何か冴えない天気ですよね。 これから雨模様になるとか・・・・。きのうの会津地方もパッとしませんでした。雲に覆われていて、陽射しが暑くなかったのはよかったのですが、まあ雨が降らないだけ良しとしなければいけないのでしょうか。
会津磐梯山も上の方はほとんど雲に覆われていましたが、午後も後半になってくると雲は山の中腹より少し上の方を覆い、山頂はくっきりと見えました。 やはり会津地方に行ったら”磐梯山”ですよね。 会津磐梯山と会津若松城(鶴ヶ城)が会津地方の象徴的な存在です。
でも幕末の会津と言えば、新選組とは切っても切れない縁があります。戊辰戦争の頃は「会津新選組」まで結成されたのですから。 そして会津新選組の中で忘れてはならない人は、3番隊隊長斉藤 一です。
彼は戊辰戦争も生き残り、会津藩士として投降してからは、山口二郎、藤田五郎と名前を変えて戊辰戦後も生きながらえました。 西南戦争でも大活躍したようです。 旧幕府の侍にとって、西南戦争は戊辰戦争の格好の恨みをはらす戦争となったようです。悲劇には違いありません。
この上下のタオルは1枚650円でした。洗うと色落ちがしそうなので、そのままにしてとっておきます。
会津のこういうパンフレットはなかなかよかったです。よくみてください、教育旅行版の『ジュニア』版です。 さすが修学旅行に歴史と伝統のある会津若松です。
ちなみに、「あいばせ」とは「さあ、行きましょう」という会津の方言だそうです。いかにも一緒に行きましょうという感じがしますね。 今回は鶴ヶ城経は行きませんでしたが、私としては仙台豊齢学園生だったとき(3年前かな)に、修学旅行で行きましたので、まあ行かなくてもよかったかなとは思っています。
この会津新選組記念館に入れたのがよかったです。狭いところですが、そこがよかったです、逆に。 1階は所狭しと並べられたもろもろの商品があり、2回が有料の記念館となっています。300円。
NHK幕末ドラマ「八重の桜」の影響が大きかったようですが、ここは撮影にいろいろと協力しているところです。
いろんな銃が一杯展示されていますし、使われて発掘された銃弾もたくさんあります。また砲弾の種類も一杯ありました。
何か前書きが長くなりました。ここからが本題なのですが、好き嫌いの人に分かれるでしょうか。 きょうはあさから町内会の仕事(お祭りの行燈枠の設置とか)等がありましたので、川に行くのは10時30分頃になってしまいました。
それが結果としてよかったのかな。 一杯いたのです、鮎ではなくカナヘビが。 アユタローさんが言うように、鮎はここにやはりいるでしょうか。いるのですね、少なくとも食事時間帯には。ここで掛かったら愉快でしょうね。
このカナヘビは姿勢がカッコよかったので、3枚も掲示します。小さいです。
上が一匹目で、下は2匹目です。
3匹目
4匹目
5匹目
最後は分流の上流から。 暗くなってきました、雨が降りそうです。
写真のアップが前に戻りました。息子にいろいろ苦戦してもらって何とかなりました。みなさまにご心配をおかけしました。
あしたは何とか山形へ行きたいと思っています。 19日も行きたいのですが、お彼岸も近いし、母の月命日でもあるし、家の奥さまが行かしてくれるかどうか・・・・。お彼岸は22日木曜日ですね。