今午後2時過ぎです。ここまでの最高気温は22.5度で、お昼過ぎに記録しています。きのうが22.7度でしたので、ほとんどきのうと同じ感じです。
分流で珍しく男女二人ずつ4人の若者たちが竿を出していました。釣果はありませんでした。熱心に竿を出しているのはひとりくらいに減っていました。餌がないか分かりませんが、そうそう釣れないだろうと思います。釣るよりは自然に親しんで広瀬川で竿を出せるということを喜んでください、と言いたいですね。
午前中デパートで芸術鑑賞。第82回河北美術展を夫婦で見てきました。何しろ数が多いこと、そして大作の絵が多く、見て回るだけでも時間がかかるし、疲れるくらいなのです。確かにパッと見てすぐにいい印象を持つ絵はどこかほかの絵とは異なりますし、さすが賞をいただくことだけはあります。
来週は別のデパートで芸術鑑賞です。今度は「春の院展」です。こちらは第74回です。82回とか74回とかすごいですね。実績があるからこそここまで続いてきたのでしょうが。
きょうは5月5日、端午の節句・子どもの日ですが、鯉のぼりを見ませんねえ。どうしたというのでしょうか。男の子がいなくなったというわけではないと思うのですが、この周辺では見かけなくなりました。 さびしいです。きょうの日は国旗よりは鯉のぼりこそ揚げて欲しいものですが。
そういえばおとといか舟形に行ったときも鯉のぼりを見たのはたった1軒だけでした。前はもっとあったように思うのですがねえ。お雛様を飾る家より鯉のぼりを揚げる家は圧倒的に少ないでしょうね。
別に男が嫌われているということではないでしょうが、世間では本能的に男=戦争とかいう考え方がいつしか敷衍しているのかも、だから男を嫌っている、少なくとも歓迎しない、鯉のぼりも少なくなる、という流れ動きになるのかも、なんて暴論を言ってみたり。
皇族方を見ても圧倒的に男は少ない。男は生まれにくい。 本来男女の出生比率というものは、女を100とすると男は105くらいでした。それが20歳頃にはほど同数となる、その原因は男は育てにくい、育ちにくいからというものでした。むかしはそう言われてきましたね。
このまま行ったら日本の皇室、天皇家だって男系は絶えてしまうでしょう。その前に男子に拘らず、女性も天皇になれるような道を開いていくべきでしょう。ところが頑固な独裁者は頑として受け入れようとしません。歴史をみても女性天皇は何人もいるのに、男系に拘るのはおかしな話です。
今まで男系中心でやって来れたのはどうしてなのかちょっと考えれば分かることです。伝統的に天皇家や大名家ではいくらでも財政が許せば側室なるものを充実させてきたからです。とにかく男子を生んで欲しいということから、きれいどころを殿さまの周辺に集めてきました。だからこそ男子が生まれ、跡目相続でもめたりもしましたが、藩としては存続出来たわけです。そのことは天皇家にも当てはまるでしょう。
でも今の時代、いくら天皇家だからと言って皇后陛下のほかに別の女性を侍らせることが許されますか。そんなことができると思いますか。 でも女性天皇を認めないという立場を貫くのであれば、独裁者たちはそこまで言わなければ現実的には筋が通りません。今の世には通用しないことをいまだに言い続けているのです。時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ません。
また話しは脱線してきました。きのうに続いて小国川にまで辿り着けなくなりそうなのでこの辺で止めときます。
5月上旬に毎年小国川へ行っていますが、その時に一時停車sて写真を撮っているところがあります。旧道でもう少しで舟形町へ辿り着く前の最上川の風景です。小国川は最上川の支流です。
(この2枚は去年のものです。)
以下5月3日の写真です。例年同様冬の名残の捨てられた雪がうず高く黒くなって静かにたたずんでいます。
この公園というか、駐車場というか、最上川展望台には下流側にも雪がいっぱい残っていました。(上の写真の右下) 写真ほぼ中央の中洲はいつしかすっかり緑に覆われています。前は砂利の中洲でしたが。
ここから新庄ではなく舟形方面にゆるく右折します。トンネルを通るとそこは舟形町の小国川です。
第一印象はなんじゃこれは~です。なんとまあ平坦な、変わり映えのしない、だだっ広いだけの変化のない流れになったものよ! つまらない流れになりました。
さらに川沿いに上流を目指します。上流の河川敷にはキャンプ場があります。夏には必ず数組のキャンパーたちがいます、
そのキャンプ場の一番上流の方にこういうものがありました。
ここにも大量の雪です。いかに今冬は雪が多かったのかこれで分かろうとい うものです。
当然山々はまだまだたくさんの雪をいただいています。
スミマセン今日はこの辺で。あしたは一関大橋下流域から上流域の様子となります。
朗報もあります。今年の最上川の天然遡上の稚鮎はものすごい数だそうです。稚鮎が最上川を遡上し、途中支流の鮭川や小国川にも遡上し、寒河江川にも遡上することになります。支流に遡上するのもいいですが本流筋にも居残って大きくなってくれたらいいなあと思います。
ブラックバスやブルーギルに占拠されてしまった寒河江市の最上川、第一と第二組合の境界付近の最上川にも棲みついてくれないかなあ~、それが夢ですね。