鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から、8年8か月

2019-11-11 17:35:36 | 思いつくまま

 

 

 寒いです。気温が上がりません。今午後5時を過ぎましたが、最高気温は10度を切って、9.9度と言います。午後2時19分記録。

 

 いやあとうとう来てしまいました。10度以下の気温の日が。朝7時が7.3度で、午後5時が9.7度となっています。

 

 朝からどんよりした気分が落ち込むような天気が続きました。でも落ち込んでもいられません。前向きに生きていかないと。倒れるにしても前に倒れたいものです。 明日はどうなるか全く分かりませんから。

 

 きょうは早いもので2011年3月11日から8年と8か月が経ちました。何でも11月11日は「独身の日」とかで、いろんなセールが活況を呈しているようです。中国が滅茶苦茶に盛り上がっているとか。どういうことなのでしょうね。そんなことはどうでもいいのですが。

 

 

 

 ””世界防災フォーラム/防災ダボス会議@仙台2019””が開催されています。

 9日(土から12日(火)までですか。その中できのう国際センター大ホールにて開催の「東日本大震災メモリアルシンポジウム~経験をつなぐ、その意味とその姿~」に参加してきましたので簡単に報告します。

 

 その前に久し振りに国際センターに入ったらこういうものが掲示されていました。

    

 この国宝の仙台城大手門が残っていたら最高だったでしょうね。仙台空襲で焼失してしまいました。第2師団が居たからなあ。

 

           

 

                 

 

     

 こういうシンポジウムは、どうしても各パネラーが話しをするのが長くなり、その後のお互いのやり取りが疎かというか、時間がとれないままに不十分なままで終わってしまうものですが、案の定今回のシンポもそうでした。

 だから1時間半では短すぎるのです。2時間はないと。でもリアス・アーク美術館や広島平和記念資料館の説明を聞くことができたのはそれなりに有益でした。

 志賀前館長は、展示に当たっては(過去最大のリニューアルをしたそうです)人の目線、地上からの目線を重視して、全体の悲惨さとひとり一人に苦しみがあり、それを伝えたかったようです。あの日の死者のメモリアルと言っていました。共感の大切さを強調していました。

 

 中でもユニークで面白かったのは池澤さんの話しですね。ご紹介します。

 『 メモリアルへの提案として、修学旅行生を呼び込む、とくに東南海トラフト地震の地元の高校生を、世話していろいろ体験してもらう。

・まず、津波に襲われた仙台空港へ到着、次にそこから荒浜小学校へ。ここで生徒たちを地域に散らして荒浜小学校へ集まって(逃げて)もらう。

・石巻では、石巻日日新聞の記者に語り部となってもらう。避難タワーに上ってみる。大川小では、半分の生徒には山に登ってもらい、残り半分の生徒には子どもたちが逃げる予定だった三角地帯に連れて行き、当時を想像してもらう。水が押し寄せる感覚を味わってもらう。

・女川では、丘の上に登り、そこまで津波が来たことを実感してもらう。

・釜石では、釜石の奇跡、津波てんでんこ、率先して自分が先に逃げる。生徒にも走ってもらう。

⇒ そういうことが自分のまちで起きたらどうなるか?実感を身に付けてもらう。

 そのためには、各自治体(の職員)も協力し、積極的に案内する。他県の生徒たちを呼び寄せて体験させる。

 東北、三陸体験を他県にも伝える。それは資産である。 』

 また最後にこうも言っていました。

 『 全体の慰霊鎮魂のようなものが必要。例えば沖縄の「平和の礎」のようなもので、ひとり一人の名前から何かが伝わってくる。

規模の大きさを体感できる碑があってもいいのではないか。 』

 

 なかなかいい提案ではないですか!!!みなさんはどう感じますか?

 

 

 

 

 


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