いを致しつつ、平和な世界を築くために、お互いの理解に努め、協力していくことの大切さを改めて感じております。



私と雅子は、これまで広島、長崎、沖縄などを訪れ、多くの方々の苦難を心に刻んできています。今年、戦後80年という節目を迎え、各地で亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に、改めて心を寄せていきたいと思っております。

        

そして、戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えております。戦中・戦後の苦難を体験した方々が高齢となり、当時のことを語り継いでいくことが難しくなっている中、国内各地で若い人たちが戦争を知ろうとし、次の世代の語り部として育ち、戦中・戦後の苦労を語り継ぐ活動が進められていることは、戦後80年を迎える今日(こんにち)、一層意義深いものとなっていると思います。

           

上皇上皇后両陛下には、これまで様々な機会に、戦争によって亡くなられた方々を慰霊され、平和を祈念されています。私と雅子は戦後生まれで、戦争を体験していませんが、上皇上皇后両陛下の戦時中の御体験のお話など、平和を大切に思われるお気持ちについて、折に触れて伺う機会がありました。愛子も、両陛下から先の大戦についてお話を聞かせていただいております。

 

私は、日本国及び日本国民統合の象徴として、上皇陛下のお気持ちをしっかりと受け継ぎ、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたいと思っております。

              

戦後80年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の苦難に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っております。(引用終わり 記者の最初の質問への回答のみ



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よくぞ咲いて、

2025-02-22 14:29:34 | お知らせ
きょうはきのうよりも少しは暖かくなるのではという一方的な考えで一日の生活が始まるわけですが、なぜって、時間は進んでいるわけですから、ということは春に向かって近づいているはずだと思ってしまう次第ですね。でも、往々にしてそういう自分の考えは甘くて裏切られるものです。

きょうの午前3時と6時の気温はともにマイナス(△)0.1℃でした。9時は2.7℃と順調に上がったのですが、正午になって逆に2.5℃と低くなってしまいました。きのうの正午は3.8℃でした。やはり来週の月曜日までは寒波に見舞われ続けるようです。本当に火曜日からは暖かくなるのでしょうね(笑)

この氷柱は広瀬川本流の右岸の高い崖の中間に表れるものなんですが、空気が冷え込んでいるのでちょうど相応しいかな。

 これは昨日21日の写真


でも、これは我妻に教えられたんですが、堤防沿いにある歌壇に、いや花壇に咲いていました。下を向いて咲くのはこの花の宿命でしょうが、ちょっと勿体ないですね。まあ、そこが慎み深いというか奥ゆかしいとかというよりは恥じらいか、恥じらいに満ちながらも健気に咲きだし、分かる人には分かってほしいということかなあ。



この水仙はこれから一杯咲いてきますね(そのはずです)。2種類の水仙があると思うのですが、春が本格化し始めると川沿いの野原にも自然に咲いてくると思います。



あっそうそう、この前オオイヌノフグリの可愛い花をお知らせしたのですが、どうしたのでしょうね、きのうきょうと写真を撮った場所をよく探したのですが見つかりません。どこに行ったのでしょうか?小さいから花を閉じて草むらの陰でじっとしているのでしょうか。


そうそう、きょうは2月22日ということで「猫の日」だそうです。に・に・に から にゃ・にゃ・にゃになっての猫の日でしょうか。私が朝方散歩する川には、おもに堤防沿いですが猫が、野良猫が、今は地域猫が結構いますね。

  (これはきのうの写真)

そして、毎朝エサをやる人も数人います。よほど好きなんだろうなあ~、よくなでたりして触れるものです。その猫のうち同じ猫でしょうが、朝からもう屋根で日差しを浴びて寝たり、顔を洗ったりしていました。


右手でなんどもなんども自分の顔を撫でて、拭いていました。


               

そして、最後は寒いのに元気な鳥、カモです。いつもはカモと言ってもマガモとカルガモが共生しているのですが、どういう訳か今朝はカルガモだけが分流で憩っていました。マガモはどうしたのでしょうか。およそ似ていない模様の2種類のカモがいっしょに泳いでいたりする風景が好きなのですがね。


               


               




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春はもうすぐ?まだ遠い?

