鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

(その2)三居沢発電所

2008-02-01 22:36:49 | お知らせ

 (その1)からの流れは大きく右に90度曲がって南に流れていきます。

 画面左の方が南側になります。

 この水路の両側には古い歴史のある桜並木があります。

 4月の下旬には桜が満開、お花見客で賑わうということはありません。

 じっくりと桜を愛でることが出来ます。

 まあそれは大きくなってからのことですが・・・・。

 

 

 ここでまた昔の話しになります。

 またか!?と思った方はここでストップしても結構です。

 

 

 私が中学校の頃は、まだ柵はなかったと思います。

 この水路はアユ釣りができるほど、夏には鮎が遡上してきたのです。

 当時は友釣りなんて高尚な釣りはありませんでした。

 「ころがし」、仙台で言うと「がらがけ」でのアユ釣り、正しくはアユ掛けと言うので省か(ホラ、こういう具合に「しょうか」は「省か」として出てくるのです!!)。

 こどもからお年寄りまで、主に左岸(写真の左側)の縁から竿を出して釣りました。 

 竿は当然、竹竿です。

 それも2間半ですか。竹の4本つなぎ(たまに5本つなぎの竿も)です。

 糸は何号だったか、思い出せませんが、太い糸です。もちろんナイロン製です。

 4号か5号位の中通しの鉛のオモリに、水糸(タコ糸)で上下にこぶを作り、上部のこぶには空中兼水中糸を、下部のこぶにはハリスと取り付けます。

 ハリスは長くて、60~70センチくらい、そこに蝶バリを4~5個つけました。それで、下流から上流に扇型に引き上げて、アユを掛けるわけです。

 

 

 皆が熱中して、学校で三居沢では釣りをするなとまで言われました。理由は危ないこと、もともと釣り場ではないこと、アユを釣るには許可が要ることなどでしたでしょうか(「省か」とは出なかった)。

 

 

 こんなこともありました。全体に川が渇水になったときです。もちろん子どもの頃の話には変わりはありません。

 その時は、がきどもで網を持って流れの中に入って魚とりです。そのときです。うなぎを捕りました。

 でもよく見るとうなぎのようですが、ちょっと違うのです。 

 そうなのです、ヤツメウナギでした、はじめて捕り、実物を見ました。大きさは30センチ歩かないか(=あるかないか)くらいでしたか。

 

 

 そういう子どもの頃の思い出が一杯詰まっているところなのです。

 (そのほかにもここに一時動物園がきたこともあるのですが、それは止めときます。)

 

 お付き合いくださいまして、ありがとうございました。


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(その1)三居沢発電所

2008-02-01 22:10:17 | お知らせ

 この写真は一体なんだと思いますか?

 何かビニールハウスのようにも見えますが、違います。

 それにしては、低すぎます。

 

 

 何のことはない、柵です。

 水路を覆っている柵(といっていいのか?)です。

 昨日の二本の大きな水路、それがタービンを回した後に一つになり、この水路から広瀬川に流れ込みます。

 正しくは元に戻ります。

 もともと広瀬川から取水したものですから。

 

 

 前はなかったのですが、いつのまにかこんなにも立派な覆いが出来ていました。

 もちろん危険防止、落下防止のためですが、普通に考えれば落ちることはないでしょう。

 ただ水量があって、流速もあるもので覆いを設置したのでしょうか。(本当にこのパソコンはバカです!!!、アホです!!!いまも「せっちしたのでしょうか」とローマ字入力して、変換したら、「設置したので省か」となるのです!!!信じられない!!

 

 

 でも、こんなもののために雰囲気、周りの景色、眺めは台無しです。

 なんと何とナント、無粋なことか。


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