2025-02-21 15:22:32 | 思いつくまま


今日の最高気温はまだ分かりませんが、午前9時で2.9℃、正午は3.8℃でした。きのうの午前9時は2.5℃でしたが、正午は5.0℃と少し上がりました。きょうの最高気温は何度になるのか?最低気温はマイナス(△)1.8℃です。



この気温の低い天気は来週の月曜日まで続くとか言っていましたね。火曜日からは暖かくなるようなのですが、糠喜びにならないことを願うばかりです。世間ではあした22日から3連休なのですね。令和天皇の誕生日が23日で日曜日と重なったものですから月曜日が振替休日ということですか。



我々にはあまり関係ないことですが、時々今日は何日で何曜日か?不安に思うようなことがあって、これはやばいことだな不安にならないこともないのはまさに高齢者の高齢者である所以でしょうか。朝起きたらきょうは何年何月何曜日か口に出して何度か復唱する必要があるのかもしれません。



復唱と言えば、この頃はまあ何度も窓口等で質問されました。自分のフルネームと青年ならぬ生年月日をおっしゃってください、と。生年月日ですから、西暦でも元号でもいいのですが、西暦では長くなるので、わたしは端折って?「昭和〇△年」を「〇△年」何月何日と言っています。単純なことですが、意外と面倒に感じることもあります(笑)。

 美術館下の氷柱

月曜日まで寒い日が続き、火曜日からは暖かい日が続くようですが、昨日だったかな毎朝聞いているラジオ番組のお客様、東京のお医者さんですが、こんなことを言っていました。『春バテ』という言葉を聞いたことがありますか?夏バテならだれもが知っているでしょうが、春バテは聞きなれない言葉ですよね。(PCでも最初harubateと入力しても、一回で”春バテ”とはいきませんでした。)

 (気分良さそう!!!)

先生によると、毎日の寒暖差(内外も含む)が7℃以上であり、朝起きてもやる気が出ない、気が重いような状態を春バテと言っていたと思います。やっぱり寒暖差が大きいということは心身共に負担に感じるということですね。そんな時は8000歩以上歩き、その中に大股での早歩きを20分くらい取り入れるといいとか。

(分流沿いの梅の木です。どの鳥が巣をつくろうとしたのか?これは鳥の巣ですよね。)

ほかに、毎日飲む水分の量は1リットルから1.5リットルの尿が出るくらいがちょうどよくそれ以上飲むと体が冷えすぎ、むくみにもつながるとか言っていました。40℃くらいにあっためたタオルを眼の上にのせて目元を温めるのもいいとか。



今朝の新聞の訃報欄に載っていました、アイ・ジョージさんが亡くなっていたと。1月18日に心筋梗塞で亡くなったそうです。91歳でした。とっても懐かしい名前です、私にとっては。いや、昭和の前半の歌に興味があった方々はご存知のことと思います。



私が高校生くらいの頃ですかね、彼が全盛期だったのは。「硝子のジョニー」「赤いグラス」、よく口ずさんだものです。ギターを片手に直立して歌う姿勢はかっこよかった。低温ならぬ低音の魅力もあったですね。もうはっきりはしませんが、男性歌手としては音域が広く、2オクターブか3オクターブ出せたという記憶があります。

(スズメは19日の撮影です。)

日本人として初めてカーネギーホールで歌った歌手ということで、紋付き袴姿で歌ったそうです。脇差を差して歌ったのかなあ~(まさかね)。演歌歌手ではなく、男の中の男、男性歌手の誇りみたいなものを感じたなあ、矜持を背負いながら堂々と歌っていた、だから好きだったのかも。あっもしかしてギターを弾きながら真似をして歌ったかも・・・。

## 黒い面影、夜霧に濡れて、ギターも鳴いている ジョニーよどこに~ ## 歌詞もうろ覚えですが覚えています。メロディはもちろんおぼえています。背は高くはなったですね。でも、堂々としていてとっても男らしかった!!

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いやはやびっくり、

2025-02-20 13:55:15 | 思いつくまま


きのうで一応予定していた大掛かりな治療行為は終わりましたが、さて結果はどうなりますことやら・・・・・。それにしても疲れました。いろいろあってこの頃の昼寝の時間は長くて、これで昼寝?と思わざるを得ません(笑)。2時間も寝たら昼寝の枠を超えていますね。それでも夜は夜で眠れます。夜間頻尿ではありますが。

                                                       

きのうの気温ですが、最高気温が3.9℃で、これはまあ見慣れた数字ではありますが、問題は、傘がないではなく、最低気温なのです。一瞬自分の耳が信じられませんでした。仙台の最低気温がマイナス(△)5.3℃というのです!!



この数値、にわかには信じられません。本当なのだろうか?と半信半疑がより自分の気持ちに近い感情です。ここ数年でもなかった数値ではないかなあ~。きのうの最低気温は△2.6℃、おとといは2.9℃でした。2月を振り返ってみると8日が一番低くマイナス(△)3.7℃でした。

              

テレビ朝日系列の緊急特番「ありがとう西田敏行さん」『不世出の名優よ安らかに・・・。』見ましたか?18日の午後1時から増上寺でお別れの会が執り行われたということです。いろんな方々が、共演したテレビや映画に関しての思い出を話していました。



弔辞としてはドクターXで長いこと共演した大門未知子役の米倉涼子さんの弔辞が胸を打ちました。そして、最後の郡山の高校の合唱部が歌う””もしもピアノが弾けたなら””、よかったですねえ。5,6人の男性もよく歌っていました。きっと極楽にも届いたことでしょう。いいお別れの会でした。



それにしても、今冬の日本列島の雪の量の多さにはびっくりですね。日本海側の豪雪、豪雪を超えて超雪とでも表現したいくらいです。今でこそ日本海側と太平洋側と表現しますが、私が小学校の頃は「表日本」「裏日本」と言っていたのです。学校でです、教科書もそう表現していました。何と失礼な表現だったことでしょうか。そういえば、昔は活火山・休火山・死火山という火山の分類でしたよね。死火山がいっぱいありましたが、いまは”生き返って”います。



有本恵子さんの父親有本明弘さんが亡くなりました。96歳老衰とのことですが、残念です。何とかして娘を帰国させたいという一念で生き、活動してきましたがとうとう力尽きてしまいました。



有本明弘さんが亡くなったことにより、政府が認定した未帰国の拉致被害者12人の親世代で生きているのは、横田めぐみさんの母親横田早紀江さんだけとなってしまいました。



政府は施政方針演説等で、文字面状は政府の総力をあげて北朝鮮による拉致被害者の帰国を何としても実現するなんてかっこいいことを言っても、口先だけで何が何でも政治生命をかけてでも解決するという意気込み気概を感じませんでしたから、正直なところ政府には期待はしていませんでしたが、それにしてもあまりにお粗末です。お粗末すぎます。



安倍晋三なんかは拉致被害者を最大限自分の政治活動に取り込んで、つまりは最大限利用して権力の頂点までのぼりつめたようにしか思えませんでした。小泉純一郎以外総理大臣として直接動いた政治家はいませんでした。



その頃は拉致被害者家族会はもっともっと政府に対して、国民に対して大きな声をあげてもいいのになあともどかしく感じていました。そしてもっともっと直接北朝鮮と交渉できなかったのか、直接乗り込むことはできなかったのか、そのくらいの覚悟で何らかの方法で乗り込んでいってもいいのになあと思ったのですが・・・。政府を信用したばっかりに何も進展しないまま時間ばかりが過ぎて行ってしまいました。何か悔しいです。

このことは、日本被団協のノーベル平和賞受賞の喜びとそれに対する日本政府の対応というか行動についても何か似ているなあと感じています。折角戦後80年という節目の年に、日本原水爆被害者団体協議会(=日本被団協)がノーベル平和賞を受賞したというのに、そういう千載一遇のチャンスを生かすという行動に日本政府は出なかった。

日本政府は、核兵器禁止条約第3回締約国会議への正式な出席はおろかオブザーバーとしての参加も見送っています。日本被団協から強く要望されているにもかかわらず無視している。今のところ世界で唯一の被爆国である日本は「核のない世界に向けて先頭に立って活動する」べきなのに、その大きなチャンスだったのにみずから蓋をしてしまった。何というおろかな行為であることか。

アメリカファーストを強烈に打ち出しているアメリカのトランプ政権、MAKE  AMERICA  GREAT  AGAIN  ですか、その看板の前には日本側の淡い甘い期待なんか消し飛んでしまうだろうに、依然としてアメリカの核抑止力を信じて、その庇護を甘んじて受け続けていこうとしているその根性が情けないです。

今こそアジアの一員である日本として、その認識の下での日本国の独立、日本の自立のチャンスなのになあ~。トランプとしては、MAGAのために日本に対して無理難題を一方的に押し付けてくるだろうことは目に見えています。あまりにも理不尽な要求をされるのであれば、その時こそがチャンスです。

それならば日本はアメリカの庇護から独立します、アジアの一員として独立路線を模索して構築していきます、アジアの盟主としての地位を確立すべく自立していきます、くらいのことを言えたら最高なのになあ~と切に思うのですがねえ。

           

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猛吹雪と快晴と

2025-02-18 15:12:51 | お知らせ
いやあ、なんと申しましょうか、この天気。気温は低く、雪は吹雪いて、地面は白い。午前6時の気温はマイナス(△)2.0℃、9時は△1.7℃で、正午は1.9℃でした。きのうン午前9時は7.4℃で、正午は10.3℃でした。何という落差!!

夜間トイレに起きるときついでの外の様子を見たりするのですが、サッシの窓が開きにくくなくなるような日は気が重くなりますね。「雪かあ~」と。とにかくもういいのです、寒い日は、寒波はもうたくさんなのです。

でも、そういう吹雪の中を意を決して出かけてきました。何とかカメラに収めようと自分なりに自分に発破をかけて行動しようとするのです。何とも涙ぐましい、前向きなことでしょうか(笑)。きょうのやる気は満点です。自分で自分を誉めてやります。まずは吹雪の広瀬川河原、緑地帯の様子から。





きのうの新聞に載っていた週刊誌の広告です。個人的にはいろんな週刊誌(男性用女性用を問わず)や月刊誌の広告を一瞥するのが好きですね。今週はどん記事を取り上げているのか、今週の爆弾は何なのか、特集は何か、週刊誌の広告の見出しから社会の動きを察する、推し量るのは楽しみというか、想像力を働かせる訓練にはならないのかな~。とくに、「選択」という書店では売られていない月刊誌の項目が面白くていろんな想像力を掻き立てられます。





「婦人公論」3月号です。~更年期以降の下り坂をゆるやかに~と題して榊原郁恵と高尾美穂の二人の対談を取り上げています。そのキャッチコピーとでもいうのでしょうか、これがいい文句なのです。『昨日やれたことが今日もできれば、それは「進化」です』であれば、昨日やれなかったことを今日やったら、それはとっても凄いことではないのでしょうか。生きていくうえでとっても励みとなる言葉ですねえ。

午前9時前後は吹雪き状態でしたが、11時を過ぎると何という皮肉、天気の神様もやるものです、快晴です。風は止み陽当たりはよく眩しいくらいなのです。いやはや何ともカンとも参ってしまいます。以下同じような場所の吹雪と快晴の景色をご覧ください。




















ここまでお付き合いくださいましたみなみなさま、ありがとうございました。


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きのうよりあったかく、

2025-02-16 14:47:09 | お知らせ


いやあ、嬉しくなりますね、とりあえず喜べるときには喜んでおかなくちゃ~ね。もったいないです、明日以降のことを悩んでばかりいては。



午前6時頃まではきのうと同じような気温の推移でしたが、9時以降が異なりました。きのうの9時は6.6℃でしたがきょうは何となんとナントもうすでに10.2℃でした。嬉しいですね。正午はきのうは10.2℃でしたが、きょうは12.5℃となっています。うん、異議なし、喜ぶべきことです。



きょう朝方の河原の散歩の時見つけました。googleで検索したら、オオイヌノフグリと出ました。犬のふぐりとはよくぞ付けましたね、昔の人のユーモア感覚のなせる業なのでしょうか。なんにしても可愛い小さな青い花です。これからはいっぱい出てきますね。

 ピンボケですが。


きのうからですか、サッカーJ2も開幕しました。おとといはJ1が開幕でした。昨年度はベガルタ仙台は前半はよくて後半疲れで急降下、最後の最期で少しは意地を見せてくれ、もしかしてJ1復帰かも?とまで思わせてくれましたが、矢折れ力尽きてしまいました。



ベガルタ仙台と言えば、かってはJ1に君臨し(そこまではいかなかったけど)、時にはJ1で2位とか4位とかまで行ったことがあるのです。今となっては全く信じられないことですが、実際にあったことなのです。



そういう過去の伝統、栄光がありますので、今年こそは何とかして無条件でJ1に復帰していってほしいと思っている次第であります、ハイ。まあ、苦労に苦労を重ねて復帰した方がその後の活動にはプラスとなるのかもしれませんがね。



で、そのベガルタ仙台の開幕戦を飾る、今年初めての対戦相手ははるか遠い九州は佐賀県の鳥栖であります。実際に試合を見たのは、後半戦の後半からでしたが、まだ0-0の試合でした。それが私が見始めたころから少ないとはいえ攻撃を繰り返し、何となんとナントとっても貴重な1点、先取点をとったのであります。



その後はなかなか追加点が入らず、逆襲を受けっぱなしで、ハラハラドキドキの連続でしたが何とか守り切りました。よかった、良かった。プロの試合は、とくに初戦は試合内容よりもまずは勝つこと、勝ったという結果を残すことが大切ですね。

初戦を勝ったということで、その後の試合もいい感じで戦い、苦労しながらも何とかして勝つこと、チームワークで勝利をつかみ取ること、勝ち続けること、そうしてその結果、こんどこそJ1に復帰する!!そういう夢を見させてくださいませませ。



それにしてもバスケットボールの89’s、前にも書きましたが、もう勝つことを忘れてしまったプロのチームは潔さも大事です。これ以上恥を晒し続けるのはもうこのくらいで止めて、対戦相手に闘わずして勝利を計上し、89’sは今回のリーグ戦から身を引くということにしてはどうですか。



プロ野球については、今年は東北楽天の””チームとしての応援””は休止とし、個別に個人的に応援する人を決めて活躍を見守るということにしたいなと思っています。リーグは異なりますが、巨人に移籍した田中将大の一挙手一投足に注目することとしました。




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10℃を超えました!

2025-02-15 20:12:31 | お知らせ


いやあ、こういうこともあるのですねえ。きょう一日は文句なしに暖かかったです。何とナントなんと最高気温は11.6℃だということです。そして明日の最高気温はさらに上がって13℃とか言っていました、夕方のニュースで。



2月中としてはきょうが一番高かった気温ですが、一月の最高気温をみてみると1月24日は10.5℃、28日は11.9℃となっていました、きょうよりも高かったのです。



2月はまだ中旬ですが、2月7日の最高気温はたったの0.8℃、5日は1.8℃でした。7日から約1週鐘10.8℃高くなっています。以下の気温の上下が激しかったかお分かりになりましょう。

(逆転させると何とも面白いですね。木の枝越しにビル群がぼやけて見えるというところですか?)

(これが普通に撮った写真です。分流の浅いトロ場に東に見えるビル群が写っていました。)

(きょうは360度どこを見上げても雲はなく真っ青でした。その割には放射冷却はなかったのですね。)


               

 

               


              



しかしながら、来週になるとまたしてもお代官(大寒)様が立ちはだかるようなのですね、いやはや。来週は「立春 末候」が終わって「雨水 初候」になろうというのに・・・・。風邪をひかず、インフルエンザにもかからず、コロナにもかからないように十分注意しましょう!







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やっぱりあったかい方が、

2025-02-14 14:21:44 | お知らせ


きのうの最高気温は午前中に記録した6.6℃、きょうはいくらかはまだ分かりませんが、正午の気温は6.9℃となっています。午前6時で0.9℃だったのが、9時には3.8℃になり、正午は6.9℃という次第です。風もきのうほど強くはないし、まあ、過ごしやすい一日となっております、はい。



昨夜はまあ、ひどかった。眠れなかった、と言ってはうそになるか、寝ることは寝たのですが細切れもいいところです。きのうまでは夜間頻尿とは言っても、3回前後で済んでいたのに、きのうは午前0時30分に1回目のトイレを記録してから、5時40分に起きるまで合計7回もトイレ(おしっこ)に起きています。



でも過去一番ひどかったのは覚えています、何となんとナント一晩で9回です。9回も寝たり起きたりを繰り返しました。いやはや、恥をさらけ出してしまいましたねえ~。現実ですから、これが。7回とか9回とかになると、レム睡眠とかノンレム睡眠とかは関係なくなるのでしょうか?



そういうことですので、お昼寝は欠かせないのであります。ご理解いただけますか。ここまで恥をさらけ出したので、ついでに付け加えますと(と書いてきたらなんだかわかる人もいるかも・・・)日中もひどいこともあるのです。とくに朝方かなあ。短時間ではありますが、時間と回数の関係でいけば日中の方がひどいこともあるのです。・・・恥さらしはこれくらいにしときます・・・



きょうは午前11時過ぎに河原の散歩に行きました。堤防に登る直前の東南東方角を見たらハッとしました。堤防の上に太く長く白い雲が横たわっていたのです。この普段見る風景とは異なる風景が見られるというのは嬉しいことです。なんかとっても得した感じになります。(何と小さな幸せであることでしょうか!?)


堤防の上に雲が横たわっている感じに見えませんか?

これは12日の撮影です。


               


               

白木蓮の木ですが、以下はきょうの写真です。


               


自然界には速度は遅くても確実に春の気配は来ています。でも、気温はなかなか上がってはくれませんねえ。じっと待つよりほかはないようです。



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いやはやこの天気の激変、

2025-02-13 15:00:24 | お知らせ


今日は朝から強風が吹き荒れるということで、JRなどでは早めの運休が目立つようですが、直接関係のない私の目にはあまりに気の早い、手っ取り早い、有無を言わせない対応ではないかと感じてしまいます。みなさんはどう感じますか?



それにしても強い風が吹き荒れています。朝方は西風が中心だったかな。時間の経過とともに雪も舞い始め、一時は吹雪のようにさえなりました。かと思えば、陽が差したりもするまったく変化の幅が大きい目まぐるしい天気となっています。



こういう時には歌に歌われた猫のようにこたつに入ってじっとしているのが一番賢明なのかもしれません。とはいっても、うちの奥さんのようにこのような天気でも生協へ行ったり、郵便局へ行ったり、裁縫を頼みに行ったりいっぱい動き回ったりする頼もしい人もいます。やっぱり母は、妻は強し!!です。



きょうの気温もまったく変な動きをしています。きのうの予報では午前中の気温が最高気温になるだろうと言っていましたが、それが正解に近づいているかのようです。気温の変化は午前3時は2.2℃、6時は0.6℃、でも午前9時は何となんとナント5.7℃を記録しています。そして、正午になると一気に1.5℃と急降下しています。



こういう目まぐるしく変化する天気・気温が身に応えるのですよねえ~。なんでも、来週はまた歓喜ならいいのですが、寒気がやってくるとか言っていました。来週はもう2月の下旬に入ります。そして弥生3月桃の節句がやってきます。

              

あしたは聖バレンタインデーですか。みなさん、チョコレートはもらいましたか?いっぱいいただきましたか?私はいっぱいもらっています。とても食べきれません。それに甘いものは少し抑え気味にしないとね。でも、チョコの中で私の一番好きなのは何と言っても””アーモンドチョコ””なのです。これに勝るものはないですね。メーカーは問いません。それなのに今手元にあるチョコの中にはアーモンドチョコはないのです!!



でも、でも、一番好きなのはおはぎかなあ~。あんこのおはぎですね。つぶしあんの””あんこのおはぎ””。おはぎを含め、やっぱり和菓子がいいかなあ~。甘い見た目がきれいで可愛い和菓子もいいですし、せんべい類も大好きですね。甘いせんべい、辛いせんべい、柔らかいせんべい、固いせんべい、ごませんべいに豆せんべい・・・・。



こういう甘い美味しそうな話しを書いているときにも、外からは強風のうねり声が聞こえてきます。風の神様はいったい何にこんなに怒っているのでしょうか。”安寧”をぶち壊すような強烈な風が時折乱舞しています。



              


              


カモたちの写真は12日のものです。

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春めいて、狼狽ならぬ蝋梅

2025-02-12 19:14:21 | お知らせ


きょうの気温は午前6時で1.7℃、9時で4.0℃、そして正午は6.2℃でした。きのうの午前9時は2.7℃、正午は0.8℃でしたから、きょうはかなり暖かい一日となりました。最高気温は7.4℃で最低気温は0.6℃でした。



少し大げさかもしれませんが、寒がり屋の私は春い息吹とまではいきませんが、春めいてきたなあ~と感じた次第です。今週はまあまあ暖かいようですが、来週になるとまたしても寒い日が続くようで困ったものです。一歩前進二歩後退という感じで春はやってくるのか?



夕方のテレビのニュースでやっていました。白石の薬師寺で今”蝋梅(ろうばい)”が見ごろを迎えていると。ニュースではきれいに花が開いていました。可愛いいですね。可憐な脆さをまとった柔らかさが見る人の気持ちに安らぎを与えるのでしょうか。



実は伊勢もお知らせしましたが、堤防沿いにも蝋梅が咲いています。またしても、恐縮ながら8日の撮影です。





               


               



相変わらずしつこいですねえ~。それなのにここまでお付き合いいただきましてただただ感謝しかありません。 非常感謝!

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三居沢発電所、

2025-02-11 21:15:41 | お知らせ


きょうは風が強かったせいか寒く感じました。風が強くなくても人並み以上に寒くは感じるのですが・・・。きょうの午前9時の気温は2.7℃(きのうは0.8℃)でしたが、正午になると逆に低くなり0.8℃(きのうは4.1℃)でした。午後3時には2.2℃まで上がりました。

              


きょうもしつこくいきます。撮影は8日です。まずは写真をご覧ください。何かは言いません。想像してみてください。







そうです、発電所です。三居沢発電所です。


『 東北地方最初の発電所。本建屋は1908年(明治41年)に建てられた木造平屋建、下見板貼のほぼ正方形プランの建屋。
寄棟屋根の中央部を一段高く上げた切妻屋根と平の面の前面明り取り窓が特徴。棟札より棟梁伊藤今朝五郎副棟梁伊藤利三郎が判明している。』  117年前の貴重な建物と同時に水力発電所でもあります。現在も電気を提供しているはずです。


『 平成11年8月23日付けをもって文化財登録原簿に登録。』


すぐ近くにこういう文化財があるのですが、あまり注目はされてはいません。ひっそりと佇んでいるのですが、その方がいいのかも。

私が中学生だった頃は、この発電所の排水路に入って魚釣り、魚取りができました。みんなでガラ掛けで鮎を採ったりしたものです。その後危険だからと水路に入ることは禁止され、今では入ることはできません。



昔々の話しですが、水路に人が入れたころの話しで、たま~に水量が極端に減ってしまうことがあり、そういう時は網をもって魚探しです。珍しいものではヤツメウナギを網でとった記憶があります。



何でもかんでも、危険だからとか、何かあったら責任がとれないから、何かあったらどうするのかとかばっかりで、何ともぎすぎすした世の中になったものです。おおらかさやゆとりが全くと言っていいほどなくなりました。







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しつこくてスミマセン、

2025-02-10 16:42:56 | お知らせ
しつこい、いつまで雪に拘るだ!というお叱りの言葉、お怒りの表情が目に浮かびます。何といっても、数字がそれを如実に表していますから。毎日見ているPV数とUU数です。それが両方とも着実に?減少しています。これはとりもなおさずこのブログがつまらないからに違いありません。自分には厳しいつもりですが、あくまでも”つもり”かも・・・。

というわけで、可愛い表情の小鳥から見ていただこうと思います。


              


               

しつっこいといいながら同じような写真を4枚もアップしているのですから何をかいわんやでしょうか。



きょうは朝一番からの治療行為があって、もうすっかり疲れてしまいました。疲れ切ったと言ってもいいかも。何とか帰宅してはいますが、河原の散歩には行く気力が湧いては来ませんでした。疲れすぎると眠れないということもありますし。



ということで、8日の仙台にとっては今冬一番の積雪となっていますので、いろんな冬景色が見られます。澱橋と牛越橋の間だけの風景なのですがね。今回は牛越橋までの風景、雪景色を見ていただきます。





そして三居沢発電所の水路に植えられている雪を抱いた桜並木の様子を見てください。





逆方向からも



これでしつこい雪景色が終わると思いますか? こう書かれたらまた続くのかと呆れてしまいますか? 明日のお楽しみです。(すみません、上から目線で)


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